午後。午前と同じように、戦艦棲姫先導で施設近海を哨戒。今回の便乗は、春雨と海風。海中では相変わらず伊47も確認している。
午前中は施設が見える範囲内で周囲360度全てを見て回ったが、この午後からは施設が見えなくなるくらいまで遠くに行く代わりに、1方向を重点的に見ていくという流れとなっている。
「あまりこっちの方はいい思い出が無いわね……」
「はい……」
戦艦棲姫と海風が少しだけ項垂れる。向かっているのは、戦艦棲姫が襲撃を受けた島が近い場所であり、さらに先に行けば海風が黒い繭となった現場に行き着く。
春雨もそこでは白露と相討ちして聴覚を一時的に失うという重傷を負っているため、2人ほどでは無いがいい思い出があるとは言えない。哨戒中だというのに、若干げんなりしている。
「こういうところにも現れる可能性があるってわけだし、ちゃんと見ておかないと行けないわね」
一度ならず二度も古鷹が現れているような場所であるため、もしかしたら拠点なり何なりが近くにあるのかもしれない。とはいえ、深入りは禁物。あくまでも施設に対して何も無いことを調査するのがこの哨戒の目的だ。
直接ここに来られても困りはするが、ここにいつでも立ち寄れるような場所に居を構えており、いつでもこの周辺に泥をばら撒くことが出来ると言われたらもう目も当てられない。
とはいえ、この海域は施設から見てほぼ逆方向と言えるような場所。この海域に泥がばら撒かれるようなことがあっても、施設にそれが行き着くまでには、施設からわかる位置に来るだろう。大回りされたら話は別だが。
「見ているだけでは何もわかりませんね」
「そうですね。姉さんがわからないものを私如きがわかるわけが無いんですが、やはり何も見えません」
「私もここでは何も見えないわ。この子もみたい」
戦艦棲姫は自身の艤装を撫でる。それも含めると、海上は4人分の目がある状態だ。見逃すものなど無い。
広がるのはただの海。今は戦艦棲姫が傷を負って潜んでいた島も視界に入らない場所のため、周囲全てが水平線である。視界が開けすぎていると言っても過言では無い。
それで普通海に無いようなものが漂っていないかを見ているところなのだが、やはり何も見当たらなかった。それは普通に喜ばしいもの。
「ヨナの方はどうかしら」
海面をトントンと叩くように爪先でつつく。すると、少ししたところで伊47が浮上してきた。
ちょくちょく見せていた巨大な艤装を展開しているため、向かってくるだけでもそれなりに圧を感じる。
「そっちで何かあった?」
「何も無いヨナ。何かがあった感じも無いヨナ」
あの時の戦場の痕跡すら無いようなので、ここに居を構えているようなことは無い様子。あの戦いが発生したのは、たまたまこの辺りに来ていただけと見て良さそうである。
「一応ここを
戦艦棲姫がそう言うと、艤装が静かにその手を海面に置いた。ここで起きたことを断片的に読み取る戦艦棲姫の能力をここで使う。
少しの時間ジッとした後、艤装が海面から手を離す。そして、首を横に振った。何もない、もしくは誰でも知っているようなことしか読み取れなかったという程度であろう。
「やっぱりここには何も無いわね。次行きましょ」
ここまで見ればここは用済み。断片的な記憶を読んでも何も無かったとなれば、ここに気になることは何一つとして無いということになる。
まだここは施設が近いと言えば近い。何せ、やろうと思えば飛行場姫の哨戒機でもここまでなら届きそうである。さらに先、それこそ先程話題に上がった戦艦棲姫が潜んだ島や、海風の運命が変わった戦場まで行けば、また何か違うものが見えるかもしれない。
「先に……私の因縁の場所で」
「そうね。このまま一直線だっけ?」
「はい。私がこの身体になるきっかけを与えられたあの場所でお願いします。あの付近でミシェルちゃんの痕跡も見つけていますし」
海風が少し項垂れる。やはり抵抗があるようである。あの場所での思い出は、言ってしまえば最悪である。
それを察した春雨がすぐに手を握ってあげた。今は海上で脚を消しているため、身長差はかなり出来ていたものの、そうされたことで海風は一転その温もりに昂揚。
「行きましょう。優しい姉さんのおかげで気分が良くなりました」
