空っぽの姫と溢れた艦娘   作:緋寺

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怒りの理解者

 怒りに呑まれ、理性を失い、泥ではなくマグマが手の甲から溢れ出した春雨は、漣達の目の前で真紅の狂犬へと変貌した。艤装も犬のようになり、近接戦闘を行いやすくするように軽装となった春雨は、その瞳に憤怒の焔を宿して敵を見据える。

 最初の照準は、この中でも最も罪深い者としての認識が強い、漣。そもそもこの場にいなければ、こんなことにはならなかった、最も忌むべき存在。一撃入れただけでは止まらない。

 

「あぁアッ!」

 

 もう言葉まで失ってしまったかのように、吠えながら突撃。脚を生やした勢いを使った突撃。春雨が近付くだけで、身に纏う悪意の塊は蒸発するように消え去り、攻撃も出来ないために回避するしかなくなる。

 海風と戦艦棲姫は、泥製のコスチュームはもう無駄だと、通常の艤装を展開する感覚で同じ衣装を用意するが、漣と曙は堪ったものではない。艦娘は制服を作り出すことは出来ないのだから、消されては再生してと泥を纏うしか無いのである。

 

「近付かれたらブーストかかんない! ぼの、ちょい離れよ!」

「わかってるわよ! コレ無かったら、あたし達に勝ち目なんて無いようなもんじゃない!」

 

 そもそもがドロップ艦であり、泥による強引なブーストとコスチュームによる強化でようやく上から叩けるという状態である2人には、今の春雨は天敵中の天敵。近付かれた時点でブーストが利かなくなるため、ただのドロップ艦に戻るようなものであるため、逆立ちしても勝てないようなものである。

 逆に海風と戦艦棲姫は、どうあっても力が下がることはないのだが、春雨がこうなっているという事実によって戦いづらくなっていた。悪意の塊に支配され、春雨のことを敵として認識していても、この変貌は錯乱を招く。そして、恐怖すら植え付けられてしまっていた。

 

「これなら、止められるかしら!」

 

 狙われた漣の目の前に移動した戦艦棲姫が、春雨の突撃を止めるためにギリギリのところで艤装を展開。近付こうとしたら機能停止するというのなら、進路上に置いておけば壁にはなるはずと。

 泥に支配されたことによって、あれだけいい相棒として協力していた生体艤装も、今の戦艦棲姫にとってはただの手段であり道具。そんな使い方をしてきたことに、春雨はさらに怒りが増す。

 

 戦艦棲姫をそうしたのは、泥を持ち込んだ者達のせい。実際に撃ち込んだのは朧かもしれないが、春雨には目の前にいる漣が原因としていた。故に、真っ先に殺すべき存在として狙い続ける。

 

「アあっ、あぁアアぁあっ!」

 

 進路妨害をする生体艤装などモノともせず、春雨が触れることなく脚がドロリと溶け出した。巨体が支えきれなくなり、その場に倒れ伏してしまう。

 

「なんなのよそれ……! どこまで艤装に干渉してくるの!?」

 

 春雨がそんなことを突然出来るようになった理由なんて、少し考えればわかること。先程の紅い泥、マグマ。あれが全てを狂わせている。

 

 しかし、それ以上考える余裕なんて全く与えられず、それこそ全てを呑み込むマグマのように直進し、漣の喉に手を伸ばす。

 掴まれたら終わり。振り払うことも出来ず、存在そのものを艤装のように溶かされるか、そんなことすら出来ずに首を折られて絶命か。どう転んでも命は無い。

 

「ひっ……!?」

 

 力も発揮出来ず、ただのドロップ艦になった漣には、この真紅の狂犬はただただ恐怖の対象にしかならない。殆ど素に戻って小さく悲鳴を上げた。

 それが春雨にはまた気に入らなかった。仲間達を弄び、上から目線で嘲り、海風を壊したというのに、いざ自分がやられる立場になった途端にこの態度。自分が被害者のような態度。許せない。許せない。許せない。

 そんな気持ちが次から次へと湧き上がり、怒りに怒りが積み重なり、春雨は余計に正気からは程遠い場所へと誘われる。

 

「やらせませんよ、姉さん!」

 

