夕食時、飛行場姫に連れられて、潮はダイニングに現れた。昼食時と同様に、施設の住人全員が集まっているため、どうしても視線が集まる。まだ恐怖を一切払拭出来ていない潮は、その視線だけで身が竦んでしまう。
しかし、今は隣に飛行場姫がいるため、おずおずと与えられた椅子に着席。誰とも目は合わせられないものの、不思議な一体感はあった。ここにいる者全員が潮のことをもう仲間として見ているので、悪い感情など何処にもない。
「今日は貴女のためにいろいろと用意したわ。
食事当番であるリシュリューが潮の前に料理を並べて行く。他の者よりも少しだけ豪華なそれに、潮は驚きながらも恐怖が晴れていくのを感じた。
ここで恐怖が晴れたということは、これは怖いものではなく別の感情であると繋がり、そしてこれが嬉しいという感情であることに気付ける。
心が壊れたことで毎度この段取りをしなくてはならないのが潮の特性となってしまっているのだが、だからといって感情が失われたわけではない。料理を見て微かにだが笑みを浮かべた。
「あら、やっぱりこういうのは
飛行場姫はその表情を見逃さない。指摘されたことでビクンと震えた潮は、恐怖よりも先に恥ずかしさを感じた。春雨とは違って羞恥心は据え置きの様子。元々の潮もそういうところには敏感であるというのもあり、簡単には消えないようである。
「え、えっと……」
「責めてるわけじゃないから心配しないで。ここにはこういう美味しいモノで自分を取り戻した子がいるから、アンタにも効果的なのかと思ってね」
最近ここに加わった者で無ければ即座にピンと来た。そして、一斉に叢雲へと視線が行く。
「私は別に食い意地だけで自分を取り戻したわけじゃないわよ!」
「半分くらいはあるでしょ」
「……否定はしないわよ」
薄雲の献身と美味しい食事で人間性を取り戻したといっても過言ではない。殺伐とした戦場では手に入らない、和やかな空間だからこそ、全てを失った叢雲が叢雲として成立するまで回復したのだ。
潮にも同じようなことが起きるはず。穏やかな空気で、戦場から離れていれば、精神的なところに変化があるはずだ。いわば、
「とりあえず食べましょ。流石に食べ方がわからないなんてことはないわよね」
「それは……大丈夫です」
早速いただきますをしてから一口食べた。瞬間、目を見開く程の衝撃。この時だけは恐怖が晴れるなんてレベルではなく、その感情がすぐに喜びであることが理解出来る程だった。
「おいひい……」
一口、また一口と口に含んでは、その味によって歓喜に震え、少しずつ表情を取り戻す。
叢雲が食べている間は怒りが沈静化するのと同じで、潮も食べている間は恐怖が晴らされるようだった。なんだかんだ言っても、やはり美味しい食事はどんな存在でも心を穏やかにするようである。
「ムラクモといい、ウシオといい、本当に作り甲斐があるわね」
「Oui. もっと材料があれば、歓迎会を開くことが出来たのですが」
「それは仕方ないわ。Richelieu達が動けないんだもの」
今は食糧も節約中。ある程度は鎮守府から補給されているものの、施設の人数も大分増えてしまったため、消耗は激しい。減らせるものは減らしておきたいと考えるのは妥当なところ。
それでもストレスを発散するために甘味を欠かさないようにしているのだから、そこは作り手の腕。薄雲も叢雲への甘味の腕は日に日に増すばかりである。
「……その……ありがとう、ございます。美味しい食べ物……私、嬉しい
ほんのりと笑顔をみんなに向けた潮。早速回復の前兆が見え始め、ダイニングは活気に湧いた。
深夜の哨戒は叢雲薄雲ペアに、保護者枠が戦艦棲姫。そして潜水艦枠として伊47。いつものように夕食後に少し休憩してから出発。
潮は飛行場姫と眠ることが確約されており、春雨が施設に所属した直後のように、ベッドルームを使うこととなる。現状、飛行場姫は潜水艦姉妹とも一緒に眠っているため、潮は初めての夜を4人で迎えることとなる。
「まぁ4人がギリギリよね」
