午後、施設。哨戒当番は松竹姉妹と古鷹。残りの者は、自由な時間を過ごす。少ない平和な時間ではあるものの、貴重な時間をしっかり満喫することが大切。緊張感はあるものの、心は安らぐものである。
今の段階で施設の中の課題はいくつかあるものの、今一番力を入れているのは潮のトレーニング。暇な者はそれに付き合って身体を動かすことが日課のようになっており、スタミナを付けたいという理由で元あちら側だった古鷹や大鳳、コロラドが付き合ったり、単純に潮ともっと仲良くなりたいからとミシェルが付き合ったりと、自由気ままに鍛えられている。
そのおかげか、潮はこの施設にやってきて数日で、相当な力を手に入れていた。その特性により教えられたことはスポンジのように吸収し、さらには誰よりもあるスタミナのおかげで休みなく動き続けていた、
今、潮のトレーニングに便乗しているのは、いつもの飛行場姫と潜水艦姉妹の他に、大鳳と戦艦棲姫。それを少し離れて見守っているのが、潮の遠縁の姉妹となる叢雲と薄雲、そしてストレス発散中の春雨と海風。
春雨と叢雲は、こういうタイミングで心を落ち着かせることで怒りを抑え込むことにも努めている。
「潮ちゃん、また表情が柔らかくなったんじゃないかな」
春雨が話す。こうやって身体を動かし、施設の者達と身体の付き合いを続けていることで、恐怖心はかなり薄れていた。特に飛行場姫と潜水艦姉妹は、毎日近くにいるために心を開けているといえ、ほんのりとではあるが笑顔すら見せる程に。
そしてこの交流が潜水艦姉妹にもいい影響を与え続け、未だ無表情は変わらないものの、もう自我を取り戻したと言ってもいいほどに、自分の意思で動いている。今も率先して潮のサポートをし、自分達も鍛えつつも楽しく交流を深めていた。
「ですね。溢れた恐怖はどうしても払拭出来ないでしょうけど、それを感じさせないくらいに明るくなったように見えます」
「だね。楽しく生きていけてるみたいだし、いいことだよ」
春雨も小さく微笑む。やはり心からの笑みではないものの、仲間が楽しく生きていけているところを見ていると嬉しいという気持ちは変わっていない。怒りと寂しさが溢れていても、根幹の優しさが失われているわけではないのだ。
「そろそろ自衛くらいは出来そうね。武器が持てないなんて言ってた時はどうなることかと思ったけど」
「あれ、自衛どころか気持ちさえあれば普通に戦闘にも出られるくらいになってませんか。みんながいろいろ仕込んでますし」
「それは……うん、出来そうな感じね。回避能力も仕込まれてるし」
叢雲と薄雲による潮の分析。1週間足らずで、もう戦場に出られるほどに強くなっているという認識は、あながち間違いではない。言ってしまえば、
握力腕力が備わっているわけではないので、かなり前に飛行場姫が見せた槍をひん曲げるようなことは出来ないだろうが、力にモノを言わせること以外は全て出来るようなもの。
「……漣ちゃん達が救われてることを知ったら、自分から行きたがるかもね」
絶対に潮に聞こえないくらいの小さな声で、春雨が呟いた。
当たり前だが、潮は自分がこうなった理由である漣達が、今はもう侵蝕されておらず、鎮守府で必死に鍛えていることなど知らない。だが、古鷹の話を聞いたことで、漣達はこの事件の裏側にいる者に操られていたということは理解している。
今でこそ恐怖が先立つだろうが、もしここで鎮守府にいる漣と話をすることが出来たら、漣をああした張本人──龍驤に対して、どんな感情を持つのか。漣達を陥れたことに対して、激しい恐怖に向かうか、それとも激しい怒りに向かうか。
「でも、まだ伝えない方がいいよ。せっかくここまで来たんだから、もう少し強くなってから」
「それがいいわね。心の方が鍛えられてるかはわからないし」
笑顔が戻りつつあっても、だからと言って漣達と顔を合わせるだなんて出来るかどうかはわからない。話題を出すのも憚られる。
ならば、時が来るまでは事実を隠蔽し続けるべきだと判断した。その辺りは、飛行場姫や潜水艦姉妹も同じことを考えているだろう。
