早朝、ようやく空が白んできたくらいの時間。前日を丸一日休みとされたおかげで、身体は充分に休息出来たものの、鎮守府のことが若干心配だったためか、まだいつもの起床の時間よりも早く目を覚ましてしまった提督。根っからの仕事人間であるかを表しているかのようである。
いわゆる前残業のようになってしまいそうだが、やることもないので執務室に向かう。当然ながら、まだ総員起こしの時間にもなっていないため、五月雨がそこにいることはない。
「
苦笑しながら独りごちる。提督という役職についてから仕事尽くしであり、海の平和を守るために奔走していたからか、むしろ休むことに違和感を覚えるようになってしまっているのは、あまりよろしくない。だから部下である艦娘に心配されるのだ。
「まぁ時間までは仕事をせずにゆっくりさせてもらおう」
コーヒーを淹れながら執務室でゆったりとした時間を過ごしているところに、突然タブレットが受信の音を鳴り響かせた。
こんな時間に通信をしてくるなんてとても珍しいことだ。中間棲姫は特にこちらの良いタイミングを見計らって連絡をしてくるため、深夜から早朝にかけてや、食事時には絶対にかけてこない。
「おや、珍しい。僕がたまたま起きていたからいいけれど、こんな時だと出られないな」
余程緊急性があるのだろうか、コールが途中で止まることも無かったため、それを取る。
「もしもし、こんな朝早くにどうしたんだい」
『あ、し、司令官。良かった、こんな早くにごめんなさい、春雨です』
タブレットの向こう側は、姉妹姫ではなく春雨。その後ろには海風や白露の顔も見える。しかも、春雨はかなり疲労しているのか海風と白露に支えてもらっている。
「いや、本当にどうした。そこまでされているのなら、白露と海風に任せれば」
『すみません、これは私達から伝えた方がいいと思ったので、無理を言って私が通信をさせてもらいました。そちらと話がしやすいのはやっぱり私達がベストだと思うので』
「しかしだな……君達が今いるのは施設じゃないだろう。わざわざ外に出てこちらに連絡するだなんて、正直わけがわからない」
その背景は施設内ではなく
施設に置かれているタブレットは、充電さえされていれば鎮守府で使っているものと同じように、ある程度離れていても使えるし、しばらくは電池も保つ。
だからといって、施設側がこういう使い方をすることなんて相当限られてくることだ。施設が安全なのだから、通信をわざわざ外でやること自体必要の無いこと。
「何かあったのか。こんな時間にそんな場所で通信なんて普通なら考えられない。施設に何かあったと考えるのが妥当だ」
『はい、至急伝えなくてはいけないことが。先に聞いておきたいんですが、そちらは夜に雨が降ったりしたでしょうか』
突然世間話のような話題だが、春雨の表情があまりにも真剣だったため、すぐに調べる。
「ふむ……こちらでは降っていないようだ。外も乾いているから、少なくともここ最近では降っていない」
『そうでしたか、安心しました』
『こうやって通信出来てるんだから大丈夫なわけだ。降ってたとしても何も無かったんじゃないかな』
画面の向こう側で白露も安堵した表情を浮かべていた。
「雨が何かあったのか?」
『はい。実は──』
ここで、昨晩に起きた施設襲撃の件をざっくりと話す。施設は深夜に雨が降っており、そのドサクサに乗じて敵が襲撃して来たのだが、全員で撃破することに成功して今に至ると。春雨が肩を借りているのも、辿り着く力を全力で使った反動で、また目がボヤけているから。
その時に、泥を持ったまま捕獲しているものがいるせいで、施設内では通信が不可能になってしまったため、海に出てきて通信をすることにしたようだ。そのため、施設からはかなり離れた位置になっている。
艤装を出した時にだけ通信妨害をしてしまう叢雲とは違い、完全に泥が入っている者に関しては、存在そのものが通信妨害を引き起こすということが今回証明された。
そして、話をしていく内に雨の中に泥を散布するというとんでもないことをされ、さらにはそれを対処しきれずに畑がやられてしまったということまで伝えられた。
また、深夜の間に姉妹姫が島中を全て見て回り、泥が付着しているのが畑だけでは無いことを確認した。生活空間に影響はなく、見て回った姉妹姫や、それまでに裏側を見ていた松竹姉妹と古鷹にうっかり付着しているなんてことが無いのも確認済みではあるのだが、そこかしこに僅かにでも痕跡が残ってしまっているため、施設そのものがかなり危険であるという。
通信妨害の理由がこちらの可能性もある。少量でも施設の至る所にあるというのなら、それが結果的に展開された艤装と同じくらいの効果を発揮してしまっているかもしれない。
「なんだそれは……雨に乗じて散布だなんて、あまりにも……」
『はい。それで、ですね。実は……畑が全滅しました。泥が付着した野菜もあるんですが、土にも付着していまして』
「……土壌汚染の可能性かい」
『はい……』
その泥がただの泥ではなく、明石の解析によって微生物の集合体であることは知っている。ある特定の状況で増殖することもわかっているため、土の中で増殖をしているということもあり得た。
結果的に、施設の土壌は汚染され、育てられていた野菜全てがダメになっている可能性は高い。ダメになっていないにしても、それが目に見えているだけの問題ではないため、あらゆる脅威を取り除くのなら、畑どころか、島そのものを浄化する必要まで出てくる。
『実は……その、連絡する前に、姉姫様が畑を全て爆撃で破壊しました。育てていた野菜も全て廃棄して、燃やすことに』
