「春雨を取り戻しに馳せ参じた。力を貸そう」
戦場に現れたのは『観測者』。春雨の暴走を止めるために、中立を謳う者達が戦いに参戦した。
今最優先なのは、敵を倒すことではなく暴走する春雨を止めること。正気であるのは泥が効かない叢雲と、春雨の謎の力によって正気を取り戻した海風のみ。しかし、叢雲は漣達がこの戦場から逃げ出さないように監視を続けており、無理矢理にでも春雨を食い止めるように後ろから脅しており、海風は正気を取り戻すまでに激しく消耗をしているために立ち上がることも難しい。
故に、春雨を止めるのは、『観測者』が連れてきた道化が引き受ける。怒りが溢れ続け、その身を滅ぼさんと自らの身体を変え続けている春雨を止めなくては、最悪その焔で自滅しかねない。ただでさえ、今は両腕を装甲で包み込み、そのまま義腕へと変えてしまいそうなのだから、時間がない。
「頼んだよ、道化達」
ビシッと敬礼をした後、吹っ飛ばされても当たり前のように着水した春雨に向かっていく。
その春雨は『観測者』や道化達の姿を目にしても正気に戻ることはなく、溢れて止まらない怒りに翻弄されながらも暴走を続ける。近付くものは全て敵。認識も出来ずに道化達を相手取るためにその姿を睨みつけた。
「アレをされると、身体が動かなく……」
「大丈夫、見ていたまえ」
春雨に睨まれてもケラケラ笑いながら突撃を続ける道化達。海風も体験しているそれは、あの時点で身体が一切動かなくなるというものだったが、道化達にその兆候は見られない。むしろ、まるで躊躇なく近付き、春雨に対して猛攻を仕掛ける。
道化は2人とも主砲や魚雷のような殺傷能力を持つ攻撃方法を行使しない。使うのはその身体のみ。拳と脚だけで、あの春雨をどうにかするつもりのようだ。
「あぁああぁアアアッ!」
向かってくる道化達を破壊しようと、装甲に包まれ義腕となりかけている腕を突き出し、両腕共に主砲を展開。駆逐艦のそれとはひと回りは大きくなっているそれを容赦なく放った。
二度も面識がある道化に対しても、全く躊躇が無かった時点で、春雨はもう目の前のことすら認識出来ていない。見た目と同様に、狂犬、
だが、道化達はまるで怯むことなく突っ込む。乱射されてもそれを当たり前のようにすり抜け、軽くステップを踏みながら2人揃って春雨の腕を掴んだ。
「アァアッ!?」
そして、腕を破壊するでもなく同時に絞めあげ、バックドロップの要領で持ち上げながらも脳天から海面に叩きつける。突き刺さったかのように春雨の頭だけが海中へと潜ることになるが、春雨もそんな簡単に終わるわけもなく、それを軸に身体を回転させることで道化達を振り払った。
「ッアァア、ぁあああアァアアアあっ!」
すぐに立ち上がり、両腕の装甲を鉤爪のように変形させた。こうなってしまったら本当に本能のままに破壊を齎す獣。
怒りが溢れ続ける限り、春雨が正気に戻ることはない。力も増す一方なのだが、道化達はまるで影響を受けることなく、まるで演劇でもするかのように手を繋いでポーズを取る。その名の通りの道化。しかし、これは遊んでいるわけではない。道化達の戦闘のスタイルである。
道化達の特性は、その名の通り
辿り着く道を見出す春雨にとっては、天敵とも言える特性。道化達とは特別な力も何もなく、ただ実力勝負以外が出来ない。
「アァアああっ!」
本能的に道化達に襲い掛かる春雨だが、片方の道化が何処から取り出したのか赤い布をヒラヒラと舞わせた。闘牛か何かと設定付けて遊んでいるようにも見えるが、その実、本人達は至って真剣である。こうしなければ春雨が止められないから、周囲には奇異の目で見られようと関係なしに、戦場のど真ん中でも遊び続ける。
そしてそれは、確実に春雨を追い詰めることになる。赤い布でハラリとすり抜けられたかと思いきや、もう片方の道化が春雨の腹に思い切り蹴りを入れた。春雨自身の勢いもあるので、衝撃は相当なモノ。海面を滑るように吹っ飛ばされ、またもや水浸しにされる。
頻繁に春雨を濡らしに行っているのは、道化達なりに春雨に『頭を冷やせ』と言っているようなものである。言葉を発しない分、行動でそれを示し続ける。
しかし、春雨の怒りは止まらない。もう、両腕は殆ど燃え尽きてしまっていた。
「あ、あれ何なのさ……また知らないのが出てきたんだけど」
