哨戒任務、午前の部が終了し、春雨率いる哨戒部隊は施設に帰投。近海をグルリと回りながら気になるところを確認してきたが、今回も何事も無し。目で見えるモノ、耳に聞こえるモノだけでなく、春雨の直感や悪寒なども反応無しであるため、海中に既に仕込まれているだとか、今まさに向かってきているとかそういうところも心配はいらないと言える。
春雨自身、自分の力を過信しているわけではないのだが、1つの指標として使うことは可能。勿論念入りに哨戒はしているため、そこに何もないということは確認出来ているが、海中の泥をソナーで感知出来るかもわからないので、そこはどうしてもフワッとしてしまう。
「戻りました。一応異常無しです」
一応、と付けてしまうのは仕方ないこと。これまで哨戒に出ていた3つの部隊も同じように報告をしていたし、叢雲の感知能力でも泥を感知することが出来るかわからないためにそれだけは曖昧となる。
「ご苦労様ぁ。お風呂に入ってお昼ご飯を待っていてちょうだいねぇ」
「はい、ありがとうございます」
小さく礼をして海風と共に風呂へ。古鷹はその背を見届けつつ、中間棲姫にもう一つの報告。
「哨戒中に少しだけ艤装の試験稼働をしました。十全に動くことが確認出来たので、施設の防衛にも参加出来ます」
「それは良かったわぁ。でも、本当に大丈夫? 無理をしなくてもいいのよぉ?」
古鷹はまだ病み上がりとも言えるような体調。そもそもがスタミナ不足という大きなデメリットを背負っているため、少しでも無理をしたらそのまま消耗して動けなくなってしまう可能性が高い。
だが、古鷹は大丈夫ですと笑顔で応える。憑き物が落ちたかのような清々しい表情に、中間棲姫は逆に驚いた。午前中だけで何が起きたのかとそのまま聞いてしまうほどに。
「
「声?」
「はい。私に混じっている3人の声でした」
曝け出している胸の傷痕に触れて目を瞑る。こうしたからと言って3人の何かがわかるわけではないのだが、自然と落ち着く。
「たった一言なんですけど……
「そう……背中を押してもらったのねぇ。白露ちゃんも同じことがあったらしいわぁ。あの子は夢の中で聞いたらしいけれど」
「そうなんですね。私は私の中の3人を私の手で葬ってしまっていますが……それでも後押しをしてくれたことがとても嬉しくて。前を向かなくちゃって、思えました」
傷痕に触れた手を離し、力強く握りしめる。こんな身体にした黒幕、仲間達を自分の手にかけさせた最悪の姫の中身、それに対する怒りが力に変わる。
しかし、古鷹の中にはそれ以上に、そんな輩にもう他人が傷付けられるところを見たくないという気持ちが大きかった。怒りを上回る平和を願う心が、混じっている魂を揺さぶったのだろう。
「だから、その後押しに応えるためにも、私はこの施設を守ります。誰も傷付かないために。与えられた力であっても、存分に振るわせてもらいますね」
「よろしくお願いねぇ。立ち直ってくれて、私も嬉しいわぁ」
子供をあやすように、古鷹の頭を撫でる中間棲姫。そんなことをされたことが無かったので、一気に顔が真っ赤に染まった。
「わ、わ、こんなことされたこと初めてで……驚いてしまいました」
「あら、そうなのねぇ。こういうことってしないものなのかしらぁ」
「どうでしょう……少なくとも私は初めてですので」
そう言いながら、古鷹は自分のいた鎮守府、大塚鎮守府のことを思い出していた。
その頃、堀内提督が代表となる鎮守府とは別の鎮守府。そこに大将が吹雪と共に足を踏み入れる。
近海に泥が設置されている可能性があるため、ここに来るために使ったのは陸路である。そのため随分と時間がかかってしまったのだが、大将は疲れを顔に出していなかった。
そこは、古鷹が元々いた鎮守府。大将は今まで通信で話をしていたが、泥の対策が堀内鎮守府で発展したことを機に、一旦直接話をしようと行動に出たのである。
堀内提督も状況が整えば便乗すると話していたものの、それはまた後日とした。今回は本番ではなく前哨戦。事前の認識合わせみたいなもの。本番の時には、堀内提督にも出張ってもらう予定だ。
