姉妹姫の管理する保護施設の全容を知るために置いていかれた海風は、ダイニングで開かれたお茶会を皮切りに、施設内で行なわれているスローライフの一部始終を見せつけられることになった。
翌日の対話のための準備に関しては、海風はもてなされる側になるのだから見ているだけにしろという指示を受けたくらいで、あとは春雨と一緒に施設の隅から隅までを案内されたり、改めてこの施設にいる者達と交流をすることになったりと、残り半日を満喫
「農作業や漁をする深海棲艦なんて聞いたことありませんよ」
「みんなそうだよ。でも、やってみると結構楽しくてね」
「姉さん、どちらもやったんですか?」
「勿論。今度、私が一から育てるんだ。収穫が楽しみだよね」
もしかしたら艦娘の時よりもイキイキとしているのではないかと錯覚するほど、春雨の表情は明るい。
この施設の無害さは嫌というほど味わうことが出来た。姉妹姫が言う通り、ここはあくまでも保護施設。戦いから離れ、心を落ち着かせ、ただやりたいことをやるだけ。侵略者としてのそれは皆無である。
「……飾りじゃないこともわかります。これは本当に人畜無害です。あの深海棲艦2人も、本心からこれを望んでます」
「うん、うん」
「こんな深海棲艦ばかりなら……戦いなんてしなくても済むんですけどね」
見て回ったことで、ここにいる深海棲艦が全員敵ではないことを納得出来た。関わり合いを持たない第三勢力であり、完全なる中立。元艦娘はまだしも、純粋な深海棲艦ですらそれなのだ。
ここは破壊しなくてはいけないと考える必要は無いと、海風は判断した。これで深海棲艦だからという理由で全勢力を嗾けてでも滅ぼそうとするのなら、それは憎むべき深海棲艦と何も変わらない。人類の平和を護る艦娘なのだから、無害なモノにわざわざ手を出すのは違う。
「もう少しだけ、見せてください」
「うん、まだ時間はあるしね。好きなだけ見て行ってね」
繋いだ手に力を込める。尊敬する姉とこういう形で日常を楽しむなんて考えたことも無かったため、海風としては少しドキドキしていた。
そして夕食、歓迎会とまでは行かずとも、普段通りの食事に少しだけ色が付いた品が並んだことで、また驚いた。昨日の料理担当がリシュリューとコマンダン・テストだったからか、今回は飛行場姫の手製。普段どういう生活をしているかを見せるためのため、それはそれで都合が良かった。
深海棲艦が料理をするなんて当然ながら聞いたことがないし、その味も絶品と来たら何も言えず、ただただ舌鼓を打ち続けることになる。
「……間宮さんのご飯に引けを取りませんね」
「だよね。私もビックリしちゃった。初めてここで食べさせてもらった時、妹姫様、マグロの解体したんだって」
「ええっ!?」
春雨はもう慣れてしまっているが、鎮守府でのそれよりも充実しているのではないかとさえ思える施設での生活は、戦いに身を置く海風にとっては驚きの連続だった。
極端な話、やっていることは艦娘達が守っている人間と殆ど同じ。深海棲艦としての力は自衛の手段として持っているだけで、施設の防衛のための哨戒以外では使うことはない。強いて言うなら、釣りの時に沖に出るくらいだ。それ以外では武装なんて以ての外。
結局のところ、ここにいる者達は種族が違うだけで人間と何も変わらないということである。やはり、わざわざ破壊する必要はないと結論付けた。絆されたわけではないが、ここが信用出来る場所であると理解した。
「ウミカゼ、半日ここにいてどうだった? 楽しかったでしょ?」
「楽しかったかはちょっとわかりませんが……戦いに身を置く私としては、とても心が休まったように思えました」
ジェーナスに聞かれ、素直な感想を返す海風。その表情は、ここに来たばかりの時とは打って変わって穏やかだった。
鎮守府でも丸一日を休息に使うことはあるが、それはあくまでも鎮守府内での待機に等しい。あの提督はなるべく娯楽などで精神的な負担を減らそうとしているようだが、鎮守府という場所が戦場の一環のようなものなので、真に気を休めることというのは出来ないのかもしれない。
