「『観測者』といえば、わかってもらえるかな?」
白露の吐き出した黒い泥に襲われていた伊47の前に現れた
「あなたが……」
「君達は私を追い求めているようだね」
小さく微笑む『観測者』に対し、伊47は茫然とするしかなかった。現れるとは思っていなかった求めていた存在がまさに目の前におり、しかも自分の危機を救ってくれたのだ。ときめかないわけがなかった。
しかし、そんな伊47の雰囲気を察したのか、『観測者』の隣に並ぶ従者2人が、救ったのは自分だと主張するように手を振る。実際、『観測者』はその場に現れただけで、泥を消し飛ばしたのは従者の謎の力。海中で突然吹き飛んだので何をしたのかはわからない。
「ああ、礼はこの子達に言ってあげてくれたまえ。私は何もしていない。
「あ、は、はい、ありがとう、ございます」
言われるがままに従者に礼を言うと、大袈裟に喜んで伊47に握手を求めた。拒否する理由がないので、その手を握る。
「アレは存在を侵すモノ。捕らえられれば最後、君は君で無くなっていた」
予想通り、泥に捕まってしまったら、白露のように存在を歪められ、侵略者にされていたようだ。逃げを徹底したのは大正解だった。
しかし、施設に持っていくのは憚られるので、助けが入らなかったら本当にまずい事になっていた可能性が高い。そういう意味でも、『観測者』と2人の従者には感謝しかない。
「えっと……施設に、来てくれる……?」
何故ここに現れたのかは、伊47にはわからない。今までさんざん潜伏しておいて、今更になって表に出てきたのは、何か理由があってのことのはずだ。それが施設であると信じて、おずおずと誘った。
従者の2人はニヤニヤしながら『観測者』を見て、『観測者』は肩を竦めながら小さく息を吐いた。
「君を施設に送らせてもらおう。救った縁もある」
従者達がハイタッチを決める。『観測者』はここまで来ておいて結局施設には行かないと言い出しかねなかったので、従者達もここで施設へと向かうことを決めてくれたことを喜んだ。
伊47は、泥に襲われるという恐怖から未だに涙目であり、よく見れば手もまだ震えている。そんな
「君達、あまりはしゃぐんじゃない」
主人の決心を喜び続けている従者達は、今や周囲で踊っている程だった。その様子がおかしくて、伊47も震えが止まっていくのを感じた。
伊47が『観測者』を連れてきたということで、施設は騒然としていた。まず春雨が直感的に戻ってくるタイミングに気付き、叢雲がさらに何者かが近付いてきていると感知するのだが、なんだか人数が多いと感じて全員で出迎えたところ、まさかの『観測者』登場である。
一番驚いていたのは、まず見つからないだろうと考えていた姉妹姫だった。数年ぶりの再会であり、中間棲姫にとっては殆ど育ての親みたいなもの。その顔を見ることが出来ただけでも、
「お久しぶり……ねぇ」
「ああ、久しぶりだ。元気そうで何よりだよ」
「全部知っていたんでしょう。観測、し続けていたのよねぇ?」
「勿論だとも。それが私の在り方なのだからね」
事前に飛行場姫と話していた再会の挨拶を口にした中間棲姫。対する『観測者』は、被っていたシルクハットを脱いで優雅にお辞儀。昔から何もかも変わっていない、出会い別れた時そのままの『観測者』がそこにいた。
中間棲姫が飛行場姫にすら見せたことの無いような表情を見せたのはその時だった。再会を喜んでいるような、過去を懐かしむような、怒りやら悲しみやらまでもが綯交ぜになったような、そんな複雑な表情。
「なら、私達が貴方を求めていたことも」
「無論、知っているとも。そして、君達が知りたいことも知っている。私は『観測者』なのだから」
今までのことを全て海の底で見続けていたのだ。泥のことも伊47には多少話したくらいなので、出処だって知っているし、極端な話、古鷹の居場所も知っている。
そして、『観測者』の視線がチラリと春雨に向いた。突然見られてビクッと震えてしまい、それに反応した海風がキッと睨み付ける。クスリと笑いつつ、中間棲姫に視線を戻した。
「彼女──伊47が襲われているところを見つけ、助けさせてもらった。そこで1人にするには酷だと思ってね。ここまで送らせてもらったよ」
「襲われた……!?」
「うん……すごく、怖かった……。でも、本当にギリギリのところで、このヒト達に助けてもらったんだヨナ」
ここに戻るまでに従者達のおかげで大分落ち着いていた。だが、心に刻まれた恐怖は、簡単には払拭出来ない。陸に上がったところでようやく完全に安心出来たからか、へたり込むようにその場に座る。腰が抜けたというわけではないが、どっと疲れが出てきてしまったようだ。
「ヨナは何に襲われたの。何処で何があったかは知らないけど、この子だって相当
そんな伊47を抱きかかえながら、飛行場姫が『観測者』に問う。
「君達が泥と呼んでいる物質。白露と言ったかな。彼女が失っていた我を取り戻した時に吐き出したそれが、未だ海を漂っていた」
「えっ、アレが!?」
それを聞いて驚くのは白露である。自分が正気を取り戻した時にさんざん吐き出した血と泥がまだそこに留まっており、さらにはそこを通りかかった者を襲うというわけのわからないことが起きてしまった。