「ようこそ、佐々木大将」
「お疲れ様なのです」
そのまま真っ直ぐ案内されて辿り着いた執務室にいるのは、堀内提督とは少し違った雰囲気の男性、大塚提督。理知的なイメージの眼鏡を光らせ、大将に深くお辞儀をする。
その隣で同じように頭を下げているのが、大塚提督の秘書艦を務める艦娘、
「急にごめんなさいね。少し通信では話しづらい内容だったの。直に来させてもらったわ」
「いえ、構いません。それだけの何かがあるということでしょうから」
大将が訪れても表情を変えないくらいに冷静。隣の電も微笑んでいるもののそこまで変わらない。
艦娘を兵器として見ているところからか、公私をしっかり分けさせている。今は業務中であるために、余計な感情を表に出させないようにしているようだ。
「泥の対策に関して進展があったの。実際に侵蝕された艦娘を鹵獲し、そこから得た材料を使って薬を精製、投与することで正気に戻すことに成功したわ」
少しだけ眉がピクリと動いたが、それだけ。電はおそらく大きく驚こうとしたが、提督の傍にいる手前、大袈裟に驚くことはしなかった。
「ただし、若干の後遺症が残ってしまった。現在はそれの改良と同時に、泥そのものを霧散させる装置と、感知する電探とソナーも開発中ということよ。近日中にはノウハウが全鎮守府に公開されるわ」
「そうですか。喜ばしいことですね。ならば、大将がここに来たのは」
「最優先がこの鎮守府ということ。通信でも話した通り、以前にここで起きた部隊が行方不明になった事件は、その泥が大きく関わっているの」
それに関しては今までに多少は話をしている。古鷹が深海棲艦化していることは伏せているが。
「そこで、貴方には1つ、絶対に秘密にしておいてもらいたいことがあるのだけれど、話していいかしら」
「それが通信で話しづらい内容というものですか。どういった内容で?」
「現在中心となっている鎮守府……堀内提督の管轄下以外には漏らしてはいけない最重要機密。これを知る者はほとんどいないことなのだけれど、貴方は知る権利があるの」
ここで嫌だと言えば何も話さない。だが、知りたいと言えば全てを話す。大将はそのつもりだった。とはいえ、ここまで話しているのだから余程の者でなければ薄々勘付くだろう。むしろ、
「
行方不明になった部隊と関係があるというだけでも、そこにいた6人の誰かが件の泥によって何かが起きていると考えるのが妥当。
当時はその辺りの情報がカケラも無かったため、ただ捜索を続けて結果的に戦死と扱ったが、ここまでお膳立てをされればおおよそのことが見当がつく。
「誰が生きていたんですか。あの部隊の中では榛名が一番妥当だと思いますが」
顔色ひとつ変えずに大将を問いただす大塚提督だったが、答えを早く求めようとしている時点で、あの時の事件には思うところがあったのだろう。大将は順を追って説明すると一度手を前に出して遮る。
「まず最初に、今から話す件は、大本営発表があるまで口外しないこと。それはいいわね?」
「ええ、問題ありません。むしろ、頼りようがないでしょう。ならば、墓場まで持っていきます」
「よろしい。では心して聞くように」
そこからは今まであったことを淡々と話すターンになる。全鎮守府に公開されている情報の端々に大将と堀内提督のみが知っている情報も付け加えて。
「生きていたのは古鷹。事件の起きた戦闘後に泥により侵蝕を受けた結果、同じ部隊の艦娘5名を殺害し、その遺体と共にその場から消えた。その後、
古鷹だったことは大塚提督としても予想外だったらしい。小さく目を見開いたことからそれがわかる。電もそろそろ驚きを隠しようが無くなってきていた。
「本人から聞いた情報だから、間違いは無いのだけれど、今の古鷹には魂が混ぜ込まれているそうよ。榛名、最上、鈴谷、3人の魂が混ぜられ、その特性を操れる深海棲艦……しかも、古鷹であるにもかかわらず戦艦の力を扱える」
「魂を……混ぜ込まれる?」