「そうか……そうなってしまっても仕方ないだろうね。万が一のことを考えれば、それがベストだと思う。辛い決断だ……」
結局、泥に汚染されている可能性がある畑は、苦渋の決断ではあるが土ごと全て爆撃によって破壊。野菜も痕跡が残らないレベルで破壊され、土も全て掘り返されるという大惨事。
中間棲姫自身は、またここからやり直しましょうと話しているものの、今まで丹精込めて育ててきたものを自らの手で全て破壊するのはとても辛そうだった。しかし、施設のためには仕方ないと覚悟を決めていたため、誰も文句は言わなかったし止めなかった。特に畑仕事をメインにやっていた松竹姉妹も、こればっかりは仕方ないと苦い顔で見届けている。
「そうなると、食糧はどうなるんだい?」
『はい、そのことで連絡をさせていただきました』
本題に入る。今回の件で、施設は食糧難に陥ってしまいそうだという話だ。今まで育ててきた野菜は、シンプルに施設内の食生活に貢献し続けていただけでなく、これを使ってお金を稼ぎ、それで施設の生活用品を買い集めるためにも必要。
それが失われてしまったということは、食べるだけでなく、施設を維持するための材料を失ってしまったようなものだ。勿論ある程度は保管してあるものの、それだってずっと置いておけるわけではない。
それに、今回捕獲した4人のうち3人はまだ泥が入ったままとはいえ、それを元に戻したら当然、そちらにも食糧が必要だ。今まではやってこれたが、流石に人数が増えすぎて厳しくなってきている。
「なるほど、それならば支援させてもらおう。深海棲艦からの襲撃に巻き込まれたというのなら、こちらからも問題なく手を貸せる。戦災復興の一環とすればいいからね。大将にも伝えれば喜んで手助けしてくれるはずだ」
『ありがとうございます。姉姫様も喜びます』
こういうカタチで助け合えるのは、提督としても喜ばしいことだった。人間、艦娘、そして深海棲艦までもが手を取り合える世界が、ここだけでは実現出来ていることが実感出来るからだ。
「だがその前に、そのばら撒かれた泥が気掛かりなんだが」
『はい……実際、増殖自体は確認されていません。妹姫様が言うには、基本的にはそこに留まっているだけだったと。ですが、見えていないところでゆっくりと侵蝕している可能性はあります』
見た目では増殖していないが、見えていないところで何が起きているかはわからない。それこそ、畑だけは処理したが、それ以上に深刻なことになっている可能性もあるのだ。だとしたら、泥の対処は早急に必要。食糧よりも優先順位は高い。
ならばと、提督はすぐに提案する。その泥もどうにか出来るかもしれない手段が、今の鎮守府には存在する。
「その問題、解決出来るかもしれない」
『えっ』
「君達ならわかるだろう。うちの明石の力を」
あー、と3人が3人、全く同じ反応を見せた。
昨日の提督の休息中も、バリバリ分析と開発を続けていた明石だ。既に体内の悪意の塊を消滅させる薬を作り上げるところまで来ており、それを改善、さらには別の技術に転用して、センサーなどなども次々と作り上げているほどである。
既に設置された泥を感知するセンサーと、それを外部から消滅させる装置は、実際に使ってみなくてはわからない部分もあるため、機会があれば現場で実験したいと、明石は常々話していた。それが今回可能になる。
「古鷹の体液と、荒潮から手に入れた悪意の塊から、こちらは対策が次々と開発されている。それを使えば、施設に散布されてしまった悪意の塊の場所も確認出来るだろうし、それを消滅させることも出来るはずだ」
『流石ですね明石さん……その分、身体を壊してるんじゃないかと心配になりますが』
「そこは大淀がしっかり制御したから大丈夫だよ。ただ、当然だがその装備が正しく作用するかはまだわからない。実験に実験は重ねているらしいが、現場で実際に使うのは今回が初めてになる」
とはいえ、悪意の塊からの侵蝕を排除する手段は確立されているのだ。コロラドと潜水艦姉妹が解放されることは確定したようなもの。しかも無傷で。大鳳は気の毒だが、一番手が付けられない存在だった上に、既に終わったこと。諦めざるを得ない。
『やらないよりはマシだと思います。是非とも、明石さんを派遣していただければ』
「了解した。食糧に関しては多少時間を貰いたいが、明石に関してはすぐにでもそちらに送ろう。食糧よりも危ないだろうからね」
優先順位は当然、泥の排除の方が高い。そしてこちらはすぐに用意出来るようなもの。
「午前中にはそちらに送る。今はこちらからそちらに連絡することは出来ないと見ていいんだね?」
『はい。通信妨害が続いているので、おそらく何も出来ないと思います。でも、午前中に来るとわかっていれば何も問題はない……無いと思いますので』
何か思うところがあるような顔をしたものの、施設としても問題無いということで、午前中に鎮守府から遣いの者が行くという話で落ち着いた。
勿論それを狙われる可能性だってあるのだが、やらなければどうにもならないのが今回の件だ。対処しない限り、施設との通信も復旧しない可能性もあるのだから。
「それじゃあ、こちらも急いで準備をしよう。少し待っていてくれ」
『はい、重ね重ねありがとうございます』
施設のために、今度は鎮守府が動き出す。そこには何も下心は無い。純粋に、仲間を救うためだ。
支援絵を頂きました。ここで紹介させていただきます。
【挿絵表示】
https://www.pixiv.net/artworks/96543027
MMDアイキャッチ風吹雪。佐々木大将の側近かつ心身共に支えている吹雪は、大将にとっては無くてはならない存在となっていますね。