施設の方でも近海の警戒は怠らず、今日も今日とて哨戒は続いていた。当番としては春雨と海風が出る予定だったのだが、春雨が寝不足による体調不良だったため、代打として松竹姉妹が哨戒へ。半日ほどぐっと眠れば回復出来るため、春雨はそのまま海風に連れられて部屋で熟睡することとなる。
勿論そこには海風がついている。寝顔を見ているうちに表情が崩れていくのはいつものこと。春雨が寂しくならないようにと常に隣に座り続ける。
「春雨は熟睡中?」
こそっと白露が部屋の中へ。海風もそれに対して無言で頷くのみで済ませる。変に物音を立てて起こすわけにはいかないため、誰かがここに来ることもあまり喜ばない。
だからか、今日は施設の掃除はお休みとなっており、松竹姉妹以外の駆逐艦や、リシュリューとコマンダン・テストまでもが、今はミシェルの洗浄に精を出している。たまにはそういう気分を落ち着かせる時間も必要だろう。
特にコマンダン・テストは、ここ最近精神的に辛いことばかりである。先程の古鷹の姿も見えないようにリシュリューと共に退室していたくらいである。ようやく本調子に戻ったのだから、今は心安らぐ時間を過ごしてもらいたいものである。
「昨日の夜、大分辛そうにしてたもんね。あたしとしても安心したよ」
春雨を起こさないようにギリギリ聞こえるくらいの声で話す。海風も春雨が気持ちよさそうに眠っているのを確認して、心の底から安心したようだ。
「眠れなくなるまで心配するだなんて、やっぱり姉さんは女神のようなヒトですね。流石としか言いようがありません。でも……あの虫の報せで崩れ落ちる姿は、あまり何度も見たいものではありませんね……」
「まぁ……ねぇ。あたし達にはわからないことまでわかっちゃうようになってるもんね春雨は。ここからは何度もああなっちゃうかもしれないと思うと、可哀想かも」
春雨第一の海風には、他者のために苦しむ姉の姿は複雑なようである。いち早く勘付いて危機を取り払うその能力は素晴らしいと思う一方、その都度悪寒で震えて心配事を増やしていくのは辛そうに見える。
海風だって、代わってあげられるのなら代わってあげたいと常々思っているくらいなのだが、ああいう直感的なことが出来るのは『辿り着く力』を持つ春雨のみ。
ならば、常日頃から近くにいてすぐに支えられるようにしようと考えた。元々の依存もあるおかげで、コレに関しては全く苦ではない。むしろもっと近くに寄りたいとさえ思える。
「春雨のことはさ、海風に全部任せるよ」
「はい、任せてください。春雨姉さんは私の全てですから、誰よりも私が春雨姉さんの全てを守ります」
「程々にね。自己犠牲とかはダメだよ。春雨が悲しむから」
守らなくてはいけないのは身体も心もだ。海風が春雨を守るために無理をすれば、春雨は確実に気に病むことになる。それだって避けなければならない。
あまり過保護にしすぎても春雨は喜ばないだろう。程よい距離感で、程よく付き合い続ける。勿論依存という都合もあるので、常に共に居続ける必要はあるとは思うが、例えば春雨の危機に対して身体を張って海風が大怪我を負うようなことがあれば、まず確実に春雨は発作を起こすし、最悪余計にこわれるだろう。
「勿論です。私が春雨姉さんを泣かせたら本末転倒ですから。泣かせる者は全員敵ですから、それには絶対なりたくありません」
「ならいいね。それがわかってるなら安心して任せられるよ」
白露も姉として春雨と海風のことを心配している。それは白露だけで無く、中に含まれる
白露を構成する4人は、全員が2人の姉。特に春雨に対しては、駆逐隊として一緒に行動し、絶対的な信頼を置いていた程だ。海風ほどではないが、可愛がっていたのは間違いない。特に村雨。
「白露姉さんって……なんだか落ち着きました?」
海風からしても少しだけ違和感があったようである。春雨以上に見ていることはまず無いのだが、鎮守府に全員が揃っていた頃は姉達のことは全員尊敬し、その戦い方を学ぶためにもよく観察していた。
