怒りと共に歩くことが出来るようになった春雨は、その力を存分に使い、恐れさせながらも曙と朧を治療し、正気に戻した。
これで残りは漣のみとなったが、その侵蝕を簡単には治療しないと本人に宣言。治療して泥を吐き出させると、それと同時に重要な情報すらも吐き出してしまい、また黒幕や龍驤の居場所がわからなくなるため、そのままの状態を維持しつつも情報を聞き出す方向に持っていくつもりだった。
攻撃の意思は恐怖によって奪い取ってはいるものの、素直に話すとは到底思えない。どうであれ、漣は他の者達と違ってこの場で唯一侵蝕されたまま。やろうと思えば今からでも泥を増殖させて、治療された者を再度侵蝕することだって可能なのだ。そんなことをしたら、眼前で睨みを利かせる春雨と、真後ろで刃を突き付ける叢雲に何をされるかわからないが。
「口を開くことを許可します。では、情報を提供してください。素直に話してくれたら、これ以上は何もしません。優しく、痛み無く治療しましょう。当然それは、貴女にとってはご主人様を裏切る行為になりますが、貴女は元々正しく艦娘ですから、何も問題ありません。治療されたら同じことですから、苦しまない方がいいと思います。貴女が選んでください」
笑顔で漣に選択肢を与える。目は全く笑っていないが。
漣としては、今の主である龍驤の情報を提供することは、春雨の言う通り裏切り行為である。何処にいるかもだし、今どれだけの戦力を持っているかや、どんな力を持っているかなどなんて話したら、まず間違いなく殲滅される。今すぐで無くても、対策はされるだろう。それは埋め込まれた忠誠心から許されない。
しかし、ここで何も話さないとなると、春雨から何をされるかわからない。今までの発言から考えて、痛みを与えることにも何の抵抗もなく、しかし殺すこともない。情報を提供するまで生き地獄を与えるぞと脅しているわけだ。
「うーん、まぁすぐには口を割ることは無いですよね。海風、そっちのヒト達は大丈夫?」
「はい、姉さんの手腕でしっかりと治療されています。朧さんは少し落ち込んでしまっていますが、曙さんはすぐにでも話が出来ますよ」
漣が簡単に口を利きそうにはないため、まずはその仲間であった2人から話を聞き出すことに。漣の目の前で当てつけのようにやる辺り、今の春雨はなかなかに意地が悪い。
「……一応、礼を言っておくわ。まだ胸が痛むんだけど」
「ごめんね。治療するためには一度心臓を止めないといけないの」
「じゃあ、あたしは一瞬死んでたってことか。無茶苦茶ね」
春雨に蹴られた胸を押さえながら曙が春雨の側に。治療されたばかりではあるものの、悲観するより先に苛立ちが前に出てきていた。施設の中ではコロラドと同じタイプ。叢雲と同族嫌悪でいがみ合いがありそうだが、今はそんなことをしている余裕はない。
そんな曙は解放されたことで全裸にされていることにも苛立っているようだが、そこはさりげなく現れた道化が展開した大きな布をかけてあげていた。花吹雪みたいな小道具を作り出すこともあるので、おそらくこの布も手品か何かに使うアイテムなのだろう。道化が近くにいる限りは布は健在。
「朧はちょっと口が利けそうにないから、あたしが答えられることは答えるわ」
朧はどんよりと落ち込んだ状態であり、航行もままならない。もう片方の道化が布をかけてやりつつ、曙に付き従うように移動させているくらいだ。顔色も悪いため、無理に話をさせるのは憚られる。
「なら、覚えていることを全部教えてもらえるかな。時間的にはあまり活動はしていないとは思うんだけど。出来ることなら、主人の顔とか居場所とか」
「……腹が立つことにその辺りは全然思い出せないわ。あたしが覚えてることは、アンタ達の居場所を探し出すことを命令されていたことと、出来れば陥れて仲間を増やすなり殺すなりして戦力を減らせってことくらい」
やはり、龍驤の泥で侵蝕されていたとしても、吐き出した時点で最も重要な情報は抜け落ちるらしい。一番知りたいことは、いつもこれで闇に消える。
それが困るから、漣はそのままの状態で情報を吐かせたいのだが、今のところだんまり。
