その裏側では、叢雲が朧と薄雲を相手にしていた。侵蝕されたことによって通常以上の力を手に入れている薄雲は、叢雲の勝手を最も知る者。怒りが全く収まらなくなっている叢雲相手でも、まるで怯むことなくむしろ上から目線を続けながらでも問題なく戦っていた。
「もう、叢雲姉さんは単調なんですから。怒りに呑まれると見境無くなりますしね」
薄雲は叢雲を手玉に取ることに特化していると言っても過言ではない。槍を巨大化させて振り回そうが、身体能力が強化されている薄雲にとっては児戯に等しいとさえ思えた。
泥の侵蝕により慢心がたびたび見えるようになってしまっているが、それでも一切支障が無いレベル。理性を失った叢雲の力任せな攻撃を軽くいなしつつ、いつもの鎖に繋がれた主砲を振り回しながら合間合間に攻撃をする。
「鬱陶しいわね薄雲!」
「当然じゃないですか。戦いは、如何に相手の嫌なことをするか、ですよ。私の存在そのものが嫌なモノになっているとは思いますが」
「はっ、敵対した時点で全部嫌なモノよ! アンタにも容赦しない!」
薄雲の砲撃も当然、いまや泥が含まれている侵蝕攻撃。直撃も掠りもダメであるため、叢雲は怒り続けながらもその攻撃をしっかりと回避し続ける。
だが、ここにいるのは薄雲だけではない。この壮絶な姉妹喧嘩を仕組んだ朧もいる。叢雲のあまりにも派手すぎる攻撃を回避しながら、叢雲のことについて分析をしていた。
「すごいね、怒れば怒るほど攻撃力が上がるんだ。深海棲艦ってそういう特別な力を持ってるのがちょいちょいいるのかな」
初めて組むはずの薄雲とも綺麗に連携をし、合間合間に叢雲に向けて小型の銃を向ける。
それは、曙が使用した針を射出する装置を小型化したニードルガン。泥が塗られた針が1本でも撃ち込まれれば相手は侵蝕されるため、シンプルに小さな一撃を入れられればいいとこのタイプを使い始めた。
「でも、大振りだから狙いやすいね」
叢雲が薄雲に槍を振るった瞬間を見計らって、ニードルガンを1発放つ。叢雲は朧の方を見ていない。これは確実に当てたと確信した。
しかし、怒りに呑まれた叢雲はその程度では負けない。突如現れた
「えっ、そんなの今まで使ってなかったのに」
「あれは……艦娘の叢雲姉さんの艤装です。頭の上に浮いてる」
叢雲の身を守ったのは、艦娘の時の叢雲が扱う浮遊艤装。ウサギの耳にも見えるそれは叢雲専用の電探であり、ある程度の距離ならば自由に動かせるモノ。
艦娘としての自分を捨てると見た目から変えている叢雲は、制服もバニーガールと称えられそうなスーツにしているものの、その艤装を使うことは無かった。艦娘時代を思い出させる艤装を使うつもりは無いと、出せるとしても出そうとしなかったのだ。
だが、理性を失ったことで手段を選ばなくなり、使えるものは全て使って目の前の敵を殲滅するとなったことで、過去の自分の艤装を使用した。電探ではあるものの、それは深海棲艦化の影響で強固な装甲を手に入れ、針如きでは傷を付けることすら出来ない。
それもこれも、叢雲の感知の力すらも増幅されていることにある。全ての位置が手に取るようにわかるのが本来の効果だが、怒りに呑まれたことでその性質も若干変化し、敵対する者の行動がいち早く読めるというものになっていた。
無意識に針の挙動まで把握し、自分に向かってくるモノに対して完璧な感知をすることで、威力が殆ど無いような攻撃はこの程度で弾く。
「そんなちゃちぃ手段じゃ無く、本気でかかってきなさいよクズが!」
怒りはまだまだ増す一方。つまり、叢雲の力は増し続けるということになる。これは厄介だと朧はより考える。
薄雲を侵蝕したところまでは何も問題が無かったのだが、叢雲のこの怒りは想定外。むしろ、ここまで出来る敵が、施設にいるということ自体が情報に無かった。
朧達の持つ情報は、龍驤が戦場に出ている時に高高度からの調査によって得たモノ。つまり、その時にいなかった者に関してはデータに入っていないということになる。
叢雲は龍驤が出てきた戦場にはほぼ参加しておらず、来たとしても戦闘まではしていない。そして、叢雲が覚醒したのは龍驤がいなかったコロラドとの戦い。そのため、叢雲の実力はあちらにはバレていないのだ。
