翌朝、まだ誰も目が覚めていない状態で目覚める春雨。外が薄暗いわけでもなく、白んだ部屋で温もりを感じながら朝を迎えることになった。
両サイドには薄雲とジェーナス、その更に外側に中間棲姫と飛行場姫。キングサイズのベッドでも結構ギリギリな詰め込まれ方をしている分、強く抱きしめられることになったことで、仲間を実感出来て孤独感が払拭される気持ちいい温もりに繋がっている。
義脚を消した状態で眠っているので、薄雲とジェーナスからしたら抱き枕に近しい感覚で抱き付かれているようにも思えた。春雨には心地よい締め付けだが、密着の仕方が友達相手にしてはかなり近いのがその証拠である。
「……ふふ、気持ちいい」
悪い夢も見なかったし、身体の疲れなんて何処にも無いくらいに回復していた。これくらいの近さであることが、それに繋がったのかもしれない。
「楽しかったな……昨日の夜は」
目を瞑って二度寝に入ろうとしつつ、昨晩の夕食を思い出していた。
帰投したリシュリューとコマンダン・テストによる、この施設で食べることが出来るであろう最上級のディナーが振る舞われた。いつも食べている魚や野菜も、調理の方法が変わるとここまで違うのかと驚いたモノだった。
更には、この施設では絶対に手に入らず、外から持ち込む以外に食べることが出来ない肉料理まで出てきた時には、驚きを通り越して言葉を失ってしまった。2人が帰投した時にのみ食べられるという高級品に、春雨のみならず全員が舌鼓を打った。
「ふふ……リシュリュー御姉様……なーんて。断られたんだから、やめないとね」
亡き姉を投影しているわけではないのだが、春雨にとってリシュリューは憧れの存在であることは間違いなかった。そのため、勇気を出して姉と呼ばせてくれと言ってみたものの、リシュリューにはそれとなく断られてしまっている。春雨の本当の姉妹に申し訳ないと。
そう言われてしまったら、引き下がらざるを得なかった。姉妹の存在を引き合いに出されては、何も言えなくなってしまう。
当然、春雨は姉が散った瞬間を忘れていない。忘れるわけがない。今の身体になるきっかけだったのだし、春雨には4人の姉は尊敬に値する存在だった。だから、
「……いいのかな、私。こんなに幸せで」
死んだ姉のことを思い出し、独りごちた。両サイドからの温もりのおかげで、そのままドツボにハマって発作が起きることは無かったのだが、過去の自分、
自身が幸せになっていいのかという、あまりよろしくない自問自答なのだが、春雨には気がかりなことがあった。自分の目の前で散っていった姉達のこともそうだが、その最期の瞬間を本来の居場所である鎮守府に伝えられていないことがそれだ。
本来やるべきことを成し遂げることも出来ず、志半ばで散った春雨。心を壊したことで黒い繭となり、その結果ある意味奇跡的に助かった。艦娘である春雨は、姉達と共に死んだと考えてしまえば、鎮守府という
「……鎮守府……かぁ」
姉のことを思い出したことで、妹達のことも流れで思い出した。尊敬に値する存在が姉達ならば、生きていく理由を作ってくれる存在が妹達だった。
秘書艦を務めている優秀な妹、五月雨。もう一つの駆逐隊として活動し、その隊長を務めていた海風。少し後ろ向きだが、状況をよく見ている山風。やんちゃでムードメーカーな江風。五月雨と同様に古参であるため、その態度とは裏腹に経験値が非常に高い涼風。
5人の妹達のことを思い出したことで、ホームシック的な感情が少しだけ湧いた。姉の最期を伝えたい。妹達とまた会いたい。だが、今の身体では鎮守府に帰るどころか、出会うことも出来ない。何せ、今の春雨は深海棲艦だ。その心が艦娘であり、侵略するつもりが無いとしても、妹達にとってはただの侵略者だ。
行っても無駄、むしろ会ったら余計な面倒が起きる。自分は別にどうなっても構わないが、
