春雨が目を覚ましたのは、もう夕暮れ時。両サイドを陣取っていた海風と白露もグッスリ眠っていたが、春雨がモゾモゾと動いたことで2人とも同時に目を覚ますこととなる。白露は大きなアクビをしながら身体を起こし、海風はボンヤリとした表情で春雨が目を覚ましていることを確認したことでシャキッと起き上がる。
「おはようございます春雨姉さん……という時間帯ではないですが、よく眠れたようで何よりです。身体の方は大丈夫ですか? あの力を使ったことで後遺症なんてあったりしませんか?」
脚が無いために身体を起こしづらい春雨のサポートをしながら体調を心配する海風。
実際、一眠りしたことで疲れは取れているのだが、やはりまだ反動は残っており、少しだけ目がボヤけた。春雨の力は
「うまく焦点が合わせられないけど、多分一過性のことだよ。夜にまた眠れば、明日には治ってると思う。それに見えなくなったわけじゃないから。極端に視力が下がった……ってわけじゃないけど、そこまで支障は無いよ」
「そんなことはありません。目が霞むということは、歩くだけでも大変なはずです。夕食も食べづらいでしょうから、しっかりサポートさせていただきます。この海風、春雨姉さんの手となり足となり目となり、獅子奮迅の活躍を」
「はいはい海風、春雨ちょっと困ってるから止まろうね」
軽く擦っても変わらなかったため、一過性のかすみ目と考えて残り少ない今日を過ごすことに。義脚を展開して立ち上がったものの、やはりボヤける視界は思った以上に厄介で、疲れは取れているはずなのにフラついてしまった。
それを海風が見過ごすわけもなく、即座に駆け寄り倒れる間すら与えずにその肩に手を回して支えた。
「姉さん、無理をしてはダメですよ。ちゃんと支えますから」
「ご、ごめんね。疲れは取れてると思ってたんだけど」
「今だけは私をしっかり頼ってください。頼るなと言われても、海風は春雨姉さんの隣から離れませんからね」
支えがないと立っていられないというわけではないので一旦離れるものの、ボヤける視界では部屋から出てダイニングに向かうのも難しそうである。結果的に、海風の手助けがどうしても必要ということになった。
「じゃあ、春雨は海風に任せるよ。あたしはちょっと行きたいところがあるんだよね」
「行きたいところ……ですか?」
「うん、多分もう起きてる頃だと思うから」
その言葉で察した。白露が行きたいという場所は、
一方、そのジェーナスの部屋。ベッドの真ん中でジェーナスが眠り、その側に姉妹姫が共に目覚めの時を待っていた。2人とも、心の底からジェーナスのことを心配し、目を覚ました直後からメンタルケアが出来るように。
「ん……うぅ……ぁ……」
すると、ジェーナスが呻き出す。辛そうな表情に冷や汗、歯を食いしばり、ブルブルと震える。悪夢を見ているようで、酷く魘されていた。
ジェーナスがこの施設の一員となった直後も、毎晩こんな感じだったことを姉妹姫は思い出す。過去ジェーナスは、自己嫌悪のきっかけとなった死の寸前の戦いを鮮明に思い返す羽目になっては、目を覚まして発作を起こしていたのだ。
そんなだから、ここに来た直後の者達は2人の添い寝でまず一晩を明かすことになった。ジェーナスは一晩どころか、数週間は添い寝をしてもらっていたのだが、人数が増えていくたびに少しずつ変わって今に至る。姉妹姫だけでなく、他の者でも賄えるようになったからである。
「ジェーナスちゃん……酷く魘されているわぁ」
「これは大丈夫じゃないわね。汗は拭いてあげましょ」
用意していたタオルで冷や汗を拭いてやる飛行場姫。だからといって悪夢は振り払えないため、もう無理にでも起こした方がいいのではという考えに。
当時も、あまりに酷い魘され方をしていたら起こしていた。その都度、ジェーナスは堰を切ったように涙が溢れ出し、姉妹姫のどちらかに抱き着いて大泣きする。