そもそも吐き出した泥は、そう表現する通り泥、すなわち流動体だ。海中で霧散せずに形を保っていたこともおかしな話だが、意思を持つかのように動き回っているなんて、ホラー以外の何ものでもない。
「そのことについて、アンタに聞きたかったのよ。何せ観測し続けてんだから、出処とかも全部知ってるわけでしょ」
飛行場姫が突っかかるように問い質すが、『観測者』はああと一言だけ。
「お、教えてほしいな。何があたしをあんなゲスにしてたのか。妹達があたしに混ざっちゃったのも関係あるの?」
白露も飛行場姫と並んで聞く。つい最近まで自分を侵略者へと変えていた物質の正体なのだから、その真相が最も知りたいのは、その餌食となった白露自身だろう。
その必死さに、『観測者』の従者達はちゃんと話してやれと言わんばかりに袖を引っ張る。
「あれは、
一瞬何を言っているかはわからなかったため、白露は首を傾げる。しかし、そういう言い回しを何度も聞いたことがある姉妹姫は、『観測者』が何を言いたいのかは推理が可能。
「その
「そうねぇ……自分の力だけで何かするわけじゃなく、他人も巻き込んでってなると、それは迷惑よねぇ」
勿論、その存在に対しては疑問が出てくる。施設に直接的には関係ないかもしれないが、今ここに白露がいるし、懇意にしている鎮守府がその深海棲艦の脅威に立ち向かうことになるのだ。ある程度は情報を手に入れておきたい。
「君達の
またわけのわからないことをと飛行場姫は溜息を吐いた。
「あの……もしかして……
ここで春雨が直感的に思い浮かんだ言葉を紡ぐ。概念のようなモノでもそこに存在しているというのなら、そういう少し曖昧なモノとして表現するのが最も適しているのではないかと考えた。
対する『観測者』は、小さく首を縦に振った。従者の2人は大正解と言わんばかりに、何処から取り出したのかカラフルな紙吹雪を舞わせる。それは舞い上がった後すぐに消えたので、艤装を生成するのと同様の技術か。
「これ以上は語れない。私の特性は『中立』。世界の均衡を、海の底から見守る者。基本的には手を出さない」
「そういうところ、ホント変わんないわね。こっちが大変だって時もただ見てるだけとか」
「そう言われてしまうと、何も言い返すことは出来ないね。だが、私が出来ることは、
相変わらず表現は謎ではあるが、つまり、助言はするが手助けはしないということである。艦娘や深海棲艦の明日のために、鎖を磨いて見守る存在であると。
「じゃあ、何故ヨナを助けたのよ。勿論それはこっちとしても本当にありがたいことだけど、アンタのやり方に反するんじゃないの? 中立って言うなら、そこにあるがままを受け入れるってことでしょ」
自分の特性を『中立』として置いているのなら、どちらが有利でどちらが不利だなんて何も考えないはずである。手を出さず、見守るだけ。
「摂理に反していたからさ」
「摂理?」
「艦娘と深海棲艦、その戦いは宿命付けられたものであり、それが世界の摂理だ。故に、私はそれを見ることしか出来ない。偏ることなく、力を貸すこともしないだろう。だが、
突然名指しされて素っ頓狂な声を上げかけるが、どうにか呑み込んだ。従者達がニコニコしているため、ここで弱みを見せるのはよろしくない。
「実の妹とはいえ混ざり合うなど、そもそもおかしいとは思わないかい。これは摂理に反している」
「ま、まぁ、そうだよね。そりゃおかしいよ。艦娘ってのは、今は深海棲艦だけど、1人に1つの魂だもん。でも今のあたし、4人分だよね」
自覚出来るくらいにおかしい存在にされているのは、白露自身で理解出来ている。艦娘を混ぜるということがそもそもおかしい。
「魂の混成、そして魂の侵蝕。
均衡を見守る存在は、均衡を保つために動くこともするらしい。
「だとしたら……私を育てたのも均衡を保つためなのかしらぁ?」
「一環ではあるが、私の意思も少しだけあった。君の存在はあまりにも不安定だったからね。干渉は憚られるべきだとは思ったが、あるがままに育てたまでさ。驚くほどに正しく、頼もしく成長してくれて、私も喜ばしかった」
「そ、そう、面と向かって言われると、少し恥ずかしいわぁ」
育ててもらったことには大きな恩があるのは間違いなく、それが世界のためと言われても何も苦ではない。
それに、『観測者』であれ中間棲姫には情が湧いたというのもあるようである。
「で、結局その摂理とやらに反してるっていうクズは何者なのよ。勿体ぶらずにさっさと言ってもらえる? 正確に、明確に」
淡々と話をする『観測者』に対して、痺れを切らしたか叢雲が強めの口調で問い質した。薄雲がアワアワするものの、従者達がそうだそうだと囃し立てるように『観測者』を小突くような真似をしたため、空気がそこまで冷えずに済んだ。
「春雨、君なら答えが出ているんじゃないかい?」
なのにあえて自分の口から語らず、春雨に振った。まず間違いなく、春雨はそこには部外者に等しい。巻き込まれただけの艦娘に過ぎない。
だが、今の春雨の直感は何かが違った。『観測者』との接触で、さらにその力は増しているかのように見えた。
故に、敵の正体に辿り着こうとしている、今までの話を独自に整理して、直感的にこうではないかという答えを導き出した。
「……憶測ですけど」
「言ってみたまえ」
「わかりました……結構突飛な考えですけど」
そして春雨はその考えを口に出す。
「その敵は……