ミシェルの洗浄作業は、ジェーナスが慣れてきていることもあってかなり早く終わる。まるで洗車のようなその作業も、みんなで集まって同じことをするというだけでも楽しいもの。一番の新人で、早くこの施設に馴染みたい白露も、この作業を通してより一層仲間意識を高めることが出来た。
「さすがにこういうことするのは初めてだよ。結構疲れるねぇ」
やり切ったという顔で額の汗を拭く白露。馴染むためにもと、ジェーナスに次いで力を入れていたと誰もがわかるくらいだった。
そうしている間にミシェルに白露の正体がバレるということも無かった。髪を結んでいるだけでも大分印象が変わるが、もっと良かったのは夕立のマフラーだった様子。当時身につけないようなものがあったことで、より白露には見えなかった。
「Michelleも嬉しそうにしてるわ。ね!」
みんなに磨かれたミシェルは、太陽の光でキラキラと輝いて見えた。白露の磨き方はミシェルにとっては最高に気持ち良かったらしく、それはもう喜んでいるように身体を揺らす。
感情表現が一層わかりやすくなったようで、ほとんど初めて見るような白露でも、ミシェルが何を考えて何を訴えたいのかは手を取るようにわかった。それくらい大袈裟で、かつ心の底からの感情を表に出している。
「本当だねぇ。喜んでもらえてよかったよ」
綺麗になったミシェルの額を撫でてやると、嬉しそうに白露に身を寄せた。誰がどう見ても仲の良い2人である。ジェーナスも満足げ。
「……発作は起こさないみたいだね」
ミシェルに聞こえないように、ボソリと呟く春雨。結局、ミシェルは今の白露を見ても発作を一度も起こすことはなかった。わからなくなってしまった自分の過去に繋がる存在であることには気付いておらず、ただ増えた仲間であるという認識となっている。
白露が村雨に変装した状態で接しているおかげというのもあるだろう。心持ちはミシェルがミシェルとなったその時とはまるで違うし、今は姿すら変えている。ただでさえ『疑問』が根幹にあるミシェルには、その時の白露と一致させるのは難しい。
「ですね。白露姉さん、あれなら仲良くなれそうです」
「よかったよかった。でも、騙してるみたいに感じてそうだから、後から姉さんの方もケアしておかないとね」
「はい」
実際、やっていることは素性を隠して接しているのだから、ミシェルを
正直なところ、どの選択がいいのかはさっぱりわからないのである。最初から会わないというのがベストだったかもしれないが。
「姉さんも施設の一員なんだもんね。辛いかもしれないけど……やっぱり全員と楽しく生きていける方がいいよ。素性は隠すことになるかもしれないけれど、その方が丸く収まるなら……」
「白露姉さんのことをそんなに気にかけて……本当に春雨姉さんは慈悲深いですね。誰にでも分け隔てなく愛を振り撒く姿は、流石としか言いようがありません」
ニコニコしながら語る海風に、春雨も大分慣れてきていた。
「まだまだ時間もあるし、Michelleと遊びましょ! 最近いろいろありすぎなんだから、
ジェーナスの提案に、全員が賛成。叢雲は最初はやはり渋ったが、薄雲が手を引っ張るために仕方ないと遊びに参加する。
遊びと言っても何をするでもなく、適当に島の周囲を駆け回ったり、そこから追いかけっこや水の掛け合いになったりするのみ。ただ、そうしているだけでも心が休まる。
何も無い今だけは、そんな緩く穏やかな時間を楽しむ余裕があってもいいだろう。戦いで心が擦り切れ消耗するより、遊んで疲れている方が有意義だ。
そろそろ昼食時というタイミングで、施設近海を哨戒に出ていた戦艦棲姫一行も帰投。施設が見える範囲で一通りグルッと一周回り、何も無いことを確認したとのこと。
松竹姉妹も同行していたが、一緒に伊47も便乗していたらしく、海の上と下両方に注意しながらの確認となった。一度伊47が海中に漂う泥を見てしまっているため、今度はそういう形で設置されている可能性も加味していた。
哨戒部隊の帰投を出迎えた姉妹姫は、少なくとも何も無いことが確認出来たため、ひとまず安心。
「ひとまずは何も無かったわ。昨日の今日だもの、簡単に何か出来るとは思えないわね」
久しぶりに海を駆けたからか、何処か楽しんできたような声色の戦艦棲姫。やはり、海の上にいることの方が気分が落ち着くらしい。旅人として活動しているのはそれもあるからのようだ。
「私達も戦艦さんと一緒に見てたけど、静かな海だったわ」
「おう、前までと同じ何にも無ぇ海だったぜ」
松竹姉妹からも保証されるくらい、今の海は戦いなんて感じさせることのない静かさ。
「海の中も何にも無かったヨナ。あんな怖いのは微塵も無かったヨナ」
伊47も海中は異常無しと断定。特に酷い目に遭っているため泥に対しては脅威を感じているので、海上の3人以上に目を皿にして確認し続けていたほどだ。
その伊47が海中は大丈夫だというのだが、この周辺には本当に何もないということだ。
「よかったわぁ。すぐに何かされるようだったら、平和とは程遠くなっちゃうものねぇ」
「ホント、迷惑な話ね。アタシ達はここで静かに暮らしたいだけだってのに」
「一応今は平和が戻ってきているから、たっぷり堪能しましょうねぇ」
それが嵐の前の静けさと感じるかどうかはヒトそれぞれだが、少なくとも施設には、久しぶりに舞い戻ってきた束の間の平和である。心を穏やかにし、心身共に休息を取る貴重な時間。以前までは毎日のようにこんな時間が過ごせたのだが、この数週間でこの施設を取り巻く環境があまりにも変わりすぎている。
