ドロップ艦でありながらも、泥のブーストとコスチュームによる補完で擬似深海棲艦化と言える程の力を発揮する漣達により、思っていた以上の苦戦を強いられる春雨達。
その攻防の中、漣が全方位に放った魚雷を朧が利用したことによって、内部に格納されていた悪意の塊が薄雲を襲い、そして侵蝕してしまった。
「薄雲……っ」
悪意の灯る瞳で叢雲を見つめる薄雲に、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる叢雲。その表情を見たことで、薄雲は心底気持ちよさそうに身震いする。
「あは、姉さん、これすごいんですよ。物凄くスッキリした感じというか、溜まっていたストレスが発散されるような感覚というか。とにかく、とても清々しい気分なんです。本当に、ふふふ、本当に堪らない」
隣に立つ朧と目が合うと、ニコッと微笑みかける。
「ありがとうございます、朧ちゃん。もう少し早く泥を貰っておけばよかったですね」
「でしょ。それに、すごく強くなれるよ。ドロップしたばかりの朧達がここまで出来るんだから、元々経験のある君が戦ったらどうなるんだろうね」
「そんなの決まってますよ」
チラリと叢雲に目をやると、薄雲とは思えないような他人を見下したような視線となる。
「邪魔なものは全て排除出来ますよ。まずは姉さんを、ね」
再構築した主砲を構え、叢雲に向ける。薄雲は冗談でもそんなことをしないため、もう全てが侵蝕されてあちら側になってしまったことを証明していた。
今までにない怒りが溢れ出す。常に怒りが滾っていた叢雲だが、今回は話が違った。施設の仲間達の中でも、最も親密である妹、互いに頼り頼られて生きている存在を穢され、本人の意思とは関係ない悪意と敵意に塗れさせているのが、脳を沸騰させるほどの怒りを呼び起こしていた。
「でも姉さん、普段の生活はからっきしですけど、戦闘となるととんでもないセンスを発揮するので、2人がかりで行きましょう。あちらはあちらに任せていいんですよね?」
「うん、大丈夫。漣とぼのは優秀だから、まずは目の前の敵を片付けようか」
「はい、目の前の
あれだけ親身になっていた叢雲を敵と吐き捨て、不敵な笑みを浮かべる薄雲。そしてそれを楽しそうに見る朧。
「……それだけかしら」
絞り出して出てきた言葉は、もう理性を燃やし尽くしかけていた声色。怒りに震え、自ら正気を手放そうとしているような雰囲気。
「姉さんは怒りによって艤装を変化させる力を持っています。あの槍を巨大化させるなんてことも出来るので気をつけて」
「うわ、すごいねそれ。見てみたいところだけど、ちょっと余裕無いかな。だったら、速攻で終わらせるくらいで行かなくちゃ」
まだまだ余裕そうな朧の声に、まだ残っていた理性が燃やし尽くされる。だが、そのギリギリのところで泥から身を守るスーツとマスクだけは作り上げた。もし泥がぶちまけられても、先程の薄雲のようにそれを切り裂かれない限りは侵蝕されない。つまり、多少は無茶が出来る。
「殺すわ。艦娘だろうが知ったことじゃない。そもそも私は艦娘のことが大嫌いなんだもの。容赦する必要なんてない。殺す。ここで殺す。確実に、後悔するほどに、命乞いするほどに、さんざん痛めつけてやる」
「私がさせませんよ、姉さん。そうだ、姉さんもこちら側に来ましょう。スッキリしますよ。それに、怒りの矛先を別にしちゃえばいいんです。ね、簡単でしょ?」
薄雲のその言葉が、再開の合図だった。手に持つ槍が一気に巨大化し、2人諸共薙ぎ払う。
「うわっ、そういうこと!?」
「はい、そういうことです。怒れば怒るほど、ああなるので」
「これは大変だね。でも、2対1ならなんとかなるでしょ」
その槍の薙ぎ払いは強靭な脚にされていることで軽く跳ぶことで回避。薄雲も新たに身につけさせられているニーハイソックスの効果によって身体能力が異常に向上させられているため、朧以上に軽々と回避。
「滾る。滾るわ。怒りが、憎しみが、私の本質が! 覚悟しろよゲスがぁ!」
何もかもが焼き尽くされ、当初の槍持ちの如く目の前の敵を殲滅するだけの存在と化していく。もう薄雲にすら容赦なく向かうだろう。
叢雲が2人に立ち向かう一方、春雨達は薄雲の侵蝕を目の当たりにして絶望を感じていた。ジェーナスの時とは違う、変わり果てる一部始終を見せつけられているため、精神がガタガタにされかけている。
