江風と島風が川内を撃破する頃、電を先頭に鎮守府内を駆け回る一行は、増え続けている侵蝕を受けた艦娘達を見つけてはすぐに砲撃を浴びせ、何かをする前に治療していく。
反撃の暇なんて与えることもなく、こちらに気付いた瞬間には砲撃。涼風と望月はそれを確実に行なう。余計なことをすればするほど、その艦娘に軋轢が残ってしまうため、うもすも無く、悪意を強く持つ前に対処することが一番の救いになる。
「鎮守府内が阿鼻叫喚だわ……」
倒される仲間を見て、複雑な表情を浮かべるのは夕雲。駆け抜けながらもようやく本調子を取り戻したのだが、やられるたびに嬌声を上げて廊下に崩れ落ちていく様を見続けるのは、やはり気分のいいものでは無い。
それは電も同じだった。知らない間に仲間達が次々と侵蝕され、気付けば四方を敵に囲まれているようなもの。しかも、こちらに一切悟られずに、秘密裏にここまでやろうとしていたのだ。
今でこそこちらにバレバレな状態で急速に勢力を拡大しているが、こんなことにならなければ、未だに潜伏をし続けて、内部からこの鎮守府を滅ぼしていた。今でこそ一度もそんな経験をせずに済んでいる電も、最終段階では侵蝕を受けていただろう。そう考えると、恐ろしくて泣きそうになった。
「なんで、なんでこんなことが出来るのですか……」
素直な疑問が電の口から溢れ出た。今まで戦ってきた深海棲艦とは明らかに毛色が違う。頭脳戦ならばまだ良かったのに、
「それだけあたいらを恨んでんじゃないかな。元々は艦娘に負けたっつー姫らしいし、あんまりにも悔しかったから、器から離れて生きてるってくらいなんだ。逆恨みもいいとこだけどな」
涼風も嫌そうに呟いた。ただ侵略のために戦いを挑んでくる深海棲艦ならまだいい。そういう本能のまま、真っ向勝負を仕掛けてくるだけなのだから。知恵があるものが戦いを拒み、ひっそりと暮らしているのなら別に触れないだけ。共存とは違うが、人知れず静かに過ごしているものを邪魔をすることはない。
だが、わざわざ持てる知恵を使って相手に精神的なダメージを与え続ける手段
「やられたからやり返すってんなら、こっちが先にやり返してるんだっての。よっぽど性格悪いんだろうねえその黒幕は」
望月も心底気分悪そうに吐き捨てる。静かに暮らしているところに侵略しておいて、それをどうにか食い止めて返り討ちにしたら逆恨みでここまでのことをやってのけた。性格が悪いでは終わらないレベルのクズと言える。
そもそもこんな力を持っているのすら謎だ。
「とにかく、今は全員治してやんないと、ねっ!」
反応が近付いてきたことを確認した直後に砲撃を放ち、即座に治療。やはり嬌声は上げてしまい、そのまま壁にもたれかかるように倒れる。
ここまで来ると、もう気の毒という気持ちすら薄れてきている。見つけた反応を潰していくだけの作業。ある意味、感情が凍り付いていくような感覚。何かを考えながら撃っていたら、先にこちらの心が潰れてしまう。それこそ、大塚鎮守府の方針に沿った方がいいのではと感じる程に。
感情を抑え込んで戦うということは、嫌なことをする時の抵抗が少なくなるということに直結する。本来なら、強敵と相対するときの恐怖だとか、傷付いた時の怒りだとか、敗北に繋がりそうな負の感情を抑え込むことを指しているのだろうが、こういう抵抗のあることに対してもすんなり出来るようにするのにも繋がった。
「結構無くしてったろ。あたいの残弾はまだ半分はあるけど」
「あたしも大丈夫だね。ただ、反応がおかしなところ行ってない?」
「えーっと、あ、これか。2人分。これ向かってるのって……執務室か!?」
ここで望月と涼風も執務室に向かう存在に気付いた。この一行を遠ざけるために動いているとしか思えないくらいに真っ直ぐに。
泥に侵蝕された者同士がお互いの位置や状況などを把握している可能性があるのだが、そうだとしたら、これはもう陽動作戦にすらなっている。適当に近場の者達を侵蝕し、反応を増やすことでこちらに対処させ、その隙に要を潰しに行こうという算段なのだろう。
