空っぽの姫と溢れた艦娘   作:緋寺

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真紅の狂犬

 春雨はとても優しい艦娘だった。

 

 鎮守府では一度たりとも怒りを露わにしたことは無かったし、やんちゃな姉が無謀な突撃をしようとした時も、やんわりと叱る程度。苛立つということ自体が珍しいくらいの、非常に温厚な性格。

 それ故に、白露が率いる駆逐隊でも、高い実力を持ちながら前には出ず、サポートに徹することが出来た。冷静に戦況を把握することも出来るし、仲間の、姉の様子をしっかりとその目に焼き付けることも出来た。

 深海棲艦化してもその性格は失われておらず、施設の仲間達のために尽力した。酷い目に遭った者にはその手を差し伸べる。敵に利用されていただけの者に対しても、後腐れなど少しも感じていない。もう仲間なのだから、とやかく言う必要なんて無いのだから。

 

 しかしここ最近の戦いでは仲間を利用するという手段を使ってくる敵に対して、少なからず怒りと苛立ちを感じていた。ジェーナスの一件で、それは顕著に表れている。救うことが出来ても少しも嬉しくなく、ただただ怒りに震えることしか出来なかった。

 それでも、怒りを溢れさせた叢雲のような存在が施設にあるからこそ、苛立ったとしても自重が出来ていた。叢雲のように怒りと共に歩くことが出来ない者にとって、怒りはただ身を焼くだけのモノにしかならない。春雨はそれを理解していた。

 

 それが今、限界を超えようとしていた。春雨にとっては、溢れた寂しさを紛らわしてくれるくらいに大切な存在となった妹、海風。その海風が、敵の手にかかり、侵蝕され、取るはずのない行動を取らされたのだ。

 海風という存在が泥によって穢され、黒く染め上げられ、壊された。それだけでも春雨にとっては大きなショックだった。寂しさの発作が出てしまい、その場で震えて動けなくなる程に。

 その海風の姿はダメだった。本当にダメだった。ただ身内が利用されていただけではない。海風の想いを踏み躙ったことが、一番の理由となる。

 

 自分のことよりも仲間のことを想う優しい春雨の怒りのトリガーは、仲間の尊厳を踏み躙られること。それでもギリギリ踏みとどまっていたのだが、海風がそれに巻き込まれたことは、そのトリガーを引くに値することだった。

 

 

 

 

 そして、春雨の中で何かが切れた音がした。

 

 

 

 

「ふふふ、無言ということは、ここで殺されるということでいいんですよね。考えただけでも気持ち良くなっちゃいそうですよ。侵蝕されるよりも気持ちいいのかも。そんな快感を私のような新人が貰っちゃっていいんですかね?」

「好きにしていいっスよ〜。漣達の目的は、器の確保と辿り着く者の排除ですもん。侵蝕か殺すかすればいいから、好きにしちゃってくだせぇ」

「ですって。じゃあ、私が直々に殺してあげましょう。でも触ったら侵蝕しちゃうので、ゆっくりじっくり甚振って殺すことにしますね」

 

 右腕を刃に変形させる。これで身体をゆっくり刻み、悲鳴を聞きながら最後は命を奪おうと考えたようだ。その刃に泥が乗らないように注意しながらも、ニコニコしながら春雨に向けて構える。

 今までは春雨の辛そうな声なんて聞きたくないと言っていた海風が、想いを塗り潰された結果、一番聞きたくない声を聞きたがっていた。

 

「……? 姉さん、諦めて心が壊れちゃったんですか? 反応してくれないと困るんですけど」

 

 刃を突きつけられても俯いたままの春雨につまらなそうな声を上げる海風。苦しむ様子が近くで見たいと言わんばかりにしゃがみ込んでその表情を窺い見る。茫然とし、涙を流しながら虚ろな顔をしているのだろうと高を括っていた。自らの堕ちた姿をしっかり見せつけることで、さらに絶望を味わわせてやろうとニヤついた。