「ええ、本人がそう言っているし、もう1人同じような子が救われているの。その子は姉妹4人が混ざり合った存在だそうよ」
ここだけはやはり簡単には理解出来なかったようである。言っていることが完全にオカルトなのだが、艦娘という未知の存在ならばそういうこともあり得るのかと素直に納得することにした。
とはいえ、どういう理屈で魂の混成をしているのかは謎。そこは今は深く考える必要はないだろう。古鷹はもう
「話を戻すわ。というか、貴方ならもう察しがついているでしょう」
「……古鷹を侵蝕した泥とやらが、まだ近海に漂っている可能性があるということですか」
「ご名答」
むしろ、まず古鷹を侵蝕させられるということは、敵の拠点そのものがこの鎮守府の近場にあるかも知れないということ。
現在、調査と対策に関する開発は堀内鎮守府で行なわれているが、黒幕の撃破に関してはこの鎮守府が中心となる可能性がある。まだ確定ではないが。
「数年前に現れた最悪の姫。覚えているかしら」
「覚えているも何も、今までの海軍史の中でも3本の指に入るほどの大海戦でしょう。自らを囮にして陸にまで侵略の手を伸ばした、おそらく最も賢い姫です。大将の艦隊が撃破したと聞いていますが」
「ええ。だけれど、その時に最悪の姫は死んでいなかった。器を捨てて、中身だけで漂っていたそうよ。それが今、力を増して、力を振るっているの」
冷静に物事を判断する大塚提督も、そろそろ言葉が出せなくなっていた。電に至ってはもう固まってしまっている。既に理解の範疇を超えていた。
今まで戦ってきた深海棲艦とはまるで違う生態。むしろ知らなかっただけで深海棲艦というのはそういうものなのかもしれない。
しかし次は別のことで疑問が生まれる。
「何故それを知ることが出来たのですか? 器を捨てたというのは何を以てそう判断出来たのですか」
「器と私達が交流しているから。分離した器は別の意志を持って、今は艦娘とも協力関係を持つ穏健派として活動しているの。深海棲艦かもしれないけれど、あのヒトはもう仲間、平和を求める同志よ」
裏側で今までとはまるで違う戦いが行なわれていたと知ったことで、大塚提督は言葉を失った。深海棲艦は侵略者であり敵であるという固定観念は全て崩される。
「悪い提督と艦娘がいるように、良い深海棲艦もいるということよ。何も疑問は無いでしょう」
「……確かに。世の中には艦娘を蔑ろにする愚かな提督がいると聞きますから。それと真逆の深海棲艦がいてもおかしくは無いのでしょう。すぐに納得出来るかはさておき」
頭痛でも感じたかのように頭を押さえて俯く。考えが簡単にはまとまらない。そのため、口に出して要点だけを纏める。
「今の大将の話を纏めます。あの事件で戦死したであろう古鷹は、黒幕である最悪の姫の中身によって侵蝕され、何らかの処置を受けたことによって殺した他の仲間と融合し、深海棲艦として生きている。それは古鷹本人と、その最悪の姫の器から聞いた事実である。これでいいですか?」
「ええ、それでいいわ。それと、この鎮守府の近海に黒幕の拠点がある可能性があるというところね」
あまりにも突拍子もない話である。しかし、大将がわざわざ鎮守府まで足を運んで冗談を言うわけがない。それに、大将の隣に立つ吹雪も、その事実を知っているように冷静な表情で資料を用意している。
「明日か明後日くらいには、黒幕のばら撒く泥のセンサーなどが完成すると報告を受けてるの。だから、それをまずこの鎮守府で使いたい。いいかしら」
「……了解しました。それまでにいろいろと考えを纏めておきます。とはいえ、否定する理由がありませんので、その時はまた」
「ええ、それと、今はまだ絶対に口外しないこと。電、この鎮守府の艦娘達にも話しちゃダメよ」
「は、はい、なのです」
電も緊張した面持ちで頷いた。
これにより、秘密の共有がされる鎮守府が1つ増えることになる。
大塚提督はこれによって姉妹姫のことも知っていくことになります。秘密共有メンバーの中では堅物のように見えるけど、果たして。