白露はその時から考えても妙に落ち着いている。どちらかといえば夕立のようにトラブルメーカーになりそうな性格だったのだが、今はまさしく姉という感覚を覚えた。
こんな白露は
「今は時雨の性質使わせてもらってる。あの子、こういう時に静かに出来る子だから」
「ああ、なるほど」
すぐに納得。四人分の性質をその場その場で選択して扱えるというのは、便利なのかどうか。完全なる融合を遂げている分、全てが混じり合って1人の深海棲艦を作り上げているため、正確には性質を選択しているというよりは、その時その時の最善が表に出てきている。
海風も時雨の名前が出たことで大いに納得した。あのヒトの性質ならば、ここでの話も静かに冷静にこなすことが出来る。
「一応、あたしもアンタ達のお姉ちゃんだからさ、何かあったら言ってよね。いっちばーん頼れる仲間として、お手伝いするからさ」
ニッと笑って海風の頭を撫でる。海風も嫌な気分ではなく、改めて白露は自分の姉なのだと実感した。
やはりつい最近まで敵であったというのもあり、
しかし、叢雲に言われた『誠実さを見せろ』というのを忠実に守っているようで、どういう状況であっても正しく生きている。おそらく他意も下心もない。本心のままに生きてコレだ。
「姉さんって……本当に姉さんなんですね」
「当たり前でしょうが。そりゃあつい先日まで
小さく憤慨するが、笑みは崩さない。嘘なんて何もついていない。おどけることがあるのは白露や村雨の性質。
そういう素振りを見せられたら普通なら本当に大丈夫かと疑うものだが、白露との付き合いも長い海風からしてみれば、こういう態度を取るからこそ信用出来る。本当に姉が戻ってきたと感じる。
「それに、あたしが信用出来ないっていうのは、春雨のこと信じてないってことに繋がるんだからね。春雨の頑張りが無駄なわけがないでしょ」
「勿論です。春雨姉さんだからこそ、白露姉さんを救うことが出来たと、私は思ってます」
「あたしはいっちばーん上のお姉ちゃんなんだからさ、春雨以上にとは言わないけど、多少は頼ってくれてもいいんだからね」
海風の前では笑みを絶やさない。白露だって表に出さないだけで罪悪感が渦巻いているのに、妹のためにと空気を悪くしないように振る舞っている。
本来の気質からして、辛い時こそ戯けているような姉だ。海風もその辺りは理解しているし、春雨はもっと理解しているだろう。
「そうですね。偉大なる春雨姉さん以上というのは疑う余地もなくあり得ないですが、白露姉さんも
「言葉の節々に棘がある気がするんだけど、今は気のせいってことにしておく」
「気のせい……では無いですね。そういう意味では、私も深海棲艦なのかもしれないです」
海風も警戒心のない笑みを浮かべた。春雨は心酔する相手として崇め奉っているようなものだが、白露に対しては真に姉としての感覚を持つに至った。実際姉妹なのだから、元の鞘に収まっただけではあるのだが。
「それじゃあ、あたしもミシェルの洗浄に行ってこようかな。海風、春雨のことよろしくね」
「はい。この春雨姉さんの眠りは、誰にも邪魔させません。最高最善の熟睡を保持します」
「気負うなっての」
苦笑しながら白露は部屋から出て行った。これで海風は、眠る春雨と2人きりに。
「……姉さん、今はゆっくり休んでください。目が覚めた時も寂しくないように、海風がずっと側にいますから」
眠っている春雨を起こさないように手を握り、温もりを与えることで逆に海風も落ち着く。
春雨と海風は、若干一方的な部分もあるが一蓮托生だ。
その頃、中間棲姫はここ最近の施設は平和とは程遠い場所になりつつあることを気に病んでいた。そのきっかけが、分離している自分の本来の中身であることを知ってしまったことで尚更である。
「どうしたものかしらねぇ……」