 

 しかし、ここで海風は春雨の様子がおかしいことに気付く。寂しさの発作を起こしているのはわかっているのに、知っている反応ではない。仲間がいないことに泣き叫び、ガタガタ震えているものだと思っていたのに、今の春雨は本当にピクリともしない。

 心が壊れたとしても、ここまで無反応なのは何かがおかしい。だからこそ、その表情を確認するために、刃を反して峰の方で顎を持ち上げようとした。

 

「……え?」

 

 だが、明らかにおかしなことが起きる。その刃が、春雨に触れそうになった瞬間に()()()()()()()()()。まるで異常な熱に当てられて金属が溶けるように。腕から離れた時点でそれは霧散し、海風の右腕は何も無い状態となる。

 艤装がそんな簡単に溶けるわけがない。海風の意思でならばそういうカタチにすることは出来るだろうが、当然ながら今の海風にそんなことをしようとする意思なんて無い。どういうわけか、()()()()()()()()

 

「な、なに……」

「海風、春雨の様子がおかしいわ。一度離れなさい」

 

 遠目に見ていた戦艦棲姫が海風を離れさせ、これならばと自身の生体艤装を嗾ける。海風の艤装が誤作動を起こしたのかもしれないが、生体艤装は戦艦棲姫の意思の通りに動く別の意思を持っている存在だ。勿論しっかり泥による侵蝕が行き届いているため、春雨に掴みかかることにも抵抗などなく突撃する。

 しかし、春雨に手を伸ばした時点でピタリと動きが止まった。海風の右腕のように溶け落ちるようなことはなかったが、急激に錆び付いたかのようにギシギシと音を立て始め、最終的には戦艦棲姫の意思すら受け付けずに機能停止。

 艤装自体の意思が失われてしまったかのように、うんともすんとも言わなくなったため、戦艦棲姫も理解が出来ず、一時的に艤装を消した後、自分の側に再展開。その時にはまた動くようになっていた。

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「何よコレ……どうなってるの」

「それじゃあ撃ってみりゃあいいんスよ。海風氏ー、やっちゃってくだち!」

「そうですね。近付いてダメなら撃って殺してしまいましょう。悲鳴が聞けないのはとても残念ですけれど、姉さんが悪いんですからね。そんな訳のわからない抵抗なんてするから、無惨に死ぬことになるんです。斬られていた方がカタチが残っていたのに、バカですねぇ」

 

 相変わらず言葉を並べながら、失われた腕を再生成した後に主砲も展開。漣の指示によって、海風は春雨の俯いている頭を狙って一切の躊躇なく砲撃を放った。

 しかし、頭を狙ったはずの砲撃は、まるで見当違いの場所へと飛んでいった。狙いを定めたはずなのに、いざ撃ってみたら照準が勝手にブレてしまった。

 海風が砲撃下手というわけではない。艦娘だった時も、深海棲艦となっても、狙った場所にはしっかり当てることが出来た。

 恐ろしいことに、そこから何度放っても全て外れた。まるで当たる気配が無い。

 

「え、な、なんで……」

「私が撃つわ」

 

 駆逐艦の主砲だからダメなのだろうと、戦艦棲姫が改めて主砲を構えた。威力も範囲も大きく変わるため、入念に狙いを定めれば絶対に被害が出せる。

 

 だが、今度は引き金が引けなかった。まるで、身体から攻撃の意思が抜け落ちてしまったかのような感覚。

 戦艦棲姫も混乱し始めていた。頭では殺意があっても、身体がその通りに動いてくれない。

 

「漣、魚雷使いなさいよ。あたしも同時にやる」

「接近戦と主砲がダメだからってこと? だったら漣にいい考えがある」

 

 漣と曙もあの春雨がどうなっているのかわからなかったが、ひとまず始末しなくてはいけないのは間違いないので、今度は魚雷を放つ。曙はまともな魚雷だが、漣は悪意の塊が格納された侵蝕の魚雷。