「あちらはあちらで鍛えてるんですよね、おそらく」
「だね。3人が3人、すごく頑張ってるんじゃないかな」
鎮守府の状況なんて知る由もないのだが、春雨はしっかり直感で察していた。誰と何をしているかまではわからなくとも、まるで心を通わせているかのように同じことをしているのだと。
今はこれでも、いつか顔を合わせる時が来る。この調子なら、その時は近いだろう。
「……ん?」
と話している時、春雨が何かを感じ取ったように海の向こうを見つめる。それに釣られて海風もそちらを見る。ただ水平線が広がっているだけで、何かあるわけでもない。
「ん? 哨戒部隊が戻ってくるわよ。さっき出て行ったばかりよね」
叢雲の感知範囲に3人の反応。午後イチに出て行った哨戒部隊がこちら側に戻ってきていることに気付く。
普通なら、哨戒に出て行った部隊は夕方になるまでは戻ってこない。緊急事態が起きない限りは、出て行ったら出て行きっぱなしである。海上に泥が設置されていた時も、深夜哨戒だからという理由もあるが施設に戻ってくることも無かった。
春雨達の声が聞こえたか、飛行場姫も潮のトレーニングを一時中断。緊急事態に備えて艤装を展開し、高高度へ艦載機を発艦した。
「悪ぃ悪ぃ、ちょっとまずいと思って戻ってきたぜ」
少しして、哨戒部隊が施設に帰投。竹が若干先行して状況を報告。
「鎮守府の奴らじゃない艦娘がチラッといてさ、何か間違えないうちに撤退してきたんだ」
「
松も合流してすぐに中間棲姫に連絡を取ってもらうように話す。最後に来る古鷹は、まだ水平線の向こう側に目を向けながら艤装もしまわない。艦載機を発艦した後のようで、それが戻ってくるまではここに待機するつもりのようである。
「こちらに向かってくるようなことはありませんでしたが、一応艦載機を1機使って監視だけはしています。妹姫さんもお願いしていいですか」
「そうね。間違ってこちらに来ちゃうこともあるかもしれないし、そうなった時のことを考えてこちらでいろいろ考えておきましょ」
何も知らないものがうっかりこの施設の海域に入ってしまった場合、深海棲艦の巣窟のようなこの場所を見たら何を思うかなんて考えずともわかる。少なくともいい方向にはいかない。
とはいえ、追い払うことも難しい。姿を見せることなく施設に来ないように仕向けるというのはまず出来ないことだ。最悪、艦載機から手加減して模擬弾を撃つくらいしか手段がない。
なので、その前に鎮守府の面々に保護してもらうことを望む。それは確かに緊急事態。
「泥の反応は?」
ここで春雨が素直な疑問をぶつける。答えはわかっているようなものだが。
「無かったな。あったらお前にいろいろ頼んでた。無いから逆に困っちまった」
「ほら、何も無いってことは、この施設に敵意が無いってことよね。うっかり迷い込んじゃう可能性が」
善意も悪意もない、依頼によるただの調査である場合は、この施設に辿り着けてしまうという前例が、潜水艦姉妹によって作られていた。そのため、敵でも味方でも無いものは特に注意しなくてはならない。
もし万が一施設に辿り着いてしまった場合は、どんな理由があっても堀内鎮守府に連れて行ってもらわなくてはならない。何処かの鎮守府所属ならそこから話を通すことになるし、ドロップ艦ならそのまま所属という方向に持っていくことになる。
「潮、一度施設に戻りましょ。万が一のことを考えたら、ここにいるのは危ないわ」
「は、はい、わかりました……」
「姉姫に伝えてくる」
「鎮守府に伝えるように」
施設の外にいると、もしかしたらその何者かわからない艦娘の目に入ってしまうかもしれない。それは潮にとってもいいことが何一つ無いため、トレーニングは一時中断し、潜水艦姉妹に連れられて施設へと戻っていく。
艦載機に関しては飛行場姫に任せたため、古鷹も一時的に艤装をしまい、なるべく艦娘に近い姿になるために重巡古鷹としての制服姿へと変わった。飛行場姫は言い訳が出来ないが、ここにいる他の者達はまだ艦娘と言っても言い訳出来るくらいの姿だ。もし見られたとしても、敵対はされないはずと判断。
