「悪いな。緊急事態なんだわ」
雷が執務室に現れた瞬間、艤装を展開した望月が、抵抗する隙を与えずに雷を撃った。
「なっ!?」
「雷ちゃん!?」
事前に何も聞かされていなかったため、電のみならず大塚提督も目を見開いて慌てふためく。
「大丈夫、今回の対談は、どちらかといえばこれが目的なの。あまり騒がずにいてちょうだい。
大将が大塚提督と電に対して静かにするようにと念を押すのだが、大塚提督はともかく、実の姉が突然撃たれたことに動揺を隠せない電。
戦場でやられたのなら、鎮守府の方針通り、感情を抑えて事にあたることが出来る。いくら仲間が中破大破と怪我を負ってしまったとしても、その戦況に合わせた対応が出来るように刻み込まれている。心優しい艦娘である電でも、戦場では非情になれる。
しかし、鎮守府内で、仲間である艦娘に、姉が撃たれたとなったら話は別。押し止めようとした涙が勝手に溢れてきて、撃たれた雷に駆け寄ろうとするものの、それは大塚提督が手を取り食い止める。
艤装を展開されたら提督と言えどひとたまりも無いのだが、そこはしっかりと訓練されているのか、電はそれで動きが止まった。しかし、倒れ伏す雷を見ても納得が行かず、撃った望月を睨み付けた。
大塚提督は、大将の『内通者』という言葉が気になっていた。今の言い分では、この雷が内通者、つまりは侵蝕された者であるということになる。
この短時間で混乱しつつも状況を整理したことで、咄嗟に電を止めることが出来ていた。
「説明する前に来ちまったんだもん。婆ちゃん待ってる間にちゃんと説明するべきだったって」
「そうね。そこは私の落ち度だわ。驚かせてしまってごめんなさい。雷は死んでいるどころか傷一つ負ってないわ。望月が撃ったのは模擬弾、それも、堀内提督の鎮守府に所属する明石が作り上げた薬入りのね」
実際、撃たれたショックで倒れている雷だが、血はおろか目立つ傷すらない完全な無傷。模擬弾で撃ち抜かれたため、顔面から水浸しになっている程度である。撃たれたというショックで気を失っているだけ。
しかし本番はここからである。明石が改良したのは薬が飲まずとも効くようにしただけ。
「っあ!?」
気を失っていた雷の身体が跳ねる。それはしっかりと薬が効き始めた証拠であり、嫌でも床をのたうち回ることになる。そして、それは痛みではない。
「どうも、泥に侵蝕された者というのは快楽を伴うらしいのよ。そして、それを治療しようとすると同じことが発生するらしくてね。改良しようと研究はしているみたいだけれど、こればっかりは難しいようよ」
「正直、うちの明石のせいでこのような事になってしまうのは申し訳なく思う。しかし、今は最優先で治療効率を上げたということなんだ。つい先日までは飲み薬だったんだが、今は皮膚から吸収させて泥を駆除出来るようにしている」
大将と堀内提督が申し訳なさそうに説明するものの、雷の痴態が酷かったために気が気で無かった。この砲撃をした望月ですら、こうなるとは聞いておらず唖然としている程である。
そして、特に酷い顔をしていたのはやはり電。望月を睨みつけていたかと思えば、雷の激しい反応に目を白黒させ、ビクンビクンと震える姿にだんだんと顔が赤くなっていき、そして最後に悲鳴のような嬌声を上げてグッタリと脱力した雷を見たことで電は完全に目を背けた。
「こういうことは事前に教えていただきたい。誰がどうされているかはここに来なくてはわからないことなのかもしれないが、執務室で突然戦闘を始められたら、流石に動揺する」
「言い訳にしかならないけれど、全部の可能性を潰したかったのよ。何せ、相手は内通者……何処で話を聞いているかわからないのよ。正直に言えば、私達は電だって疑ってかかっていたの。雷が侵蝕されていなかったら、こうする前に伝えていたわ」