今の状況を失わないため、余計な命のやり取りを防ぐため、戦いから避けるため、もう、本当にやりたいこと、本当はやりたかったことは、何もかも諦めるしかない。妹達とは今生の別れとなってしまうが、今の春雨にはそれも仕方ないという気持ちが出てきた途端に、あっさりとそれでいいという気持ちに切り替わった。
そして、艦娘としての春雨ならまず考えないし、そんなことは言わないであろう言葉が口から出る。
「
そのまま微睡んでいき、二度寝に入っていく。次に目を覚ましたときには、この時の感情はより薄れているだろう。鎮守府に思いを馳せることは度々あるだろうが、一度冷めた時点で帰りたいとは思わない。あくまでも、昔いた場所はこうだった、程度の考え方。この施設から出てまで、鎮守府に戻ろうなんてもう考えることもない。
深海棲艦となり、身体に心が引っ張られている一番の証拠となる。心は艦娘であろうが、春雨はやはり深海棲艦と化しているのだ。艦娘を敵だとは思わなくとも、無理して交流するべきものでも無い。距離を置くことが、お互いにとってのベスト。故に、このままを望んだ。
あちらがどうなっているかなんて、春雨にはもう想像すらしないようなことだった。
その日の春雨の仕事は、飛行場姫の手伝いをするため、釣りを教えてもらうことになっていた。メンバーは飛行場姫と春雨の他には薄雲。ジェーナスはリシュリューとコマンダン・テストの方を手伝うとのこと。そこに伊47も加わり、海中の獲物を確認しつつ、釣りのサポートをする。
本日も煌々と照り付ける日の下での作業のため、農作業の時と同じように麦藁帽子着用を義務付けられた。ジャージでやる必要はないため服までは替えず普段着としての制服。万が一波などで水浸しになったところで、服は簡単に着替えられる。
使っている釣竿は大分前にリシュリューとコマンダン・テストが陸から仕入れてきたものらしく、そこまで高価なものでは無いが、必要最低限の機能は持ち合わせている。
「竿は3本だから、1人1本ね。教えると言っても、結構適当よ。餌をつけて、投げて、食いつくのを待つだけ。時間だけが過ぎていくこともあるから、その間は……まぁたわいない話でもしましょうか」
昨日農作業をした畑とは逆方向には、釣りに最適な堤防が造られていた。そこには、腰を据えて釣りが出来るように椅子が用意されており、さらにはある程度沖に出られるためにか、壊れた大発動艇を修復したような小船が鎮座していた。オールが用意されている辺り、完全に手動である。
艦娘や深海棲艦ならこんな船なんて必要ないのではと春雨が質問するも、飛行場姫からは意外な言葉が返ってきた。
「あら、艦娘って意外と知らないのね。アタシ、深海棲艦だけれど、
「えっ!?」
「アタシ達みたいな陸上施設型の特性よ。こんな陣地を持ってる代わりに、アンタ達みたいな海上航行能力が無いのよ。だから、海に落ちたらアタシはおしまい。無様に溺れるから本気で助けてちょうだい」
なんでもそつなくこなす飛行場姫の唯一の弱点と言えるところ。それが、いわゆる
艦娘には全く無縁であるそれは、陣地を持つ陸上施設型の宿命とも言える弱点。その代わりに、ここまで大規模な陣地を艤装のように扱うことが出来るのだから、その価値はイーブンということなのだろう。
なんでも中間棲姫は、迷惑をかけるわけにはいかないと泳ぎの練習をしようとしたそうなのだが、それがまさかの大失敗。そもそも浮かぶことが出来ず、もがいても進むことは出来なかったらしく、見事に溺れてしまったそうだ。
その時にはもう伊47がいたため、沈んでいく中間棲姫を救出したそうだが、それ以来、中間棲姫も飛行場姫も、自分の特性を上回ろうとすることをやめたとのこと。
「それじゃあ、まずはこの堤防からにするわ。沖に行かなくてもここで多少は釣れるから、やってみましょ。その後に沖も体験するのがいいわ」
「了解しました。初めてのF作業ですが、頑張ります」
「ええ、オカズ1品がかかってくるから、気合入れなさいね」
ちょっとした冗談を交えつつ、3人はそれぞれ別方向を向いて釣りがスタート。
