大鳳を撃破した春雨と海風は、その返り血に泥が混じっている可能性を考えて、すぐに身体を海水で念入りに洗い流していた。
咄嗟に服の下にインナーを作っていたので肌に直接触れることは無かったのだが、それでも影響が無いとは限らない。海風はモロにそれを受けていても問題は無かったが、今この大鳳の体内に含まれている泥が以前よりも強力なものになっていないとは限らないのだ。
「は、春雨、これアンタがやったの……?」
コロラドを撃破したことで一旦妹達と合流した白露が、目を白黒させながら春雨に尋ねる。
何せ、今の大鳳は片腕が切り落とされ、胸にも蹴りましたと証明するような傷があり、顎にも酷い殴打の痕があった。対する春雨は海風と共に無傷。それに、爛々と瞳が輝いている割には、その表情はスンと冷静。
切り落とした腕はその時に海中に沈んでいってしまったが。
「はい、私が。海風に手伝ってもらって」
「……そっか。いや、ビックリした。ここまで痛めつけてるとは思わなかったから」
「こうしないと、私が殺されていました。本当に手を抜くことが出来ない相手でした」
冷たく言ってのけるが、春雨の手は今更ながら震えていた。戦闘中は答えに辿り着き、冷静に冷酷に事を成したが、全てが終わった後に身体が自分のやったことに恐怖しているかのように落ち着かなくなる。
そして、瞳の輝きが収まると同時に悪寒とは違う感覚で身体が冷え切ったようにすら感じた。
「その、自分で自分が怖くなりました、はい」
チラリと大鳳を見る。今はピクリとも動いてないが、時折痙攣のようなものがあるので、まだ死んではいない。
だがここで気になるのは、
「春雨姉さんの手を汚させるわけにはいきません。本当に始末をするのなら海風がやりましょう」
「大丈夫、しなくていいよ。それに、私の手なんてもう取り返しがつかないくらいに汚れてるから」
主砲を構えて大鳳に向ける海風。春雨を全力で殺そうとした時点で海風にとっては死んでもいい存在。春雨以上に容赦なく引き金を引くだろう。
しかし、春雨は首を横に振った。この大鳳はきっとここから泥を吐き出す。それならば、助かる可能性が高い。これほどまでに痛めつけてしまったものの、大鳳だって被害者なのだ。死んでいないのなら助かってもらいたい。
「流石は春雨姉さんです。あれ程までに危険な目に遭いながらも、命を狙った
「過言だよ。白露姉さんだって元に戻れたんだから、大鳳さんも元に戻るはずだからさ。そうなったら、また仲間が増えるはずなんだ。私は、出来ることなら仲良くなりたい」
だが、大鳳には大きすぎるトラウマを刻んでしまっている可能性は高い。目覚めた『辿り着く力』を存分に使い、圧倒的と言っていい程の力で捩じ伏せた上に、腕を失い傷も酷い。今はまともに話せるかもわからない。
「……っうっ!?」
すると、大鳳が突然
「おっ、おぼぉっ!?」
顎をやられているため、吐き出すだけでも激痛が走っているだろう。そのせいで失っていた気を取り戻し、目を見開きながら泥を吐き出し続ける。
その度に痛みで身体を震わせ、腕の切断面から血を撒き散らした。その血の中にも泥が混じっているように見えたため、春雨の洗浄は正解だったと言える。
「かひっ、ひっ、えほっ……っあ、う」
おそらく吐き出し切ったというところで春雨が大鳳をその場から引っ張り、泥から離した。同時に白露がその泥溜まりに向けて砲撃を放ち、即座に霧散させる。
これによって大鳳は支配から抜け出すことが出来た。しかし、ここからが本当の戦い。泥が抜け出したということは、大鳳は耐えなければ間もなく息絶えるということにほかならない。
「あ、うぅぅ……っ」