小さく溜息をついて、どうにか対策出来ないかと頭を悩ませる。自分から戦場に出向くことが出来ないため、考えたところで実行に移すことは出来ないのだが。
そこが陸上施設型の良いところでもあり悪いところでもある。基本的に迎撃しか出来ないが、その分強固な護りが売りだ。だからこそ、誰の目にもつかないところで平和に暮らすということが出来ていた。
自分から攻め込もうとしないから、余計な戦いは生まない。しかし、近場で戦いが発生しても逃げる手段がない。平和主義だとそれが良い方向にも悪い方向にも行く。
「お姉、お茶淹れたわ」
「ありがとう妹ちゃん。私が落ち着かないとダメなのにねぇ」
緑茶の入った湯呑みを差し出し、隣に座る飛行場姫。少しだけ啜ってから、ふぅと小さく息を吐く。
「お姉のことは、アタシが守るわ。そのためのアタシの力なんだもの」
中間棲姫や戦艦棲姫が特殊な能力を持っているのに対して、飛行場姫はそういった能力を持っていない。代わりに、姉を守るための脅威的な身体能力を手に入れている。叢雲の槍を素手で受け止めて捻じ曲げる程の膂力もそうだが、全ては姉の平和を心身共に守るためだ。
だからこそ、いつも近くで付き従う。同じ海域に生まれたのはそのためなのだと、飛行場姫自身が思っているくらいだ。姉妹という関係以上に、主従関係すらあるのだと内心考えている。
「ありがとう、妹ちゃん。でもねぇ……私を守るだけだと、この施設の平和は維持出来ないわぁ」
「わかってる。あの泥のことよね。傍迷惑なヤツよまったく」
「この島は平和かもしれないけれど、提督くんの鎮守府は常に危険に晒されてるわぁ。あの人達が辛いのは、私も辛いのよぉ」
中間棲姫も春雨とは違う意味で感受性の塊だ。だから繭から溢れた感情が読み取れる。相手の感情を自分のモノのように感じ取り、表には出さないがその気持ちを汲むように行動する。
心優しき深海棲艦だからこその悩みは、自分の目につく場所にいる仲間達の不幸全てだ。手が届く場所にいる施設の仲間達だけではなく、手は届かないがその存在そのものが心の支えになっている鎮守府の仲間達もその対象。
「信じて待とうと春雨ちゃんに言ったくせにコレじゃあ、私もヒトのこと言えないわぁ」
「いいじゃない。それだけお姉が優しいってことじゃない。アタシは評価するわ。お姉も、春雨も」
他人を思い遣ることを卑下することは無い。
「アタシ達はまず、自分の身を守る。あちらはあちらで身を守ってるんだから、それを信じて同じ道を歩けばいいじゃない」
その方法が少し違うだけで、やろうとしていることは同じことだ。平和に向けて突き進むのみ。
「アタシ達はアタシ達で、泥とかはなんとかしましょう。まずは自分達の身が守れなければ、それこそ鎮守府に迷惑がかかるわ。アタシ達が出来ることは自衛。それだけ」
「……そうかもしれないわねぇ。私も妹ちゃんもここから出ていくことが出来ないんだもの。それを徹底するしかないわねぇ」
「そうよ。それが一番平和的じゃない。実際、戦いはアタシ達の役目じゃないんだもの。でも、愚痴くらいいくらでも聞くわ。溜め込むよりスッキリした方がいいから」
中間棲姫が弱音を吐ける相手なんて、飛行場姫しかいない。ならば、今がその時だ。溜め込んだ鬱憤を口にして、少しでも心の平穏を取り戻してもらいたい。
「……持つべきものは、妹ちゃんねぇ」
「アタシがお姉にとってそういう立ち位置にいるっていうのなら光栄ね。アタシを頼ってちょうだい。ただでさえお姉は気晴らしが出来ないんだから」
「ありがとう、妹ちゃん。これからも頼らせてもらうわぁ」
ここの姉妹仲も良好。仲違いは絶対に無い。
心の平穏のために、今は休息の時。本来の平和は今は何処かに行ってしまっているが、それはきっと取り戻せるだろう。
この施設には姉妹が多いですが、そのどれもが妙に依存関係になっているのが特徴。中間棲姫と飛行場姫も、何処となく共依存を匂わせている雰囲気。