対談終了後、鎮守府がすぐにでも調査隊を送ってくれるということで、施設側も3人の艦娘の受け渡しの準備を始める。準備と言っても、遣いが来たらそのまま引き渡すというだけなのだが、今回の3人は一度も鎮守府に所属したことのないドロップ艦。鎮守府の中で言えば、荒潮とほぼ同じような存在である。
現在は潮の目につかない別室に3人を待機させている状態。精神状態のこともあるため、あまり刺激をしない者として、コマンダン・テストとリシュリューがあてがわれていた。幸いなことに、食事も喉を通らないなんてことは無かったようで、2人の手料理をしっかりと平らげたとのこと。
そこに春雨と海風がやってくる。3人にはある意味トラウマを植え付けた張本人であるのだが、今から引き取られる鎮守府について最も詳しいものであるため、事前の説明役としてここに来た。
今は侵蝕されていないため、怒りが溢れている春雨としてももう敵対の意思は無い。艦娘としての自分を取り戻し、鎮守府で更生したら友達になろうとまで話していたくらいなのだ。故に、あそこまでやったとはいえここからは仲間だと考えていた。
勿論、春雨は自分が漣にやった所業は全て覚えている。怒りを制御しながらも、その怒りのままに
「あら、ハルサメにウミカゼ。この子達の次が決まったのかしら」
扉の前にいたのはリシュリュー。門番というわけでは無いのだが、ひょんなことで潮がこの近くに来てしまった場合、やんわりと追い返すために見張っていた。
「はい、先程。私達が元いた鎮守府に引き取られることになりました」
「そう、それなら安心ね。貴女のところの
「ですね。私の知る限りでは一番信用出来る人間ですから」
どんな者にも分け隔てなく信頼を置くのが堀内提督である。そうで無ければ、ここの姉妹姫が心を許すようなことは無いだろうし、今日まで長く付き合いが続くことも無かった。そういう意味でも、堀内提督は引き取り手として最高の選択肢である。
「様子はどうですか」
「アケボノは開き直ってるわ。あの子、どちらかと言えばムラクモやColoradoと同じタイプだから。
3人のうち、曙は最初から落ち込んでいるようには見えなかった。すぐにその時の心境を苛立ちながらも話してくれたくらいである。それが今も続いており、一番元気と言ってもいいくらいだという。
「オボロも、一晩で考えを纏めたみたい。あまり俯かなくなったわね」
「あの時は話せないくらいでしたけど、生真面目そうでしたし、うまく自分の中で割り切れたんですかね」
「かもしれないわ。とはいえ、明るいわけじゃないけど」
曙の次に解放された朧も、この一晩を使ってどうにか割り切った様子。そもそもの敵対していた時間自体がそこまで長いわけでは無かったのが大きい。しかし、あの戦場で薄雲と戦艦棲姫の2人を直接侵蝕させている経験がどうしてもこびりついてしまっているらしく、完全に吹っ切れるにはまだまだ時間がかかりそう。
「サザナミが一番の問題ね。俯いたまま。あまり表情も見えないわ」
「そう……ですか」
そして漣。龍驤の最初の器として活動していた記憶もある上に、あの戦場では策略を担当していたため、ドロップして今まで、
そこにさらに春雨から受けた
「……やりすぎたかな」
ボソリと呟く春雨。あの時は怒り任せ、さらには仲間達の怒りすらも背に受けて、その心が赴くままに漣を脅し、痛めつけ、心を陵辱した。
侵蝕されているにもかかわらず、主人を売ることを良しとするくらいにまで憔悴させたのは、ほかならぬ春雨である。絶対に敵わない相手であると教え込んだ結果が今に至るわけだ。
割り切っていても、実際にそういう状況を突き付けられると、根幹に優しさが残っている春雨には少しだけ
「姉さんは、あの場で最善の行動をとりました。このことを気にする必要はありません」
間髪容れずに海風が口を出す。これは大鳳の時と同じで、ああしなければ最善の答えに辿り着けなかったと。
少なくとも侵蝕されていた漣は、隙さえあれば仲間達を置いてでも撤退するつもりだったし、春雨のことだってギリギリまで出し抜こうとしていたくらいだ。あの状況でもまだ勝ち目を探しており、少しでも甘く見ていたら漣だけは撤退していた可能性すらあった。仲間を犠牲にしてまで。
それを防ぐためには、それこそ脚を折るか心を折るかのどちらかだった。前者は叢雲なら一切の容赦なく、心を痛めることすらなく繰り出していただろう。そして春雨は後者を選び、完膚なきまでに叩き折ったに過ぎない。
「ん……ありがと、海風。でも、漣ちゃんには一言二言は話しておいた方がいいと思う。あの時は本当に、頭に血が上ってたから。今ならもっと冷静に話せるよ」