視界に誰も入らない場合、春雨と薄雲はかなりグレーな状態になってしまうため、絶えず話しながらの仕事になる。会話する相手がいるということを自覚させることで、孤独感を払拭する作戦だ。薄雲で効果的であることが実証されているため、春雨も同じように扱う。
「春雨、アンタ昨日はお姉と農作業したのよね。どうだった?」
「楽しかったです。今度は私が種を蒔くところからやらせてもらえるらしくて」
「いいわね。最初から自分の手がかかってる野菜は美味しいって、お姉や松竹がよく言ってるわ」
何のことはない世間話をしながら、釣れるまではボーッとする。余りある時間をこれでもかというほど使う、艦娘の時では考えられないスローライフ。それが心を鎮め、より安定に導いた。
それだけダラダラと話していたら、いつか話題が尽きてしまいそうだったが、飛行場姫の会話のレパートリーは凄まじく、孤独を感じさせる暇すらも与えない。施設の過去の話、他の深海棲艦の話、あとは余計なことを考えさせないようにしりとりなんかまで組み込み、喋っていない時が無いほどだった。
春雨よりも長く施設にいる薄雲ですら、まだ聞いていない話が出てくるらしく、飛行場姫の頭の中にはどれだけの話題が詰め込まれているのかが不思議だとまで話す。冗談交じりに話すことは2億はあるなんて言っていたが、実際どうかは飛行場姫にしかわからない。
「や、やりました、釣れました!」
「なかなかのサイズね。これなら2人分の刺身には出来るかも」
「わぁ、凄いね春雨ちゃん!」
そうこうしているうちに春雨も釣ることが出来た。春雨にはまず成功体験が必要だろうという飛行場姫の考えから、海底で伊47が釣りやすい場所に魚を追い込んでいたことで、無事初めての釣りを成功させることが出来ている。
「わっ、わっ、当たりが大きい!」
「薄雲ちゃん、頑張って!」
「逆方向に引っ張って疲れさせるのよ。焦らず、時間をかけてやれば必ず釣れるわ」
仲間に当たりがあれば、それを自分のことのように喜ぶ。それが大きければより一層喜ぶし、小さくても次があるからと励まし合う。実際、大きさなんて関係なく、飛行場姫の腕前ならどんな魚でも美味しく調理してしまうので、まず釣れることが重要だった。
「春雨は料理はある程度出来る方かしら」
「はい、一応は」
「なら一緒に捌いてみましょうか。鮪包丁は危なっかしくて使わせられないけど、これくらいのなら捌けるようになってもいいでしょ。元々出来たりする?」
「魚は流石にやったことが無いですね……やらせてください。私、なんだか色々なことに挑戦してみたいです」
「なら、今晩辺りにでもチャレンジしてみましょ。自分でやれるようになると楽しいわよ。釣って、捌いて、食べる。これがなかなかハマるのよね」
無意識に、艦娘の時のしがらみを振り払うかのように、ここでの生活でやれることを何でもやってみたいと考えるようになっていた。挑戦したいという気持ちは、過去を捨てて生きていくことに繋がった。
艦娘とはかけ離れたことをすればするほど、春雨はより深海棲艦へと堕ちていく。それが穏健派としてのそれだとしても、艦娘である春雨はもう戻ってこない。戦いを拒み、平和を満喫し、のんべんだらりと過ごしていく。ただそれだけでいいと考えるようになっている時点で、
「よし、人数分は釣れたわね。あんまり釣り過ぎても食べきれないし、今日はこれくらいにしておきましょうか」
「了解です」
釣果も望むところまで来たところで作業終了。バケツにはそれなりの数の魚が入っており、ちゃんと食べられることも調査済み。春雨の挑戦は、成功に終わった。
艦娘であった時の春雨には考えられないくらいの生活だったが、僅か3日でもう馴染み、それが当たり前だと思えるくらいにまでになっている。
春雨はもう深海棲艦であり、艦娘ではない。身体も、心も。
農作業とF作業を経て、春雨はより深海棲艦としての心持ちとなっていきます。世界の平和を守ることは、徐々に二の次に。