「Michelle……!?」
潜水艦姉妹から放たれた秘密兵器が爆発したことで発生した悪意の塊。それがまたジェーナスを侵蝕しようと襲い掛かった瞬間、ここにいないはずのミシェルが現れて、ジェーナスを突き飛ばした。
ミシェルのお陰でジェーナスは泥から回避することが出来たが、代わりに自ら泥に呑み込まれることとなってしまう。自ら突入したことで、ジェーナスに視線を向けることも出来ず、そのまま泥に包み込まれた。
「うそ、なんで、Michelle、
話せるのなら何か話してくれたかもしれない。しかし、Michelleは何も話せない。そして、もうその身体は全て泥に包み込まれてしまったのだから、感情豊かな瞳も、その行動すらも見えなくなっていた。
自分を助けるために侵蝕されてしまうミシェルを助け出そうと手を伸ばすが、そんなことをしたらジェーナスも一緒に侵蝕されてしまう。しかし、ジェーナス自身が正気を失いかけていた。ほとんど躊躇なく泥の塊となったミシェルに駆け寄ろうとする。
「
それを寸前で食い止めるのはリシュリュー。ジェーナスを思い切り突き飛ばし、ミシェルから離れさせた。
「Michelleが! Michelleがぁ!」
「落ち着きなさい! 侵蝕されても死ぬわけじゃないわ! そこから救ってあげなさい!」
自分でも無茶苦茶言っているとしか思えなかったが、リシュリューはそれでもミシェルは生きているのだからまだ可能性があるとジェーナスを説き伏せる。
本人は謙遜するだろうが、春雨という侵蝕から解き放つ力を持つ者だっているのだ。まだ終わりではない。
「ジェーナス、いいから今は落ち着くの。自己嫌悪が溢れている貴女には辛いかもしれないけれど、本当にMichelleのことを思っているのなら、この後のことを考えなさい」
落ち着かせるように抱き寄せる。それだけで済まないのならば、どうにかして気を失わせるしかない。
「あの泥の塊は……」
「ハルサメ……Michelleが、Michelleがぁ……」
そこに春雨も海風を連れて到着。そこに鎮座する泥の塊──ミシェルを見て、施設が危険だという直感がここに繋がったのだろうと悔しさを見せた。海風も大きくショックを受けたようで、歯軋りをしつつ視線を逸らす。
「……必ず救います。ミシェルちゃんは、必ず」
決意の力で、春雨の瞳はより強く白く輝く。
だが、ここで思い返してほしい。ジェーナスが侵蝕されたときは、春雨は激しい悪寒に見舞われた。だが今はどうだ。辿り着く力に目覚めたとはいえ、
泥に塗れながら、ミシェルはジェーナスが救われたことを心の底から喜んでいた。この泥の脅威についてはわからなかったが、怪我を押してここまで来た甲斐があったと。
施設を守るために必死に戦う姉妹姫には悪いことをしたかもしれない。そう考えつつも、ジェーナスを救えたことはミシェルにとって一番の喜びだった。無事に戻って、いっぱい叱られて、いっぱい謝ろう。そのためには死ねない。
──来て良かった。
だが、自分に対して泥が染み込んでくるのも感じる。傷を介して体内に侵入し、過剰な快楽を与えながらもその身体と心に影響を与える。痛みならば耐えようと考えるが、快楽ならば痛みよりも受け入れやすい。戦場で痛みに慣れている艦娘や深海棲艦だからこそ、この感覚は回避不可能である。
これは、ミシェルも例外ではない。侵蝕が進むたびに、その身体をビクンと震わせる。意識を黒く塗り潰していき、黒幕の思うがままの悪意に塗れた存在へと生まれ変わらせられる。
──なにこれ?
