鎮守府と保護施設の対談が無事に終了した翌日。施設では平和な一日がまた始まっていた。
リシュリューとコマンダン・テストの遠征はまだまだ先。それまでは施設内でみんなと同じように平和な日々を満喫するらしい。食事当番は飛行場姫と交代制を続け、その中でも他の面々に料理を教えたりなどもするとのこと。
春雨も憧れのリシュリューから料理を習えるということで、随分と張り切っていた。朝食の準備からそれは始まっており、ある程度出来るにしてもよりその技術は上がっていく。
「
「ありがとうございます。リシュリューさんにそう言ってもらえると嬉しいです」
料理の腕を褒められてご満悦な春雨。朝食のため、その料理自体は簡単かつ軽めなものではあるのだが、それでも基礎がしっかり出来ていないと味にバラつきが出てしまう。春雨はその辺りはしっかり出来ていたので、リシュリューも教えた甲斐があると大喜び。
その光景をダイニングから眺めているのは、薄雲とジェーナス。春雨がニコニコしながら朝食の準備をしている様子を見て、こちらはこちらでニヨニヨしていた。
「本当にお熱みたいだね、春雨ちゃん」
「いいことじゃない。あれでもっと寂しくなくなるわ」
春雨の壊れた心を癒すのは、こういう形での充実感。より一層寂しさから逃れられるのなら、誰だってそれを祝福するだろう。
誰もがその傷を知っていることで、思いやりの精神が艦娘の時以上に育まれている。
「仲良きことは美しきかな、ですね。私も見ていて楽しいです。生きているって、素晴らしい」
「Testeはこういう場が好きそうよね」
「Oui. みんなが仲良く暮らしていれば、誰もが死から遠ざかりますから」
生への執着がきっかけで深海棲艦化したコマンダン・テストとしては、こういう生を実感出来る時間が一番満たされる。同じように、リシュリューは戦闘から離れているこの時が、薄雲やジェーナスもみんなと一緒にこうやって楽しんでいる空間が最も落ち着ける。
このお料理教室のような調理風景は、ここにいる者には抜群の効果があった。朝ということで松竹姉妹と伊47はまだ起きてきていないが、あちらはあちらで最高の朝を迎えているため、全く問題がない。
「おはようみんな。あら、今日は春雨が朝食当番だったかしら」
飛行場姫もダイニングに現れる。既に朝の哨戒を済ませてきたようで、一仕事終えたと言わんばかりにドカッと所定の席に腰掛けた。示し合わせたかのようにコマンダン・テストがお茶を出し、ありがとうと礼を言いつつ一口。
「せっかくなので、リシュリューさんに教わっているんです。レパートリーが増えれば、私も同じように出来るかなって。2人はまた施設から出て遠征に行くことになりますし」
「あら、それは頼もしいわね。なら私も春雨に仕込んで行こうかしら。薄雲とジェーナスもどう?」
「私は大歓迎! お茶菓子以外もどんどん覚えていきたいわ!」
「私もお願いします。みんなとお料理なんて楽しそうですよね」
こうやってより繋がっていく。お互いがお互いの癒しとなり、発作を起こさないように毎日を過ごし、そしてさらに癒されていく。正しい連鎖を起こし続けて、幸せな一日を作っていくのである。
朝食の場、団欒の時間。中間棲姫は勿論のこと、松竹姉妹や伊47も集まる、おそらく1日のうちに3回しかない、全員勢揃いのタイミング。
鎮守府で行なわれるような朝礼は、この施設でも行なわれている。とはいえ、そこまで大それたものではなく、今日は何やろうか程度の軽い空気。
「今日は農作業をやろうと思うわぁ。誰かついてくる子はいる?」
「はい、はい! 種があるんですよね。でしたら私が!」
「春雨ちゃんは確定ねぇ。他には誰か」
「農作業っつったら、俺と松姉ぇだな。いつも通り手伝うぜ」
「そうね、なんだかんだで私達の仕事って感じだものね」
農作業はいつものメンバーと言ったところ。松竹姉妹はここにいる者のなかでも、中間棲姫に次ぐ農作業のスペシャリストになりつつあるため、募集をかけると必ずやることにはなっていた。薄雲やジェーナスもたまに参加するが、おおよそこれで人数が足りるので、大体はこのままでおしまい。