「姉さんがそれを望むのなら、私は付き従うのみです」
海風はそれ以上は何も言わない。少なくとも、春雨に対してはいつも通りの態度。心の中もいつも通り、姉の偉大さを讃えているモノである。
海風は自他共に認める春雨至上主義だが、もしこれで春雨が間違ったことをしようとしているのなら、全力で止めに入ると決断している。身を滅ぼす暴走が春雨の意思だったとしても、それは間違っているから、命懸けで止めに入ったのだ。
今のこの春雨のしようとしていることは、間違いでは無い。春雨の根幹にある優しさから出たモノ。ならば、止める必要はない。
「今ならまだ落ち着いている方だから、説明は出来ると思うわ」
「わかりました。部屋に入らせてもらいます」
リシュリューに許可を貰い、3人が待機する部屋へと入った。コマンダン・テストも、少しだけ部屋の端に寄る。
まず最初にあったのは、驚きの視線。そしてその後、三者三様の感情。
曙は開き直っているというだけあって、春雨の姿を見ても何も思っていない。春雨はやるべきことをやったと理解し、あの激痛の中の治療も感謝こそすれ憎む理由などないと考えた。自分だって同じようにするから。
朧も考えを纏めた結果、どちらかといえば感謝寄り。あのまま侵蝕されたままなら、あの時以上に非道な行いを続けていたと思えば、まだ罪を重ねすぎていないあの段階で止めてもらえたのはありがたいものである。
そして漣はというと、リシュリューの言っていた通り、終始俯いていた。それを春雨は見逃さなかった。春雨の顔を見た瞬間、ヒッと息を呑んだのを。そして、シーツを深く身体に纏わせて部屋の隅でジッとしていた。
「アンタが直々に来るってことは、あたし達の処遇が決まったのね。やっぱり解体かしら。人類の敵になったようなものだし」
「そんなことないよ。あの時は人類の敵だったけど、今は違うでしょ?」
「当然。アイツらの思い通りになってたのが気に入らなくて仕方ないわ。出来ることなら、あたしの手でぶち殺してやりたいわよ。練度が足りないのが腹が立つわね」
勝ち気な曙を見ていると、確かに叢雲タイプだと納得。罪悪感を怒りに変え、そしてそれを力に変える。その力のおかげで後ろを向くことなく、次に活かそうと躍起になっていた。これならば、燃料は違うにしろ荒潮のように即戦力になれるように訓練を始めるかもしれない。
「解体じゃないってことは、拘束か何かされるのかな」
「ううん、ただドロップ艦として鎮守府に引き取られるだけ。着任しておしまい」
「えっ……だって朧達はあんな酷いことを」
生真面目な朧は、やはり侵蝕されていたとはいえ自分の罪として認識し、罪を償う方向で考えていた。
しかし、そんなわけがない。事件に巻き込まれた者達は例外なく保護され、どういうカタチであれ更生の道を辿ることになるだろう。罪の意識を無理矢理持たされたようなものなのだから、それと上手に付き合い、艦娘としての生き方にして行ってもらいたいと。
「私達が元々いた鎮守府が受け入れてくれることになってる。覚えてると思うけど、龍驤が狙ってるっていう鎮守府のことだよ」
「……この施設を手中に収めたら、ここで手に入れた戦力も使って鎮守府を潰すって言ってた……多分。誰が何処でどうやって言ってたかが全然思い出せないのが悔しいけど」
「うん、みんな同じことを言ってる。使うだけ使っておいて、必要無くなったら足がつかないように自分に関する記憶が泥と一緒に吐き出されるんだよ」
それを聞いたら朧も怒りが湧き上がるように拳を握り締める。生真面目であるが故に、そのような卑怯なことが許せない様子。曙とは違うベクトルの怒り。
「この後すぐってわけじゃないけど、鎮守府から調査隊がここに来るの。みんなはその部隊に引き取られることになってるから。大丈夫……だよね?」
「朧は大丈夫。ぼのは?」
「構わないわ。アンタ達の話を聞いてる限り、そこの提督はクソ提督じゃ無さそうだし」
何やら提督という存在に対して思うところがあるようだが、そこは絶対に大丈夫だと春雨が保証した。むしろ逆に、今は心労が溜まっているから、変なプライドで突っかからないでくれと念押しまで。
曙としても、生まれて今までいろいろありすぎて、プライドも何もあったものではない。だからといって提督にホイホイ従うようなこともしたくないようだが、そこには罪悪感が絶妙に絡み合って複雑な感情のようである。
「漣ちゃんにも勿論鎮守府に行ってもらうけど、問題ないよね?」