 そして、漣はどうせならと、春雨に直撃する前にお互いの魚雷を接触させて、爆風と侵蝕のどちらもを浴びせかけようと考えた。曙もそれに同意。どちらかが通用すればいい。

 

「少し離れた場所からやるべし。もしかしたら近いのがダメかもしんないかんね」

「ええ……何が起きてるかわからないけど、流石にこれで終わってもらわないと困るわ」

 

 戦艦棲姫よりも離れたところから、春雨を狙って魚雷を向ける。交差地点を春雨の少し手前にして、ギリギリ当たらないところで接触させて爆破させるつもりで。

 戦艦棲姫の時とは違い、離れたからか魚雷を放つことは出来た。予定通り、まっすぐ春雨の近くまで向かっていくが、その時。

 

「っ!?」

 

 2人してゾクリと嫌な悪寒を感じた。俯いていたはずの春雨が、顔を上げて2人をジロリと睨みつけていた。

 

 その瞳には、いつもの青白い光でも、辿り着く者の力を扱う時の白い輝きでもない。()()()()()()()()()()が宿っていた。

 

「睨んだところでもう遅いわよ! もう魚雷はそっち行ってんだから!」

「いや、これもしかしてまずいんじゃ……っ!?」

 

 曙はまだ理解していなかったが、漣が真っ先にまずいと思った瞬間だった。そこにいたはずの春雨が消えていた。

 やったことといえば、また脚を生やすことによる勢いによる跳躍。しかし、今までとは速度も精度も違っていた。

 

「っおぶっ!?」

 

 そして、春雨は漣の眼前におり、その拳は深々と漣の鳩尾に食い込んでいた。砲撃を放つわけでもなく、ただただ怒りを発散するために拳を叩き込んだ、言ってしまえば理性を持たないような攻撃。効率度外視で、その怒りを漣に知らしめるための、痛めつけるための一撃。

 

「漣!? で、でも、これであたしらのコスに触れたってことは……」

 

 泥で作られたコスチュームに触れたということは、それで侵蝕となるはず。曙も漣が痛い目を見たかもしれないが、本来の目的が達成出来ていると内心ほくそ笑んでいた。

 だが、この春雨は何もかもが違った。漣に深々と食い込ませた拳。その周囲のコスチュームだけは綺麗に吹き飛んでおり、春雨が泥を直に触ることはない。漣はただ殴られただけになっていた。

 

「な、なな、なんなんですか姉さん! 何が起きてるんですか!」

 

 敵対しているにもかかわらず、姉の変貌に驚きが隠せない海風。しかし、今の春雨にはその声が届いておらず、漣から少しだけ離れると、ジェーナスを救った時のように脚を向け、一瞬だけ脚を生やして蹴り飛ばした。

 当てた場所は胸ではなくまたもや鳩尾。これは()()()()()()()()()()である。心臓を一瞬止めることで身体に死を感じさせ泥を吐き出させる攻撃を、あえて()()()()()()()()()()()()ことで、ただ痛みを与えるのみとした。

 

「ぐぇっ!?」

「ちょ、アンタ何をっ!?」

 

 漣がやられたことで曙が主砲を構えた瞬間、戦艦棲姫が感じたものと同じ、殺意はあっても砲撃が出来ない状態に陥った。身体と心が剥離したかのような感覚に、疑問と同時に恐怖が湧き上がる。

 

「な、何よこれ、何よこれ!?」

「すぐに離れなさい! この春雨、何かがおかしい!」

 

 春雨の存在を少なくとも曙よりは知っている戦艦棲姫も、今の春雨の姿に冷や汗が流れ始めていた。

 

 しかし、戦艦棲姫の言葉に反応する前に、春雨は曙の横腹を蹴り飛ばしていた。先程の漣の時と同じように、触れる直前にその位置のコスチュームだけは消滅し、直に触れられることでダメージを入れられている。