今までの侵蝕された者と違って、鎮守府に潜伏しているというのが厄介なところである。
侵蝕された深海棲艦ならば通信妨害を引き起こすのだが、侵蝕された艦娘は通信妨害を引き起こさない。これは荒潮を鹵獲した時に堀内提督の部隊が普通に通信出来たことでわかっていたこと。つまり、艦娘を使って潜伏されると、侵蝕された者がいるかどうかは
そして、それを事前に伝えられる状況にある場合、内通者が何らかの手段で通信傍受をする可能性すらあった。それこそまだまだ謎の多い敵のやり方だ。深海棲艦では妨害になるが、艦娘なら傍受になるなんてことがあってもおかしくない。理屈はわからないが。
そこで泥対策だの何だのを語ってしまったら、確実に対策されてしまう。それに、鎮守府に入った直後からもあまり大っぴらに話すことは出来やしない。
なるべく秘密裏に。だから、反応を感知出来る眼鏡を違和感なく身につけられる者を採用したのだ。そうでなければ、確実に警戒される。それを回避するためだ。
「い、雷ちゃんは大丈夫なのですか?」
「ええ、もう大丈夫よ。違う意味で大丈夫では無いかもしれないけれど」
グッタリしつつも、定期的に痙攣している雷に不安が募る電だが、薬の力で侵蝕が失われたのは間違いなかった。一際大きく震えたかと思えば、そのタイミングで雷が目を覚ました。
「ふぇ、わ、私、何を……」
若干惚けた表情で周囲を見回す雷。しかし、今からやろうとしていたことを思い出して顔面蒼白となる。
「あ、ああ、私、とんでもないことを……」
当たり前のように今までの記憶とその時の感情が残ってしまうのがこの泥の厄介なところ。雷も例に漏れず、その非道な行いの記憶に苛まれることになる。
いくら心優しい艦娘であっても、泥に侵蝕されてしまえばその性質を利用して暗躍する間者へと早変わりである。その時の記憶を残されてしまうため、優しければ優しいほど深いトラウマに苛まれることになる。気が強くてもストレスが凄まじい。
「雷ちゃん……!」
そんな雷を心配した電は、大塚提督が手を離したことで駆け寄り、その身体を抱き起こす。
「い、電……私、私ぃ……」
「大丈夫なのです雷ちゃん、電達は何もされていないのです。雷ちゃんは何も悪くないのです」
何者かの手によって悪者に仕立て上げられていたという事実に、電は冷静になりつつも怒りが湧き上がってきていた。
鎮守府の艦娘に明確な実害が出てしまっているのだから、感情を出すなと言う方が無理な話である。
「雷ちゃんをこんな風にしたのは誰なのですか……」
とはいえすぐに事の収束を目指して情報を手に入れようと動き出す。怒りを抑え込むのは、この鎮守府で活動していればお手の物。最初は湧き上がる怒りに呑み込まれかけたが、すぐに冷静さを取り戻していた。これでこそ、この鎮守府の秘書艦である。
「……私は、私は昨日の夜に……鹿島さんに……その、口移しで何か入れられたの。そうしたら、その、この鎮守府を壊さなくちゃって気持ちになって……」
ここで名前が出てきたのは、練習巡洋艦鹿島。古参というわけでは無いのだが、新人教育や遠征などに力を入れる、どちらかと言えばバックアップをメインとしている艦娘。雷とは共に遠征に行くこともあり、古参の雷と教育係の鹿島という2人で、新たに所属することになった艦娘を最前線に送り込めるように鍛え上げるというのが筋となっている。
その鹿島が既に侵蝕済みということがここでわかる。そして雷は昨晩に侵蝕。暗躍しているというのが嫌でもわかるというものである。その性質上、鹿島はどの艦娘からも非常に信頼されている存在だ。その感情に付け込む事も容易いだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさい司令官、私、そんなことしたくないのに……」