「その裏で私はまた漁をするわ。今回は沖に行くから、誰か小舟の曳航してほしいんだけど」
「なら私達の出番ね。妹姫、私と薄雲に任せてちょうだい!」
「ジェーナスちゃんの艤装なら安定感ありますし、そこに私もついていきますね。釣りは楽しいですし、妹姫さんのお話もまた聞きたいですし」
「ヨナも行きまーす。海底からのサポート、あった方がいいヨナ?」
「ええ、お願い。ヨナのおかげで大物が釣れるときもあるもの」
海に出るメンバーも大体決まっている。春雨が農作業に入ると、残りの2人は一緒に行動することになるため、必然的に2人して飛行場姫についていくことになる。そしてヨナも、海底散歩がてら大物をおびき寄せるという大役があるので、漁には大概参加。
「なら、RichelieuはCommandant Testeと休ませてもらおうかしらね。
「
そして、遠征組2人は今日は休息の日とした。食事当番として活動するまでにはまだ時間があるため、それまでは心を落ち着かせることに努めるとのこと。
「はい、それじゃあ今日の予定は決定ねぇ。昨日はちょっとバタバタしちゃったけど、今日からはまたいつも通りに戻るから、楽しく生きましょうねぇ」
楽しく生きる。こうなってしまったものは覆せないのだから、せめて今を楽しめるようにと、中間棲姫が掲げているモットーのようなものだ。
戦いから離れ、本来のお役目から離れ、それでも生きていくことは悪いことではないと言い聞かせるための苦肉の策だったりしたのだが、今ではそれが最も自分達にあっている言葉だと感じているため、毎日のようにこの言葉を言うようになっている。
これは『観測者』からの教えではない、中間棲姫自身が辿り着いた信念だ。それも良き成長と言えるだろう。
農作業をある程度終え、ふぅと一息吐いた春雨。言われていた通り、畑を耕して種を蒔くところからやらせてもらったことで、とても有意義な時間を過ごせたようだった。
初心者かもしれないが、中間棲姫も松竹姉妹も親身になって教え込み、たった半日で農作業の基礎を完全にマスターするまでに至っている。みんなの教え方がいいのか、春雨の吸収がいいのか。おそらくそのどちらもだろう。
「これがしばらくしたら収穫出来るんですよね」
「ええ、流石に明日明後日なんてことは無いけれど、1ヶ月から2ヶ月で成長するものなの。ここで過ごしていたらすぐよねぇ」
「そんなに早いんですね! もう今から楽しみです」
今日の春雨は、朝食の準備を手伝っているとき、朝食のときもそうだったが、やけにテンションが高い。中間棲姫とは違う方向でニコニコしており、それがまた空回りではなく全力で楽しんでいるように見える。まるでいろいろなしがらみから吹っ切れたかのような表情。
「なんだか妙に楽しんでるな春雨」
「本当に。今までの1週間と比べたら、大分違う気がするわ」
松竹姉妹が早速そこに触れる。誰が見ても今までと違うと感じたようで、中間棲姫はそこに触れるのを控えていたようだが、この姉妹はズケズケと切り込んでいく。
それが悪い方向に行くとは思えなかったので、中間棲姫もそれを止めようとはしなかった。
「あはは、そうかな、そうだね。なんだか気分がすごく楽になったからかな」
「楽に……って、今まで重かったのかよ」
「ううん、そういうことじゃないんだけどね」
農作業後で疲れた身体を伸ばしながら、それでも笑顔は崩さずに語る。
「私……その、やっぱり鎮守府のことが結構な未練だったんだ。この身体になって、妹達にも提督にももう会えないって思って。……姉さん達の死に際を伝えるってことも出来てないのにって」
あの時のことを思い出したために小さく震えたが、誰の支えが無くても崩れることはなかった。
「でも、一昨日みんなが来てくれて、海風がここに泊まってくれて……昨日は提督と顔を合わせることも出来たから、何というか、肩の荷が下りた感じなんだ。未練が無くなったってわけじゃないけど……でも、最期にやらなくちゃって思ってたことが、全部出来たからね」
その時は発作を起こしかけるくらいに必死で、でも全てを伝えることが出来たことで、春雨の気持ちは大きく澄み渡っていた。艦娘としての春雨が最期に残したことを実行出来たということで、未練が失われて晴々とした気分になっているらしい。
