現在の難題は2つ。1つは、黒幕の居場所は施設と同様に敵対する者からの発見を拒む結界のようなものが存在すること。今のままでは、鎮守府の面々がどれだけ頑張っても発見することが出来ず、時間ばかりを浪費することになる。その打開策が、その結界の性質が唯一通用しないであろうミシェルなのだが、そんな危険な海域に、非戦闘員であるミシェルを向かわせるのは気が引けるため、今は少し考えるという方向に。
そしてもう1つは、黒幕のお気に入りなのではと考えられていた龍驤が最初の器であり、今はより強化されて黒幕と同様の泥となってしまったこと。今まで敵対している元艦娘のように救うことがもう不可能であり、次に出会った時には
「我々はまた観測に戻る。
施設内からでもその視野は健在のようで、明らかに壁しかない方向に目をやっても、現在帰投中の鎮守府の面々の様子が確認出来ているようである。『観測者』としての特性である観測は、それを見るとしたものを確実に見ることが出来るのである。
道化も同じ力を持っているらしく、大袈裟なポーズで遠くを見ているようだが、その目にはあらゆる情報が見えているようだ。黒幕も龍驤もしっかり確認中。
「それがわかっただけでも少しは安心ねぇ。でも、じっとしてるわけではないのよねぇ?」
「ああ、龍驤は
「試験?」
「ああ、
感情を変えず、それを言ってのけた。つまり、黒幕が勢力を増やすように、龍驤が勢力を増やしているということになる。黒幕が器から離れた時と同じ。
そんなことを聞いて、慌てない者などいない。このままにしておいたら、せっかく救って敵の数を減らしたのに、また増えてしまう。
「ちょっと、それを見過ごせと言うの!?」
「陸から動けない君が救いに行くというのかい?」
飛行場姫が声を荒げるものの、本人だってわかっていた。今からそこに向かったところでまるで間に合わず、そもそも居場所もわからない状態なのだから彷徨うことしか出来ない。
歯痒いが、それはもう見過ごすしかないのだ。それに、龍驤が泥そのものとなったと聞いた時点で、誰もがこの事態を予想している。自由に動けるというのなら、それこそ周囲の誰かを侵蝕していくだろう。
「……ごめんなさいねぇ。私が聞かなければ、知らなくてもいいことを知ることなんて無かったはずなのに」
鎮守府の面々が襲われていないという情報だけならば、こんな思いをせずに済んだかもしれない。だが、その後。じっとしているわけがないと聞いたことで、『観測者』が現状を伝えた。それがそれのきっかけ。
とはいえ、中間棲姫が聞いていなくても、誰かが聞いていただろう。例えば、苛立ちが湧き上がっている叢雲。それと同じようにイライラしているコロラド。この2人は確実に『観測者』から今の言葉を引き出すことを言っていた。
「いや、私もすまない。今の君達には失言だった」
ここは『観測者』も素直に謝罪。道化達もごめんなさいと言わんばかりに両手を合わせて頭を下げる。
「手の届かない場所の者達を救うことなど出来ない。ならば、知らない方が良かっただろう。しかし、今の龍驤には
「そうね。それに関しては、早めに知れて良かったと思うわ。面と向かった時点で、そうなるということを意識した方がいいもの。これからの戦いのためにも」
悔しそうではあるが、それを勝利に繋ぐための情報として先んじて知っておくのは悪いことではない。今知っておかなければ、もし対面した時にそうされてしまった場合、回避が出来なくなる。
見ず知らずの何処かの誰かが犠牲になってしまったという事実は辛いが、それをもう次に活かすしかない。そこで犠牲になった者は、まだ治療の余地があるのだから。
しかし、こうしている間にも被害者が増え続けているという現実が辛かった。最悪、その増えている被害者がまた取り返しがつかないところまで改造されて治療不可になり……と、泥と化した者自体がネズミ算式に増えていく可能性すらある。
「これはもう、摂理などと言っているわけにはいかない。これ以上の増殖は、中立から完全に逸脱する。私達もより強めに動こう。今までも、海中に設置された泥は排除してきていたのだが、今はその比ではない。許されざる行為だ」
ここに来るまでの『観測者』一行は、手が届く範囲で泥の排除を続けている。しかし、たった3人で出来ることは少ない。それに、人間や艦娘の目に入らないように行動する必要すらある。そのため、最低限ドロップ艦が守られるようにと七つの海を股にかけるように動き回っている。
しかし、もうそれすらも言っていられない状況だ。龍驤の暗躍……むしろ堂々とした侵略は、摂理に反する者を罰する『観測者』の目に余る愚行だ。直接叩くことは出来ずとも、出来る限りの妨害を続けると話す。
道化達も任せろと言わんばかりに胸を張り、力瘤を作るようなポーズ。自分達ならば、泥くらい余裕で排除出来るのだと表現している。
「私達が龍驤と直接戦うことは出来ないだろう。困ったことに、それは中立から外れる。しかし、龍驤に侵蝕された者を救うことは出来そうだ」
「アンタの中立判定はよくわからないわ。でも、これ以上敵が増えないなら助かるわね」
「すまない。私に出来ることは元凶の撃破ではなく、元凶の枝を折ることのみだ」
つまり、龍驤によって侵蝕され、荒潮や鹿島のように侵蝕された艦娘をどうにかすることくらいは出来るということだ。