しかし、ミシェルはここで今まで侵蝕されてきた者達とは違った思考を持っていた。この侵蝕に対し、
何故自分はこんな状態になっている。これが何を意味するかがまるでわからない。そもそも
今のミシェルがわかっていることは、少しだけ。あの施設は自分の居場所。海を彷徨っていた自分がいてもいいと言ってもらえた大切な場所。そこの管理人である姉妹姫には、とても感謝している。
施設の者達は自分の仲間。身体を洗ってくれたり、一緒に魚を獲ったりと、楽しく生きていくために必要な友達。その中でもジェーナスは、何も知らない自分に生き方と名前をくれた、身を挺してでも守らなくてはいけないくらいに大切なヒト。
鎮守府の者達も、施設の仲間達と同じで楽しく生きるために必要な友達。会える機会は少ないが、会った時には可愛がってくれるから、鎮守府のみんなも好きなヒト達。
ならばそれ以外はどうか。ミシェルにはただただ疑問しか浮かばない存在。そして、
──なにこれ?
同じことしか考えられない。この感覚がわからない。何をされているのかわからない。そして、ここでミシェルの
ダイレクトに攻撃をされているところをその目で見ているのならば、攻撃されたと理解して身体にも影響がある。ダメージだって受けるし、痛みだって感じる。死にかけることだってする。
しかし、この泥の侵蝕は、実際に受けた者ですら理解が出来ない謎の現象。そもそもミシェルはこれを攻撃だとは思っていたが、
疑問が溢れたが故に生まれた、ミシェルにのみ与えられた能力。自分すら認識出来なくなった者が得た、最強の防御性能である。
──なにこれ?
どれだけ何かをされたとしても、ミシェルには本当に理解が出来なかった。身体がビクビクと震える。しかし、その理由がわからない。頭の中が黒く染まっていく。しかし、その理由がわからない。
泥に飛び込んだからこうなっているのだろうと予想出来ても、じゃあ何故泥がそんなことが出来るのだろうと考えると、やはり理解が出来ない。そして、特性により効果を及ぼさなくなる。
それが鎮守府の明石が解析した通り寄生虫だったとしても、ミシェルには通用しなかった。何故なら、
──でも、ジェーナスちゃんが苦しんでる。
今理解出来るのは、これのせいでジェーナスが苦しんだこと。自分が突撃する寸前、ジェーナスの顔は恐怖に歪んでいた。ミシェルとて、恐怖という感情は理解している。わからなくはない。
大切なヒトがそんな顔をするのが、ミシェルとしてはとてつもなく気分が悪いものだった。
仲間達が苦しむことは嫌い。友達が嫌がることは嫌い。いくら疑問が溢れているからと言っても、それくらいはわかった。そうでなくては身を挺して守るだなんて選択は出来ない。
──これのせいで、ジェーナスちゃんが苦しんでる。
ミシェルは理解した。この泥は良くないものだ。普通なら理解は出来なかっただろうが、ジェーナスが拒んだということで、連鎖的に理解が出来た。
──助けたい。
今までずっと、自分のために動いてくれていたジェーナスに、恩を返したいと思った。これは理解出来た。わからないなんてない。
しかし、泥はそんな思いすらも黒く塗り潰そうとしてくる。思うがままに操るために、侵蝕し、支配する。その魔の手は止まるところを知らない。
受け入れてしまったら、ジェーナスへの思いが消えてしまうだろう。むしろ、助けたいと思っているジェーナスにすら牙を剥くことになるだろう。そんなこと、ミシェルは望んでいない。
だが、ミシェルにはそんなことは起きない。侵蝕がここで動かなくなった。ミシェルの特性が、その侵蝕を完全に阻んでいた。理解が出来ない。わからない。それ故に、その効果を受けない。
この泥への理解を
──助けたい。
そこに、ジェーナスを助けたいという意志が生まれた。何もわからない、全てに対して疑問が生まれるミシェルが初めて手に入れた、こうしなければならないという思い。疑問も何もない。わからないはずがない。
ミシェルがこの姿になっているのは、自分自身のカタチがわからなくなったからだ。そして、黒い繭に包まれたままそうなったことで、駆逐イ級という姿を取っていた。
だが、今の姿のままではジェーナスを救うことは出来ないと、本能的に理解した。ここには疑問も浮かばなかった。救いたいという気持ちに、何一つ疑問は無かった。
──救うんだ。
心の力が膨れ上がる。ジェーナスを救うために、自分自身を変える。未だに自分が何者かはわからないけれど、そんなことは関係ない。自分が何者であろうとも、思いは1つだ。
──救うんだ!