「ジェーナス、起きなさい。悪い夢から覚めなさい」
今回は汗を拭いてやっていた飛行場姫が身体を揺すって起こす。なるべく早く目を覚ますようにと、少しだけ強めに。
しかし、今回のジェーナスは施設に流れ着いた当時とは違い様子がおかしい。その時の悪夢ではなく、
普通ではあり得ない言動をひたすらにしていた、まさに狂っていた頃の自分。その時の情景、思考、感覚、記憶、全てが鮮明に残ってしまっているせいで、苦しくて苦しくて仕方なかった。
「ジェーナスちゃん、目を覚ましてちょうだいねぇ」
逆側に回って中間棲姫もジェーナスを揺り起こす。2人がかりで揺すったおかげで、ジェーナスは悪夢の世界から脱出することが出来た。
「っあ……」
ゆっくりと目を開けると、溜まっていた涙が溢れ出た。思考がぐちゃぐちゃ、吐きそうなくらいに気持ち悪く、そして今までで一番
「わ、私……うぅ……」
布団に包まれていた腕を外に出して、溢れた涙を拭う。それでも、次から次へと涙が溢れる。さっき春雨の胸の中でさんざん泣いたのに、まだ止まる気配がない。
「ジェーナスちゃん……私達に、話してくれるかしらぁ。溜め込んでいるから辛いと思うの。ゆっくりでいいから、心の内に溜め込んじゃっているものを、全部吐き出してみましょう」
「う、うぅ、でも……」
「大丈夫。ジェーナスちゃんのことを誰も責めないし、むしろ今のままの方が心配になっちゃうもの。だから、どうかしらぁ」
内に秘めるモノを今ここで一度全て吐き出してしまうべきだと中間棲姫は話す。それはどれだけ悪態をついてくれても構わない。淑女でなくてはならないだなんて言わない。思いの丈を、好きなように、当たり散らすように、それこそ見た目の如く子供のように癇癪を起こしてもいい。
スッキリ出来るのなら、何をしてもいいのだ。モノに当たるのは少し抵抗があるが、それで涙が止まるのなら許容出来る。そもそも
「……2人にも……知っておいてもらいたい。私の……私の
そこから涙を拭きながらゆっくりと話し始める。今見た悪夢のこと、その時の自分の感情。
ジェーナスは真面目で心優しく仲間思いであるがために、あの言動を普通以上に悔いていた。それが悪意の塊によって植え付けられた、いわば
白露のように割り切ることが出来ない。古鷹のように耐えられない。自己嫌悪のせいで前が向けない。ジェーナスにとって、あの一連の流れは、今まで積み重ねた全てを壊されたに等しい。
「愉しんでいたの……ヒトが傷付く様を見て、私、心底悦んでいたのよ……。ただでさえ私は私が大嫌いなのに……友達を傷付けて気持ち良くなるだなんて……私もっと自分のこと……」
今のジェーナスは自己嫌悪が再度壊れんばかりに溢れ出している状態だ。艦娘だったなら泥が溢れて繭となるほどに。
しかし、既に深海棲艦化しているせいで壊れることも出来ず、ただただ悔いることしか出来ず、復調の兆しすら与えられない。泥が溢れる代わりに涙が溢れる。
「ジェーナス……アンタの場合、開き直れって言っても難しいでしょう。でもね、そんなにウジウジしていたら、周りが余計に悲しむわ」
そこに飛行場姫はあえて強めに押す。自分が嫌いならば、自分以外のために行動しろという話。
これは実際、施設に訪れた当時にジェーナスに話したことだ。自分を嫌う分、仲間を好きになれと。その結果が今までのジェーナスだ。仲間思いのジェーナスは、飛行場姫のこの教えで完成していた。
だが、今はその思いごと破壊されてしまっている。仲間を思う気持ちが悪意の塊に利用され、虐げることで悦びを得るサディストとしての人格を形成させられた。
「私は……こんな私は……生きてる価値なんて無いわ……あの時にハルサメに殺してもらっていればよかった……」
「バカなこと言うんじゃないの。生きていたらやり直せるけど、死んだらそれで終わりなのよ。周りに怒りと悲しみを振り撒いて、アンタはそこから逃げて終わり。そっちの方が嫌でしょ。むしろ、アタシはそうされた方が嫌いになるわ」
