叢雲が通信妨害を引き起こすことが実証された後、空気は非常にギスギスしたものになってしまった。自分が中心になってそれを引き起こしてしまっていると察した叢雲は、それに耐え切れずもう一度テーブルを強く叩いた後、ダイニングから出て行く。
「姉さん!」
それを薄雲が即座に追った。ダイニングから出て行く際に一礼していく辺り、その礼儀正しさが表れていた。
『叢雲に何かがあることはよくわかった。確かに、古鷹や白露が襲撃した際と同じ反応を示したよ。ノイズも全く同じだ』
タブレットの向こう側、提督もそこは正直に話した。隠していても仕方ないし、叢雲がこの場にいないのだから情報共有のためにも。
敵として現れたモノと同じ反応ということは、それは敵の力を持っているということになるわけで、警戒するに越したことはない。
だが、提督としては叢雲のことを敵としては見ていない。今までの叢雲の言動から、まず確実にその怒りが演技ではないことはわかっているからだ。何か事故のようなものがあったせいで、何故か泥と同じことが出来てしまっているに過ぎない。
『戦艦、僕としては君の思うところの内の1つ、最後に話したものが可能性が高いと感じている』
「侵蝕出来ないってヤツかしら」
『ああ。叢雲には何故だか知らないが
そうあってほしいというのは誰もが考えることだ。溢れた感情が怒りで、口が悪く態度もよろしくない叢雲ではあるが、今の施設の者にとって叢雲は心から信頼出来る仲間だ。農作業を共に行なった松竹姉妹は特に、叢雲のことは農業仲間としても強く信頼している。
だが、泥に対する耐性と言われてもピンと来ない。侵蝕を阻む何かが叢雲の中にあるとして、それが何かが全く見当がつかないのが現状。
『あまりこういうことは聞きたくないんだが……古鷹、白露、どちらが……その、叢雲にトドメを刺したか、覚えているかな』
少し苦い顔をしながら、聞きづらいことを真っ直ぐに聞く。それが叢雲の進退に関わるのだと伝わってくる。
「多分、あたし。少し曖昧なところはあるけど、古鷹さんと一緒に行動してるときは、メインで動いてるのはあたしだったんだ。だから、古鷹さんよりも
「……私も……そう思います。私の手でやってしまっているところもありますが……叢雲ちゃんは盾にされたんですよね……だったら……白露さんがメイン……かと」
2人ともやはりその辺りの記憶は曖昧。しかし、鎮守府の面々も受けているように、白露が率先して突っ込み、それを後ろから叩くというのが古鷹のやり方だった。スタミナ不足を補うために、白露を基本的に動かしている。
そうなると、まず間違いなく白露が叢雲を殺している。それを指揮していたのが古鷹だ。そのため、2人に対して強い憎しみを持っていた。
『その時の白露は、まだ深海棲艦と化したばかりだったはずだね』
「そうだねぇ……初陣ってわけじゃないけど、慣らしのところもあったよ。それがどうしたの?」
『いや、白露の中にあった泥がどうやって入れられたかはわからないが、白露の攻撃……砲撃や魚雷に、
艤装や兵装の展開は全て思った通りに発生するのが基本。艤装どころか、今着ている服までもが、その想像力によって作り出されている。『こうあれ』と思ったものが、適した形状で外に出てくるということだ。
そこに、泥によって歪められた思考が混じっているのだから、無意識のうちに
「……無くは……無いです。私はその時はもう、充分過ぎるほど定着していたので……そういうことは無かったかもしれませんが……白露さんは……まだ混じって間もない頃ですから……」
痛みを堪えながら、古鷹は提督のその憶測に賛同する。叢雲の中に泥が入るタイミングなんて、その時くらいしか考えられなかった。
古鷹も白露も、叢雲を沈めた時に放置したと証言している。放置したということは、そこに対して何かやったということはない。今問題視している謎の潜水艦のように、泥を設置して侵蝕を促すようなこともしていないということに繋がる。
なのに、叢雲は泥を持っているような通信妨害を引き起こすことが出来ていた。ならば、白露の攻撃を受けた時に、その泥を身に宿してしまったのではないか。そんな状態で怒りが溢れて黒い繭と化したのだから、