「いいねぇ、その顔。辿り着く者を始末するってのが第一目的だけど、戦力増強も目的ではあるんだよね。これはメシウマ案件ですわ」
「敵が減って味方が増えるなんて、ありがたい限りだわ。じゃあ、こっちも誰か貰うってのがいいわね」
「ですなー。出来れば辿り着く者本人が欲しいところだけど、簡単にはいきそうにないし、ま、手っ取り早く手近なヤツからってことで。殺すなら殺すで構わないしね。あ、そうそう、向こうに援軍なんてさせないからシクヨロ〜」
意気揚々と語る漣と曙だが、春雨達は気が気で無かった。薄雲のあちら側にされたこともそうだが、それによって怒りが限界に達し、無差別攻撃をしかねない叢雲も心配。
だがそんなことを言っている場合ではない。油断すればこちらがやられかねないのだ。それこそ、今回も救うなんて言っていられない状況。そもそも薬が無いのだから、侵蝕から今すぐ解放するならば、瀕死の重傷を与えるしかない。もしくは簡単には目覚めない程に深く気を失わせて鎮守府に運ぶか。
「……容赦しない」
ここで春雨は、大鳳と戦った時のような冷酷さに傾いた。仲間が穢されたという事実が、なかなか表に出さない怒りに火をつけた。そして同時に、その瞳が白く輝き出す。
「戦艦様、もう少し出力上げていいです。あのスーツを消すだけでは埒が明きません」
「わかったわ。でも、貴女達も避けるようにして」
「大丈夫です。戦艦様の射線に入らないようにしますから」
出力が上がるということは、その分波長による衝撃も上がっていくということだ。今は泥を消し飛ばす程度で済んでいたが、ここから上がれば上がる程、身体にも影響を与えてくる。明石曰く、MAXの出力で放つと肉体すらも消し飛ぶという非常に物騒な
中程度ならば、そこまでの酷いことにはならないにしろ、泥で出来たコスチュームを消し飛ばすと同時に、それを纏った部位を一時的に使用不可能にするくらいは出来るはずだ。春雨はそれを狙って戦艦棲姫に指示を出している。
「海風、道が何本も見えるの。それを減らしてほしい」
「了解です。姉さんにとっての最善は、この海風が担います」
今までは1人相手に複数人でかかるという状況だったため、その目に映る答えは非常に単調だった。その通りに進むだけで最善の答えに導かれ、その結果が正しく現れる。
だが、今は相手も2人、いや、朧と薄雲を入れれば4人。どれから先に処理するかなどの選択肢が増える分、答えに向かう道は複雑になる。現に、春雨の見ている光の道は、今までとは違う幾重にも拡がる交差点。そのうちのどれかを選び取らなくてはならない。
ある程度戦況が動けば、この道は数を減らすだろう。そのため、あちら側の動きを見るためにも、出来る限り戦って選択肢を少しずつ減らしていく必要がある。
今でも道の太さや光加減などで優先順位的なものはわかるのだが、いかんせん、あちら側のやれることが全て見えているわけではないのが辛いところ。泥を格納した魚雷や、泥が紛れている砲撃以外にも、まだ何か隠している可能性はある。
「んじゃあ、ぼのたん前衛よろしくどうぞー。漣は魚雷を撃ちまくるからさ」
「はいはい。あたしに当てんじゃないわよ」
「ほいさっさー」
先程と同じように、漣は魚雷を乱射。今度は360度ではなく、春雨達を中心にした眼前の敵のみを狙って密集させた攻撃。さらには、周囲に放っていた分を遅れて発射させることにより、ジャンプで避けたとしても着地点にも魚雷があるような状況を作り出した。さらには前衛という曙がその回避のタイミングを狙っている。
だからといって、それを砲撃で破壊して処理するのは薄雲の二の舞になりかねない。あの時はスーツでしっかり防げたが、それを見計らって朧がスーツを斬り裂いたことにより最悪な状況へと持っていかれている。
ならば、爆発して放たれた泥自体も消滅する程の威力を放てばいい。海風はそう考えた。春雨を守るため、即座に行動に移す。
「また春雨姉さんを狙いましたね。万死に値します。私はそもそも貴女方を救うつもりなんて毛頭ありませんから、一切の容赦をしません。覚悟してください」
