夕方、午後の哨戒部隊が戻ってきて、異常無しであることを伝える。出迎えたのは相変わらず春雨と海風。哨戒に出ていたのが白露とジェーナスの組み合わせだったからというのも理由。
「もうホントさ、ジンクス的なものが付き纏ってるんだよね」
「シラツユの言う通りよ。もうJinxは破ったと思うんだけれど、何かあるんじゃないかってビクビクしちゃうのよね」
2人は何事も無かったことに安堵しながら一息ついた。哨戒に行くと何かあるのではと、まだまだ勘繰ってしまうようだ。ここ最近は連続で何事も無かったのだから、そのジンクス破りは終わっていると思えるのだが、この感覚は払拭しづらい。
「Michelleが一緒に行くようになったら、もう何も起きなくなったのよね」
「ぴょん? ミシェルが一緒だと嬉しいぴょん?」
「そうだよー。あたし達だけだと何か事件が起きる気がしちゃうけど、ミシェルのおかげでそれが起きなくなったかもしれないね」
今までと変わったことといえばそれ。ミシェルが必ず同行するようになったことである。もしかしたら、2人にとっては幸運の女神なのかもしれない。
「ホント、この子達必要以上にキョロキョロしてるんだもの。よっぽど酷い目に遭ったのかしら」
「そのうちのどっちもがコロちゃん絡みなんだよなぁ」
「コロちゃん言うな」
今回の保護者枠であるコロラドが心配するほどに、白露とジェーナスは周辺警戒を念入りにしていたようだ。まさか今回も来ないよなとヒヤヒヤしながらの哨戒のおかげで、他の者達がやるよりも注意力は非常に高く、何も無かったという説得力は段違い。そこにコロラドとミシェルの目もあるので、今回の哨戒も無事終わったということに出来る。
「ああ、そういえば、ウシオはどうなったの? 私達が哨戒に行ってる間に、施設について妹姫に
哨戒中にジェーナスはそちらも気になっていたらしい。新たな仲間として施設に所属することになったとはいえ、みんなが揃ったダイニングに現れた潮は、どうも気にかけておく必要があるくらいに弱々しい印象だった。
「確かに案内はしてもらってたよ。流石に抱きかかえられながらじゃなく、自分の足で歩きながらだけど」
実際、春雨と海風が見かけた潮は、飛行場姫に連れ回されて、施設の隅から隅まで見て回っていたイメージ。春雨がこの施設に初めて来た時と同じような展開。
春雨の時と違うことと言えば、哨戒に出ている者がいるため施設のメンバーが全員勢揃いしているわけではないということと、時間が少し違うために農作業を生で見ることが無かったこと。畑自体はかなり整ってきているため、それはそれで驚いていそうだが。
とはいえ、恐怖が常に溢れている潮は、前に進むのも一苦労。腰が引けており、その場に立つだけでも震えている始末。歩けるようになるまでまず時間がかかったくらいだ。
「今日の今日でどうにかなるもんじゃあ無いよねぇ。ましてや溢れてるのが寂しさとかじゃなく恐怖でしょ。叢雲みたいにアグレッシブでもないし」
「そうですね……周りの全部が怖いなら、その場から動くのも怖いはずですもんね。妹姫様がそこにいたとしても難しいかも」
手を引かれているから動けていただけで、そうされなかった場合はその場で蹲っていた可能性すらある。
それでも飛行場姫は怒るわけでもなく、ゆっくり時間かけて出来るようになるまで傍に寄り添い続ける。そのおかげで、手を引かれれば動けるようにくらいにはなった。
仲間達に対して安心感を持ったとしても、行動に移せるかどうかと言えば話は別だ。まずは前に歩けるようにするために、飛行場姫は寄り添い続ける。
「妹姫様が育てると言っていましたよね。どういう意味でなんでしょう」
そういえば、と海風が思い出したことを話す。ダイニングにいる時、確かに飛行場姫は潮のことを鍛えてやると言っていた。
「育てるって聞くと……やっぱり精神的なところだと思うけど」
「腕っ節を伝授するとか。妹姫さんってばめっちゃくちゃ強いんだよね」
おそらく鍛えるというのは春雨の言う通り精神的な部分だとは思うが、白露が突拍子も無いことを言い出した。