ようやく全員が本調子に戻り、戦いの傷痕が無くなったくらいに思えるようにはなってきたものの、いつまた同じことが起きるかビクビクしながら待ち構えるのは、精神衛生上あまりよろしくない。
「次に行くときは少し遠くまで見に行くようにするわ。今はまだ施設から見える範囲だったから」
「そうね。それくらいの距離だと、アタシやコマが自分の目で見れる範囲だものね」
「前の戦場くらいにまでは足を延ばそうかしら」
施設近海にまで来られていたら、流石にお話にならない。むしろ、誰かが来たら叢雲の感知が発揮されるし、本当に悪いことなら春雨が虫の報せを受けることだろう。
次に哨戒をするときは、時間をかけてでも叢雲の感知外まで向かうということに決まった。かなり遠いところになるため、1日で周辺全部というわけにはいかないが、時間はまだまだある。それまでに解決してくれれば何も問題はないし、そうで無くても施設だけは確実に守る。
「基本的には私が行くわ。他に来たい子がいたら自己申告でお願い。毎回同じメンバーでも別に構わないけど」
「そこは当番制でもいいかもしれないわねぇ。哨戒っていうと物々しいけど、ちょっと遠くまでお散歩に行くってことなら、みんなやりたがりそうだしねぇ」
「そうね。気分転換にはちょうどいいかもしれないわ」
施設に住まうにしても、海の上を駆け回ることはそれだけで気分転換になる。海で生まれたものなのだから、海の上が落ち着くのは自明の理。陸上施設型の姉妹姫には少しわからない感覚ではあるのだが、定期的に海に出るのは精神的にもいいことかもしれない。
「そんじゃ、次も誰かが2人1組で戦艦さんに便乗するって感じでいいんじゃねぇかな。人数的にもわちゃわちゃ行くのはアレだし」
「そうね。海の上は私と竹でちょうどいいくらいだと思ったから、これくらいでいいと思うわ」
戦艦棲姫も合わせて3人1組、そこに伊47が加わることが最も効率がいいと松竹姉妹が話す。3人いれば360度確認出来て、海中も網羅しているおかげで漏れはないはず。
強いて言うなら、海中が伊47しかいないのが難点になる程度なのだが、伊47の張り切り方が他の面々と違うために、1人でも賄えていたりする。
「アタシ達とリシュリュー、あとコマは島の上から周囲を見回すくらいはしておくわ。遠くの方は駆逐艦の子達に行ってもらいましょ」
「ええ、問題無いわ。万が一泥があっても、私が吹っ飛ばしてあげる」
「心強いわねぇ。でも、気をつけてちょうだいね。貴女だって、私達の心強い仲間なんだもの。傷付くのは見たくないわぁ」
ただでさえ大怪我を負ってこの施設に運び込まれた経緯があるのだ。何度も何度も傷付く姿を、中間棲姫は見たくないと訴えた。
対する戦艦棲姫も、次はああは行かないとやる気満々。そもそも戦わないに越したことはないのだが、次があるのなら容赦なく沈めるつもりで行くと宣言した。
「午後からも行くつもりなんでしょう?」
「ええ、勿論。出来ることなら夜にだって見回りたいくらいよ」
「それはダメよぉ。夜は英気を養う時間。グッスリ休んでしっかり疲れを取ってちょうだいねぇ」
流石に哨戒は明るいうちにのみ。夜の散歩というのも乙なものかもしれないが、それで休息が出来なかったら意味がない。最初のうちはピンピンしていても、いずれ倒れるだろう。それが深海棲艦だったとしても、無理が祟る可能性は充分にあり得る。
戦艦棲姫が夜もやりたいと言っているのは、自分が古鷹と白露から夜襲を受けているからである。あちらは昼夜問わず動き回っているので、それこそ夜に施設を襲撃してくる可能性だってあるのだ。
実際はまだこの施設の場所は誰にもバレてはいないのだが、脅威として認識し、注意するに越したことはない。突然発見されて大変な目に遭ったら目も当てられないのだから。
「ま、ここの主人の言うことはちゃんと聞くわよ。私だって居候みたいなものなんだから」
「みたいなものじゃなく、そのまま居候じゃないの。というか、アタシ達としてはもう一員よ」
「妹ちゃんの言う通り、戦艦ちゃんはもう私達の仲間、施設の一員だもの。でも言うことを聞けって言うわけじゃあ無いわぁ。危ないことはやめてほしいってだけよぉ」
「結構な強制力あるわよそれ。でも従うわ。私だって危ない目に遭うのは真っ平御免だもの」
危険なことにそこまで足を突っ込まず、施設の平和を守り続ける。それが施設の者達の願いだ。
勿論鎮守府のことだって心配ではあるが、いの一番に守らなくてはいけないのはこの施設である。居場所が無くなったらどうにもならない。
「まあまあ、難しいことは後にして、飯食いに行こうぜ。俺腹減っちまったよ」
「もう、竹ったら。でも、ここで立ち話よりは、お昼ご飯を食べながらこれからのことを決めて行った方がいいと思いますよ」
「そうねぇ。お腹が空いていたらまともな意見も集まらないでしょうし、食べながらでもいいでしょう。他の子達にも方針を伝えなくちゃいけないしねぇ。みんな、施設に入ってちょうだいねぇ」
この話は一旦切り上げる。今回の件は、施設の者全員で周知する必要のある内容だ。
施設の平和のためにも、今は一丸となって行動に移すときになっているだろう。そしてそれは、誰も反発するようなことはない。誰だって平和を求めているのだから。
それが束の間の平和だとしても、それを維持出来るように、全力で生きていく。それが楽しければ尚更いい。
この束の間の平和を守るため、施設ではいろいろと行動を起こしています。少し前まではそんなことしなくても平和だったんですがね……。