その力は、ミシェルの内側から激しく溢れ出す。疑問を乗り越えて、確固たる意志を持って、ミシェルは今この時、
海上では、魚雷を放った潜水艦姉妹をどうにかするため、春雨と海風も参戦して戦いを続けている。しかし、海中の敵というのはどうしても撃破するのが難しく、春雨と言えども終わらせるための光る道が見えない。覚醒したとしても、不得手なことに対しては見えてこないのだ。
「深夜の潜水艦は……キツい……!」
ジェーナスが戦えなくなった今、コマンダン・テストと共に撤退だけはさせないように尽力する。
斃すための道は見えずとも、逃がさないための道は薄ぼんやりと見えていた。ここに爆雷を投げれば効果的であるという答えには辿り着けている。
だが、ここで海上にも異変が起きる。ミシェルが包まれているであろう泥の塊に、急激に変化が見られた。
「Michelle……!?」
それに真っ先に気付いたのはジェーナス。その泥の塊は、さながら繭のように固まり、そして、ピシリと亀裂が入る。
「あれは……まさか、孵化!?」
春雨も直感的にそれが孵化であることに気付いた。海風のそれを見た時と全く同じ反応。周囲を埋め尽くしているのが、自分から出た泥ではなく、敵から受けた泥であること以外は、全て同じ。
「Michelle! Michelle!」
孵化を応援するかのように、ジェーナスは叫ぶ。あの泥さえ無くなれば、ミシェルは危機から脱することが出来るのだ。自分で出来ずとも、ミシェル自身がそれを望めば、きっといい方向に向かう。そう信じて。
その声は、しっかりとミシェルに届いていた。ジェーナスの声が聞こえる。自分を呼ぶ声が聞こえる。悲しませたくない。笑っていてほしい。そんな気持ちがさらに湧き上がり、内側から全てを吹き飛ばす力となる。
「Michelle──!」
最後の叫びに呼応するかのように、泥の塊は砕け散った。その中から出てきたのはミシェル……とは似ても似つかない、1人の少女だった。
見た目は深海棲艦と見ても間違いないだろう。腰まで伸びた白い癖のある髪に、仲間達と同様に白い肌。生まれたばかりであるために全裸ではあるが、それは誰もが通る道。ジェーナスだって自分がそうだったことはしっかり覚えている。
本来ならば自分が生まれた後の繭のカケラを取り込む必要があるのだが、泥の塊は即座に霧散してしまったためにそれは出来ない。しかし、確固たる意志を持って孵化したことで、その必要すら無かった。
「……ジェーナスちゃん」
その少女がジェーナスの方を見た。真紅の瞳が煌々と輝き、その姿を捉えた瞬間、ほにゃっと柔らかい笑みを浮かべた。
「ミシェル、ジェーナスちゃんと同じ
初めての言葉による意思疎通。その少女がミシェルであることは、どう考えても明らかである。それをジェーナスが否定するわけがない。
「Michelle……本当にMichelleなのね!」
「うん、ミシェルだよ。んん、なんか違う、多分、こんな感じ、んっ、んんっ」
何か違和感があるのか、少しだけ頭を振って喉に触れる。わからない、理解出来ないなりにも、自分が艦娘であった時のことを本能的に模倣しようとした。
そして、
「ジェーナスちゃんを守るため! ミシェルは、ヒトのカタチになることが出来たっぴょん!」
にかっと笑って、ジェーナスに飛び付いた。