密集して向かってくる魚雷に向けて、海風も魚雷を放つ。これならば、魚雷の爆発と同時に現れた泥も、その爆発によって吹き飛ぶだろう。海風の放った魚雷は通常よりも火力を増していたため、その程度なら可能。
そして、春雨も同じような魚雷を放っていた。爆発を重ね合わせることでさらに泥を吹き飛ばそうという作戦。さらには戦艦棲姫も泥刈機を魚雷に向けている。それでも漏れた泥は、この波長によって消し飛ばされるだろう。むしろ、出力を上げたことによって爆炎すらも舞い散らせる。
「わお、魚雷に魚雷ぶつけるなんて無茶苦茶しますなぁ。うわ、しかも漣のコス吹っ飛ばされてる! いやーん、えっちぃ」
むしろ、あの波長の衝撃に一度でも耐えられる強度を持っていることもネック。アレを対処するには、照射し続けるしかないとさえ感じた。
そして、春雨にのみ見える光の道。その数は少しだけ減ったものの、まだ多くの選択肢を与えられている。だが、その中の1つ。この攻防の前後で無かった道が現れた。
その道は、海上でも海中でもない、
「海風、対空砲火!」
その道を辿るため、即座に指示を出す。上から何かが降ってくると判断したため、それを処理するために春雨も共に真上へと対空砲火を始める。
「何よアイツ、見えてなかったでしょ今!」
爆炎が晴れた後、曙が憤慨したように毒づいた。春雨の指示は大正解で、上から無数の針が降ってきていた。その先端にはしっかりと泥が仕込んであり、刺さってしまったら最後、そのまま侵蝕されることになる。おそらく、この魚雷同士の爆発に隠れて曙が空へと撃ち放ち、どさくさに紛れて刺さるように仕組んでいたのだ。
薄雲や叢雲の対策スーツを見たからか、それすら突きつける針という手段を使ってきた。あのスーツは泥にのみ対策を取っているため、先程のようにナイフで斬り裂かれることもあるし、針は止めることなんて出来ない。実弾なんて以ての外だ。それも突き通さないようなスーツにしたら、今度は身動きが取れなくなってしまう。
「でもさぁぼのたん、今上向いてくれてっからさ」
「今撃とうとしたわね。させるわけないでしょ」
対空砲火する2人が無防備のようなもの。そのため、それをカバーするために戦艦棲姫がすかさず泥刈機を2人に向ける。出力はまた僅かに上げたことで、コスチュームを消し去る以上に、身体へのダメージも入れるように。
流石にこれ以上喰らうのは嫌だと、春雨と海風への攻撃はやめて回避に徹していた。見えない弾丸のような波長による攻撃も、何度も受けていれば慣れてくるようである。ドロップ艦ではあるが侵蝕によるブーストがあるため、その辺りの能力は大きく上昇させられている。
「ああもう、2人で3人は面倒臭いわね!」
「でも、ボーロは1人で片方こっち側につけてっからねぇ。あ、そうだ、だったら
「……確かに、数的優位があるに越したことはないものね」
不穏な呟きが聞こえた瞬間、春雨にまたもや悪寒。薄雲のみならず、まだ他の仲間を侵蝕しようと企てている。その対象は、
「海風、ちょっと退いて!」
確実に
今まで常にこちらの泥対策を対策する手段ばかり用いてきた。治療を防ぐための泥のコスチューム。侵蝕を防ぐスーツを貫く針と刃。それを可能にするだけの強引なブーストと、それに耐え得るために用意された装備。
侵蝕されたジェーナスとの戦いを高高度から観察し続けていた龍驤だからこそ、ここまでの対策を用意してきたのだ。それを見せびらかそうとする慢心が含まれている戦術も、あの龍驤ならではと言える。
そして、最大の対策は、治療が出来る辿り着く者、春雨をどうにかすることである。その手段として選択したのが、春雨自身ではなく、春雨を慕う海風を狙うこと。沈めても春雨は崩れるだろうが、それ以上に敵に回った方が崩れる。
春雨は攻撃の手段を直感的に勘付き、即座に対応してくるが、海風はあくまでも
「アンタの妹、貰うわよ」
明確な狙いを突きつけて、曙が海風へと突撃を開始。春雨と戦艦棲姫のことを無視し、徹底的に追い詰めるように動き出した。漣もそれをサポートするべく、またもや魚雷を発射。曙の邪魔をさせないようにと立ち回る。
「私が貴女達の下に行くわけがないでしょう。春雨姉さんの側を離れるだなんて、あり得ません」
「アンタの意思なんて関係無いの。まぁ、頑張って耐えてみなさい」
春雨は自分の中で、さらに怒りが灯るのを感じた。