「まぁ、警戒するに越したことは無いからね」
「腹が立つけど、今だけは艦娘の変装くらいしてやるわ……」
「姉さん……少しだけ我慢をお願いしますね」
古鷹に続いて、他の者達も艦娘時代の制服姿へと変化していった。叢雲だけは抵抗があるようだったが、仕方ないと舌打ちしながら偽装は完了。
「……でも、なんで突然艦娘が。この辺りでドロップ艦って見つかったことはあるんですか?」
飛行場姫に尋ねる春雨。ここに来て、ドロップ艦といえば荒潮と潮くらいしか思いつかないのだが、この近海で生まれたわけではないことはわかっている。そのどちらもが別の海域で生まれており、荒潮は龍驤に泥を仕込まれた挙句にここまでやってきて被害を出し、潮も繭となってこの近海まで流れ着いたのみ。
松竹姉妹が見たという艦娘がこの近海で生まれたドロップ艦であるかはわからないものの、珍しいものであるのは確かである。そもそもドロップ艦ではなく他の鎮守府所属の艦娘の可能性だってあるわけだし。
「オレ達がここに所属するようになってからは一度も無いな。というか、ドロップ艦そのものが無いんじゃないか?」
「私も聞いてないから、多分ドロップしないんだと思ってた。だから、基本的には何処か別のところでドロップして、ふらふらここまで来ちゃってるんじゃないかなって」
松竹姉妹と古鷹曰く、その艦娘は練度が高いようにも見えなかったという。あっちへふらふらこっちへふらふらと、あてもなく航行しているようにしか見えなかったようだ。
艦娘は本能的に鎮守府を探す習性があるのだが、その過程でこの海域に紛れ込んでしまったと考えるのが妥当。
それでも警戒しているのは、今までの経験から。荒潮による大惨事はまだ記憶に新しい。それもあってか、ドロップ艦を保護するという方向には行かなくなっている。
「……これ、もしかして」
ここで春雨がまた直感を光らせる。
「何か思い付いた?」
「多分ですけど、その艦娘も
春雨の苛立ちが見えてきたため、海風がその手を握る。艤装の義腕であったとしても、何かしらの感覚が得られるはずなので、それで落ち着いてもらう。
「何も伝えないでこの施設の場所を探させてるんじゃないですか? 漣ちゃん達が戻ってこないから、次の手段に打って出てきたと」
「何も知らずに敵意もない者ならここに辿り着けるからってこと?」
「はい。泥の反応がないからなんとも言えませんけど、無くはないかなと」
それでも、施設の者達が哨戒をしていることを向こうも理解しているはずだ。むしろそれを狙って何も知らない艦娘を嗾けてきたのかもしれない。その艦娘に施設の深海棲艦を見せることで敵がそこにいるという認識をさせ、鎮守府全体に不和を呼び込もうと画策しているような。
「後のことを考えてやっているのかはわかりませんけど、嫌がらせであることは間違いありません。本当に、こちらをイラつかせることに関しては上手ですよね」
「本当よ。天性の才能かしら。逆に感心するわよ」
怒りが溢れた2人には、龍驤の存在そのものが苛立ちを助長させるモノとなっている。何をしても気に入らない。海風と薄雲が落ち着かせるために手を握るものの、ヒートアップは不可避。
「まぁ、まずは施設の安全を第一にしていこうぜ。オレ達ゃある程度変装は出来っから、万が一のことがあったらうまいこと言い繕ってここから帰ってもらえばいいだろ」
「そうね。竹の言う通り。でも鎮守府のヒト達が先に来てくれたら、全部任せちゃえばいいと思うわ。妹姫さんもどうにか変装を」
「難しいこと言うわね……アタシは艦娘じゃないんだからどうすればいいってのよ……」
そんなこんなで施設は少しバタバタしたものの、そのふらふらしている艦娘は最終的に鎮守府の艦娘達に保護されることになる。
一応施設は発見されることなく終わったのだが、これが龍驤の作戦だったのかどうかは、また少ししてからわかるだろう。
妹姫様は空母に見えなくもないから、そういうカタチの変装をしました。ここの面々が知ってる空母だと大鳳、ちとちよ、サラトガなので、多分サラトガ方面。