今までやらなかったのは、あくまでも中立を守るため。そのおかげで春雨と明石による治療方法が確立されているのだから、間違ってはいないことではある。『観測者』に頼っていたら、ここまで力を得ることは出来なかっただろう。
「これ以上の戦力の拡大は、我々が抑えよう。君達は、黒幕と龍驤のことに専念してくれればいい。しかし、見てわかる通り我々にも限度はある」
「その分はこちらでどうにかします。鎮守府のみんなも、多分ですが、『観測者』様に頼り切ることは考えないと思います」
春雨の直感……ではなく、鎮守府で生活してきたからこそ言える、提督のやり方。海風も白露もうんうんと頷く。あの提督なら確実にそう言うと理解している。
『観測者』も言ってしまえば部外者だ。施設の者達の手を煩わせずに今回の事件をどうにかすると以前から言い続けているくらいなのだから、『観測者』の手を借りるという選択も確実にしない。
「了解した。ならば、出来る限りの剪定は任せてほしい」
「そう言ってもらえるだけでも嬉しいわぁ。やっと一緒のことが出来るんだもの。いつもすぐに何処かに行ってしまうんだからぁ」
中間棲姫は苦笑しつつも『観測者』と共に同じ道を歩けることを喜んだ。育ての親のようなモノである彼に少なくない好意を抱いている中間棲姫としては、話せるだけでも喜ばしいのに、自分のピンチを解決してくれるとまで言ってくれているのだ。表にはあまり出さないようにしているようだが、昂揚しているのが誰にでも見てとれた。
「出来ることなら、状況を連絡しなさいよ。どういうカタチでもいいから」
「善処しよう」
相変わらずの反応。しかし、この善処はまだ信用出来る方。逐一施設に訪れることは無いだろうが、定期的に施設に戻って来てくれる可能性はこれで出来た。
「では、我々はもう行くとする。
「お願いねぇ。私達はここから動くことが出来ないけれど、それ以外の出来ることはしっかりとやっていくわぁ」
「ああ、君は自分の身を守ることだろう。
正直、既に中間棲姫以上の力を持ってしまっていると言っても過言ではないはずだ。しかし、それでも本来の器を求めているのは帰巣本能か何かだろうか。
それが何であろうと、中間棲姫の身体を狙っているのは確実。そうなると、力を得続けた龍驤がこの施設に直接襲撃に来ることだって考えられる。今すぐでは無いかもしれないが、そう遠くない未来だろう。施設だけでなく、鎮守府を襲撃する可能性もある。
ならば、それまでに対策を立てなければならない。不可能では無いはずだ。今でも明石は中間棲姫から貰った髪の毛などから研究を続けているし、今までの経験からも予想外を潰すことはいくらでも出来る。それでも上を行かれる可能性が高いために、出来ることは全て網羅しなくてはならないが。
「辿り着く者、春雨」
最後に『観測者』は春雨の方へ。
「時には非情にならねばならない時がある。辿り着いた答えが、今の君には拒みたいものになるかもしれない。だが、それも躊躇わずに選択してほしい」
「……善処します。龍驤さんはもう救えないとわかりました。なら、なるべく安らかに眠れるようにしたいです」
「その選択が正しい答えだと思えるのなら、それが君の辿り着いた答えだ。ならば、信じて進めばいい。無理強いはしないさ。選ぶのは君だからね」
救えないのなら、終わらせるしか無い。春雨に終わらせる力があるかはわからないが、出来る限りのことをする。それが春雨が辿り着いた答えだ。
見てもいない敵に対して答えも何もないのだが、1つ今の状態でわかることは、相対したらもう容赦無く攻撃をするしかないということだけ。救うという気持ちは、捨て去った。
その頃、とある海域。何処かの鎮守府から見えるわけでもなく、むしろ周囲に陸があるような場所でもない。そんな場所に出現したのは、姫である深海棲艦。
ドロップ艦と同じように生まれ、本能のままに侵蝕を始める。その姫も例に漏れず、人類を侵略せんと動きはじめようとしていた。
しかし、生まれたその場にいたのはその姫だけでは無かった。ポツンと立っている艦娘。どう見ても駆逐艦であり、取るに足らない深海棲艦の敵。
「姉ちゃん、ええ身体持っとるやん。それ、うちに使わせてくれや」
こいつは何を言っているのだと顔を顰めた瞬間、その駆逐艦が大きく口を開いた。そこからどうやったらその小さな身体に入っていたのだと思える量の
「っ!?」
驚く暇すら与えられず、顔に纏わりついた泥は口や鼻、耳から内部に侵入していき、やはり何処に入っているのかもわからないように収まっていく。
姫は何が起きているかわからなかった。だが、疑問に思うことすら出来ず、生まれたばかりの身体に過剰すぎる衝撃が走る。あまりにも強烈だったため、自らの身体を抱きしめながら蹲った。わけもわからなかったが、その表情は笑顔だった。
「っ、あ、あぉああっ!?」
初めて発した言葉は嬌声。そして、そのままその意識は塗り潰されていき、本来のモノは奥に押し込められてしまった。
何度も何度も震えた後、最後に大きく身震いしたかと思ったら、ゆっくりと立ち上がる。
「ふぃー、やっぱこの瞬間は堪らんなぁ。今までから結構成長出来たし、この身体はうちが使わせてもらうわ。ありがたいことに空母やし、うちの力をいっちゃん上手く使えるやろ。サンキューな、生まれたばかりのお姫さん」
まだ残っている快楽に身震いしながら、ニタリと笑う姫──龍驤。その身体は、奪い取った空母棲姫となっていた。
龍驤はついに強大な胸部装甲を手に入れてしまった。