「だったら、私にも泥が混じっているかも……」
春雨が呟いた。白露と初めて海上で再会し、激しい戦闘となった時、白露からの砲撃が耳を掠めている。また、白露の血を少し浴びることにもなった。叢雲と同じだとすれば、その時に春雨の中にも泥の一部が入り込んでしまっていても、何の疑問もわかない。
だが、春雨は当然正気だ。侵蝕を受けるようなことなんて無い。黒幕に対しては斃すべき対象だと考えるし、この施設の平和を維持したいという気持ちも嘘では無い。
『なら、春雨も艤装を展開してみてくれればいい。いや、その必要も無いんじゃないだろうか。今、君の脚は艤装で補完されているのだろう?』
「あ、あー、確かに。私の両脚は提督の言う通り艤装です。叢雲ちゃんと同じだとしたら、今この時点で通信妨害が起きていてもおかしくないですもんね」
『ああ、だから春雨は侵蝕されていないよ。その時には白露にも馴染んでいたと考えるのが妥当だ。僕の憶測では、本当に限られた期間……白露が
なるほど、と思い当たる節があるのか白露自身も納得した。やはり複数の艦娘を混ぜ合わせたような存在であるためか、深海棲艦化した直後はいろいろと安定しなかったらしい。
だからといって攻撃に泥が漏れ出すなんてことがあるかはわからないが、起きている可能性は否定出来なかった。どんなことでもあり得るのが深海棲艦である。まだそうなって間もないタイミングならば、思い掛けない事故が起きることもあるのかもしれない。
「泥の量が少な過ぎるから侵蝕まで行かず、でも泥は持ってるから通信妨害は発生すると。もしかして、叢雲の攻撃的な性格は少し泥が影響してるんじゃないの?」
戦艦棲姫が思ったことをそのまま口に出した。
実際それは怒りが溢れたという特性と叢雲の元々の性格が関わっているのだろうが、泥の影響が無いとも言い切れない。
全員が叢雲の今までのことを知っているために、何を言っても温かい目で見ているのだが、状況が状況なら間違いなく不和を生むような言動もあった。そういうところが泥による小さな影響なのかもと考える。
とはいえ、甘いものに舌鼓を打つような可愛いところもある叢雲だ。性格に対する泥の影響が激しいわけでも無く、要所要所で表に出てしまうというだけ。そしてそれすらも受け入れられているのだから、今の叢雲はそのままでも問題ない。
『だが、爆弾を抱えているという可能性も捨て切れない。性質を深海棲艦化する際に取り込んだだけならいいが、叢雲の中で泥が
「多分……それは無い……です」
すかさず古鷹が否定する。泥は体内で成長することはないと言い切れるらしい。
「悪意の塊は……顔も思い出せないですが……あのヒトの
あくまでも泥の力で強くなっているわけではなく、深海棲艦化したことと、混ぜ合わされて複数の艦娘の特性を持っていることによって、類い稀なる力を得てしまっているに過ぎない。
泥が成長して支配力を強めるということもなく、入っていれば性格が歪み、黒幕の忠実なる部下となるのみ。そこにあるだけで白が黒になるのだから、成長性なんて全く必要がない。増殖も不要だ。
とはいえ、その性質自体が叢雲と合わさったことで変質していた場合はその限りでは無いのだが、それなら逆に叢雲がコントロール出来そうではある。
『叢雲は今まで通りだ。通信をしている時に艤装を出すことは控えてもらわなくてはいけないがね』
「そうねぇ。それだけで話が出来なくなるというのは厄介だけれど、それ以外に叢雲ちゃんのことをどうこう言うことはないわねぇ」
ここにいる者の意思は一致している。いくら叢雲に敵側の力が備わっているとしても、見捨てることはない。裏切ろうだなんて思っておらず、むしろ率先して斃しにいこうとしているくらいなのだから、信用が出来ないなんてことは一切無い。
その動向は多少なり気をつけなくてはいけないかもしれないが、それは別に今に始まったことではない。誰も彼もがトリガーを持っているのだから、気をつけるのは誰だって同じ。
「艤装展開の時にだけ通信妨害が起きるのはなんなのかしら。泥が混じってるのなら、いつでも起きていておかしくない気がするんだけれど」
