黒い泥に覆われて繭となったことで、深海棲艦と化した艦娘、春雨。繭から孵り、黒い感情に呑み込まれかけていたその時、春雨を保護したという陸上施設型深海棲艦、飛行場姫がそれを抑え込んだ。
今の春雨は、身体は深海棲艦だが心は艦娘という、少し歪な状態で維持されている。飛行場姫が言うには、それ以上おかしくなることはないらしい。
そもそもこうなるにあたって壊れてしまった心はどうにもならなそうではあるが、今のところ飛行場姫はおろか、春雨本人もそこには気付くことが出来ていない。
「少しは落ち着いてきたかしら」
「……はい……ご迷惑おかけしましたぁ……」
「別に。
変化後に少し時間を貰ったことで心身共にようやく落ち着いてきた春雨は、改めて飛行場姫の方へと向き直った。ここに来て頻繁に出てくる言葉、『溢れた艦娘』の意味を聞くためである。
「あの……その
「ああ、そうね、そこから説明しなくちゃいけないわ。でもその前に、そのままで話すのはアンタのためにはならないんじゃないかしらね」
言われて気付く春雨。現在、繭から孵ったばかりであるがために全裸である。この施設が心地よい気候であるためか、寒さも暑さも感じていなかったために春雨自身もこの事実に気付いていなかった。
それに対して、あっと声を上げた春雨だが、その程度で終わってしまっている。壊れた心の弊害が少し垣間見えた瞬間だったため、飛行場姫は少しだけ疑問に思ったものの、今すぐ考えることでもないかとスルー。
むしろ、そんなことよりももっと凄まじい変化があるのだが、春雨自身は意図的にそこから目を背けていた。
「説明の前に、まずはアンタのお色直しからにしようかしら。さっきみたいに、私の言う通りにしなさい。何の疑いもなくやればいい」
「は、はい」
一度出来ているため、飛行場姫の言葉に対してはもう何も疑いはない春雨。上位種かどうかなど関係無しに、既に信頼を勝ち取れているようなものである。
「
「そう……ですね。整備の時には手放しますけど、基本的には艤装は必要に応じてその場で構築を意識します」
艦娘の艤装は、必要に応じて念じることにより、何も無い空間から取り出すことが出来る。ガチャガチャと音を立てながら背中に機械が構築されていくというイメージがわかりやすいだろう。
海の近くでなくては出来ないという制限があり、取り外す場合は適切な処置をしないと艦娘本人に影響が出るという不具合もあるのだが、鎮守府で生活している艦娘達にはこの制限も不具合もあってないようなものである。
飛行場姫が言うには、深海棲艦は艤装だけではなく今着ている制服のようなものですら艤装の一部なのだという。つまり、
「艤装が本人に適した形で出来るんだから、制服も適したものが出来るわ。ある程度意識したら自由なものが着れるから楽しいわよ。ここは
「そ、そうなんですか……確かに便利かも」
「ほら、
これは艦娘の中でも有名な話だった。老舗百貨店に深海棲艦が買い物に来ていたという、疑問しか浮かばないような噂。それが事実だったということに驚きが隠せない。
飛行場姫のこの態度を見るに、人間相手に敵対心を持っていない深海棲艦もそれなりにいるのだと春雨は理解した。
「ちなみに……貴女のそれは」
「実用性半分、趣味半分」
ちなみに飛行場姫の今の服装は、身体のラインを惜しみなく曝け出しているグレーのレオタード状ボディスーツである。バストサイズをより魅せるような装甲があったりする辺り、余程自分のスタイルに自信がある様子。
実用性の部分は、おそらく深海棲艦としての戦闘面であろう。無駄に服を着るよりは動きやすいことは目に見えている。右腕を包み込む装甲もそこに関わっているのだと春雨は勝手に納得した。
「アタシのことはいいから、アンタもやってみなさいな」
飛行場姫に振られたため、春雨は言われるがままに服を着るようなイメージを持った。イメージした制服はやはり、一度死ぬ間際、姉達と共に戦っていたときの、艦娘としての姿。一番馴染んでいる白露型駆逐艦の制服である。
すると、シュルシュルと潮風が糸を紡ぐかの如くインナーと制服が編まれていき、想像通りの制服──とはいかず、何処かやはり深海棲艦のテイストが見える、丈が短かったり露出度が上がったりしている制服が出来上がった。
チラリと見えた程度の腹は大々的に出てしまっているし、半袖だった制服も今やノースリーブである。トレードマークだったベレー帽も、何やら角のような意匠がある真っ黒なモノに。
「……制服は出来ましたね。でもコレ……少し考えてたのと違います」