だからといって艦娘としての心が失われていくのかと言われればそうではなく、
「だから、次にまたみんなが来てくれる日が楽しみで、それまでは元気に楽しく生きていけそうだなって思ったら、なんだかハイになっちゃったみたい。それに、朝から楽しかったしね。リシュリューさんとのお料理とか」
「なるほどなぁ。いやぁ、それはなんだかわかる気がするぜ」
「次があるってわかってると、やっぱり楽しいわね。この畑もそれに繋がると思うわ」
今蒔いた種が育っていくところを見るのも楽しみになり、生きようと思える活力になる。
「それなら、もっともっとお野菜を育てなくちゃねぇ。それに、それ以外の花を育ててみるのもいいかもしれないわぁ。種から育って綺麗な花を咲かせるところを見たら、もっと嬉しくなっちゃうわよぉ」
「あ、確かにいいかもです! でもお花の種なんてありましたか?」
「今は無いけれど、また遠征の時にあったら手に入れてもらえばいいのよぉ。いつになるかはわからないけど、そういうことがやれるっていう気持ちがあれば、これからを楽しく生きていけるでしょう?」
小さくてもいいから目標を持っておくことで、これからの時間を楽しむことが出来るだろうと、中間棲姫はいろいろな案を出してくれる。花畑も作ってみようかとか、木とか生やすことが出来ないかとか、夢だけはいくらでも語れる。そんな話をしている最中も、春雨はずっと楽しそうだった。
「そりゃあ楽しみだ。松姉ぇ、俺達も野菜以外育ててみるのも悪くないんじゃね?」
「そうね。たまには実用性がない、ただ愛でるだけの花というのもいいかもしれないわ。見ていたら心が洗われるんでしょうね」
「違いねぇ。でも、俺には松姉ぇがいれば充分だぜ」
「竹……ふふ、私もよ。貴女がいるだけで私は楽しく生きていけるわ」
急にイチャコラ始める松竹姉妹に、春雨は顔を赤らめながらもニコニコしながら見守る。
共依存はお互いがいればもうそれだけで充分な状態だ。どんな作業でも2人でやれれば全てが楽しく、2人の時間を共有出来て心が満たされる。辛いことが無いといっても過言では無い。代わりに離れられないだけ。
そういう意味では、中間棲姫のモットーを最も忠実に守り続けているのは、この姉妹かもしれない。現に、ここ最近は発作らしい発作を起こしていないとのこと。常に2人1組でいればいいだけなので、リシュリューやコマンダン・テストよりも発作は起こさないのかもしれない。
「ふふふ、仲がいいのは良いことよねぇ」
「そうですね。本当に仲がいいです。なんだか見ていると顔が熱くなってきちゃいますけど」
「それだけ2人は親密ってことよぉ」
2人も春雨と同じように羞恥心の欠如があるからか、人前でもお構いなしにこういうことをやってしまうものの、そういうものであるという理解があるため、誰も何も思わない。まずいことは流石に中間棲姫や飛行場姫が止めるが、今くらいなら問題無しと判断されている。
「みんな楽しく生きることが出来ているみたいで、私は嬉しいわぁ。やっぱり、悲しいことは良くないもの。春雨ちゃんも、何か悩みがあるようならすぐに言ってね。悩まないようにする努力はしているけど、それでも不満があったりはするかもしれないものねぇ」
「了解です。でも、不満なんて1つも無いです。ここでの生活は本当に楽しくて。艦娘としての活動が出来なくなったことはちょっと悲しいですけど、やることがやれたので吹っ切れました。改めて、これからもよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。貴女のおかげで人間さんとの繋がりも出来たんだもの。感謝してるわぁ」
掲げられたモットーは、この施設にいる者全員に刻み込まれている。心が壊れ、感情の幾つかが欠落していようが、みんなで楽しく生きていく。それだけで、未来は明るいものとなっていくだろう。
未練だった鎮守府への報告が出来たことで、春雨は随分と気が楽になったようです。施設のモットー、楽しく生きるをより遂行するために、これからも面白おかしい毎日を過ごすことでしょう。
それが長く続けばいいんですがね。