今にも命の灯火が消えてしまいそうな状況なのに、今までやらされてきたことを走馬灯のように思い出させられ、大鳳は気が狂いそうなくらいの感情の奔流に苛まれる。
元々が生真面目な性格だからこそ、この苦しみは深い。むしろ、
そして、その視線が春雨を捉えた瞬間、さらに目を見開いた。自分と最後に戦っていた張本人。今までは自分が力でねじ伏せる側だったが、逆にねじ伏せられたことで、それは予想以上に恐怖を駆り立て、そして真逆の
ここでこうされていなければ、自分はまだまだ罪を犯し続ける。それを止めてくれたのは感謝しか無かった。しかし、どうしてもあの冷酷な攻撃には恐怖を感じてしまう。
「大鳳さん、私がこういうことを言うのは違うかもしれませんが……」
泥の処理のために引っ張っていた大鳳と向き合う春雨。その表情を見て少し悲しそうにするものの、自業自得だとその気持ちを振り払う。そういった部分の割り切り方も、戦闘の時と同じように出来るようになっていた。
「生きてください」
たった一言。今まで自分と殺し合いをしていた者からの言葉に、違う意味で目を丸くする。だが、春雨の人間性は戦いの中でわかっていた。
最初は大鳳を傷付けずに救いたいと迷い続けて、まるで全力を発揮出来ていなかった。被害者である大鳳を傷付けたくないという、春雨の根幹にある優しさ。
そして、海風の命懸けの叱咤により吹っ切れた後は、それこそ容赦無く辿り着く力を振るった。それは傷付けてでも大鳳を救いたいという、春雨に生まれた覚悟。
「……っ」
全身、特に切り落とされた腕の痛みが酷かったが、大鳳は心を強く持った。そんな春雨に対して恐怖を感じるだなんて失礼に当たる。そうでなければ自分がこの春雨を殺してしまっていたのだから、同じようにされても何もおかしいことではない。
優しいのにそこまでの覚悟を持って事に当たった春雨には、敬意も込めて、大鳳は痛みを堪えながら首を縦に振った。
「ありがとうございます。それと、後から謝らせてください。腕のこととか……いろいろと。でも、今は……私、行かなくちゃいけないところがあります」
再び春雨の瞳に輝きが灯る。その輝きは、大鳳にとっても希望の光のように見えた。
「白露姉さん、大鳳さんのこと、よろしくお願いしていいですか」
「いいけど、どうしたの」
「多分ですが……施設が危険です」
今の春雨には、急いで施設に戻らなくてはいけないという道がチラついて見えていた。悪寒という体感ではなく、明確にやるべきこととして。
その目は、今までになく強い意志を持っていた。春雨がこんな表情をすることに白露は少し驚きつつ、それを尊重する。ここまで容赦無い攻撃をしかけた春雨は何かが変わってしまったのでは無いかと勘繰ったが、根幹の部分は何も変わっていない。愛すべき妹だと、白露も納得する。
「そっか、わかった。大鳳さんは戦艦さんにお願いしてコロ助と一緒に施設に運んでもらう。だから、急ぎな。アンタがそう言うんだから、施設がまた狙われてるのかもしれないんだ」
「それじゃあ、お願いします。海風、行くよ!」
「はい、姉さん!」
死にかけだが生きる意志を見せた大鳳は、今までの白露や古鷹のように大丈夫なはずだ。だから、次の危機を救うために春雨は行動に移す。大急ぎで施設へと戻り、この直感で得た感覚の答えを探り出す。
一方、諦めることなく逃げ回る潜水艦姉妹は、自然と施設へとまた近付いていた。死なずに依頼主の下へと戻ることを最優先に動いていることで、結果的に追い込み漁の如く追い詰められている。
「いい加減に、止まって」
追いかけ回すのは勿論伊47。そして海上からも攻撃を止めない。どうせなら同じ方向に逃げさせようと、施設から離れるような方向には絶対に行かせないように爆雷と魚雷を駆使して、ジェーナスとコマンダン・テストが進路妨害をし続ける。リシュリューも水上機を発艦させて海面に近い位置を牽制。