「はいはい。気分が良いうちに見に行っちゃいましょ」
呆れ顔の戦艦棲姫だったが、艤装の方はまあまあと戦艦棲姫を宥めるような仕草をしていた。
続いて、白露と初めて戦った海。ここも周囲に何か見えるわけでもなく、先程と同じような広い海。
「ここにも何も無いですね」
「ええ。目視で見えるようなところに何か置いてるとは正直思ってないけど。それに、何も無いなら何も無いでいいのよ。静かに暮らせるんだから」
「確かにそうですね。無いことは喜ばなくちゃですね」
この辺りは他の鎮守府でもよくわかっていないような未知の海域。潜伏するならこういう場所だとは思うが、流石にぱっと見てわかるようなところにいるとは思えない。
「海風、大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
しかし、海風にとっては心を重くする場所。そんな海風のために、春雨はずっと手を握ってあげていた。勿論生身の左手側である。
いくら春雨の温もりであっても、ここが現場となると話は変わる。やはり先程までの開き直り方は出来ないようで、小さく深呼吸を繰り返していた。
「私の溢れた感情は絶望かもしれませんが……姉さんのおかげで変われたんです。こんな場所くらいで……私は姉さんに迷惑なんてかけませんよ」
これが絶望に苛まれていたら、ここに来た時点で発狂していただろう。生活に支障が出るレベルの壊れ方をしていたことは簡単に予想出来る。
だが今の海風は、春雨のおかげで絶望を乗り越えて過剰な依存にシフトしている。充分に壊れていると言えるのだが、これと言った発作の予兆を今まで全く見せてこなかったのは、この性質の変質のおかげだ。
春雨が隣にいるのなら、発作は起きない。起こさない。その思いだけで完全に抑え込んでいるため、海風の異常性は本当に特化されている。
「辛いならすぐに言ってね。私が出来ることは何でもしてあげるから」
「その思いだけで充分なんですが、そこまで言ってもらえるならお願いが、いや、これはちょっと憚られるかも。でもでも、姉さんの心遣いを無下にするわけにも。何でも、今何でもって言いましたよね。なら、でも、なら、でも、うーん……本当にお願いしていいのかどうか。でも海風は意を決して言っちゃいます。姉さん、ちょっと抱きつかせてください」
何かいろいろ葛藤があったようだが、結局のところ、春雨の是非を問うことなくその身体を持ち上げて、まるで大きなぬいぐるみのように抱きしめる。今の春雨は脚を消しているために、そんなことも簡単に出来てしまう。
持ち上げられた瞬間に小さく声を上げたものの、それだけで発作を起こす前兆のような不安が無くなるのならと、春雨はすぐに海風を受け入れた。むしろその状態から頭まで撫でてあげたものだから、海風は不安が何処かに飛んで行ったかのように興奮。曝け出されている春雨の腹に顔を押し当てる始末。
「あー落ち着きますー」
「あはは……それで落ち着けるならどれだけやってくれても構わないよ。ここだと不安定になるのは仕方ないもんね」
海風が落ち着いていくのを見て喜ぶ春雨だが、昂っているのは見て見ぬフリをしているのは言うまでもない。いや、本当に気付いていないだけなのかもしれないが。
「はいはい、本来の仕事のことを忘れちゃダメよ」
春雨と海風がわちゃわちゃしている間に、戦艦棲姫が艤装を使って海の記憶を読み取っていたが、やはりここで行なわれた戦闘と、海風が黒い繭となった記憶が強く染み付いていたらしい。
別に強すぎる記憶が優先されるとかは無いのだがら直近で起きた事件がそれなので、即座に読み取れるのはそれくらいということになる。
「9割方、海風のそれがここの記憶としてあったけど、もう1つだけ。ミシェルのことが本当に少しだけどわかったわ」
髪飾りをこの付近で見付けているのだから、それに関する何かを発見してもおかしくはないだろう。
「やっぱり、あの子はあの……何と言ったかしら、卯月……そう、卯月ね。あの子はここで繭になったと見て間違いないわ。その断片的な記憶だけは読み取れたから」
ここでミシェルの正体が卯月本人であることが確定する。
戦艦棲姫と艤装が読み取った記憶は、卯月がこの海域で運悪くドロップした瞬間だった。髪飾りを見て反応したのは、やはり本来自分が持っていた物だからということになる。
