その日も平和な1日を送るため、各々施設内の作業へと散っていく。今回の春雨の作業は、当番が回ってきたため古鷹の世話係である。相方は勿論海風だ。
古鷹も大分回復し、ものによるが食事も出来るようになってきたため、世話係と言ってもあまりやることはない。強いて言うなら話し相手になることで、心を穏やかにしてもらうことくらい。
「海風、私のことばかり話すのは無しにしてね」
「姉さんがそう言うのならそうします。布教したかったんですが」
「勘弁して」
春雨の良さをただただ話し続けるマシンとなる海風に先んじて念を押して、古鷹が横になるベッドの隣に陣取る。海風も渋々といった感じに春雨の隣へ。
コマンダン・テストは身体を拭くためのタオルとお湯を取りに部屋を出ていた。手伝うと言おうとしたのだが、自分がやりたいと少し楽しみながら介護のために動き回る。
命への執着心が溢れているために、他者の命が救える行為はこの上ない喜びとなっているようだった。
「仲がいいんですね……」
春雨と海風の様子を見て、古鷹が微笑みながら呟く。敵だった頃とはまるで違う穏やかな表情。しかし、その奥には今までやってきたことの罪悪感が溢れている。既に深海棲艦だから泥となって溢れるようなことは無さそうだが、その分
特に春雨は、古鷹自身が瀕死にまで追い込んで今の身体にしたのだ。白露もそうだが、その手にかけた者なのだから、罪悪感は普通以上である。ただ戦っただけでない辺りがさらに辛い。
「勿論。春雨姉さんは絶望に苛まれた私を救い出してくれた希望、光なので」
「そう……なんですね。そんなお姉さんを……私は……」
まるでジェーナスの自己嫌悪だ。何かあればすぐにそちらの思考に流れていき、どんどん落ち込んでいく。
今の古鷹は徹底したネガティブ思考と言っても過言ではない。朝食の時に痛みが無くなればポジティブになれるとは言われていたものの、そもそもの古鷹の性格に加えて、榛名の性質まで混じり合ったことにより、発散が出来ずに落ち込む一方である。
「古鷹さん、私はもう気にしていません。古鷹さんだって被害者です。私と同じようなもの……ううん、むしろもっと酷いんですから」
泥に侵蝕された結果、仲間達を後ろから撃って殺害した挙句、その亡骸と融合してしまうだなんて、瀕死の状態から寂しさが溢れた春雨よりも酷い感情に苛まれていることだろう。
そんな古鷹のことを鑑みて、春雨は慰めるような声で向き合う。実際、もう古鷹には一切の恨みはない。この古鷹は、春雨の仇ではないのだ。それはもう、金剛が斬り払ってくれた。
「だから、気にするなとは言えませんが、あまり思い詰めずに楽しく生きてください。叢雲ちゃんはああ言っていますが、割り切ってくれています。怒りが溢れたせいで口が悪いだけですから」
そう声をかけても、古鷹にはあまり効果が無いようだ。やはりまだ身体に痛みがあるため、それに引っ張られてネガティブが加速している。被害者に許されても、自己嫌悪によってそれが心に届かない。
どうしてもあの時の感触、感覚、思考が頭にこびりついていた。他者を嬲り、痛めつけ、逃げ惑うところを殺す。そしてそれを悦び、気持ちよくなっていたゲスな自分。
絶対に忘れられない。いや、忘れてはいけない。それがいつでも何処でも古鷹の心を抉る。
「……そうしたいのは山々だけどね……私はやっぱり、許されちゃいけない咎人だから……」
「そんなことは無いですよ。悪いのは古鷹さんをあんな風に変えた黒幕ですから。少なくとも私達は誰も責めません」
直接伝えても、古鷹は簡単には前を向けない。これは今まで当番として古鷹の部屋に入った全員が見ている光景だ。何か話を振ると、こうなってしまう。何かを考えるだけで、悪い方向に向かってしまう。