 漣に手を伸ばしたタイミングを見計らって、海風が突撃。厳しいとは思いながらも、艤装が機能しなくなるならと、自らの身体をぶつけにいった。

 春雨は艤装のフル装備だが、海風の艤装はまともに動かなくなるため、体当たりですら殆ど意味がない。しかし、漣が死ぬことは無くなるだろう。そうすれば、また何かしらの策を練られるはず。

 

「アァ!?」

 

 しかし、春雨は怒りに呑まれ理性を失っていても、考えることが出来ないわけではない。海風の体当たりに即座に反応し、漣ではなく海風に目を向ける。

 その瞳は、海風ですら怯んでしまう程に怒りに燃えており、真紅の焔に対しては、悪意に呑まれているにもかかわらず、()()()とすら感じてしまった。

 そのせいで体当たりが途中で失速してしまう。しかし、漣を守ろうと手だけは伸ばしたため、春雨の腕を掴むことは出来た。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っあ、あぁっ!?」

 

 突然、掌が焼けたのではと感じるほどの熱を感じた。だが実際は焼けているわけではない。海風の中に巣くう泥を、コスチュームのように蒸発させているのだ。水分が気化するということは、それ相応の熱が発生する。実際に熱くなくても、傷ひとつつかずとも、海風はその瞬間を『熱い』と感じることになった。

 しかし、体内の泥は常に増殖を続けている。そしてそのたびに蒸発し、熱を発生する。全ての泥が即座に消えてしまえば、海風は解放されると同時に侵蝕も終わるのだろうが、なまじ増殖を続けるせいで海風は無限に苦しむことになる。

 悪意からは脱却出来ず、愛する姉に牙を剥き続け、しかしそれから解放されることはない。そこからの解放は、死、もしくは死に至るダメージを受けることによる泥の自発的な排出のみ。

 

 春雨の怒りの焔は止まらない。海風が苦しんでいても、止まらない。

 

「そ、そのまま押さえてなさい! アンタ諸共……!」

 

 ここで曙が最悪の手段に打って出る。艤装も砲撃も効かなかったが、魚雷だけは回避したことから、あの爆発だけはどうにも出来ないのだと判断した。

 それ故に、艤装が不具合を起こす範囲より外から魚雷を放ち、()()()()春雨を始末しようと画策した。どんな手段をとったとしても、春雨だけはここで始末しなくてはならないと、悪意に呑まれているために抵抗など一切なしにその手段を行使した。

 

「あぁアアっ! アアアぁあぁぁアアッ!」

 

 だが、今の春雨にそれが通用するわけがなかった。軽装になったところで、他の兵装が使えないわけではない。海風に掴まれている腕とは逆の腕に主砲を展開し、爆発の影響が自分に及ぶ前に爆砕し、無傷で魚雷すら乗り切る。

 

 こうなると、ここにいる者達では手も足も出ないということになるだろう。ここまで人数差が出来ているのに。

 ならばと、恐怖でビクビク震えながらも漣はこことは別の戦場に目を向ける。

 

「ボーロ! まずいことになった!」

 

 未だに叢雲との戦いに手を焼いている朧に声をかけた。

 

 

 

 

 あちらはあちらで、泥による侵蝕が全く効かないという特性を十全に使いながら、叢雲が怒りのままに暴れ回っていた。

 薄雲の胸倉を掴んだままでは足りないと、強引に引き寄せて首根っこを掴み、もう片方の手では槍を振り回しながらその先端に備え付けられた主砲を乱射。朧もこれには近付くことが出来ず、手をこまねいていた。

 

 そんな中、漣の声が聞こえたことでチラリとそちらに目をやる朧。そこで起きていた惨状を見て、目を見開いた。

 海風と戦艦棲姫を自陣に取り込めたことは良かったのだが、それ以上に暴走している春雨の姿が目に入る。誰の攻撃も通用せず、触れれば侵蝕出来るはずなのにそれすら効かない。攻撃は上手くいかなくなり、魚雷は事前に爆破。

 

 数的優位をひっくり返した結果、天敵を目覚めさせてしまったようなものである。

 

「……叢雲、朧がこんなこと言うのはアレだけど、()()()()()()()?」

 