グスグスと鼻を啜りながら話すジェーナスを、飛行場姫は叱咤する。死を望むのは最も良くない感情だ。『死んで償う』は逃避。本当に償いたいのなら、共に生きて誠意を見せる。それが飛行場姫の考え方。
叢雲が白露や古鷹に言った通り、誠実であることを証明し続けることが償いとなる。2人とも嫌々やっているわけではなく、本心から償うために今を生きている。それが全て悪意の塊のせいであっても、自分がやったことには変わりないのだからと。
ジェーナスもその中に含まれるようになるのかもしれない。だが、誰一人として手にかけていないのだから、何も問題は無いのだ。ようは、気持ちの問題。それが難しいからこうなっているのだが。
「ジェーナスちゃん、私からも1つ。むしろ、謝らなくちゃいけないかもしれないわぁ」
「姉姫……悪いのは全部私なのに……」
「貴女に迷惑をかけたのは、
言いながらジェーナスの手を取る。
「ごめんなさい、ジェーナスちゃん。私の半身が、貴女にとんでもないことをしてしまった。悪いのはジェーナスちゃんじゃない。私より罪は無いわ。だから、ね?」
悲しそうな笑みを浮かべる中間棲姫。そんな表情を見るのは初めてだった。いつも朗らかで、農作業が大好きで、仲間との団欒の時間を心底楽しんでいる中間棲姫からそんな表情を引き出してしまったのだと思うと、ジェーナスは余計に自己嫌悪が強くなる。
それに気付いた飛行場姫は、ここで思い切った行動に出る。
「ジェーナス、アンタ、どちらなの。自分でやったことだから罪を償いたいとか、やらされたことだから開き直りたいのか」
「わ、私、は……」
中間棲姫が目を丸くして飛行場姫を見るが、今は口出しするなと制する。
ここまでズルズルと落ち込んでしまっているジェーナスの気持ちを引き揚げるのは、寄り添い続けるだけではもうダメだった。自己嫌悪を破壊することは出来ずとも、どうしたいのかを自分で選択させることで吹っ切れさせる。
そのためには、自分が嫌われてもいいという覚悟が飛行場姫にはあった。中間棲姫はここを治める者なのだから、仲間達からは好意的に思われてもらいたい。ならば、犠牲になるのは自分だと。
「どちらなの。自分で決めなさい。ここで優柔不断はダメよ。答えられないは許さない。0か1しか無いわ」
強めな言葉で言い寄る。その目は真剣そのもの。ジェーナスは圧倒されてしまった。
「私は……私は……前のように戻りたい……戻りたいよ……」
「そうね、アタシもそう思ってるわ。なら、そのためにはどちらを選ぶの。償うか、開き直るか」
はぐらかすことは出来ない。ここで選ばなくては、先に進まない。
どちらを選んでも、必ず立ち直れる道を示してくれる。そう信じられるくらいの力を飛行場姫が持っているのは確かだ。だからこそ、どちらかを選び取らなくてはならない。
その決意の力で、ドン底まで落ちたジェーナスの心を引き揚げる。自分の意思を強く持たせることで、元に戻す。
「私、は……私の望みは……開き直りたい。だって、だってアレは、私だけど私じゃない……んだもの」
そして選び取ったのは、開き直る方。まだ震えてはいるが、ジェーナスはそちらを手に取ろうとした。
「ええ、その選択は正しい。ジェーナス、何も間違っていないわ。アンタは正しい。その時のアンタはアンタじゃ無かった。それが自覚出来ているのなら、それでいいの。その気持ち、絶対に忘れちゃダメよ」
ニカッと笑って、ジェーナスの頭を撫でる。対するジェーナスは、ぎこちないにしても小さく笑みを浮かべた。
ここで決意の力で上へと押し上げたのは、最善の答えとなる。開き直ると決意したジェーナスは、すぐには無理だろうがまた元に戻ることが出来るだろう。そのために、仲間達も協力してくれるはずだ。
次の道を自分の手で掴み取る力で前に進むのです。ジェーナスは開き直りの1歩を踏み出そうとしました。