海風の愛の力により、暴走していた春雨は正気を取り戻した。憤怒の焔に呑み込まれたせいで両腕を失うという代償はあったが、春雨本人はそれを『この程度』で済ませてしまうため、誰も何も言えなかった。
さらには、春雨は仲間達が侵蝕されてしまったことを自分のせいだと謝罪までし始めてしまったものだから立つ瀬が無い。それ故に、戦艦棲姫が一度その話を止めさせる。今はもう一つ、解決しなくてはいけないことがあるのだから。
「怒りを向ける方向はちゃんと残されてるわ」
戦艦棲姫が顎で視線を促す。
その先には、この大惨事の全ての発端となった者達が、叢雲の監視の下、この戦場に留まっていた。
「……海風、ちょっと下ろしてくれる? ちゃんと自分の脚で立てるから」
「はい、姉さん」
今は暴走が止まったことで両腕両脚共に消えてしまっている状態。内から溢れ出たマグマが制服を呑み込んで装甲を作っていったため、服すらもまともに着れていない。そのため、まずは身嗜みから整えた。
いつものような艤装と制服を作り出したのだが、やはりそこは怒りと共に歩くという決意のためか、厄災の獣となりかけた時のモノに準じていた。
少し赤みを帯びた義腕と義脚が展開され、若干の刺々しかったものは今の落ち着いた気分を反映して生身のような丸く。制服もその時のような近接戦闘スタイルを模したショートパンツのタイプになった。
「ひとまずはコレでいいや。ん、腕と脚の感覚とかは大丈夫、かな。むしろ、前よりも軽いかも」
「そうなんですか?」
「うん、海風のおかげだよ。私、自分の中でいろいろと
ニコッと笑うが、その瞳の奥の真紅は、少し怒りの焔を携えていた。先程の暴走を思い出してビクッと震えてしまうものの、春雨が自分で大丈夫だと言うのなら大丈夫なのだと思い込み、戦艦棲姫が指し示した方、漣達の方へと向かう春雨の隣に付き従った。
海風とて、漣達には堪えようの無い怒りがある。この3人のせいで仲間達は次々と侵蝕され、自分すらも最愛の姉に対してやってはいけない言動を起こしてしまった。そして、それらがきっかけになり春雨は暴走し、ついには両腕を失うことにすらなった。
海風は、この3人を許そうだなんてカケラも考えていない。春雨が殺さないと言うのなら殺さないが、もし始末していいと言えば、一切の容赦なく全員の首を刎ね飛ばすつもりだった。
「じっとしてなさい。アンタ達はそれだけのことをしてきたの」
向かってくる春雨から逃げようとする3人を後ろから抑え込む叢雲。まだまだ怒りは止まることを知らず、伸ばした槍によって撤退のための進路を確実に封じていた。
特に曙はやたらと暴れ回ろうとしたが、叢雲がそれを許すわけがない。一度ならず二度も三度も身体を打ち、その場から動けなくして、自分達が何をやらかしたのかを見せ続けた。
どうせ心の中では反省も何もしていないとわかっていたので、ほんの少しでも妙な動きをした瞬間に滅多打ちにしたのは言うまでも無い。結果的に、3人は身体中が傷だらけになり、逃げようとする気すら失わされていた。
「叢雲ちゃん、その、ゴメンね。迷惑をかけちゃった、かな」
「別にいいわよ。つーか、アンタは一度それくらいブチギレておいた方がいいわ。怒りってのは、抑え続けると確実にぶっ壊れるから。アンタは身を以て知ることになったみたいだけど」
「あはは……本当にね。ずっと溜め込んでた分が溢れ出しちゃった代償……なのかな。でも大丈夫、この気持ちと一緒に歩いていけそうだから。叢雲ちゃんみたいに」
「アンタなんてまだまだよ。優しすぎるもの。後から怒りとの付き合い方を先輩として伝授してあげる」
3人を無視しながら話をしつつ、槍の柄で春雨の前に突き出した。まずは漣。
潮から聞いている限り、この漣が確実な元凶。潮から曙を奪い、さらには殺そうとし、今は曙と共にここにいる。そして、ここで施設への侵略を画策していたことで海風や戦艦棲姫、薄雲がトラウマを抱えることになった。
心についた傷は、もう一生治ることは無いだろう。事あるごとに思い出し、軽ければ嫌な思いをし、重ければ発作で活動が出来なくなる。そんな傷を笑いながら付けてきた存在。