「最初に薄雲を奪っておいてよかったかな。知らないヒトのデータを持ってるのはありがたいよ」
「ですが、叢雲姉さんの力はどんどん増しています。本当に、戦闘に関してはセンスが凄まじいですよ」
薄雲が絶対にしないような叢雲をゴミのように見る視線。それを確認したことでさらに怒りが増す。
一度槍を巨大化させたら怒りがある程度発散され連続で扱うなんて出来ないのだが、今は余りあるほどの怒りを蓄え、さらにまだ増すばかり。発散なんてされることなく、より大きく、より強く、叢雲から解き放たれていく。
「でも、私がどうにか抑えます。怒り狂っていても、私はあのヒトの妹ですから」
「任せるよ。隙を見てアイツもこちら側に引き込んで」
「はい、勿論。あんな姉さんなら、こちら側にいてくれた方がいいと思いますからね。敵対より、共に並び立ちたいですから」
泥の侵蝕により、薄雲も悪意を隠さなくなっている。姉を利用するのが愉しくて仕方ないとほくそ笑んだ。
そんな薄雲を見れば見るほど、叢雲の怒りは際限なく溢れ出る。理性を捨て去っているだけではもう足らない。もっと、もっともっと力を得なくては、救えるものも救えない。
今の段階で薄雲を救う手段はただ一つ。瀕死に追いやって身体が泥を吐き出させることのみだ。薬も無ければ、泥刈機も無い。後者はあったところであの泥のコスチュームを脱がすことくらいしか出来ない。薄雲を殺さずに痛めつけるという苦渋の決断をさせられることにまた怒りが湧き上がる。
「何をくっちゃべってるのよクズ共がぁ!」
槍だけでは足りず、主砲や魚雷も展開。怒りによりその数は増え、火力も上がる。薄雲はともかく、朧は救うつもりなく殺すつもりで攻撃を繰り出し始めた。
もう殆ど無差別攻撃に近い。目の前の敵を殲滅するために、一切の躊躇なく全ての攻撃を放つ。
「ああもう、本当に雑なんですから。だから隙だらけなんですよ。私が姉さんをどれだけ見てきたと思うんですか」
叢雲の攻撃は基本大振り。怒りによりそれがさらに顕著になっている。それ故に、回避しながら鎖で主砲を操る薄雲には、その隙が手に取るようにわかる。現れた浮遊艤装が無意識のうちに薄雲の攻撃を弾き飛ばすものの、それはあくまでも自分を守るモノ。泥によるブーストがかかった今の薄雲には、何をされようともその全てが把握出来る。
元々の叢雲に対する想いを泥によって歪められた結果、それを叢雲の最も嫌がる方向に持っていくことが悦びとなっていた。故に、率先して叢雲の気に入らない手段を取り、言動全てが叢雲の癇に障るようになる。
「そんな大振りなら、潜ってくださいと言ってるようなものですよ。こんな風に」
巨大な槍を潜り抜け、戦艦並みとなった砲撃も華麗に回避し、雷撃ですらお構いなしに飛び越え、あっという間に叢雲の眼前へ。
朧ではここまで出来なかったが、叢雲のことを把握している薄雲であるため、ここまて軽々と接近している。それを見ると、朧は真っ先に薄雲を侵蝕して良かったと心の底から思った。
「このっ」
「だから、私には姉さんの行動はお見通しなんですよ」
相手が薄雲であろうがお構いなしに強烈な蹴りをお見舞いしようとするが、薄雲も見越していたかのようにサラリと回避。
「ほら」
そして、主砲を繋ぐ鎖を振り、叢雲を縛りつけた。その鎖にも泥が塗りたくられており、スーツを着ていなければこの時点で侵蝕が始まっていたが、叢雲は事前に対策をしているため、これだけでは侵蝕なんてされない。
しかし、縛られているということは身動きが取れず、力業でどうにか出来るようなことでもない。
「ナイスだよ薄雲。それじゃあ、こちら側に来てもらおうかな。薄雲、お願い」
それを見計らって朧がニードルガンを叢雲に放った。当然それは浮遊艤装が防ぐのだが、そちらに艤装が向かったために、薄雲がフリーに。これで、叢雲を守るものは無くなった。
叢雲を縛っている時点で薄雲は手が届くほどに近い。言ってしまえばやりたい放題だ。薄雲がやろうとすることを防ぐものは何もない。
「では叢雲姉さん、こちら側へ」