「他の連中に泥増やさせてる隙に司令官やろうってのかよー。なんて
「でも、他を放っておいたらネズミ算が終わんないぜ」
「だから厄介なんだけど……まぁ大丈夫っしょ。あたしらはその2人は無視でいいよ」
断言する望月。鎮守府のトップに危機が迫っているのなら、身を挺してでもそれを守るべきだと考えるのは艦娘の思考なら当然。
「何故言い切れるのですか」
その言葉に少しだけ冷静さを取り戻した電が尋ねる。望月はすぐに答えた。
「んなもん決まってるでしょ。うちの鎮守府で、
その頃、執務室。泥を感知する眼鏡を使って、戦況を確認し続ける五月雨と吹雪。この状況が好転するまでは話し合っている余裕なんて無い。ただでさえ治療されてまだ震えが止まらない雷を匿っているのだ。今は戦う力がない人間はじっとしているしかない。
「2人、こちらに来ています」
先にそれを感じ取ったのは吹雪。五月雨は工廠の方を見ており、吹雪はその逆方向。やはり陽動のように動いていることに気付いた。
「吹雪、今回は許可します。
大将の言葉に、吹雪は無言で頷いた。あまりにも物騒な指示ではあるのだが、殲滅するのは艦娘ではなく泥のこと。吹雪は眼鏡をかけ直し、泥を改めて確認する。
遠くにある泥の反応は、増えるよりも減る速度の方が上がっていた。外に出て行った部隊が、しっかりと仕事をしていることを表している。工廠に離れていた反応も消えていた。部隊が二手に分かれて対処したことがここからわかる。
その2つが陽動であり、本命はこの2人。執務室にいる提督を、ここで纏めて始末しようという算段。ならば、執務室内でも相当な火力を放てるような戦艦を引き連れてきていると考えられる。人間3人を人質に、秘書艦に身動きを取らせないようにするつもりなのだろう。
「室内には入れないように、扉の前を陣取ります。少し喧しくなるかもしれませんが、気にしないでいただけると幸いです」
艤装を展開して大きく息を吸う。そして、吸った分を吐いた途端に、吹雪の表情が変わった。大将を守る者から、敵を斃す者の顔へ。
「五月雨、君もサポートしてあげるんだ。何処まで援護が出来るかはわからないが……」
「は、はい、頑張ります!」
「助かります。私だけでどうこう出来る問題ではないかもしれないので」
戦場は執務室前。狭い空間であり、戦艦の中でも特に大きな艤装を持つ大和や武蔵、扶桑姉妹などが展開してギリギリくらいのスペース。駆逐艦なら2人並んでも余裕があるものの、左右に避けるスペースがあるかと言われれば何とも言えない。だからと言って前後に並んでいては、援護どころの騒ぎではない。後ろから仲間を撃ち抜いてしまう可能性すらある。
しかし、五月雨だって堀内鎮守府では最古参であり、数々の戦いを潜り抜けてきた手練れ。狭い空間での戦闘は初めてでも、連携ならばお手の物。
「そろそろ来ます。出来れば執務室の奥の方にいてもらえると助かります」
「大将は僕が支えておく。吹雪、頼んだ」
「よろしくお願いね吹雪。でも、
先程の殲滅発言といい、毎度恐ろしい言葉を選択しているが、吹雪は表情ひとつ変えずに執務室から出て行く。五月雨も一礼して吹雪を追った。
「さて、と。五月雨ちゃん、私が前衛をやるから、後衛お願いしていいかな」
「う、うん、それで大丈夫。というか多分、それがお互いにベストだと思う。私もどちらかといえば後衛向きだし」
「私、結構わちゃわちゃ動いちゃうかもしれないけど大丈夫?」
「そこは大丈夫。妹2人がやんちゃだから、その辺は慣れっこだよ。最近はあまり同じ部隊で出撃してないけど」
扉の前で待ち構えている内に、ほんの少しだけ作戦会議。とはいえ立ち位置の確認程度で、あとは自由に戦うというのが今回のやり方。
「多分だけど、今から来る敵は片方は戦艦。もう片方は鹿島さんかな? 普通なら私達駆逐艦だと少し難しい相手かもしれないけど、その辺りは気にしないで」
