空っぽの姫と溢れた艦娘   作:緋寺

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憤怒を塗り潰し

 腕や脚では飽き足らず、身体も、顔も、全てを包み、憤怒を撒き散らす厄災の獣となりかけていた春雨。理性も認識も記憶も何もかもを燃やし尽くさんと、拘束されても暴れることをやめない。

 故に、誰かに抱き着かれたとしても、それが何かはわからず、ただ()()()()()()()()であるとして、それを破壊せんと吠え続ける。それが、自分を慕ってくれる最愛の妹であっても、そうであるという認識が出来ない。もう記憶からも妹という存在が燃やし尽くされかけていた。

 怒りに呑まれた本能しか残されず、全てを破壊するという目的以外は、もう何も残されていないようにすら見えた。

 

 だがしかし、海風の愛の力はそれを突き抜けようとしていた。縋りつき、想いを込めて、涙を流しながら訴えてかける。激痛を与えられてもそれを止めず、想いをただ伝える。

 怒りで身を滅ぼすのは間違っていると。目を覚ましてくれと。愛する姉に戻ってくれと。ただひたすらに。

 その涙が、唯一残っていた肌、春雨の目元に飛び、触れた。それがきっかけとなった。

 

「アァアッ、アッ、ウミ、か、ゼ……」

 

 春雨の中で、何かが繋がった。目の前の邪魔をする者が何者かもわからないのに、その言葉が口から自然と出た。

 

 海風の涙に触れたことで、燃え上がり続ける怒りがほんの少しだけ鎮まった。焔に水をかけたことによる、一時的な鎮火。そのおかげで、春雨に少しだけの理性が戻ってきた。

 だから、拘束されている中での暴走が一瞬止まった。それをいち早く気付いたのは、密着して拘束し続けている道化達。これを狙っていたのだと言わんばかりに、2人同時に片手にナイフを展開した。

 これで春雨を傷付けようだなんて考えていない。今必要なのは、海風と肌で接触出来る面積を増やすこと。そして、一番わかりやすく理性を取り戻すための行動が出来る場所。

 

「アァ、アァアアアッ」

 

 ほんの少しだけ繋がった春雨が再びズレようとしている。焔の力が強すぎて、そんな一雫だけでは取れない。せっかくきっかけが与えられたのに、ここで動かなければ今起きた奇跡が全て台無しになってしまう。それは、()()()()()

 故に、より春雨の顔が露出するように、後頭部側から接合部をナイフで強引にこじ開け、鼻から下を隠すマスクを引っ剥がした。1人だけならダメかもしれなかったが、2人がかりならば破壊することも出来た。勿論、春雨を傷付けることもしない。

 

 マスクの下の春雨の顔は、何も変わっていなかった。時間を置いていたら、肌も焼け爛れて失われていたかもしれないが、処理が早かったおかげで回避出来ている。身体はどうなっているかわからないが、顔が綺麗ならまだマシだ。

 しかし、常に吠えていたことと、歯を食いしばり過ぎていたのか、涎と血に塗れていた。いや、それだけでは無い。マスクを生成するためであろう、口からもマグマが溢れ出そうとしていた。

 

「姉さんの怒り、私と、分かち合いましょう!」

 

 涙でほんの少しだけ噛み合ったのだ。もっと触れ合えれば、その分変わるはずだ。海風はもう何も躊躇わなかった。激痛の中でも、頭は冴えていた。

 だから、周りなんてもう見えていない。道化達がこじ開けてくれた道を突き進むように、海風はかなり強引に春雨の頭を撫でるように掴む。

 

 そして、

 

「ごめんなさい、こんなところで、こんなことをしてしまうなんて。正気に戻ったら叱ってください。でも、これしか思いつきません。私の()()()()()で、姉さんのその怒りを、私の絶望のように、塗り潰します!」

 

 無理矢理頭を引き寄せ、()()()()()()。触れ合うだけの軽いものではなく、お互いを受け入れ合うディープなカタチで。

 

 外側だけでなく、内側からも激痛が走る。燃え滾るような怒りが、口を通じて流し込まれてくるかのようだった。泥の侵蝕のような陥れるための甘美さは何処にもなく、狂うほどの怒りを表している棘。

 悲鳴を上げそうだった。だが、口を離してはいけないと本能的に感じた。こうしていれば、春雨は元に戻ると、確信めいた直感があった。

 そして春雨も、こうされて突き飛ばそうともせず、目を見開いた状態で身体が硬直していた。理性を失っていても辿り着く者としての直感が働いたか、海風を受け入れているかのようだった。

 

 春雨の心の焔は燃え盛る一方だったのだが、この海風の機転が全てを変える。自らの行動で奇跡を呼び込む。

 

「ッッッッ」

 

 春雨の叫びが完全に止まった。海風を振り払うことなく、力が抜ける。道化達を振り払おうと動き続けた鉤爪を展開した両腕も、ダラリと垂れ下がった。

 こうなったらもう大丈夫だと、道化達も春雨の拘束を解いて、その身を海風に委ねさせた。激痛に耐えながらも、海風は春雨の身体をしっかりと支えた。

 