敵をまた施設に近付けることが正しいことかはわからない。むしろ、厄災を運び込むような行為になってしまうかもしれない。しかし、この潜水艦姉妹を撤退させるのはそれ以上に問題あることだと、この場にいる全員が同じ認識をしていた。
「依頼は生きて帰ることだから」
「止まったら依頼が達成出来ない」
「だから止まらない」
「止まらない」
回り道をしてでも撤退に尽力する姿は、敵では無かったら感心していただろうが、その立場的に厄介極まりない。そもそもが回避性能に特化しているのか、どれだけ攻撃しても掠りもしないのがさらに悪質。
本当はこうやって攻撃せずに、無傷で捕らえられるなら捕らえたかった。しかし、感情が無いが故に恐怖も感じなければ諦めることもない姉妹は、ある意味最もやりづらい。
「またここに来た」
「だったら、
「それがいい。その上で撤退する」
「うん、撤退する」
そして、海上からは暗い中でも施設が目視で確認出来るくらいの場所にまで来たところで、姉妹は怪しいことを話し出す。やれることというのは、先程の目眩し以外にも多種多様にあるのかもしれない。
おそらく、依頼内容に含まれていないからやっていないというだけ。緊急性が無い限り、それは先程の目眩しと同じように諸刃の剣となる可能性はある。
「何をするつもり?」
伊47もそこを警戒する。相手は同じ潜水艦に見えて、
「秘密兵器」
「うん、秘密兵器」
持ち出したのは、今まで放たれていた魚雷とは雰囲気が違うモノ。秘密兵器というだけあって、それを使うこと自体が姉妹としてはあまりやりたくないことの様子。
おそらく、依頼主からもそう言われているのだ。本当にまずいという時にのみ使うことが許されたその武器を、逃げながらも伊47に……ではなく、
「
あまりにも不穏な言葉に、伊47は姉妹を追うことよりジェーナスを守ることを優先した。
しかし、その時にはその魚雷は放たれた後。それは真っ直ぐジェーナスに向かう。
「ジェーナスちゃん、避けて!」
海中で叫んでもジェーナスには聞こえない。だがその前に、コマンダン・テストとリシュリューがその魚雷に気付いて迎撃する。
コマンダン・テストの魚雷は惜しくも外れてしまったが、リシュリューの攻撃機が海面にスレスレのところでその魚雷を撃ち抜いた。その時にはジェーナスもそこからは紙一重で避けていた。
しかし、それは
リシュリューの艦載機が撃ち抜いた瞬間、魚雷は大きな爆発を──しなかった。むしろ爆発自体は小さい。
しかし、そこから現れたのは、あの泥、悪意の塊。爆発のように溢れ出したそれは、一番近くにいたジェーナスを包み込もうと、まるで巨大なスライムのように飛びかかる。これだけ大量だと、持っている本能的な意志もかなり強いらしい。
「えっ……」
泥を見たことで、ジェーナスはあの時のトラウマを一気に呼び起こされてしまった。吹っ切れたはずなのに、足が動かなくなってしまった。
これに取り込まれたら、またあの時のように仲間達に牙を剥いてしまう。甚振ることを喜ぶような、ゲスなサディストになってしまう。それなのに、怖くて怖くて身体が動かない。
「いや、いやぁっ」
悲鳴を上げることしか出来なかったが、そこに誰も予想していなかった黒い影が、猛烈なスピードで突っ込んできていた。
そしてそれは、そのスピードを維持したまま、しかしジェーナスのことを思って優しく突き飛ばし、泥の中へと突入した。
「う、うそ、なんで、なんで……」
あまりのことに、ジェーナスは茫然としていた。
「Michelle……!?」
その黒い影は、ミシェル。ジェーナスを救うために、力を振り絞ってここまで来ていた、駆逐イ級だったのだ。