それが、ここは全く違う。2人の管理者のおかげで平和は完全に守られており、ここにいれば安全であるということが保障されているようなもの。それもあってか、いつでも出撃出来るという気持ちは微塵もなく、本当にやりたいことをやりたいようにやっているだけ。
戦いから切り離されれば、艦娘も同じように心休まる時が得られるのかもしれないと感じる。少なくとも今の海風はたった半日間それを体験しただけでこれである。
「ずっとここにいてほしいなんて言えないけど……また時間があったら来てほしい……かな」
「はい、必ず。私も姉さんの元気な姿が見れるのは嬉しいので」
最初は嫌々だったとすら言えるこの施設の滞在も、今では次を望むまでに。その理由の1つは、間違いなく春雨の存在にあるだろう。
以前から
「春雨ちゃん、今日は海風ちゃんと寝る?」
「そう、だね。そうしようかな。なんだか今日は悪い夢も見ない気がするし」
「見たとしても、私が姉さんの側にいるのでどうにかしますよ」
薄雲からの提案で、いつもは姉妹姫と3人組の計5人で眠るところを、姉妹水入らずで夜を迎えることになった。春雨としては最も心が許せる相手でもあるし、海風としても姉妹で話したいことくらいあるだろう。
これまでの1週間、心を壊しかけながらも姉達を求め続けた海風だ。翌日に帰投することも確定しているので、ここで出来る限り春雨との交流をしておきたい。
もしその場でまた発作が起きるようなことがあったとしても、中間棲姫があやす姿を見ているため、海風でもどうにか出来るだろうと考えた。それに、そうなった時の姉に頼られるのは海風的にも少し嬉しかったりする。
「なら、お願いね。海風となら……いい夢見れそうだし」
「任せてください。いい夢を見てもらいます」
「頼もしいね」
こんな会話を聞きつつも、松竹姉妹がニヤニヤしていたのは言うまでもない。
そして夜。お風呂上がりでホクホクのまま、ベッドルームではなく、春雨にあてがわれていた殆ど使われていない私室へと向かう2人。
ここで住むようになってからは寝るときは必ずベッドルームでみんなと一緒であり、それ以外でも独りになることが出来ないために私室に入るということが無かったため、あてがわれても新品同様の部屋。むしろ使うのが初めてというくらいである。
「まさか深海棲艦に服の概念が無いとは思いませんでした……」
「艤装と同じで作れちゃうからね」
艦娘と深海棲艦の違いとして、服まで艤装扱いというものがある。春雨は風呂上がりにサクッといつものパジャマを作っていたのだが、海風にそんな芸当は出来るわけがない。その時には明日着るために制服も洗濯──と言っても軽く水洗いして部屋干しする程度──に出していたため、着るものすら無かった。
結果的に、服も作れない程に疲労してしまった時のことを考えて用意されたフリーサイズのTシャツとインナーでギリギリ難を逃れている。これを使ったのは初めてだと中間棲姫は話していたので、新品であることは確定。
「自分のは作れても、他人のは作れないみたい。出来たらお揃いのパジャマになってもらえたのにね」
「それは……まぁ、はい」
ニコニコしている春雨。海風としてもお揃いは魅力的ではあったが、無理なものは仕方ない。
「あ、じゃあ私がシャツになればいいんだ。はいっ、どうかな」
「似合ってます。あまり見たことがない姿なので新鮮です」
気付いた時にはパジャマは失われ、海風と同じTシャツとインナー姿に。こういうラフな姿は艦娘の時にもしたことがないと春雨も少し楽しそう。
何度見てもこの服を作る原理は理解出来なかった。艤装を構築するのと同じだと言われても、あちらは機械でこちらは布だ。そもそも性質が違う。
そういう意味では、深海棲艦は艦娘よりもより高度な技術を初めから持っていると言えるだろう。
部屋に到着したものの、まだ眠るには時間が早いということで、2人並んでベッドに座って会話の時間とした。
「2人きりですから改めて……姉さん、無事で本当に良かったです」
「無事とは言いづらいけどね。私は深海棲艦になっちゃったし、妹姫様からは心が壊れてるって言われてるし」