 

「っぐぅっ!?」

「止まりなさい春雨! それ以上はやらせな……っ」

 

 曙を吹っ飛ばした後は、次はお前だと言わんばかりに戦艦棲姫に目を向ける春雨。その瞳に宿る憤怒の焔はさらに燃え上がり、戦艦棲姫に恐怖を植え付ける。

 冷や汗はさらに増えるが、心は悪意に侵蝕されているため、春雨相手にも臆することなく敵対の意思を見せ続ける。卑怯なことをすることにも抵抗など一切無いのだが、何をしたらいいのかを瞬時には判断出来ない。

 

「海風、来なさい! ()()はここで始末しないとまずい!」

「は、はい! 姉さんを一番知るのは私ですから、私が確実に始末します! 甚振るとか言ってられません!」

 

 そんな言葉が耳に入ったことで、春雨の中の怒りはさらに燃え上がった。理性を失うほどの怒りは確実に春雨から溢れ出す。

 

 そして、それは()()()()()()()

 

「え、ね、姉さん……!?」

 

 海風の目に入ったのは、春雨の手の甲。ドロリと泥が溢れ出していた。感情が溢れ出した時に体外に溢れ出す泥。海風にだって経験があるそれが、春雨に発生していた。

 しかし、その泥は感情が溢れて繭となったもののそれとは違う、()()()()()()()。もうコレは泥とは言えない。怒りをカタチとした()()()と表現するべきだった。

 

 それは本来おかしい。艦娘の感情が溢れた時に泥が溢れ、それが繭となり深海棲艦と化す。ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()、一体どうなるというのか。

 

「何が、起きようとしているの……」

 

 戦艦棲姫も春雨の威圧に対して身体が動かなくなっていた。そもそも、春雨に対して攻撃が通用しない。艤装を嗾けても無意味となり、海風の右腕も反応しなくなる。砲撃も勝手に照準が合わなくなるか、そもそも撃つことすら出来なくなる。

 

「何よアレ……わけがわかんないわよ!」

 

 ダメージから僅かに回復した漣と曙が復帰し、戦艦棲姫の隣にふらふらと移動してきた。しかし、春雨の姿に驚愕していた。

 

「……狂犬……」

 

 それを見た漣が呟いた言葉が、狂犬。白露型の代名詞となりつつあるその言葉を、それを知らずとも口にした。

 

「っ、あっ、あぁあああアアあああアァアアアッ!」

 

 吠えるように叫ぶ。力を解き放つように、怒りを晴らすように。そして、春雨にさらなる変化が発生した。手の甲から発生したマグマが春雨を包み込んでいく。繭になっていくわけでは無いのだが、全てを包み込んだ後、強く手を振るったことで、生まれ変わったかのように泥が消え去る。

 中から現れた春雨は、先程とは違う雰囲気を持っていた。深海棲艦のままではあるし、脚が生えているわけではない。何もかもが違う。

 

 展開された艤装は、今までと似ても似つかない程に軽装だった。代わりにやたらと目立つように生まれたのが、犬の耳のような電探の艤装と、尻尾のような基部。

 そして、制服すらも変化し、マグマが纏わりついたことによって真紅に染まる。元々露出は高い方だったが、より動きやすくなるためか、セーラー服部分は肌に張り付き水着のように、スカートはショートパンツ状へと変化。

 

 もう、見た目からして狂犬と言えるような存在となってしまった。

 

「あんなの、あんなの知らない、データとかそういう問題じゃない、なんなのアレ!?」

 

 漣も錯乱。深海棲艦ではあるのだが、もう深海棲艦に見えないくらいの変貌を見せた春雨に、恐怖しか感じていないようだった。

 

 

 

 

 春雨をこんなカタチに変えたのは、紛れもなく自分達だというのに。

 

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