 ここで朧がとんでもないことを言い出した。怒りによって理性を失っている叢雲にそんなことを言ったら、火に油を注ぐのみである。

 

「何巫山戯たこと言ってんのよ! 誰が休戦なんてするか! 薄雲、アンタもそんな甘っちょろいこと言わないわよね。負けそうだから戦いをやめようだなんて」

 

 問いかけても、薄雲はぐったりしていて反応が弱い。膝蹴りに加えて首まで絞められているのだから、いくら泥でブーストがかかっていようとも滅多打ちにされてこうならない方がおかしかった。

 それでも瀕死にはまだ遠いため、自主的に泥を吐き出すことはない。反撃の機会を窺いながらも、それをすることが出来ずに体力だけを持っていかれている。

 

 だが、朧は続ける。

 

「そっちにも問題が起きてる。春雨、アレでいいの?」

「あぁん? そう言って私の視線をアンタから外してる間に不意打ち仕掛けるつもりでしょうが! 小賢しいことしてないで黙って死ね!」

「じゃあ攻撃しない。誓う」

「信用出来るわけないでしょ! 今までの自分の行いを省みて後悔してから死ね!」

 

 叢雲は今、確実に有利な状況である。その状態で休戦だなんて、叢雲が許すはずがなかった。そもそも逆の立場ならば、朧は休戦を受け入れるかという話だ。そんな都合のいい話、あるわけがない。

 それ故に、叢雲が朧の言葉を聞き入れるわけがないのだ。何をどう言われようと、動揺を誘ってその隙に殺そうとしてくると考えるのは当然のこと。

 

「じゃあいい。朧は叢雲と戦ってる暇が無くなったから。薄雲と遊んでおいて」

「逃がすかぁ!」

 

 この戦場から離れようとする朧を逃がすわけもなく、槍をさらに巨大化させて振り回し、この場から離れないように攻撃を放つ。大振りであるため、どうしても攻撃は当たりにくいものの、同時に砲撃を重ねたりしているため、朧を追い詰めることは可能。

 

「ああもう、話くらい聞いてもいいんじゃないの」

「煩い! こちらの話を聞かない奴の話なんて誰が聞くか!」

「うん、ごもっとも。何も言い返せないや」

 

 そうしている間にも、首を掴まれている薄雲はぐったりしつつも朧が指し示す方を確認し、敵対しているにしても春雨の暴走が目に入った。

 

「ね、姉さん……」

「黙ってろ薄雲! まだ蹴られ足りないか!」

「お、朧ちゃんの言うこと、本当です……春雨ちゃんが、とんでもないことに……」

「泥に呑まれてる時点で、アンタの言葉も信用出来ないわよ!」

 

 またもや薄雲の腹に膝を入れる。もう何発目かもわからない攻撃に、薄雲は反撃すら出来ずにゼエゼエと言い出した。消耗しているし、今の薄雲には叢雲は殺すべき相手ではあるのだが、春雨の状況を無理矢理にでも見せるべきであると判断し、力を振り絞って叢雲の手を振り払う。叢雲も長く薄雲を掴んでいたため、若干汗ばんでいたか、全力の抵抗で滑って手を離してしまった。

 朧をこの場所から漣達の下へと行かせようというのが本来の目的ではあるのだが、あれはもうどうこう言っている場合ではない。目にしたことで、朧が休戦を訴えた理由もわかる。

 

「いいから、あっちを見てください……!」

 

 なんとか視線を春雨にやらせようと、叢雲の攻撃を回避しながら位置をうまく立ち回る。そうすれば、自然とあちらの大惨事が視界に入るはずであると信じて。

 怒り狂って何も見えていない状態ということはない。それは叢雲のことを最も知っている薄雲は把握している。故に、ここは叢雲をコントロールするように上手く戦っていた。

 

 結果、叢雲の視界に春雨が引き起こしている光景が入った。

 海風と戦艦棲姫が侵蝕されていることにも苛立ちを感じていたが、それ以上に春雨の変貌に驚いた。朧の休戦の申し込みの理由は理性を失っていても理解出来た。あの春雨はもう、敵味方関係なしに暴れる第三軍。侵蝕されているとはいえ、最愛の妹であろう海風にすら躊躇なく容赦なく死を振りまく存在と化している。