「私はちゃんと理解しています。貴女達も、泥に侵蝕されてしまったせいで悪いヒトになってしまっていることを。本当は平和を望む艦娘だったのに、自分から望んだわけでもないのに泥を入れられてしまったんですよね。元の貴女はきっとこの出来事がトラウマになってしまう。何人も見てきていますから、私もそれくらいはわかっているつもりです。そうならば、私は貴女を見捨てることはないでしょう」
優しく語りかける春雨。漣は叢雲に押し出されたために少し俯いており、春雨の顔を見ることは出来なかったものの、叢雲のように少しだけの言動で鈍器を振り回すような
そして、
しかし、しっかりと後ろから春雨の顔が見えている曙と朧は、漣に声をかけることすら出来なかった。叢雲が何も言わせないように後ろから刃を突きつけているというのもあるのだが、そんなことしなくても動くことは出来なかっただろう。
「でも」
小さく顎を持ち上げるように、俯いている漣の顔を上げさせる。嘘泣きでもしていれば反省しているようにでも見えるかなとか画策しているが、その思いは一瞬で破壊されることになる。
「今の貴女は、ただ私の仲間を苦しめて、それをケラケラ笑いながら楽しんでいたんですよね。仲間割れはさぞかし楽しかったでしょう。貴女達の
目が笑っていないどころか、顔すらも一切笑っていなかった。声色だけは優しそうに聞こえたが、その瞳の奥には、消えることのない憤怒の焔が見えていた。だが、もう暴走はしない。怒りと共に歩く。それは、前のように戻るというわけではない。
誰が見てもこの春雨が怒り狂っているというのがわかるから、曙も朧も何も言えなかった。言ったら何かあるとかではない。単純に、春雨が怖くて萎縮しているに過ぎない。
「わかってます。貴女達にはどうやっても責任が取れないことくらい。それに、今もどうせ私を出し抜いてどうにか撤退出来ないかなんて考えているんですよね。侵蝕された海風や戦艦様に取り囲まれた時、ただ震えて動くことが出来なかった私を見ていますから、いくら辿り着く力を持っているかもしれないけど、心が弱くて扱いやすい愚か者くらいに見えていましたか。今もそう見えますか。どちらでもいいですけど」
漣はピクリとも動けなかった。はいそうですとも、そんなことはありませんとも、反応することが出来なかった。その焔に照らされたことで、心の底から恐怖を感じてしまったから。
泥に侵蝕され、全ての力がブーストされて、泥のコスチュームのおかげで慢心しても施設の者達と対等どころか上から殴り付けることが出来るくらいの実力を手に入れたというのに、今この春雨には絶対に勝ち目がないと感じるほどの圧を感じる。
「今の貴女は私にとって、生きていてもらいたくないくらいの存在です。元に戻せる余地はありますけど、元に戻さずにその命を奪うという選択肢も、今の私にはあります。先に言っておきますけど、今の私はもう侵蝕なんてされません。その
顎に触れていた手が急に動き出し、胸倉を力強く掴んで引き寄せる。そもそも今の春雨の手は艤装。肌に直接触れるわけでもなく、締め付ける力は通常よりもあるレベル。たったこれだけで首が絞まり、苦痛を与えられる。
「今はもう何も話さなくていいです。どうせその言葉は上っ面だけのモノでしょうし。その場凌ぎで有る事無い事話すだけですよね。薄っぺらい言葉であることはお見通しなので、私が許可するまで一言も話さないでくださいね。癇に障りますから」
こんな発言をしたことに、叢雲は少なからず驚いた。その上で、なんだか楽しくもなってきた。ああ、本当に怒らせてはいけない存在なのだと感心しつつ、自分と同じレベルの怒りを溢れさせているのでは無いかと言うことで同族意識も芽生える。そしてそれに、嫌悪感は一切無い。
「でも、痛めつけるのも違うと思うんですよ。痛みは一過性のものですから。それが終わったらまた歯向かおうと考えるじゃないですか、貴女みたいなヒトは。正直なところ、顔が原型を留めなくなるくらいに殴りたいですよ。それでもスッキリしないことがわかっているので、無駄なことはやりたくないだけです。いくら
掴んでいた手を離して突き飛ばす。恐怖で立てない漣は、苦痛から解き放たれて涙目になりながらへたり込んだ。逃げられそうに思えるが、身体が震えて動かない。
「貴女は最後にします。ずっと怖がっていてください。でも、心は壊しません。そんな状態で
それだけ言って、曙にこちらに来いと手招き。一番反発するであろう曙を真っ先に指名したのには意味がある。