「少なくとも、あたしはそこのバカのせいで狂わされていたわ。潮と一緒にドロップしたあたしに近付いてきて、鎮守府に行くって騙してから、ね。その後は……正直あやふや。何処かに連れてかれて、ほら、あの泥の服あるでしょ、あれが作れるようにされて、今に至るって感じよ」
「ありがとう。1つ聞きたいんだけど、なんで潮ちゃんは……?」
「さぁね。多分アレでしょ、潮ってやる時はやるけど
なるほどと春雨は納得した。曙は見ての通り結構キツい性格をしているし、漣はおそらく最初からお調子者であるため、こういうことは向いている。朧は体育会系の生真面目さが垣間見えることから、そこの方向性を曲げてやれば淡々と作業をこなす兵隊になった。しかし、あの潮が侵蝕されていたとしたら、いくら方向性を曲げられていたとしても、攻撃を躊躇ったりなどをして、
結果的にその潮は、恐怖が溢れた結果感情が溢れ出し、深海棲艦化という末路となっているのだが、そうなっているなんて漣はおろか、龍驤も知る由もない。
「漣さん、曙ちゃんはこう言っていますけど、正否は?」
問いただすが、涙目で震えているだけでYesもNoもない。そんな様子を見て、春雨はこれ見よがしに溜息を吐いてから、徐に漣の腹を蹴った。
「っぶ!?」
「私が答えろと言ったら答えてくださいね。口を利いていいと許可を出したんですから。そのお口は何のためについているんです? 勝ち目のある敵に対して上から目線の皮肉を言うためだけに存在しているんですか? それとも泥を吐き出すための器官ですか? 違いますよね?」
なんてことをするのだと漣は内心毒づいた。しかし、そんなことを考えたことすらも読み取られているようで、もう1発横腹を蹴られる。春雨の脚は艤装で出来た義脚であるため、普通に蹴られる以上にダメージが大きい。
「もう一度聞きますね。正否は?」
「けほっ……かはっ……ぼ、ぼのの、言う通り……。うちらの中に入ってるのは、性格までガッツリ変えることが出来ない、から……。潮は役に立たなそうだから、始末を優先した……だけ」
素直に話さないと、死なない程度に甚振られる。そう考えたら、
「なるほど。ということは、貴女の主人は黒幕よりも大分程度が落ちるということになりますね。黒幕の泥は真面目で優しい古鷹さんでも非道に捻じ曲げることが出来たわけですし、本来の性格がある程度残るとか、所詮は模造品と。覚えておきます」
わざと漣の主人のことを貶すような言い方をすることで苛立たせて口を割らせようとしている。ただでさえ慢心からペラペラ喋る龍驤の支配下に置かれているような輩だ。精神的に追い込めば勝手に喋りそうである。
実際、漣はわかりやすく顔を顰めていた。忠誠心だけはしっかり残っているようなので、主人を売ろうとしない分、主人が乏しめられるのは気に入らないようである。
「で、仲間を増やすのはいいんですけど、その目的は?」
「……そんなこと、自分達がよく知ってんじゃないですかねぇ。器のゲットには兵隊が必要なんスよ」
「侵蝕で配下を増やして自分の手を汚さずに事を成そうとする辺り、小狡いというか程度が知れているというか」
春雨らしからぬ毒が次々と。憤怒の焔は制御出来るようになったものの、だからといって鎮静化したわけではない。まだまだ怒りは燻り続けている。そのため、どうしても口が悪くなってしまう様子。
海風はそんな春雨に対しても
「それで、貴女の主人は何処に? 曙ちゃんも朧ちゃんも、泥の巫山戯た性質のせいで忘れさせられているんですよ。でも、貴女ならわかっていますよね。正確な位置を言ってください」
最も聞かなくてはならない情報はそれだ。黒幕の居場所はわからないにしても、龍驤が今何処で何をしているかを聞き出すことが出来れば、そこからまた黒幕の居場所に繋げることは出来るはずだ。
ここまでしておいて未だにその居場所も何もわからないとなると、こちらも若干焦ってしまう。ただでさえ被害を拡げるような輩だ。出来ることなら早急に解決したい。
しかし、ここでまた漣は口を噤む。