思い切り鎖を引っ張ることでスーツをズタズタにしながら泥を染み込ませた。肌は露わになり、鎖にへばりつく泥は叢雲の中へ。
「っく……っ」
「もうこうなったら終わりですよ。素直に快楽を享受して、気持ちよく私達と一緒になりましょう。姉さんはもう私達と同じような格好みたいなものですし、きっととても似合うでしょうね。さぁ、姉さん」
泥は次々と叢雲を侵蝕している。だが、叢雲はそれを歯を食いしばって耐えていた。いや、耐えるどころではなかった。一向に薄雲も体感したあの反応を見せようとしない。
「……え?」
そこに薄雲は疑問を持った。何故何も起きない。何故侵蝕されているように見えない。誰もが抵抗出来ないその侵蝕の、悪意の奔流を受け止めて、何の反応も見せない。
薄雲はその理由に見当がつく。つくはずなのだが、今の今まで忘れていた。姉のことのはずなのに、泥に侵蝕されたことで、その事実に。泥により植え付けられる慢心が、ここで作用した。
「この私が、叢雲が! こんなチャチな悪意にぃ! 呑み込まれるわけがないでしょうがぁ!」
ついには怒りの力を艤装ではなく自らに纏い、縛る鎖を内側から破壊してしまった。スーツはズタズタで肌も見えている。泥も吸収されている。だが、叢雲は正気を保ったまま。快楽を感じているようにも見えない。
それもそのはず、叢雲には
叢雲が深海棲艦となった理由は、魂の混成をされて間もない白露に殺されたこと。その時に僅かに泥が付着した状態で怒りが溢れ出し、そのまま繭となった。その影響で、艤装を展開している時のみ、泥に侵蝕された者と同様に通信妨害を引き起こす体質となってしまっている。
それはつまり、
「私の燃え滾る怒りの炎が、そんな泥程度なら吹っ飛ばすみたいね! だったら、アンタのそれにも触れていいってことよね!」
そして、最も近くにいる薄雲の胸ぐらを掴む。レオタードだけならば出来なかっただろうが、セーラー服まで着てくれているおかげで、しっかりと掴み、逃げられなくすることが出来た。
他の者がこれをやった場合、手から即座に侵蝕されてアウト。スーツを着ていればまだ何とかなるかもしれないが、それでも相当危険な行為。この場では叢雲にのみ許された行動である。
妹であろうと関係ない。瀕死にすれば救われるのだから、怒りに任せて瀕死にする。ただそれだけでいい。
「妹だろうがなんだろうが、容赦はしないわよ。もう知ったこっちゃないわ。救えたら救ってやるわよ!」
引き寄せて腹に膝を入れる。侵蝕が効かないとわかったことで薄雲は咄嗟に叢雲を殺す方向にシフトしようとしたが、それが間に合わず、その一撃をモロに喰らうことになる。
「っあっ!?」
「そら、泥でも吐いたらどうなのよ。痛い目を見たくないのなら、さっさと正気に戻りなさい。それまで私はアンタを殴り続ける」
膝蹴りの勢いで一度身体が離れるが、もう一度引き寄せて腹に膝を入れた。こんなことをしても吐き出すわけが無いのだが、理性の失われた叢雲にはそんなことは関係ない。
「アンタもよ!」
薄雲に攻撃をしながら、空いている手では槍を朧に向ける。溢れ続けて発散出来ない怒りを撒き散らすように槍を伸ばし、薄雲諸共叢雲を始末しようとしていた朧に対して激しい攻撃を繰り出した。
薄雲を利用しようとしているのに、いざこうなったら切り捨てようとしている朧が気に入らず、さらに怒りが増していることで槍は怒りを体現するように変形を始め、刃のみならず主砲までもが先端に生成されていた。
さながら、その武器はコロラドの持つ主砲の杖と近しいもの。なんだかんだ、コロラドのことを意識していたと言わざるを得ない武器。
「む、無茶苦茶すぎる……もしかして一番厄介なの、叢雲だったの……!?」
2人がかりでかかっても、怒り狂った叢雲には及ばない。侵蝕出来れば話は変わったのだろうが、それすらも効かないとなると、朧には打つ手が無かった。叢雲に対しては確実に上手になるはずの薄雲ですら、むしろそのせいで叢雲の力を底上げしてしまっているのだから。
「まぁ、それは仕方ないね。こちらは苦戦してるけど、あちらは……」
チラリと漣達の方に目を向ける。そして、小さく口角を吊り上げた。