 気が狂いそうな春雨の怒りの奔流を呑み込むように、海風は深く深く春雨との繋がりを求める。より強く繋がることにより、春雨の内側から溢れ出る怒りを自分にも取り入れ、壊れることのないくらいに分け合う。

 それ以上に、海風は自分の想いを注いだ。春雨が絶望の昏闇の中に差す光になってくれたように、今度は海風が怒りの焔に注がれる水となるために。

 

 

 

 

 春雨の中では、不思議な感覚が拡がっていた。怒りに呑み込まれ、焔に包み隠されていた理性に、一雫がポタリと落ちたような、そんな感覚。内側から溢れる怒りはますます燃え上がる一方なのに、それを外側から抑え込もうとしてくれる何かの存在に気付くことが出来た。

 燃え尽きかけていた理性が、感情が、記憶が、その一雫で癒えていく。雫は一滴だけでは終わらない。次から次へと舞い落ちて、雫は雨に、雨は洪水へとたちまちの内に増えていった。

 

 燃え上がる怒りの焔と拮抗し、少しずつ押し返す。失われかけていた()()に、癒しの水が降り注ぐ。

 

 ──誰? 

 

 目の前にいる者すらも理解出来ない程に怒りが全てを焼き尽くしていたが、その焔が鎮火されつつある。そのおかげで、春雨はようやく何者かが自分を癒してくれていることに気付くことが出来た。

 

 ──海風? 

 

 そして、その何者かの名前がふと思い浮かぶ。外側の春雨は譫言のようにその名前を呟いた。しかし、

 

 ──海風って……誰? 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして、その記憶の繋がりを焼き尽くさんと、押し返されていた憤怒の焔が勢いをさらに増した。

 一度溢れ出した怒りは、簡単には収まらない。癒しの水すらも全て蒸発させようと、奥底からさらに燃え上がる。癒されかけた理性を再び焼き尽くさんと燃え盛る。

 

 この焔は、春雨自身が巻き起こした怒りだ。仲間の尊厳を破壊されたことに対する、本心から生まれた初めての憤怒。理性を失うほどの怒りの具現化。つまり、()()()()()()()()()()()()()なのだ。そうであるが故、焔は強くなる一方だった。自ら望んでいる自らの焔なのだから。

 それで自分の身が滅ぶのは別にどうでもよかった。怒り任せに全てを終わらせてもいいとすら思えた。自暴自棄と言われても何の文句も言えないくらいに。真っ先にそれを考えたせいで、あっという間に理性がトんだ。結果が、何もかもがわからなくなる程になった。

 

 ──あれ、私……何でこんなに怒ってるんだっけ。

 

 全てを焼き尽くさんと燃え上がる憤怒の焔は、春雨からその理由すら忘れさせていた。理性を焼き尽くし、感情を怒り以外は燃やし尽くし、記憶すらも灰にしようと燃え盛った結果、春雨はそこに疑問を覚えるに至った。

 海風から生じた一雫が、塵芥となりかけていた感情を繋ぎ合わせて、まずは疑問という感情を呼び起こした。灰燼に帰そうとしていた理性を貼り合わせて、考える思考能力を引き戻した。

 

 だが、忘れかけていた理由も思い出すことになる。泥に侵蝕され、尊厳を破壊され、意志を捻じ曲げられた()()()の幻影がチラついた。それが海風であることにはまだ辿り着けない。

 

 ──誰、誰がそんなに……()()()()()()()()()()? 

 

 怒りの理由なのだから、その幻影にもまた怒りが湧き上がる。憤怒の焔はさらに勢いを増す。海風が流し込む洪水を押し返さんと、拮抗を破らんと、轟々と焔を巻き上げた。

 しかし、一度持った疑問は、そう簡単には燃え尽きない。ほんの少しでも癒されたその感情は、海風の想いがしっかりと保護し、二度と燃え尽きないように掴んで離さなかった。

 

 ──海風? 

 

 もう一度、その名を呼ぶ。記憶の隅から現れたその名を。

 

 ──海風、なの? 

 

 その幻影が海風であることに気付けた。同時に、憤怒の焔がまた押し返される。洪水のように溢れ出る海風の想いが、燃え尽きた理性と感情を拾い集め、繋ぎ合わせていく。今度はもう燃え尽きないように、怒りから守るために。

 

 ──なんで、こんな大事なことを忘れちゃってたの? 