「『観測者』様……は、流石に教えてはくれませんよね」
「すまない。それは中立に反する。君も知っての通り、私は手を引いて導くことは出来ない」
「いえ、大丈夫です。それが『観測者』様の在り方ですし、それを違えてしまったらもっとまずいことになるのだろうと思いますから。例えば、死に繋がるとか」
「流石は辿り着く者。申し訳ないが、私も私の存在を維持するために、在り方を違えるわけにはいかない。世界の摂理のためにもね。察してくれて助かるよ」
中立のために『観測者』が口を出すことはしない。それ故に、
「では、少し強引に聞かせてもらいましょうか。貴女の主人の居場所を」
冷ややかな目で漣を見下す春雨。憤怒の焔はより強くなり、瞳から漏れ出す程に。先程までならこのまま暴走だったのだが、今はもう制御が出来ているため、ただあの時の力を理性あるままに発揮することが出来る。
心の底から漣に対して怒りを持っているため、
「あ、そうでした。1つ教えておきましょう。どうせ貴女はもう主人の居場所に戻ることは出来ませんから」
「何をですかね」
「私の視界の中にいる限り、貴女は気を失うことも出来ませんし、壊れることも出来ませんよ。なんだかそういうことが出来るようになったみたいでして」
漣には1つ覚えがある。暴走状態だった春雨に睨まれた時、身体が動かなくなった。それの延長線上にある何かの力を、理性が戻ってきた今でも扱えるようになったということ。身体が動かないだけではない。心にすらも影響を与えてくる。
辿り着く力がそれを引き起こしていると言われても、漣には理解が出来なかった。
「ただ、言葉だけは貴女の意思で紡いでもらわなくちゃいけないんです。そこは
勝敗がつく条件があまりにも春雨有利。しかし、抗議をすることも出来なかった。これは春雨からの
漣の額に、冷や汗が流れ始める。自分は諦めるまで痛めつけられるが、春雨は諦めることはない。つまり、今から永遠に痛めつけられるということに繋がる。それなのに、気を失うことも心が壊れることも無いとまで断言された。正気のまま甚振られる。辛い思いをし続ける。
「わ、わかった、反省、反省した。反省したから」
「薄っぺらい言葉ですね。口先だけなのがわかりやすすぎます」
すかさず脇腹に蹴りが入った。あまりにも容赦が無さすぎて、漣は痛みよりも先に驚きが出た。そして気付いた。これは
春雨の怒りはまだまるで治まっていない。何せ、仲間達に消えない傷を負わされたのだ。生きている間その傷の痛みに苛まれるというのに、今だけの痛みで済むだなんて、許されるはずがなかった。
「素直に全部話してくれればいいんですけどね。あ、そうそう、私は流石に疲れてしまうかもしれません。でも諦めることは絶対にありません。そうなった場合、貴女を痛めつけるのは他の仲間に任せます。わかります? 今の貴女に恨みを持っているヒト、ここにいっぱいいるんですよ」
蹴られた痛みに耐えながら、周囲を見回す。『観測者』と道化達は流石に苦笑していただけだが、他の者達は漣をただ睨みつけている。侵蝕されて心をグチャグチャにされた戦艦棲姫は、その艤装で握りつぶしてやろうかと拳をニギニギと見せつける。叢雲は言うまでもなく、槍を突きつけたまま。海風も右腕を鎖と錨に変形させ、ヒュンヒュンと音を立てながら振り回していた。薄雲ですら落ち込みながらも漣を睨みつけているくらいである。
春雨の蹴りはまだ手加減されていることがここでわかった。見えている3人は、手加減しようのない武器を見せつけてくる。あんなものが直撃したら、怪我どころでは済まない。しかし、死なない程度に痛めつけてくることが嫌でもわかる。
「私達にはもう叶わないことなんですけど、貴女は艦娘ですから、入渠すれば元通りです。なので、手足の一本や二本くらいなら取っちゃってもいいんじゃないですかね。大丈夫、それでも死なないように出来ますから。貴女は絶対に死なせませんよ。ね、情報提供者さん」
ニコッと笑みを向けた。そして、その瞳に灯る憤怒の焔は、より一層強く燃えた。
壊れることは出来ずとも、漣の心が折れた瞬間であった。