 

「わかりましたか。私達はもう敵同士ですが、アレはそんなこと言っている場合じゃないでしょう」

「……そうね。ちょっと冷静になりかけてきたわ。でもね、薄雲」

 

 槍を突きつける。

 

「その隙を見て、私に春雨を押しつけて全員丸ごと逃げ果せようとするんじゃないの!?」

「誰がそんなことをすると言いましたか!」

「今のアンタ達はそれだけ信用出来ないクズじゃない! この私が、叢雲が、休戦に応じると思ってるのか!」

「こっちも殺されかねないのに、何言ってるんですか姉さんは!」

「こういう時に妹らしさを出してくるんじゃないわよ! 私以外が全員敵ってだけ! アンタも含めて、数は泥共の方が多い時点で信用出来るか!」

 

 薄雲も叢雲のこの言葉には口を噤まざるを得なかった。心の奥底を読み取られたような感覚。

 叢雲に押しつけて撤退は、口にも顔にも出さないようにしていたが、泥に侵蝕されていた者全員が思いついていたこと。特に漣は、どんな手段を用いても自分だけは拠点に戻ろうと思っていたくらいだ。

 泥のせいでそれほどまでにゲスにされている。薄雲や、海風、戦艦棲姫までもが。

 

「後退以外は見逃してやるから、ほら、春雨を止めに行きなさい。どうしたの、やっぱりアンタ、私をハメようとしてるわけ? だったら容赦しない。ここで皆殺しにしてやる。それが嫌ならさっさと行け。アンタ達が全滅したことを見届けてから、私が春雨を止めに行く。ほら、行きなさいよ!」

 

 薄雲も朧も、侵蝕が効かず怒りが無限の力を発揮する叢雲にはもう勝てないと理解していた。ブーストがかかっていても、叢雲のブーストには足元にも及ばない。

 この場を切り抜けるためなら、この叢雲の指示を聞くしかない。逃げ道すら封じられている。逃げようとした時点で叢雲があらゆる手段を用いて殺しにかかってくるだろう。二手に分かれても、それでさらに怒りを増して。

 

 朧もここで覚悟を決めた。

 

「薄雲、叢雲に見張ってもらった状態であちら側の戦場に向かう。正直なところ、もう叢雲には勝てない。でも、むざむざ死ぬわけにもいかない。撤退するなら、仲間も連れて帰りたいから。見逃してもらえるのなら、この機会を使って仲間を救う」

「絶対逃がさないから覚悟しなさい。あっちが終わったら殺してやるから。アンタ達は、私の恩恵で命が延ばされているだけよ」

 

 薄雲に合図をして、朧は春雨を止めるために突撃を始めた。薄雲は苦い顔を見せつつ、叢雲を睨み付ける。

 

「何睨んでんのよ。逆の立場で、私がアンタ達に休戦を申し込んだらどうする。ここぞとばかりに私を殺しに来るでしょうが。アンタ達がやってよくて、私がやっちゃいけない理由を納得出来るように言ってみなさい。別にあの朧を後ろから刺し貫いてもいいのよ」

 

 薄雲は何も言い返せない。今回ばかりは、怒りに呑み込まれていても、叢雲が全面的に正しい。泥による侵蝕で妹であることすら利用しようとしていたのだが、叢雲には何も通用しない。今だって薄雲の喉元に槍を突きつけているほどなのだ。

 結局、薄雲は小さく舌打ちをして朧に続いた。今はもう叢雲がどうだと言っている余裕なんて無かった。

 

 

 

 

「……ったく。まぁ、春雨がああなるのもわからなくもないわ。海風がああなったらブチギレても仕方ないもの。私だって薄雲がああなってるのを見ていると、ムカムカして仕方ないんだから。でもアイツ……多分()()()()()()()()のよね」

 

 怒りに最も理解のある叢雲には、春雨の怒りは手に取るようにわかる。そして、同情も出来た。暴れたいなら暴れ続けろと、むしろ応援する程に。

 それ故に、叢雲はあの戦場からあわよくば逃げ出そうと考えている者がいないかを監視する。自分達で引き起こした惨劇から逃げるなと。

 

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