 

 そこからは凄まじい勢いだった。海風を基点に、失われたモノを拾い集め、掬い取っていく。一度は塵となった感情も、灰となった理性も、燃え尽きかけた記憶も、(いびつ)ではなく綺麗なカタチで元に戻っていく。海風を認識出来たことが、春雨をまた春雨に戻していく。

 

 ──海風、海風、ゴメンね。私、海風のことを忘れちゃうなんて。

 

 自分のせいで海風が傷付くなんておかしい。こんなにも苦しみながら自分を救おうとしているのに、自分が諦めて燃え尽きてもいいから全てを破壊しようだなんて考えるのは、絶対にダメだ。

 何故それに気付けなかった。そんなもの、怒りに身を任せてしまったからに決まっている。どんなことがあっても、ここまでの怒りを持ったことが無かったのに。

 

 その時、海風が寄り添ってくれたような、そんな気がした。焔の熱とは違う、純粋に自分を思ってくれる温もり。水に揺蕩うような心地よさ。その感覚に身を任せれば、もう心配は無くなる。春雨は春雨として成立し、厄災の獣としての春雨は消えてなくなる。

 

 はずだった。

 

 ──私は……。

 

 一度は自ら望んだ焔だが、これはもう誰も望んでいない。仲間が悲しむのなら、この焔は必要ない。

 だが、一度望んだモノをもう要らないというのは違う。あまりにも自分勝手が過ぎる。

 

 ──私は、海風のためにも、元に戻らなくちゃ。でも、この感情とも付き合っていくよ。

 

 故に、春雨は怒りの焔に手を伸ばした。その性質も受け入れる。だから、ただ元に戻るわけではない。焔を全て消すことはなく、しかし理性を焼くことはない。共に歩くことで、獣としての自分も受け入れることで、春雨はさらに次のステージへと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 大きくビクンと震えて、春雨の身体を包み込んでいた装甲が灰となって消えていく。海風の想いが届いたように、厄災の獣となりかけていた春雨は、元の深海棲艦春雨へと戻っていく。

 だが、それでも失われたモノはある。装甲も艤装も消えていったが、同時に両腕も消え去った。断面は春雨の両脚や海風の右腕のような綺麗なモノではあるのだが、怒りに呑み込まれた代償を表していることは、誰の目にもそう映った。

 

「姉さん……」

 

 元に戻ったと思い、口を離す海風。海風もダメージが大きいが、身体の何処かを失うなんてことは無かった。春雨からマグマを流し込まれたことで内側に熱が残っているものの、今は何事もなく終わっている。

 今更ながらなんてことをしてしまったんだろうと顔を真っ赤に染めるものの、しかし、本心を激しく伝えただけなのだからと何も気にしないで春雨を抱きかかえた。

 

「……ゴメンね、海風。迷惑、かけちゃったね」

 

 その瞳には憤怒の焔は宿っていない。しかし、今までの青白い光とは違う、真紅の瞳となっていた。

 怒りが溢れた結果による変質。あまりにもわかりやすい腕の消失と、顔を合わせればわかる瞳の変化。そして、この中では『観測者』のみが気付いていた、()()()()()。今は空気を読んで何も言わないものの、春雨は今までの春雨とは大きく違っていた。

 

「迷惑なんて思っていません。姉さんはやらねばやらないことをやり続けただけです。誰もが納得する怒りなんですから、姉さんは謝らないでください。むしろ、謝るのは私です。侵蝕されていたとはいえ、私は姉さんにあまりにも酷い言葉を投げかけてしまいました。姉さんが怒るのも無理はありません。それに今も、咄嗟に思いついてしまったとはいえ、姉さんの、じゅ、純潔を奪うようなことをしてしまって……。私のせいで、姉さんはいろいろなモノを失ってしまいました……。だから、私のことを叱ってください。殴る蹴るも受けます。それほどまでに、私がしてしまったことは本当に問題しかないことですから」

 

 このマシンガントークにも安心出来る。春雨の心には燻る怒りが芽生えているが、それは海風に対してではない。無論、他の仲間達に対してでもない。

 

「叱るなんて……するわけないよ。海風のおかげで……私は……戻ってこれたんだから。海風がいなかったら……私は燃え尽きてたよ。全部無くしてた。これだけで済んだなら……充分だよ。全部海風のおかげ」

 

 二の腕を上げてこれだけと言われてしまうと、口を噤むしかない。

 

「私がもっと頑張れてたら……海風も戦艦様も薄雲ちゃんだって、嫌な思いをしなくて済んだのに……ごめんなさい、本当に……私が未熟だったばっかりに……」

 

 誰よりも酷い目に遭っているのに、春雨は自分のことより仲間のことを考えて謝罪する。それがまた罪悪感を刺激するのだが、春雨はそれがわかっていなかった。

 だからこそ、戦艦棲姫はすかさずフォローを入れる。少しキツめに。

 

「春雨、謝らないで。私達よりも辛い思いをした子に謝られると、私達は立つ瀬が無いわ。私も海風と同じ気持ちよ。侵蝕されていたとはいえ、あんな小っ恥ずかしい姿で貴女から海風を奪ってしまったんだもの。むしろ叱ってほしいくらいだわ」

「……戦艦様を叱るなんて出来ませんよ」

「なら、謝るのもやめてちょうだい。それと、怒りを向ける方向はちゃんと残されてるわ」

 

 戦艦棲姫が顎で視線を促す。

 

 

 

 

 その先には、この大惨事の全ての発端となった者達が、叢雲の監視の下、この戦場に留まっていた。

 

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