「いや、いい。お前の意思では無いんだろう。それくらい俺にもわかる。間者としても実害が出ていない」
素気ない言い方ではあるが、それが大塚提督であることは所属している艦娘はしっかり理解している。鎮守府運営に支障をきたすかきたさないか、ここが重要であり、実害が出ていないのだから何も問題はないとした。
実際は雷の心境という被害があるのだが、そこはこの鎮守府に所属する者。気を取り直すというか、それこそ感情を抑え込んで十全の力を発揮する。
「問題は鹿島だ。鹿島は少し前に遠洋航海に出て行ってもらっていたが……基点となったのは鹿島なのか……?」
雷は鹿島にやられたと言っているが、その鹿島は誰かから侵蝕を受けたのか、それともこの鎮守府にいる残りの侵蝕を受けている者全員が鹿島からされたのか。
遠洋航海に行ったというところから、そこで泥を拾ってきてしまったというのは何となくわかることだ。しかし、本当にそれが正解かはわからない。鹿島にしかわからないこと。
「じゃあその練巡を取っ捕まえてくりゃいいってことね。場所は何となくわかるよ。泥の反応見えてるから」
「電探もフル稼働さー。望月の反応も照らし合わせれば、何処に誰がいるかもわかんじゃないかな」
ここで望月と涼風が力を発揮する。泥を持つ者の居場所は、今この時でも何処にいるか把握出来ている状態だ。
望月は何処に侵蝕された艦娘がいるか、涼風は何処にどれだけ艦娘がいるかが見えている。それをうまく重ね合わせれば、何処でどうすればいいのかが見えてくるだろう。
「直接戦闘するのは、私と江風でいいよ。もっちーと涼風は、感知に専念してくれれば」
「だな。江風達に任せてくれよな。そのためにここに来てンだから」
島風が江風と共に前衛を買って出た。鎮守府内での戦闘も加味して、狭い空間でも戦える2人が前に出ることで、的確に確実に敵となってしまった艦娘を制圧する。
特に江風は砲撃すらすることなく鎮圧が出来る格闘戦を覚えてきているのだ。いざという時は暴力に訴えて気絶させて、薬を撃ち込む方向になるだろう。
「……電も行くのです。司令官、いいですか?」
「ああ、この鎮守府のことだ。我々がケジメをつけなくてはいけない」
そこに電も参加。本来ならば大塚提督の側にいるべきなのだろうが、今回は鎮守府内での戦闘が予想される。ならば、最も勝手を知る電が出向くのは間違っていない。雷がやるべき仕事かもしれないが、薬の後遺症でまだまともに動くことは出来ないため、雷は吹雪と五月雨が介抱しつつ、この執務室でこの件の詳細を話すことに。
「泥でしたか。それの感知と電探の反応を教えてください。真っ直ぐそこに向かえるように、電が案内するのです」
「頼んだよー。そんじゃ婆ちゃん、行ってくるから」
「鎮守府を壊すようなことが無いように頑張るぞー!」
物騒なことを言う島風だが、室内での戦闘というのはそこを回避するのは難しい。江風と島風が前衛とはいうものの、その装備は今の望月と同じで薬入りの模擬弾であるが、あちら側はまず確実に実弾を容赦なく撃ってくるだろう。もしかしたらそれだけでは足りないかもしれない。
出来ることなら、そうされる前に鎮圧したいところである。そこで速さに自信がある島風と、接近戦で周囲に被害を出さないように戦う江風が前衛となった。
「多少ならば壊してくれて構わない。鎮守府ならすぐに修復出来るが、艦娘はそう簡単な話ではないからな。むしろ、鎮圧を優先で頼む」
「よっしゃ、許可貰えたンなら好き勝手やってやるぜ」
「江風、限度があるよ」
「わぁーってるって!」
若干不安になるテンションではあったが、同じ艦娘を相手にすることが確実なこの戦いで、落ち込むことなく向かえるのはいいことだとした。
鎮守府内での戦いが、ここから始まる。残りの侵蝕された艦娘は、推定で5人。傷つけることなく、確実に治療するために、5人の部隊が立ち向かう。