俯いている漣に声をかける春雨だったが、その声を聞いてビクッと震えた後、反応を返すことも出来ずにシーツを頭まで被る。
「アンタにやられたこと、相当キテるみたい。それに、漣が一番いろいろやらされてたみたいだから、あたしらよりも罪悪感が凄いみたいよ」
「……そっか」
曙から説明され小さく溜息を吐いた春雨だが、お構いなしに漣の前にしゃがみ込む。
「ごめんね漣ちゃん。私もあの時は頭に血が上ってた。言い訳にしかならないかもしれないけど、私が怒り憎むのは泥に侵蝕されていた漣ちゃんであって、解放された今の漣ちゃんじゃないの。もうこちらを出し抜こうとか、陥れようとか考えてないんだよね。だったら、顔を上げてほしいな」
優しい口調なのだが、節々に溢れた怒りが見え隠れしているためか、漣は春雨がこう話しても反応は無く、ブルブルと震えていた。
理由は勿論いくつかあるが、1つはやはり、今までやらされていたことに対しての深い罪悪感。最後の最後に仲間を見捨ててまで逃げようとした非道さもそれに拍車をかけている。今はまるで思い出せない主人のために何もかもを利用し、自分のいいように操ることに快感を覚えていた自分が許せない。
そしてもう1つが、春雨への恐怖である。今までいいようにやってこれたことで調子に乗っていたところに、その全て破壊する春雨が現れたことで勝ち目のない存在というものを知ってしまった。そのせいで、圧倒的な恐怖を感じてしまっている。
「漣さん、聞いてください」
そこに海風が近寄る。春雨は何をするのかと思いつつも、あえて何も言わなかった。
「侵蝕されていた貴女を救ったのは、紛れもなく春雨姉さんです。考えてもみてください。貴女は泥の影響とはいえ、悪虐非道の限りを尽くそうとしました。仲間を犠牲にすることにも罪悪感すら覚えず、敵を陥れることに無類の快楽を得ていた。でも、今ならばそれが悪であることを理解していますね。姉さんはその悪から貴女を掬い上げてくれた救世主、恩人なんです。理解出来ますよね」
ゆっくりと染み込ませるように語りかける海風。漣を開き直らせようとする説得ではあるのだが、節々に偉大なる姉への信仰心が見え隠れする。
「痛みや恐怖は仕方ないこと。それが貴女の罪を拭い落とすために必要なことだったからです。その痛みだけで罪が許されたと思えば、軽いものだと思いませんか。姉さんは貴女のために、貴女を救うために、自らへの痛みも顧みずにあそこまでのことをしたんです。全ては貴女に艦娘としての正しい道を歩いてもらうためです。それとも、それを全て無下にして、また悪意に呑まれますか。違いますよね。貴女は救われたんです。もう痛みも恐怖も無い、正しい道に戻ることが出来た。それは誰のおかげですか。そう、姉さんのおかげです」
漣の震えは次第に治まっていく。恐怖に支配されかかっており、正しい考えが出来なかったところに、海風のこの言葉。傷付いた心に染み渡っていくように、罪悪感が解きほぐされる。
救われた、恐怖はもう要らない、今が正しい道、次々と今の漣を肯定する言葉が投げかけられ、そして最後はそれが誰のおかげかを説く。
春雨がこれはまずいかもしれないと思った時には遅かった。
「姉さんに対して持つ感情は、恐怖でも怒りでもないんですよ。姉さんは貴女を救ってくれた偉大なるお方。非道な行いから引き揚げてくれた女神に対して持つ感情なんて、1つしかありません。もう、わかりますよね」
震えていた漣がゆっくりと被っていたシーツをはだけて顔を見せる。そして、春雨の顔を見た瞬間、恐怖とは違う感情が溢れ出していた。壊れるほどでは無いにしろ、それはもう意識の方向を曲げたようなもの。
「……漣を戻してくれて、感謝しかないッス……そんな
何やら引っかかる言葉を使ったものの、俯いていた漣は前を向こうと顔を上げた。
「漣も、頑張って開き直ってみる。辛いけど、怖いけど、でも今持つべき感情は、それじゃない……んだよね」
そして、自分の頬をパンと叩き、勢いよく立ち上がった。その表情は、本来の艦娘漣の持ち味である、お調子者の明るいもの。悪意なんて何処にも無い、屈託のない笑顔である。
「割り切る! 漣ちゃんはここから正しい艦娘として頑張る!」
「うん、それでいいと思う。あとやっぱり謝っておくね。あの時は」
「いやいやいや、春雨氏。あれは愛の鞭みたいなもの。あの時の漣はああでもしなけりゃ反省も何もしなかったでせう。むしろ、元主人を売らせるまでしてくれて感謝感激雨霰ですぜ。だから、謝らんでくだせえ」
打って変わって太陽のような輝きを見せ始めた漣は、春雨の怒りすら払拭しかけていた。
海風の説得という名の布教。