翌朝。春雨は少し寝不足気味。虫の報せを受けたことで鎮守府のことを心配しており、海風と白露と一緒に寝ることである程度は眠ることは出来たのだが、そういう時に限って深海棲艦化のきっかけとなった時の夢を見てしまって、発作を起こしかけたりと散々だった。
鎮守府のみんなを信じて待とうと思った矢先にこれではダメだと悩んでしまったことでまたドツボにハマり……と、結局いつもの数分の1しか睡眠時間を取ることが出来なかった。
「春雨姉さん、大丈夫ですか……? 昨日は夜中に発作がありましたし、無理せず休んだ方がいいと思います。私も勿論傍で介護させていただきますから」
寝起きで少しフラついたことで、海風が心配そうに支える。寝不足で本調子でないのは確かであり、こんな状態で施設の仕事をしたらむしろ悪化してしまうだろう。
まずは鎮守府に連絡をして安心し、その後にグッスリ眠ることで回復する。これが一番春雨にはいい1日になるはず。姉妹姫もそれを推奨するだろう。
「そう毎日やらなくちゃいけない仕事もあるわけじゃあ無いでしょ。なら春雨は海風と一緒にゆっくりした方がいいね。何かあったら、あたしもサポートするからさ」
白露からも言われてしまい、素直に今日は丸一日を休息に使うことにする。だがその前に、寝不足の原因となった心配事を解決しておきたい。
「鎮守府に連絡だけはしたい……かな。みんなに何事もないことを知っておかないと、多分眠れないから……」
「ですね。春雨姉さんの虫の報せは絶対に当たりますから、鎮守府に何かあったことは確実でしょう。姉姫様に連絡を許可してもらわなくては」
「じゃあ、朝ごはんの時に聞いてみればいいよ。というか、多分姉姫さんも連絡したがってると思うしね。春雨がそういうこと言ったわけなんだしさ」
昨晩の虫の報せは姉妹姫が知っていることだ。その時は鎮守府のみんなを信じて待とうということになったが、一晩経過したのだから一度連絡は取りたいと考える。
もし何か脅威が訪れていたとしても、それが未だに続いているとは考えづらい。朗報を待つとも言っていたため、こちらから連絡することを避けるかもしれないが、一応話だけはしておきたい。
朝食の場。春雨の不調は誰が見てもわかるようで、その原因も察しがつく。そのため、春雨からお願いする前に中間棲姫が連絡を取ってみようと話題を出した。
鎮守府の現状を知りたがっているのは何も春雨だけではない。元々そこにいた海風や白露だってそうだし、鎮守府はどうでもいいとしてもそこで何かあるとしたら古鷹が確実に絡むとわかっているため、叢雲も今を知っておきたかった。
「じゃあ、早速だけれど連絡してみましょうかぁ。今の時間ならあちらも活動しているはずよねぇ」
「ですね。いつも通りならもう始まっています。前にもこれくらいに連絡取り合ったことありましたしね」
「なら、もう何も心配することが無いことの証明のために、提督くんの顔を見ておきましょうねぇ」
タブレットをさらりと操作し、いつものように鎮守府へと連絡をする。以前連絡を取った時は、数コールもせずに繋がり、何かあったかと微笑みながら対応してくれたのだが、今回はすぐに繋がらなかった。
「えっ、まさか……」
いつもと違うというのは、どうしても不安に繋がる。まさかという可能性が嫌でもよぎり、春雨は悪い体調がより一層悪くなりつつある。
と、嫌な雰囲気になりそうなところでタブレットの画面が鎮守府の映像を映し出した。
『すまない、取るのが遅れた』
向こう側の提督は、朝だというのに何処か疲れた顔をしていた。まるで今の春雨のようにあまり眠れていないような表情である。
秘書艦である五月雨もそこにはいないようで提督だけ。この時間にこれは今までに無かったことだ。それに、いつもの執務室とは背景が違う。春雨達には見覚えのある、会議室だ。
「ごめんなさいねぇ。そちらは朝から忙しそうみたいだけれど」
『あ、ああ、少しあってね。それで、今日はどうしたんだい?』
疲れていてもいつもの調子で語りかけてくる提督。むしろその方が心配になる。
「春雨ちゃんが昨日の夜に虫の報せを受け取ったのよぉ。そちらに何か悪いことが起きていなければいいと思って、連絡させてもらったわぁ」