人数が1人分多いため川の字とは言えないものの、飛行場姫が潮を抱き締めるカタチとなりつつ、姉妹は姉妹で抱き合うように眠れば、ベッドの上に綺麗に収まる。寝相が良くないと落ちてしまいそうだが、幸いにも飛行場姫も潜水艦姉妹も寝相は良い方なので、その心配はない。
潮は潜水艦姉妹も一緒に眠るということで若干緊張していた。恐怖は勿論払拭が出来ておらず、依存相手以外の者と一緒にいるというだけで挙動不審になりかける。
食事の際には、味覚の刺激によってその辺りは一時的に引っ込むのだが、それが終わったらすぐに舞い戻ってくるので、まだまだ先は長い。初日にどうにかしろという方が間違っているのかもしれないが。
「この子達ならまだ接しやすいと思うわ。潮、ゆっくり慣れていきましょ」
「……は、はい……」
ビクビクしているのはどうにもならない。そんな潮を見て、潜水艦姉妹は1つ疑問を持った。
「質問」
潮は話しかけられるだけでもビクビクするだろうからと、潮ではなく飛行場姫に対して問う。姉妹はその辺りも配慮出来るようになっていた。
「恐怖というものがよくわからない」
「怖いとは何か」
感情が無いが故に、恐怖というものが理解出来ていない姉妹。だが、今の姉妹なら簡単な説明でも理解出来るだろう。この施設の一員として加わった直後ならば、その辺りは何もわかっていないだろうが、今や2人とも自我が育まれている。
「アンタ達も知っておいてもいいわね。でも、今からアタシ、嫌なこと言うわよ」
「構わない。知ることが目的」
それならいいかと恐怖についての説明を始める。だが、今の姉妹なら1つ言えばわかることである。
「アンタ達、もし目の前で相方が死んだらどう思う」
たったこれだけで、姉妹は恐怖という感情を学んだ。大切な存在が隣にいるから自分達は成立しているのだという認識が育まれていたことで、それが失われるという想像だけでも2人揃ってビクンと震えた。死んでしまう光景すらも想像してしまったのか、互いに繋いでいた手に力が入った。
「怖い、恐ろしい、その感情を理解した」
「同時に、悲しみと怒りを理解した」
飛行場姫は単に死んだらという想像をさせたのだが、姉妹はそれを
大切な者という正の感情の裏側にある負の感情を理解したことで、潜水艦姉妹はより自我が育まれて、感情が豊かになっていく。無感情から無表情に進化する日も近い。
「潮は常にこの感情に支配されているということ」
「それは辛い。何かしてあげたいと思う」
一定の距離を保っていた姉妹だが、恐怖を理解したことで、潮に対してさまざまな感情が芽生えた様子。
その中でも、仲間の力になってあげたいという気持ちが出来上がったのは大きな成長だ。依頼を受けることなくその行動を選択出来たこと自体、それは完全な自我だ。
「え、えっ、その……あの……」
姉妹の割と強めの押しに、潮はまた違った恐怖を感じずにはいられなかった。しかし、自分を思ってこの行動に出ていることも理解しているため、無下にすることも出来ず、恐怖と同時に混乱もしている。
そこに飛行場姫は助け舟を出した。潮にも、姉妹にも。
「潮、これはこの子達なりのアンタへの思いやりよ。何か応えてあげられないかしら」
そう言われてもという表情をするが、姉妹は力になりたいとグイグイ来る。
「それじゃあ……その……手を……握ってください……」
「了解」
「お安い御用」
言われたらすぐに潮の手を握った。姉が右手、妹が左手を、温もりを与えるように両手でしっかりと包み込むように。
潜水艦であるが故か、体温は他の者よりも少しだけ低いように感じだが、それでも充分すぎるほど温かさを感じた。
潮も握られた瞬間はビクンと恐怖に慄くが、姉妹の思いは伝わってくるので、徐々に恐怖は晴れていく。そしてわかった感情は、やはり喜び。仲間の温もりは喜びに繋がる。
こういうことを何度も何度も繰り返し行なっていくことによって、潮の中の失われたモノをまた育んでいこうという試みは、やはり接触が有効であることがわかった。叢雲も常に薄雲が近くにいたから回復出来たようなもの。姉妹でなくとも、潮には誰の温もりでもよく効く。