たははと笑いながら、自分でトリガーを引かないようにしつつ、ここに来てからのことを海風にしみじみと語る春雨。
「その……ね。海風が来てくれたの、本当に嬉しいんだ」
「良かったです。来るなと言われたらどうしようかと」
「そんなことないよ。私だってみんなに会いたかったもん。海風もそうだし、山風も、江風も、涼風も、勿論五月雨にだって」
姉としての表情になる。妹達の顔を思い浮かべては、また会いたい、話したいという気持ちを隠すことなく顔に出す。
しかし、すぐに少しだけ暗くなった。
「でも、この身体がそれを許してくれないでしょ?」
反応に困る海風。何も情報が無い状態で、私は春雨ですとこの姿で鎮守府に来られたら、海風はどうしていたか。
その時の精神状態からして、まず確実に激昂して話すら聞かずに撃つ。何と言われようが知ったことではなく、むしろ愛する姉の名を騙る深海棲艦など神経を逆撫でするような存在を生かしておくわけにはいかないと、海風すらも心を壊しかねない程であろう。
そういう意味では、春雨の選択は間違っていない。艦娘の心を持ち合わせた深海棲艦という利点を最も有効に使えたと言っても過言ではない。
「だから……だからね、私、一度全部切り捨てちゃったの。ここから出たら、鎮守府にもこの施設にも迷惑がかかっちゃうから……だから、海風達との再会を諦めて、
発作のトリガーとは違う理由で手が震えていた。未練を切り捨て、この施設でのスローライフに馴染み、艦娘としての心まで静かに消えていきそうだったのだ。
海風達に再会出来たことで切り捨てたモノを拾い直すことが出来たが、そのせいで今朝まで考えていたことが怖くなってしまった。
「どうでもいいわけないじゃない。海風は、みんなは、私の大切な妹で、仲間なんだから。切り捨てちゃダメ。私、みんなに酷いことしそうになっちゃった」
ツゥーっと、目尻から涙が溢れた。今までここで過ごしていた時には忘れていた心が、海風との再会でまた戻ってきていた。
自分のことはどうでもいい存在であることには変わりない。しかし、自分の行いで他者が傷付くのは涙が出るほど許せない。そのはずだったのに、最も身近な妹達を傷付けそうになった。その自己嫌悪が涙を呼び寄せた。
「姉さん……大丈夫です。今はそうじゃないんですよね」
震える手を取って、両手で握る。温もりを与え、落ち着けるように。
「私は、私達は、そんなこと気にしません。姉さんがこうやって生きていてくれているんですから。ここから出られない身体なら、私達が会いに来ます。どうせこの辺りは何度も哨戒しないといけない場所なんですから、その都度会いに来ますよ。私じゃなくても、誰かしらが」
春雨は発見出来たかもしれないが、まだ他の面々の痕跡は何処にも見つかっていない。それを探し出し、犯人を撃破する。そうすることで全てが終わるのだ。
発作があるので春雨にその詳細を伝えることは出来ないが、海風の戦いはまだまだ続く。しかし、今は焦りが無かった。壊れかけた心は、この半日で大きく改善されている。
「……海風、ありがとうね。私、海風みたいな妹を持てて、本当に幸せ」
「そう言ってもらえると、妹冥利に尽きますね」
グシグシと溢れた涙を拭い、笑顔を取り戻す。その顔に胸がときめくような思いをした海風だが、今は余計なことはしないし言わないように努力した。艦娘なのだから理性くらいはちゃんと利く。
「よし、じゃあもう寝よっか。海風も疲れてるでしょ?」
「そう……ですね。ここ最近よく眠れなかったというのもあるので」
「あはは……私のせいでもあるよね。ごめんね、心配かけて」
その日は今までにないくらいよく眠れたと海風は語る。溜まりきっていた疲れが全て無くなり、心も休まる、最高の眠りだったと。
それはおそらく、脚まで消して殆ど抱き枕のようになった姉を抱きしめながら寝たからだろう。
海風はもうこの施設に対しての敵対心は一切ありません。半日を過ごしたことで、この施設が人畜無害であることを理解しました。春雨の存在も結構大きい。