そんな道化達の戦闘に乱入することも出来ず、ガタガタ震えている漣。あまりにも激しい戦いであるため、近付いたら巻き込まれて死ぬかもしれないと思うと、もう春雨の力の範囲外にいるにもかかわらず身体が動かなかった。
隣の曙も同じ。震えているわけではないにしろ、緊張感から身体が動かない。いや、動かそうとはしているのだが、春雨とは別の方、後ろで睨みを利かせる叢雲のせいで、次の行動を選べずにいた。
「どうすんのよ。どちらにもいけないわよ」
「逃げられないし、あんな戦いに加わることは朧達には出来ないね」
朧も動けない、いや、動かない。実際はこのタイミングで撤退がベストだろう。道化達が勝手に現れて春雨を引きつけてくれているのだから、そちらに任せて被害が出ないようにするべき。
しかし、叢雲がいるために撤退は不可能。責任を取れと常に槍を突きつけている状態であり、おそらくこの3人は全員がかりで戦っても叢雲に皆殺しにされるだろう。
「む、叢雲氏ー、質問いいっスか」
「あぁん?」
「あの男性はどちら様ですかね」
どうせならと、叢雲相手に情報収集を始めた漣。怖いもの知らずすぎるだろと曙は驚いたが、今出来ることなんてそれくらいしかないので黙って見守っていた。
「アンタが知る必要は無いわよ。でも、動かないのは正解ね。私もアレには関わらない。邪魔になりそうだもの」
「そ、そっスかー」
「次、余計なことを口にしたらその腕を捥ぐ」
「ウス」
叢雲にももう逆らえない。怒りに呑まれつつも、あの春雨の姿を見たことによって冷静さを取り戻したことにより、正しくこの戦況を把握することが出来ていた。あの場に割って入ることは出来ない。邪魔になってしまったら、救われるものも救われないだろう。
薄雲は敵としての認識が出来ているが、春雨に対しては敵ではなく怒りに呑まれた同類、かつ、救われてもらいたい存在としての認識になっているため、満を持して出てきた『観測者』ならばどうにかしてくれると信じて、今はこの惨事を引き起こした3人のドロップ艦共をここに縛り付けることに専念した。
こういう時に恐怖を使い圧力をかけ続けることに何の抵抗もない。狡猾な敵に対しては、何をしてもいいのだと、叢雲は怒りを増幅させながらも春雨の戦いを見守る。
「さっきは行けっつったのに、今は行くなとか、言うことコロコロ変えんじゃないわよ」
曙が愚痴った瞬間、叢雲の槍が曙が腕を捥ぐために振り下ろされる。本当にやると思っていなかったのか、ギョッとした顔で曙は艤装で何とか受け止めた。
「っの、マジでやるバカが何処にいるのよ!」
「バカはアンタよ。余計なことを口にするなと言ったばかりよね。アンタ、脳味噌足りてないんじゃないの? ゴミでも多少は考える力養いなさい。だから負けんのよクズ」
「言わせておけば……っ」
今は下手に出た方がいいと漣と朧は判断しており、曙を何とか宥める。ここで曙を犠牲にして撤退というのも考えたものの、この叢雲ならば容赦なく殺しに来るだろう。おそらく逃げられない。今止まっていてくれるだけでも有情。
ならば、もっと逃げやすいタイミングを狙った方がいい。例えば、春雨が道化達に正気に戻されたところとか。叢雲の気が抜ける瞬間を狙おうと画策していた、
「では、道化達に春雨を任せているうちに、私も一仕事……いや、二仕事をさせてもらおうか」
そして『観測者』は、ただ道化達の戦いを見守るのみでは無い。2人には出来ないことを今のうちにやっておこうと行動に移す。その視線の先には、未だ侵蝕され乱入の機会を窺っている戦艦棲姫。
今の春雨に近付いた時点で艤装は溶け、機能を停止してしまう。しかし、遠くから砲撃を放つと道化に照準を合わせているところに自分が狙われ始める可能性もある。
侵蝕により他の者達と同様に打算的な性格が植え付けられてしまっている戦艦棲姫としては、なるべくならば楽して春雨を始末したいと考える。そうなると、今の漣達と同様に、道化達との戦いが終わった直後を狙うというのがベスト。
ここであえて叢雲に立ち向かって漣達を逃がすという考えに向かわない。戦艦棲姫自身は拠点の位置を知らないため、道案内のために漣達も無事に助からないといけないのだが、怒りに満ち溢れた叢雲相手では、戦艦棲姫もタダでは済まないと理解しているからだろう。4人がかりでも勝てるかわからない。