その言葉を聞いて、提督が驚きで目を見開いた。春雨が虫の報せを受け取った時、鎮守府ではまさに夜襲を受けていた真っ最中。ドンピシャでそれを感じ取っていた。
『春雨は本当に勘が強くなったようだね。正直、驚きが隠せない』
「えっ、じゃあ……」
『ああ、昨晩、
これは説明する必要があるだろうと、提督も昨晩のことをツラツラ話していく。
始まりは執務室の爆撃であり、そこから鎮守府総出で襲撃に対応していた。執務室が破壊されてしまったために、今は会議室で仕事をしている。
五月雨も怪我を負っているため、今は休息中。そうでなくとも、寝る直前くらいの襲撃であったため、今朝は少し遅くからの開始としていた。
「その夜襲、どうなったの」
姉妹姫が反応する前に、叢雲が問う。夜襲を仕掛けてくる輩は当然、叢雲にとっても仇敵である古鷹に間違いないだろう。それがどうなったかを知りたがる。こうやって話すことが出来ているのだから敗北は無いのだが、
提督も叢雲の気持ちは知っているつもりだ。今でこそ落ち着いているが、古鷹には大きすぎる恨みの憎しみを抱いていることを。
だが、嘘を吐くことは出来ない。最終的には古鷹も施設に行ってもらう可能性があるのだから。
『襲撃者は古鷹、龍驤、そして謎の潜水艦の3名。また、群れを伴っての襲撃であったため、鎮守府一同により対処し、これを
「撃退……ってことは、逃がしたってわけ?」
『龍驤並びに謎の潜水艦は撤退。群れは殲滅を完了した。そして古鷹は……現在、鎮守府にて
古鷹がまだ生きている。それがわかった時点で叢雲の怒りは一気に燃え上がった。しかも今、鎮守府にいる。ならば殺さなくてはならない。
「保護ってことは、そう出来るようになったってことよね?」
しかし、それを遮るように飛行場姫が提督に尋ねた。ここであえて保護という言葉を使ったということは、今の古鷹には敵対の意思がないということになるのではないか。
『ああ。僕は現場を見たわけでは無いが、白露と同様に瀕死の重傷を負ったことで泥を吐き出した。その結果、艦娘としての意思を取り戻している。我々に協力の姿勢を取ってくれたことを確認した』
「じゃあ今は」
『君達に教えてもらった方法……体内に艤装を生成し、傷を強引に接着する手段を使い、治療中だ。君達には聞こえないかもしれないが……昨日の晩から彼女の声が響いている。激痛に耐え続けている声だ』
覚えがある白露は、途端に身体を震わせた。
半日近く続いた何とも言いようのない激痛。命を繋ぐために必死に手繰り寄せたあの時間。もう傷なんてどこにも無いのに、腹の中が痛むような感覚に陥る。
しかも、白露には超回復という特性があったからまだ半日で済んでいるのであって、古鷹にはそんな特性は無い。半日どころではなく、丸一日でも利かないかもしれない。それだけの長い時間をあの苦しみに襲われ続けるだなんて、考えたくも無かった。
『彼女は治療のための肉体的な痛みと、今までやらされてきたことの精神的な痛みを、絶えず受け続けている』
「……だから許してやれって言ってるの?」
当然、叢雲は反発するだろう。白露に対しては面と向かって言葉を交わし、その思いを聞いている。誠意も見えているし、誠実に生き続けている姿を見せ続けているため、怒りはあれどまだ許せる範囲にいた。
古鷹はまだそれがわからない。どういう姿勢で自分の前に現れるか次第なところもあるが、それがわからない時点で叢雲にとっては殺意を向ける対象だ。
『話を聞いてあげてほしい。古鷹はもう深海棲艦の心は持ち合わせていない』
「……なら今、その苦しんでいる姿を見せなさいよ。それに、誠意を見せてもらわないと私は収まりがつかないわ」
提督が困ったような表情を見せたが、叢雲を納得させるためには仕方ないと考えた。
『ああ、苦しんでいる姿を見せるのは正直忍びないが、叢雲と和解してもらうためには仕方ないだろう』
「私は和解するつもりなんて無いわよ。私をこうしたのは、古鷹と白露であることには変わりないんだもの。でも、その根っこに例の泥があることだって納得してる。だから、白露のことについては納得してあげてるの。同じように古鷹のことも納得出来るのならしてあげる」