飛行場姫がちょっとした疑問を口にする。それに対しては、古鷹も答えられるものが無かった。基本的に通信妨害をするときというのは、艦娘を襲撃する時のみ。その時にはほぼ確実に艤装を展開しているのだ。艤装無しの状態で艦娘の前に立ったことなど一度もない。
それこそ、攻撃的な状態に自分を置いた時に限って、そういう悪意を表に出したような特性が発揮されるのかもしれない。泥はあくまで攻撃性の高い場所に沈着し、その効果を強めると考えれば無理もない。
『そこは、艤装を展開してもらってその中を見てみるしか無いだろうが、叢雲に危険が及ぶことは避けたいね。だから、なんの保証も出来ないが
泥の確認をさせろとか、艤装をバラして確認するぞとか、叢雲にとっては怒りと苛立ちを助長することにしかならないだろう。
結局、叢雲にはそういう特性があり、現状維持をしておけば何も変わらないという認識でいいという結論に達した。
その頃、施設の外。怒りのままに飛び出した叢雲は、ギュッと拳を握りしめて屈辱を耐えていた。
自分に憎しみの対象である黒幕の泥が含まれている可能性が高いとなれば、そう考えるのも仕方ない。何処にどのようにあるのか見当がつかないのも気に入らなかった。
「なんだっていうのよ……私が何したっていうのよ」
ブラック鎮守府で生まれ、散々な人生を送ってきたところで新たな生を得たのに、それですらグチャグチャに壊されている。怒りは溢れるばかりだ。
「私は私だ。叢雲だ。あんなヤツらと同じじゃない。侵略なんて興味無いし、むしろ元凶をぶち殺したいっていうのに……!」
暴れ回りたい程に怒りが抑えられない。モノに八つ当たりするのはプライドが許さないが、それすらも振り払えそうな程に怒りがピークに達している。
まるで深海棲艦化してから初めて古鷹と白露を目にした時のようだった。恨み辛みが頭を焼き尽くすような感覚。
「姉さん……!」
そこに薄雲が追いついてきた。叢雲のことを心配して追ったが、その荒れように声がかけづらかった。
「なによ薄雲。私を責めに来たわけ? 私も実は敵なんじゃないかって疑って」
「違います! 私は姉さんのことをそんな風には思ってません!」
叢雲の怒りを抑えるように抱き着き、落ち着かせるように背中を撫でる。今の叢雲には逆効果になりそうではあったが、そんなことは無視してとにかく思いを伝えるのに必死だった。
「姉さんがそんなことするわけ無いじゃないですか! だったらとっくに施設で暴れ回ってます! なのに、今の姉さんは施設のことを思って行動出来ていますから!」
「口だけなら何とでも言えるのよ。現に私が艤装を出しただけで通信妨害が起きてんのよ。古鷹や白露と同じだなんて、屈辱にも程があるわ」
「でも! でも、本当に敵なら、それを悔やむようなことはしません! この施設に不利益を齎して悦ぶでしょう! そんなこと思いませんよね!?」
そんなことは全く思っていない。この泥の持つモノと同じ力が備わっていることが嫌で嫌で仕方ないだけだ。悦びなんてカケラもない。辛くて、悔しくて、腹が立つのみ。
「だから、姉さんは敵なんかじゃないです。だから……だから……落ち着いてください」
「……落ち着いてるわよ。落ち着いている上で、気分が悪いの。自分が嫌になるわ。それに煮え滾るくらいに腹が立ち続けてんの」
だが、薄雲を振り払うようなことはしない。薄雲が自分のことを思ってくれているのは痛いほどわかる。それを蔑ろにするような気持ちは、怒りの中でも何処にも無い。
そういう意味で、叢雲は侵略者とは程遠い性質だ。ただ怒りが抑えられないだけ。仲間を思う力は持ち合わせている。たったそれだけだ。
「散歩して頭冷やすわ。アンタも付き合いなさい」
「……はい」
怒りは冷めない。だが、薄雲と考えていけば、何かしら答えが見つかるかもしれない。
施設の者達が叢雲との付き合い方を変えないと決めている中、叢雲は叢雲で自分の考えを整理した。
叢雲の特性として、泥を取り込んでいるというのは変えようの無い事実になるだろう。だが、叢雲自身は何も変わらない。変わるはずがない。
叢雲は泥の特性を深海棲艦化と共に取り込んだだけという結論。実際その状況を作り出したのは白露。白露の艦娘としての最後の抵抗だったのかもしれない……? 未来が見えているわけじゃないのに。