飛行場姫の腕っ節の強さは、なんだかんだで施設の住人には周知の事実。現場を見ていない者も多数いるが、やはり叢雲の槍を素手で曲げているという事実が知れ渡っている。後から来た者でもそれに関しては伝えられているらしい。名誉か不名誉かはわからないが。
そんな飛行場姫が鍛えると言うと、そっち方面も考えてしまう。だとしたら、あの潮が突然近接戦闘をこなすような徒手空拳キャラに生まれ変わるなんてことがあるかもしれない。あの性格、発作が確実に邪魔をするが。
「潮ちゃんはまず自分の溢れた感情と向き合うことが大切だよ。それが溢れて壊れちゃってるから難しいかもしれないけど、ほら、私達だって今は多少は乗り越えられてるわけだしさ」
「……ですね。叢雲さんだって、今では怒りを制御出来てるわけですし、潮さんも恐怖を制御出来ると思います。春雨姉さんが言うんですから間違いありません」
最後の方はいつもの調子だが、海風も納得した様子。
「あたし達も、潮が楽しく生きられるようにサポートしてあげなくちゃね。やれることなんて高が知れてるかもだけどさー」
「Friendとして仲良くしていれば、自然に楽しくなるわよ! ね、Michelle」
「ぴょん! ミシェル、ここでみんなと一緒にいるの楽しいぴょん。潮ちゃんもきっと、ミシェルと同じになれるっぴょーん!」
何に対しても興味津々で、楽しく生きていられるミシェルは、いわば潮と真逆な存在。しかし、境遇は殆ど同じだ。
ドロップ艦として生まれ、仲間だと思っていた者に裏切られ殺されかけ、その時に溢れた感情が違ったために今が正反対になった。
疑問が溢れた結果、自分のカタチすらあやふやになったミシェルと、恐怖が溢れた結果、身動きが取れなくなった潮。紙一重でまるで違う道に向かってしまっている。
だが、この施設ならば、そんな正反対な2人でも仲良くなれるだろうし、恐怖は自然と払拭されるはずだ。時間はかかっても、最終的に落ち着ければそれでいい。ここでの生活はそこまで苦しいものではないはずだ。
「今は見守るしか無いね」
「はい。余計な接触は怖がらせるだけですし、適切な距離感を持ってことに当たりたいと思います」
「でも、関わり合わないわけじゃないよ。顔を合わせたら話もするし、手伝えることがあったら率先して関わりに行くよ」
深く関わらず、しかし一切触れないでもない。うまく距離感を保ちつつ、潮が慣れるのを待つという方針で行くことになった。
いきなり距離を詰められても怖がるだけだろうし、距離が離れすぎていても慣れることが出来ない。そうしている間に、潮もゆっくりと成長していくはずだ。
その頃の潮。飛行場姫と手を繋いだままであることは一切変わらず、しかし自分の足で歩くことくらいは出来るようになっている。その歩くスピードは誰よりも遅いが、飛行場姫は苛立ちを持つこともなく、常に隣に立つようにしていた。
おかげで、飛行場姫に感じる恐怖はかなり抑えられており、元々植え付けられた依存のこともあって、見る者が見ればベッタリのようにも見える。
「ゆっくりだったけど、施設のことはそれでわかったかしら?」
潮に聞くと、目はどうしても背けてしまうものの小さく頷いた。
「他のみんなも会うたびに言っているけれど、アンタと仲良くしたいと思ってるの。だから、少しずつでも慣れてちょうだい。アタシが隣にいてあげるから」
そう言われても、性質というのは簡単には覆せない。
「そろそろ夕食だけど、そこではみんなが一緒に食べるようにしているの。アンタも一緒に来なさい。どうしても嫌なら、部屋まで持って行くけど」
仲間達と一緒に食べるにしても、今の潮には怖くて仕方なかった。何が怖いのかと言われても、それは
この短時間でも、ここの住人は潮のことを裏切ることが無いくらい誠実で楽しく生きているのだと理解は出来た。しかし、それでも怖いものは怖かった。本来なら怖くないはずなのに身が竦む。足は震え、目は焦点が合わなくなる。何が怖いのかわからないのが怖い。
一番安心出来る飛行場姫が傍にいても、それは全く変わらない。怖い以外の感情が失われてしまったかのような感覚。