恐怖で動けなかった曙も、春雨に手招きされたことで自分を取り戻し、持っている反骨心を表に出す。
「なんでアンタの言うことを」
「いいから来なさい」
あの目で睨まれた瞬間、身体中に怖気が走った。逆らったら殺される。背中にナイフを突きつけられるどころか、もう何回も刺されているのではという錯覚すら覚えた。
冷や汗を流しつつ、舌打ちをしながら春雨の言う通りに近付いた。
瞬間、春雨は曙を蹴り飛ばした。
「海風」
「はい、もう大丈夫ということですよね」
「うん」
あまりのことに目を丸くした漣を無視して、海風に曙のこれからのことを頼む。今の蹴りは、曙の心臓を瞬間的に確実に止める一撃。しかし、恨みも込めて痛みすら与える一撃だった。ジェーナスの時のような優しい蹴りではない。手加減をして骨などを折ろうとはしなかったが、今の春雨に見えている
「っはっ、かはっ、ごほっ」
「よかったですね。春雨姉さんのお陰で、侵蝕から治療されましたよ。偉大なる春雨姉さんの慈悲に感謝し、崇め奉りなさい」
曙はそのまま泥を吐き出すことになる。同時に泥のコスチュームは剥がれ落ち、最悪なことにこの海の上で全裸にされることとなる。
吐き出された泥は、海風がしっかりと処理。あえて曙の側で砲撃を放つことで、余計に驚かせようという意地が悪いやり方をしたが、曙は何の文句も言えなかった。
「……最悪、なんでこんな目に遭わなくちゃいけないのよ……」
「その話はまた後からにしましょうか。今は姉さんのやるべきことを見守らなくてはならないので。あとこれは内密にしてほしいのですが……こちらで潮さんを保護しています」
「えっ!? わ、わかった……その件は後からでいい」
この曙はやはり施設の潮と共にドロップした曙。潮の名前が出た途端に、普通以上のリアクションを見せたことでそれがわかる。
「では次」
朧に手招き。ここで曙が激痛を伴う治療をされたのを見たことで、朧は激しい危機感を持つに至る。今の朧の目的は、施設を侵略するための礎を作ること。あわよくばこのまま全てを終わらせることができるだけの力を与えられたが、しかしそれが通用しなかったために、その事実を主に知らせる必要があると考えていた。だが、もうそれすら叶いそうにない。
故に、朧は半狂乱になりつつも、春雨を始末しようと主砲を構えた。曙のように言うことを聞いてしまったらアウト。ならば、刺し違えてでも辿り着く者を始末するべきだと、最後の最後で吹っ切れた。
そんなこと、今の春雨が許すはずがないことも、当然理解はしていた。何をしても通用しないと、本能的に気付いていた。
「反抗的なのはもう仕方ないと思います。泥のせいでそうなっているのは、私達はさんざん、本当にさんざん見せつけられていますから。でも、だからといってその行動を許すとは一言も言いません」
勿論それは未然に防がれる。春雨は何もしていない。そうしなくてもいいという
叢雲が、しっかりと朧の脇腹に槍の柄を突き立てており、砲撃にブレーキをかけた後、槍を振るってその身体を無理矢理春雨の方に飛ばした。
そして、その勢いで飛んできた朧も、春雨は曙と同様に蹴り飛ばした。恨みを込めて、しかし治療するために。また見事に朧の身体は曙と同じ方へと飛んでいき、同じところに泥を吐き出す。海風がそれをしっかりと処理して治療完了となった。
「え、あ、あぅ……」
「落ち込むのは後からにしてくださいね。慈悲深い姉さんがそれだけで済ましてくれているのですから。そのありがたみを存分に噛み締めて、今後は春雨姉さんのために行動してください」
相変わらずの海風だが、朧はそれどころではない。この戦闘でも薄雲と戦艦棲姫、2人を陥れて仲間に引き込んでいるのだ。ただ戦っていた曙より重い罪悪感に苛まれることになる。
「残るは貴女だけですよ、漣さん。でも、簡単には治しません。ご覧の通り、私はそういうことが出来るし、貴女もそれはご存じだと思います。治療された方が楽になれるとは思いますが、私の怒りがそれで治まるわけがないことくらい、貴女でもわかりますよね? なので、貴女には知っていることを洗いざらい吐いてもらいます。泥を吐き出したら重要な記憶も吐き出してしまうということは知っていますから、
漣はもう、怖くて気を失ってしまいそうだった。しかし、