自信満々の吹雪。それでいて慢心しているような雰囲気も無い。
如何に古参の五月雨であろうとも、吹雪と並んで戦うことなんてまず無い。別の鎮守府である時点で合同演習なりなんなりする以外で同じ戦場には立つことは無いし、そもそも吹雪が戦場に出ること自体が稀。ブラック鎮守府の鎮圧には乗り出しているようだが、それ以外ではあまり聞かない。
今は前線から離れて、大将の補助と秘書艦としての責務に追われているためである。本当に必要な時以外は戦場に出ないようにしているのだ。
「よし、そろそろだね。向こうもこちらが待ち構えていることがわかってるのかな。そしたら、向かい合った瞬間に撃ってくるかも。それだけは覚悟しておこう」
「う、うん」
「大丈夫大丈夫。まず執務室を撃つなんてことはしないよ。向こうも司令官達を交渉材料にしようとしてくると思うんだよね。鹿島さんなら絶対そう考える。うちの鎮守府にもいるんだけど、軍師って感じが強くてさ。それが泥のせいで捻くれちゃったら、そういう意地が悪い作戦を仕掛けてくるよ」
話しながらも、泥の反応から目を離さない。いつ目の前に来てもいいように、主砲を握り締めて待ち構える。
相手の特性から、先手必勝が確実。何かをさせる前に鎮圧。時間をかければかけるほどまずいことになる。本来なら待ち構えるという戦術自体がよろしくないのかもしれない。
しかし、あえて吹雪はここで待っていた。戦いにくいのはあちらも一緒。閉所での戦闘は慣れていないはずだ。
「いらっしゃいませ。貴女が今回の件の黒幕ですか。鹿島さん」
廊下の先、ついにその2人が姿を現した。
片方は予想通りの鹿島。ここに来るまでに何度も泥を吐き出したようで、口元が少し黒ずんでいるようにも見えた。さんざん飛び散った泥を浴びたか、本来なら白い制服が黒く汚れてすらいる。
そしてその後ろ。同じように泥に侵蝕されているのは、この大塚鎮守府が誇る最高戦力、戦艦大和。あの武蔵の姉であり、今でこそ改二改装が施されたことにより妹に最強の座を明け渡しているが、その力はまだまだ健在。並の艦娘では簡単に勝つことは出来ない。それこそ、ここの夕雲と長波のように、大和は技で最強、武蔵は力で最強とするのが、艦娘達の中では常識となっている。
「雷さんを解放したことで、私のことを知ったんですね。はい、私が黒幕です」
「他の艦娘に口移しで泥を注ぐんでしたっけ。なら、その大和さんにも?」
「はい。美味しく頂いちゃいました」
ぺろりと舌舐めずりをしながら、吹雪のことを見下すような視線を向ける。
「まずは交渉と行きましょう。吹雪さん、こちらの要求は」
「答えはNoです」
鹿島が何かを言う前に吹雪は間髪容れずに砲撃。
しかし、大和が鹿島の前に立ち塞がると、手に持つ和傘を開いてその砲撃を食い止める。模擬弾であることを事前に知っていたようで、傘でもそれが防げることは織り込み済み。
「意外と荒っぽいんですね。艦娘吹雪としては珍しいタイプかな? でも、もう一度。こちらの要求は」
「答えはNoです」
次は魚雷を一本投擲。当たり前のように地上で投げ付けてきたことに素直に驚いたが、こんなところで爆発物を扱うとは到底思えないため、大和は適切に処理。その魚雷をキャッチしたかと思えば、そのまま投げ捨てた。
廊下の端に落ちても爆発することはなく、ただ転がるだけ。投げ付けた勢いがあれば、和傘も貫いてダメージを与えていたかもしれないが、大和には効かなかった。
「はぁ、話し合いの余地は無いと。こちらとしては、貴女方が私に従ってくれれば、荒っぽいことをしないで済むんですが」
「なら、こちらからの要求も聞いてもらえます?」
「何でしょう」
小さく溜息をついた吹雪が鹿島に言ってのけた。むしろ、吹雪が鹿島を見下すような視線になっていた。
「素直に治療されるか、そこに這いつくばって治療されるか、選んでください」