「最初はそんなモンよ。多分、
慣れたらもっと自由度が利くから我慢なさいと飛行場姫。今は深海棲艦としても力が足りていないので諦めざるを得ないのだと理解した春雨。
そしてここで、春雨が目を背けていた事実を飛行場姫が突き付ける。
「あとはそれよね。痛くないでしょうけど、そのままだと生活が難しいわ」
飛行場姫が指をさす先。それは、春雨の下半身。服が出来上がったのに、そこには何もない。そう、本当に何も無いのだ。
今の春雨には、
腿の中間辺りからバッサリと、まるで丁寧に切断されたかのように。綺麗に皮膚でコーティングされている辺り、深海棲艦と化した春雨は
このため、春雨は自力でその場から動くためには、腕の力を使って這いずり回るか、身体を回転させて転がるくらいしか手段が無い。
「……あー……どうしましょう。動けないです」
今気付いたかのような反応を見せる。やはり、意図して見ようとしていなかった。とはいえ、気付いたところでこの程度の反応しかしなかった。
しかし、その後すぐに春雨の表情が歪んでいく。
「あれ、動けない……動けないってことは……誰にもついていけない……独り……独りになっちゃう……」
「ん? ちょっとアンタ」
「嫌、嫌だ、独りは嫌だ! 嫌ぁ!」
突然狂乱して暴れ出しそうになる春雨に対し、飛行場姫はそれを見越していたかのように飛びかかりその腕を押さえ込んだ。脚が無い分、それだけで春雨の動きは止まる。むしろ、飛行場姫に触れられていることで心を落ち着けていくような雰囲気。
ここで飛行場姫は春雨の状況が完全に把握出来た。彼女は極端すぎるほどに孤独を嫌う。そして、それ以外の自分への問題点を軽視しすぎる。
相手が同性とはいえ、全裸であるのを見られても少し声を漏らした程度で終わらせるくらいに羞恥心が欠落しているし、脚を失っていることを見て見ぬフリをしつつ、気付いたところで最初は全く狼狽えすらしなかったのは、自分のことはどうでもいいとすら思っている。
しかし、孤独に繋がることに気付いた瞬間、発狂する程にまで暴れ出してしまった。そうで無いことすらも孤独に繋げようとする可能性すらあった。
「大丈夫よ。アンタは独りじゃない。こっちを見なさい。アタシの顔を見なさい」
「ヒッ……嫌ァ……独り、嫌だぁ……」
「目を瞑ってたら見えるものも見えないわ。ほら、目を開いて」
優しく、なるべく孤独を感じさせない言葉を選び、春雨をあやしていく飛行場姫。
力んでいた力が緩んだところを見計らって、狂乱を押さえるために掴んでいた腕から手を放し、頭を撫でた。温もりを与えることで、孤独感を払拭してやることに専念した。
それだけは足りないかもしれないと、力強く抱きしめもした。流石に硬いかと胸付近の装甲はその場で消し、柔らかさのみで春雨を落ち着かせた。
「ほら、見なさい。アタシの綺麗な顔があるでしょう。アンタは独りじゃないでしょう」
「……ふぁい……」
「アンタがここにいる間は、誰かしらが必ずアンタの側にいるわ。側にいたいヤツをアンタが決めてもいい。ここではね、何をしたっていいのよ。だって、それが
深海棲艦は本能のままに生きる生物。それが破壊衝動やら侵略欲やらに傾いているモノが多すぎるために、艦娘の敵、延いては人類の敵となってしまっているだけだ。
心は艦娘とはいえ、春雨も深海棲艦の端くれと
少しして泣き止んだ春雨から離れようとするが、まだ孤独を引きずっているのか手を離そうとしない。それ故に、飛行場姫は隣に座り直して話を続けることにした。何度も何度もその存在を確かめるように手を握ったり撫でたりしてくる辺り、これは重症である。
失われた脚に関しては少し置いておくとして、孤独を感じて狂乱する理由を先に話す方がいいと判断した。それは最初の春雨からの質問、『
「さっきのアンタの質問に対して説明するわ。溢れた艦娘の意味なんだけれど」
「あっ……は、はい」
「それはね、
春雨の腕から溢れ出た黒い泥は、春雨自身の感情。孤独により心が壊れたことにより、艦娘が持つ理性の壁が破壊され、その結果、心を壊す原因となった感情、寂しさが泥となって溢れ出した。
それは春雨を侵略、蹂躙し、黒い繭となって包み込み、深海棲艦へと変貌させるに至った。この施設で処置が施されていなければ、理性無き侵略者となるまで蹂躙され、艦娘春雨の心を消滅させていただろう。
「さっきの処置は、アンタの
小さく頷く春雨。孤独を感じた瞬間、理性の壁が脆くも崩れ去った感覚はしていたと正直に話す。ただし、しっかりと処置をされているおかげで、崩れた壁は再々構築されてくれた様子。