話しながらも、提督はタブレットを持って工廠へと向かっていた。道行く中で他の艦娘達の声も聞こえてくるが、その声は一晩経っても疲れているように聞こえた。
そして工廠に辿り着く。入った途端に呻き声や叫び声が聞こえた。かなり小さめであるが、誰の声であるかがわかるくらいに。
「古鷹さんの声だ……」
白露が真っ先に反応した。ここにいる中でも特に古鷹と付き合いが長いのが白露だ。その時は悪意の塊に支配された侵略者だったが、その時の記憶はある程度残っている。その時にさんざん聞いた声。
『叢雲、これでいいかい』
工廠のさらに奥。本来の仕事に支障が出ないようなスペースまで入る。
この鎮守府ではまず確実に使われないが、鎮守府を設立するにあたって必ず設置される設備、懲罰房。古鷹はここにいた。
工廠のど真ん中でのたうち回り、悲鳴を聞かせ続けるのは迷惑だろうと古鷹自身がそれを望み、都合のいいことに工廠から先に繋がっていたために運ぶのも簡単だった。それなのに工廠にまで声が聞こえてくるのだから、痛みを堪えるのに常に声を上げ続けているということに外ならない。
「……古鷹」
叢雲が拳を強く握った。画面の向こう側には、命を繋ぐ激痛にのたうち回る古鷹の姿があった。
懲罰房は古鷹の流した血で染まり、何度も応急処置をされたように血塗れの包帯が散乱していた。それだけ血を流しても気を失うことはせず、一晩この調子で苦しんでいた。
白露の時以上に凄惨な光景になっているのは、やはり春雨ではなく金剛がトドメを刺そうとしたからだろう。
『辿り着く力』を持つ春雨の一撃は、まるでくっつけてくださいと言わんばかりに断面が傷ついておらず、まさに治療するための怪我と言えた。しかし、金剛の一撃はあくまでも人間と艦娘によって作られた深海棲艦を殲滅するための兵器による致命傷。傷口は塞がりづらくなっているし、こうなることを想定していない。結果、より苦しむことになる。
『っあ、ぐぅぅうっ!?』
一晩経ったことで古鷹も喉が枯れ、ガサガサとした悲鳴になっている。口からも血を吐いているために顔も血と涙でグチャグチャ。
『叢雲、この状態の古鷹から何かを聞くのは』
『っぎっ、だ、誰が、私の話を聞きたい、んですか……』
痛みを堪えながら見るに堪えない姿になった古鷹が顔を上げる。その視線の先にはタブレット。
『い、いい、です。話します。何を、話しますか……っあぅっ!?』
痛みで姿勢を変えることは出来ないが、タブレットを見据えた。
提督は古鷹の意を汲み、タブレットをひっくり返して施設側の画面を見せた。そこには怒りで表情を歪めている叢雲の姿が。
『ぅあっ……あ、貴女は……私達が殺してしまった……艦娘の1人……ですね。
あの時と比べたら正反対と言えるくらいに性格が変わっていることに、叢雲は少なからず驚いていた。白露と同様、本当に泥を全て吐き出したことで本来の性格に戻っているのが嫌というほどわかった。
格に拘り、艦娘はおろか深海棲艦ですら格下と真顔で言い放つような古鷹は、そこにはいない。
『ごめんなさい、ごめんなさい、私が弱かったから、あんなことを……っあああっ!?』
もう敵対していた時とは別人だった。同じ姿をしていても、中身がまるで違う。白露は何処となく近しい性格で歪んでいたが、元が真面目で優しく丁寧な古鷹が侵蝕されると、ああも変わってしまうのだと実感した。
「……とりあえず、生きて私の前に来なさいよ。そこからどうするか決めるから」
叢雲からは、それだけしか言えなかった。今は手が届かない場所にいるので殺しに行くことも出来ず、古鷹自身がまるで違うことで変に動揺してしまった。
だから、ちゃんと傷を治して動けるようになったら、画面越しではなく直に会って話をするとした。
これも叢雲の成長。白露に我慢出来ているのだから、古鷹にも耐えられる。
戦いが終わった後の事後処理は困難を極めていた。もし古鷹が完治出来たとしても、まだまだ問題点は山積みだ。
古鷹の完治はまだまだ遠いです。一晩経っても傷は塞がっておらず、痛みを延々と受け続けるわけで、相当に辛そう。