8割方そうであろうという憶測が、10割になったというだけなので、そこまでの驚きは無かった。ここが現場であるということがわかっただけで充分。もしミシェルが同じように哨戒に出るとしたら、この辺りには連れてこない方がいいということが確定した。
「でも、あの古鷹については何も無し。この辺りにもふらっと現れただけなんでしょう。逆に言えば、こっち方面は安全と考えてもいいわね」
「確かに。拠点がこの辺りにあるってわけではないですもんね。安心していいかはさておき」
「ええ。まだ100%では無いけれどね」
警戒する方向が少なく出来るのなら、それに越したことはない。とはいえ、神出鬼没なのは間違いなく、そうやって気を抜いていると、こっちの方から攻め込んでくる可能性だってある。慢心はいけない。
そのまま次は戦艦棲姫が潜伏した無人島へ。そこはまだ傷が癒えておらず、熾烈な戦いの痕がそのまま残っているような場所。よく見てみれば、戦艦棲姫が当時流した血液も僅かながら付着している場所が存在するくらいだ。
「ここで海風達に助けてもらったのよね。あそこで来てもらえたのは本当にありがたかったわ。そのまま死ぬ可能性もあったもの」
「あの調査の時に合流しようと考えたのは正解でした。間に合って本当に良かったです」
まだ春雨を抱きかかえたまま、海風は島の中などを確認する。あの時には戦艦棲姫が潜んでいたものの、実はここが敵の拠点でしたと言われたら目も当てられない。
それに、こういう入り組んだところだからこそ、泥が仕込まれているなんて可能性もある。あれが海の中でしか活動出来ないとは限らないのだ。
「見た感じでは何も無いですね。姉さん、どうですか」
「海側にも何も無いかな。嫌な予感みたいなのも感じないし」
「なら安心ですね。姉さんがそう言うのなら、ここも安全でしょう」
それは流石に早計だと春雨が軽く頭を叩く。それでも海風は喜んでしまうのには苦笑するしかなかった。
海上には異常が見られなかったが、
「海底、爆雷の痕とかがあったヨナ〜」
浮上してきた伊47が言うには、海底で何かあったような痕があるという。戦艦棲姫が戦ったときには、爆雷なんてまず使わない海上艦のみの戦闘。爆雷の痕となるとまた話が変わる。そこにいた潜水艦がやられたくらいしか考えられるものはない。もしくは生まれたばかりの
「ここでも見てみましょうか」
先程と同じように、この海域でも海の記憶を読み取ってみる。
「まぁ大体は私がここにいた時のことよね……島がこんなことになったのは私がここで暴れ散らかしたからだし」
先程の海風の記憶と同じように、この海に強く刻まれているのは戦艦棲姫の戦いの記憶。古鷹と白露から襲撃を受けた際に、重傷を負いながらも撃退した時の記憶である。
自分が関わっていることだからか、戦艦棲姫としても鮮明に理解出来るくらい深く刻まれている。そのせいで、他の記憶が若干読み取りづらい程である。
そして、僅かに残っていた別の記憶が確認出来た。
「なるほど、爆雷の痕はここで私じゃない戦闘があったからのようね。古鷹以外にも
「白露姉さんではなくてですか?」
「ええ。まだ他にもいるみたい。それはそうよね、あちらだって組織の可能性はあるんだもの」
泥で支配された組織が、自分達の与り知らないところで構成されていると思うと、なんとも複雑な気分になる。それが侵略のために行動しているというのも。
「そのもう1人というのが何者かはわかるんですか?」
「流石にそこまでは。でも駆逐艦なのはわかるわね。貴女達みたいに少し小柄だもの」
戦艦棲姫がわかったのはそこまで。この近海に立ち寄り、また別の仲間を使って暗躍していることがわかっただけでもかなり大きなこと。
ここでわかったことは、鎮守府側にも伝えるべきだろう。素性はまだ不明だとしても、古鷹以外にもいるということを覚悟しておかなければ、万が一の時に圧倒される。
午後の哨戒はこれで終了。施設の安全はまだ確保されているが、安心出来ない状況なのは変わらない。
戦艦さんのサイコメトリー能力があまりにも有能。海からしか出来ないけど、直近の事件なら何かしらの情報が読み取れるおかげで、解決がどんどん早くなる。