「……た、食べ、ます。みんなのところで」
怖くて怖くて仕方なくても、それから逃げ続けることはしなかった。顔を合わせないことで恐怖から逃げられるのかと言えばそうではなく、1人でいるのも怖いし、その時にみんなが自分のことをどう言っているのかを考えるのも怖い。視線を受けても受けなくても怖い。
同じように恐怖を感じるのなら、仲間のことを考えて一緒にいることを選択した。握手だって出来たし、ほんの少しの会話は出来たのだから、一緒にご飯を食べるくらい出来るはず。潮は勇気まで失ったわけでは無かった。
「そう、それなら良かったわ。あとは、楽しく生きられるように出来ることならみんなとの関わり合いを増やしたいところだけど……まだ流石に難しいわよね。ああ、夜はアタシが添い寝したげる」
「ふぇっ、あ、ありがとう、ございます……」
依存相手との添い寝と聞いて、怖いながらも若干身体が昂揚したように思えた。そこは全て恐怖に支配されているわけでなく、繭の中にいる時の影響がしっかり効いているようだった。
「そうだ、潮。ここまでで何か、自分に違和感を覚えたところとかは無かったかしら」
違和感と言われて、パッと思いつくところは、今のところ無かった。言ってしまえば、全てに恐怖を感じることが一番の違和感である。
「今のところは……何も……」
「そう。でも何かあったら言いなさいよ。アンタ、繭のカケラを取り込む時に一部が欠けてしまっていたの。心の何処かに影響がある可能性が高いから」
「は、はぁ……」
おそらく潮自身にその欠けたモノは理解出来ない。壊れた心で自分の壊れた部分の把握はかなり難しいのだ。
「アタシもアンタのことは気にかけておくけど、アンタはまず自分のことをしっかり知っておいた方がいいわ。それでまた怖くなったら言いなさい。アタシならアンタを慰めることくらいは出来るから」
「……よろしく……お願いします……」
飛行場姫にそう言ってもらえて、恐怖が少しだけ晴れるような感覚を覚えた。
「それじゃあ、行きましょうか」
「は、はい……妹姫さん……ずっと隣にいてください……ずっと……」
「ええ、少なくとも今はアンタから離れないわ。ご飯の後はお風呂もだし、寝るときもね。あ、でもそのうち料理とか手伝ってちょうだい。アタシ、料理当番の時もあるから。ここでの仕事をしないわけにはいかないもの」
料理に対しても恐怖は感じてしまうが、飛行場姫が隣にいれば出来るかもと、潮はひとまず首を縦に振る。
「そうだ、あともう1つ。アンタ、溜め込むタイプ? だったらそういうのはここではやめてちょうだい。思ったことは全部口に出していいわ。そうしてくれた方が、みんなアンタのことがわかりやすいから。それも怖いっていうなら、アタシにだけ教えてちょうだい。それを他の子にバラすなんてことはしない」
ストレスでまた恐怖が増える可能性もあるため、楽しく生きるためにも鬱憤は溜め込まないようにしてもらいたいという、飛行場姫の気持ち。潮のことを思っての言葉に、またもや潮の中では恐怖が晴れるような感覚。
おそらくこれは、嬉しいという感情なのだろう。しかし、潮にはその感情がすぐに判断出来なかった。
これが、潮から欠けた部分。自分の感情が、すぐに判断出来ない。恐怖に支配されて心が壊れた結果、恐怖以外の感情がすぐにわからなくなっている。カケラが取り込めなかったことにより、それがより顕著になっていた。
恐怖が晴れることで何か別の感情が動いていると知り、それが何かを探し出して、ようやくその感情がわかる。喜びと知るまでが遠い。
「……はい、その、また後から……お願いします。寝る前とか……話をしたいです」
「ええ、それでいいわ。話せることがあれば沢山話しましょ」
この欠けた部分との付き合い方は難しいかもしれない。しかし、この施設で過ごしていれば、自然とその方法も身につくだろう。
恐怖が強すぎて、他の感情にマスクしているのが潮の壊れた部分。カケラが取り込めなかったことでそのマスクはより厚くなってしまいました。でも、これは恐怖ではない感情だというのがわかるので、そこから追っていけば喜怒哀楽がわかる、はず。