「……温かい……です」
「この子達だけじゃなく、みんなが同じことをしてくれるわ。アンタはもう少し図々しくしてもいいのよ」
姉妹だけではなく、飛行場姫も温もりを与えるために頭を撫でてやる。恐怖を払拭するための行為は、重なれば重なる程効果的。潮は食事時の時と同様に、少しだけ顔を綻ばせた。そこからは恐怖を感じないほどに。
「怖いと思ったら仲間を頼りなさい。それでもダメそうなら数を集めなさい。ここのみんなはそれくらい喜んで受け入れてくれるわ。代わりに、アンタも頼まれたら何かやってあげることね」
「……だ、大丈夫……でしょうか……私なんかで……」
「あー……アンタが一番怖がってるところはそこなのね。世界の全てが怖いかもしれないけど、一番怖いのは
深海棲艦化のきっかけが、泥のせいであることは一目瞭然ではあるが、姉妹艦である漣に裏切られたこと。それにより、関係を持つ者との繋がりが切れることを極端に恐れている。
そして、元々控えめな性格もあってか、自分の行動がそれに繋がる可能性も恐れ、結果的に周囲のモノに対して関係を持つこと自体を恐れ、何をされても怖いとなる。強く出られても、控えめに触れられても、最終的に失うかもしれないと思うと怖くて仕方ない。
「潮、やっぱりアンタはアタシが鍛えてあげる。アンタのその恐怖を、アタシが振り払えるように強くしてあげる」
「え、えっ」
「心身共に強くなれば、アンタが一番怖いモノはアンタ自身の手で繋ぎ止められるわ」
失うことが怖いのならば、失うことが無くなるほどに強くなればいい。そしてそれは、飛行場姫の手によって可能になる。
死に別れが怖いならば、仲間を守れる力を手に入れればいい。関係が切れるのが怖いならば、そうならない心を手に入れればいい。怖がって逃げ回っているだけでは、結果的に関係は切れてしまう。ならば、逃げ回らずに済むくらいの心と身体を手に入れればいい。
「ここの子達は、アンタがどうあっても関係を切ることなんて絶対に有り得ない。勿論、力に溺れて傲慢になったら切られるかもしれないけど、このアタシがアンタをそんなカタチで育てるわけがないわ」
「え、そ、その……」
「潮、強制はしないけど、考えておいて。強くなれば、アンタはその常に抱いている恐怖を払拭出来る。さっきも言ったけど、関係が切れることが怖いなら、そうならないようにアンタ自身が守ればいいの」
最後の決断は潮に委ねる。これだけ言っても恐怖に呑まれて強くなることを拒むのなら、それならそれでいい。そういう性質なのだから仕方ない。代わりに施設内の雑務くらいはしてもらうつもりだが。
そして、潮は考える。強くなるべきか、このままでいるべきか。勿論、強くなることに対しての恐怖はある。これだけ言ってもらっておいて上手くいかなかったらと思うと、身が竦む程に怖い。だが、やらないことも怖かった。
ならば──
「……わ、私……私、やります……やってみます……。どちらにしろ怖いなら……やった方がいいと思うんです……」
それが潮の選択。やって怖いかやらずに怖いかならば、やった方がマシだと考えた。
潮も艦娘の心は失っていない。世界を守るという意志は、そのまま残っている。その範囲が恐怖によって極端に狭まっているものの、それでも自分と仲間を守ることは出来るはずだ。
「ふふ、わかったわ。なら、明日から早速いろいろとやっていきましょうか。まずは心を鍛えるために、朝ごはんを一緒に作りましょう。ここでの生活をちゃんと出来るようにしないとね」
「は、はぃ……頑張ります」
声は徐々に小さくなっていくが、やる気だけは萎んでいかなかった。
「応援する」
「潮は強くなれる」
姉妹からの声援も、潮にとっては力になるはずだ。
潮はここから恐怖を払拭するために心身共に鍛えていくことになる。時間はかかるかもしれないが、目指す道は見えた。
妹姫様からの特訓ということは、潮も腕力キャラに……?