相手が叢雲であろうがお構いなし。誠実なところを見せたくとも、身体も心もそれに追いついてくれない。それがまだ叢雲の怒りを掻き立てそうになるのだが、薄雲がどうにか止めてくれていたようだ。
そして、今の部屋には春雨絡みになると感情が剥き出しになる海風がいる。
「姉さんが気にするなと言っているんですから、古鷹さんは気にしなくていいんですよ。ウジウジしていたら姉さんが悲しみますから」
少しだけ苛立ちも含まれていそうな言葉であったが、ここで当たり散らしては春雨が悲しむと我慢した。ここに春雨がいなかったら、海風は間違いなくやらかしている。叢雲ではないのに、叢雲のように怒りを見せていたことだろう。
「海風、大丈夫だから。古鷹さんだって、まだ自分を取り戻して時間が短いんだよ? 傷も治ってない時に、どうしてもネガティブになっちゃう」
だが、きっと開き直れる時が来る。春雨はそう確信しているように海風を落ち着かせた。春雨が言うことなのだからと即座に落ち着いたため、苦笑が抑え切れなかった。
「古鷹さん。まずは身体を治しましょう。そうすれば、考える余裕も出てくるはずです」
「……だとしても……」
「黒幕に一矢報いたいと思いませんか? なんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだって思いませんか?」
無いとは決して言えない古鷹。全て自分の手でやってきたことだが、あの泥を呑み込んで思考回路が真っ黒に染まる瞬間も覚えているのだから、あの泥のせいでという気持ちが無いわけでは無かった。
「……勿論、
少し震えつつ、手を自分の胸へと押し当てる。ここにいるであろう、混ぜ込まれた3人。それを実感するために。
そこにはバッサリと斬られた傷があるのだが、ゆっくりと触れるだけなら少し痛いくらいで済んでいる。もう血が出ることも無く、デコボコした傷痕があるのみ。
「私と榛名さんは……すごく落ち込んじゃいます。でも、最上さんと鈴谷さんは……こなくそって気持ちが強いんだと思います。そんな気持ちが……私の中にも湧き上がってくるような、そんな感覚が」
目を瞑り、まるで自分の中に混じっている仲間達に問いかけるように、ボソリと呟く。
「私は……どうしたらいいのかな」
春雨にも海風にも届かない、本当に本当に小さな声。でも、自分の中に語りかけるような、確実な言葉。当然それに返答なんて無い。だが、気持ちを整理させるには充分だった。
白露のように、夢枕に立って後は任せたと言ってくれればいいのだが、残念なことに古鷹にはまだそれも無い。だから、自分だけで見出さなくてはならない。
「
と、ここでコマンダン・テストが部屋に戻ってきた。タイミングとしては良い方。このまま悩んでいても、古鷹はドツボにハマって抜け出せなくなりそうだった。
「古鷹さん、ゆっくり考えればいいです。答えは自分で見つけてください。私に辿り着く力があるとしても、その答えには辿り着きません」
「……はい。まだ時間はありますし……ゆっくり皆さんと考えていきたいと思います」
前向きになろうとしているのはわかる。だが、罪悪感がそれを後ろから引っ張る。
こればっかりは、春雨は手を貸さない。答えに辿り着けるとしても、それだと古鷹のためにならない。だから、
コマンダン・テストの手を借りて、身体を拭かれていく古鷹を、春雨と海風は傍で見守る。
拭く時だけは流石に服は脱がないといけないので、身につけているもの全てを消したのだが、インナー越しでも見えていた大きな傷が表に出てきたことで、その一撃の重さをよく理解できた。
その傷は大分塞がってはいるもののまだまだ完治までは遠く、変に弄るとまた血が出てきてしまいそうにも見えた。そのため、身体を激しく動かすわけにもいかずに安静を強いられる。
「バッサリですね……それに、傷が少し
「春雨さんのような