「君は春雨の仲間だろう。そのままでは中立ではなく、摂理に反する」
迷いが出ている内に、『観測者』は戦艦棲姫の眼前に立っていた。今まで隣にいた海風ですら、『観測者』がいつの間にあちら側に向かったのかがわからなかった。
「なっ」
「君達には話していたが、私は侵蝕された者を解放することくらいは出来るつもりだ。剪定を任されているからね。失礼」
そして、手に持つ杖を戦艦棲姫に向けた瞬間、タンッと小気味良い音が鳴り響いた。
これは春雨がジェーナスに対して繰り出した、一瞬だけ心臓を止める技と同じ。『観測者』としては、女性に対してこのような手段しかないことを申し訳ないと思いつつも、こうしなくては元に戻すことは出来ないためな仕方なく実行した。
「な、っあ、うぶ……っ!?」
その一撃だけで、戦艦棲姫は口を押さえたかと思うと、体内にどれだけ入っていたのかと思えるほどの量の泥を吐き出した。
海風はジェーナスの時のそれを知っているため、戦艦棲姫のこの反応を見たことで、自分と同じように解放されたのだと理解。海面に吐き出された泥は、正気に戻った戦艦棲姫が即座に砲撃で霧散させる。それはまるで、八つ当たりするかのように全力で放っており、それ相応の水柱も立つことになる。
「……ああ、もう! 本当に気分が悪いわ!」
すぐさまいつもの服装に戻った後、今までの言動を鑑みて激しく苛立った。同時に展開した生体艤装も、何処かシュンと落ち込んでいるように見える。
「すまないが、彼女の側にいてあげてもらえないだろうか」
「ええ、感謝するわ。あのままだったら、私、妹姫に小っ恥ずかしい姿を見せることになってたもの」
『観測者』に礼を言い、すぐに海風の側に。消耗しきり、立ち上がることもままならないため、いざ春雨と道化達の戦いに巻き込まれてしまった場合、何も出来ずに沈んでしまう可能性もある。
今ならば、艤装も本体も十全に動けるため、海風1人を守るくらいは余裕で出来た。精神的に申し訳なさが先立つが。
「その……本当にごめんなさいね。あんなことをしてしまって」
「い、いえ……大丈夫……です。戦艦様も操られていただけですから……でも、でも、春雨姉さんは私のせいで……私の声も届かないくらいに……」
「貴女も気にしないように……と言っても難しいわね。少なくとも、今はあの子が元に戻ることを祈りましょう」
「……はい」
戦艦棲姫が隣に来てくれたことで安心は出来たが、その分何でこんなことをやってしまったのかという絶望の発作が頭を擡げる。自分のせいで春雨がという自己嫌悪も加わるため、海風は消耗している分も含めてガタガタと震え始めてしまう。
「君もだ。叢雲のためにも、元に戻りたまえ」
気付かぬ内に今度は薄雲の側へと来ていた『観測者』。元々叢雲に消耗させられていたところに、さらに春雨にやられたことで立ち上がることも出来ない薄雲を寝かせると、戦艦棲姫と同じように胸を一突き。
その一撃が入ったことで心臓が一瞬止まり、体内から一気に泥が吐き出された。『観測者』には泥を霧散させることは出来ないため、全てを吐き出し終わった薄雲を抱きかかえると、小さく叢雲にアイコンタクトを送り、その泥に対して砲撃を放ち霧散させてもらった。
正気に戻った薄雲も、他に倣うようにいつもの制服姿に即座に戻った。負の象徴とも言える姿から一刻も早く脱却したかったからだ。しかし、心は元には戻らない。寂しさの発作は起きずとも、いずれそれに繋がるであろう自己嫌悪が次から次へと湧き出してくる。
「わ、私、なんてことを……」
「誰も君を責めることはないだろう。気持ちを強く持つ方が、今後のためになる」
端的な慰めの言葉を投げかけた後、薄雲も戦艦棲姫に守ってもらうために同じ場所へ。
「頼めるかい」
「ええ、罪滅ぼしのためにも、この子達は私が必ず守るわ。貴方は?」
「私が出来るのはここまでだ。春雨は、道化に任せてくれると助かる」
これで何のしがらみも無くなった。春雨が正気に戻っても、また気をヤッてしまうような要因は無くなったはずだ。
漣達は叢雲が抑え続け、仲間達は正気を取り戻したのだから。
残すは、春雨のみ。身を滅ぼす怒りで身体を焼き尽くすのが先か、それとも道化達がそれを食い止めるのが先か。
海風達は、その結果を見守るしか出来なかった。