つまりは、一度壊れた理性の壁は、簡単に壊れて簡単に元に戻るということを繰り返すことになる。ひょんなことで突然暴れ出すし、それが済めばまた元通り。春雨は事あるごとに孤独を感じて狂乱し、それが無くなればまたいつもの調子に戻るという、恐ろしく不安定な状態になってしまったのだ。
「溢れた艦娘ってのは、何処か傷を負ってる子なのよ。アンタみたいに」
「……そう、なんですね。それが、一生ついて回る……」
「そうね、アンタの心が壊れてることはよくわかったわ。自覚症状は無いかもしれないけど」
それを突き付けられたことで、少しだけ落ち込んでしまった春雨。しかし、ドン底に落ちるようなことはなく、そっかで済ませてしまうのが今の春雨である。心が壊れたことで、逆に前向きになれているのかもしれない。
自分の問題点は完全に二の次。孤独で無ければ何がどうでも関係ない。逆を言えば、ここをこうすればより孤独で無くなると助言してやれば、どんなことでもやってしまうかもしれない。
「まぁ、ここにいれば痛い目を見ることは無いはずよ。アンタは今の自分をゆっくり受け入れればいいわ」
「……わかりました……」
「とりあえず、その脚は
「……わかりま……はい!?」
正確には生やすわけじゃないけど、と後付けするものの、似たようなことが出来るということだけでも動転してしまっている。
脚が無いことで孤独に繋がったのだから、逆に脚が得られることは孤独の払拭に繋がる。そうなると、今の春雨には喉から手が出るほど欲しいモノになるわけで、それこそ理性を失ってその手段を聞き出そうと動き出してしまう。
「脚も艤装で作っちゃえばいいのよ。ほら、例を見せてあげる」
そう言うと、飛行場姫は装甲に包まれた右腕を春雨の前に突き出した。その瞬間、艤装が消えていくようにその腕も消えていき、最終的には今の春雨の脚と同じように、二の腕から先が失われた状態となった。
飛行場姫も片腕が存在しない深海棲艦だった。それを補完するために、艤装の展開を腕にも実行していたのだ。まさに、春雨が求めている力そのもの。
「制服と同じよ。イメージで艤装を構築するだけ。特にアンタは、元々脚を持っていたんだからイメージしやすいでしょ。出来ちゃえば何も考えることなく歩けるでしょうし」
そしてもう一度腕を構築する。艤装と同じように組み上がっていき、先程まで見ていた腕がもう一度出来上がっていた。これで組み上がるイメージも出来たので、成功率も上がる。
「や、やってみます」
意気込んで脚に集中する。制服を作り出したように脚をイメージすると、制服の時とは違って機械が組み上がっていくような音が鳴り響く。
カチャカチャと小気味良い音と共に構築されていき、最終的には飛行場姫の右腕のような装甲に包まれたような両脚が完成していた。
「で、出来ました……!」
「よろしい。見た目が機械的なのが嫌なら、その上から何か穿けばいいわ。アタシは気にしないからこのままにしてるけど」
「そうですね……じゃあ私は」
と言い終わらないうちに構築され、艤装の脚どころか下半身を包み隠すような真っ黒なタイツが出来上がった。繋ぎ目も見えない程分厚いおかげで、脚が作られたモノにはまず見えない。
考えた瞬間にそれが実行されたのは、イメージの力が正常に働いているからであろう。制服がうまく作れなくともこれは完璧に作り上げられたのは、それだけ春雨が求めていたことなのかもしれない。
「へぇ、いいじゃない。ならこれで、アンタはここを自由に歩き回れるわね」
「ですね。これで独りにならなくて済みます」
得た脚を使って、飛行場姫の前に立ち上がる。最初だけは支えてもらっていたが、元々持っていたモノの再構築であるため、バランスを考え直す必要すら無かった。
「はい。では……えっと、今日からお世話になります……で、いいのかな」
「ええ。ようこそ、歓迎するわ」
しっかりと握手をして、春雨は新たな人生を受け入れることを決意したのだった。
真っ暗闇の艦娘としての人生は終わりを告げ、新たな深海棲艦としての人生が始まる。それが明るい道か暗い道かは、まだわからない。
今の春雨は、いわゆる『パーフェクト駆逐棲姫』と呼ばれるモノになります。本来持っていない腿から先の脚の部分を艤装で補って、艦娘と同じように行動が出来るようになりました。でも機械的な脚なので、黒タイツで隠しているイメージ。
春雨ってバレンタインのメイド服姿でもタイツ着用なので、こういう時にはよく使ってそうな感じがしまして。