春雨の作り上げた脚の刀剣は、その時の最善の答えに辿り着く刃だ。白露に対しての一撃も、超回復のことを知らずに放ったにもかかわらず、今を作り出した。
だが、金剛が使った刀剣──比叡の近接戦闘兵装は、あくまでもそのために技術の粋を集めて作り上げられた至高の逸品というだけ。当然、最善の答えなんて考えていないため、一撃を喰らったモノの未来を断ち切るための刃だ。
そんな攻撃から生き延びることが出来ただけでも幸運。丸一日以上の死より辛い激痛を耐え切ったことで未来を手に入れたわけだ。
「昨日と比べると、大分治ってきています。あと……そうですね、3日もあれば、この傷は薄くなると思いますよ。それに、痛みも同じくらいで無くなるかと」
痛みをなるべく与えないようにゆっくりと拭いていくコマンダン・テストが、その傷を見ながら軽く説明する。
昨日と今日の傷の治り具合から鑑みて、大体これくらいで治ると簡単に計算したくらいなのだが、傷を負ってからおおよそ1週間で完治と簡単に診断された当初の予定と大体合致する時間。
「
「は、はい……そうさせて、もらいます」
コマンダン・テストが捲し立てるように語るため、古鷹もタジタジである。それと同時に、自分にここまで親身になってくれることを驚いていた。
やはり自分は敵に与した者であるという意識が強い。言ってしまえば、艦娘に対しても深海棲艦に対しても裏切り者と言えるような存在だと思ってしまっている。そんなことはないのに。
それに
「古鷹さん、まずは私達と仲良くなりましょう。怖いかもしれませんけど、心を開いてくれると嬉しいです」
自分達は古鷹のことを敵だなんて思っていないと伝えるために、まずは春雨から動く。
おそらく姉妹姫も同じようにしているはずなのだが、いろいろと引け目しかない古鷹には逆効果になっていた。春雨相手でも同じ。しかし、姉妹姫とは違う切り口で行けるのが春雨である。
「古鷹さんは重巡洋艦……でいいんですよね?」
「……戦艦の力を持たされているので、艦種は何とも」
「でも、少なくとも私達駆逐艦よりは上の立場ですから。まずは敬語をやめてください。多分これ、叢雲ちゃんからも言われてますよね」
まずはそこから始めてほしいと訴える。敬語で話しているから壁を感じ、心の回復が遅れていく。まずは仲良くなるために、親しくするために、敬語を外す。それだけでも大分変わるはずだ。
古鷹はそれに対してあまりいい顔をしなかった。そもそもの性格上、そういうことをするタイプでは無い。誰にだって丁寧で真面目な性格。
「難しいようなら、古鷹さんの中にいる誰かの性質を借りるなりしてやってみましょう。私達は、ただ古鷹さんと仲良くなりたいだけなんです。やられたことを忘れることが出来なくとも、その真犯人がわかっている以上、古鷹さんを責めることなんて出来ません。だから、ね?」
笑顔で古鷹の手を取る。
「……頑張ってみます。それが償いになるというのなら」
「まずその考えを捨ててください。償いとかどうでもいいです。仲良くなるのに贖罪とか必要ありません。でもどうしてもというのなら、償うために敬語を取ってください」
春雨にしてはズルい言い方である。そう言われてしまったら、そうせざるを得なくなる。
古鷹は自分の中の性質を利用して、現状を脱却しようと試みた。その結果が、
「うん、なんとかしてみます。でも……違和感があるかもしれないですけど」
「構いませんよ。古鷹さんは今日から新生古鷹さんです」
これで変わっていけるかはわからない。だが、少しだけでも前向きになれる時間が増えていけば、完治する頃には施設の仲間達と打ち解けることが出来ているかもしれない。
「ボクが古鷹さ。大丈夫、今度は侵蝕されないって。ホントだよ」
「古鷹だよ。賑やかな施設だね。あ、叢雲じゃん。チーッス」
すごい。全然似合わない。