夕方、夕食前。施設では食事の準備中だったが、突然タブレットが音を鳴らす。おそらく、哨戒部隊が発見したドロップ艦を保護した後、鎮守府にまで無事に連れ帰ることが出来たことを報告してくれるのだろう。
それまで『観測者』は春雨の監視のために施設内に滞在していたのだが、コールされた時点でその場から消えた。万一にでも、人間側にその存在を見られるわけにはいかない。代わりに春雨の監視は失われる。春雨にはその感覚が直感的にわかるので、こういう時は仕方ないかと妥協。
「はぁい、まだ大丈夫な時間よぉ」
ダイニングには中間棲姫。それと夕食を作るためにいた飛行場姫と潮に潜水艦姉妹。そして、直感的にここにいるべきではないかと来ていた春雨と海風。
画面にはいつも通り、堀内提督と秘書艦五月雨。大将と大塚提督も参加。何かしらの事件が起きた時は、中間棲姫も含めた4人の代表が揃うようになっていた。勿論、施設がドロップ艦を発見し、その保護を堀内鎮守府に依頼したことも全員が知っている。
『さっきは報告ありがとう。ドロップ艦は無事に鎮守府で保護することが出来た』
「それは良かったわぁ。何事も無かったかしらぁ」
『ああ、
少しだけ気になる言い方。本人には何も無かったということは、別件で何かあったと言っているようなもの。
「そのヒトの周囲に何かあったんですか?」
その疑問をすぐに春雨が口に出す。元より龍驤の手の者ではないかと話していたため、ドロップ艦の存在そのものに疑念を抱いている。最悪な場合、
そのため、今鎮守府が手に入れた情報から分析するしかない。それもあるため、堀内鎮守府では文月に対してそこそこの状況説明をしてもらっている。
『ドロップ後、襲われるようなことは無かったが、何者かに出会って道案内をしてもらったと話している。その人数は3人。彼女──文月の言葉をそのまま使うなら、大きなお姉さん、小さなお姉さん、そして駆逐艦だそうだ』
駆逐艦はそのまま駆逐艦の艦娘であろう。しかし、お姉さんという抽象的な表現をされた2人は、艦種すらわからない。
とはいえ、その中に龍驤がいたとしてもおかしくはない。そのままの姿ならば小さい方に入るだろうし、他人の身体を使っていたなら大きい方に入るだろう。
『それよりも重要なことは、まだ3人いるということになる。未だ海上を動き回っており、ドロップ艦を見つけては侵蝕を繰り返すことで兵力を増しているのだろう。それがまた別の艦娘や深海棲艦を侵蝕してを繰り返していると考えれば、敵戦力は減るどころか増える一方だ』
『俺の鎮守府でやったことを、あらゆる海域でやっているわけだな。厄介極まりない。鎮守府1つでもある程度の人数が必要になったんだ。全域となると一筋縄ではいかない』
鼠算式に侵蝕されているものが増えていくという状況は、大塚鎮守府でも発生している。その時の処置ですら、専用の道具と類稀なる技術を持った吹雪と五月雨が
しかし、今度は規模が違う。建物内という閉じられた空間ではなく、いくらでも広がっている海上だ。それこそ、分散されたら探すことすら時間がかかる。
『この被害の拡大を防ぐためには、まず間違いなく元凶を叩く必要がある。今回の場合は、龍驤だ。どうにかしたところで、既に侵蝕されている者は元には戻らないだろうが、原点が消えてれば多少行動は変わるだろう。そのために、僕からの提案は、
少なくとも、龍驤がいなくなれば統率力が失われる。そうすれば、広い海上での侵蝕された者の確保と治療も少しはマシになるはず。
「私もそれは賛成です。このままだと、今日保護された文月ちゃんでしたか、彼女みたいな何も知らないで利用されるドロップ艦を次々と嗾けてくることになると思うんです。今回は何とかなりましたが、時間を与えたら施設に辿り着いてしまいます」
堀内提督の提案に、春雨は即座に乗った。怒りによって好戦的になっているというのもあるが、施設の場所を何も知らないドロップ艦を何度も送り込んでくる可能性を考えたら、施設を守るためには早く処理をする必要が出てくる。
文月はたまたま施設から逸れたが、何人も送り込まれれば1人くらいは施設までの道を見つけてしまう可能性はあるだろう。そうなったら最後、どういうカタチでそのドロップ艦を確認しているかはさておき、施設の場所を完全に把握され、ありったけの戦力を注いで殲滅にくるはずだ。
施設の平和のためにも、今は守りより攻めに寄せた方がいいと、春雨は確信している。
むしろ、向こうはこちらから攻勢に出ることはないと見越して、上から叩き潰そうとしているのではなかろうか。いくら覚醒した辿り着く者がおり、さらには最悪の姫の器や、沢山の仲間達がいたとしても、泥の侵蝕と数の暴力さえあれば踏み潰せると信じて。
『堀内提督、今のところ龍驤……いえ、泥対策は何処まで出来ているのかしら』
ここまで聞き専だった大将が口を開く。
『予算度外視で進めていますが、連合艦隊1つ分の対策は出来ています。侵蝕の件もクリアし、話に聞いている触れるだけで侵蝕されるであろう泥のコスチュームというのも回避可能となりました』
『あの開発コストを聞かされて私も流石に驚いたけれど、今回ばかりは仕方ないわ。そこまでしなくちゃ勝てない敵であることは私も認めているから』
流石に1人分、6つのパーツ1セットを開発するのに、艦娘の装備の中ではトップクラスのコストである51cm連装砲と同等と言われたら、いくら大本営の大将といえども尻込みをしたようである。
しかし、今回はそれくらいしなければ戦いにすらならない可能性があった。何せ、触れた時点でアウトとなると、救えるものも救えない。ただでさえ、鎮守府側の治療方法は投薬だ。ただ砲撃や雷撃だけではどうにも出来ない。それ故の苦渋の決断でもある。
『準備が出来ているのなら、もう躊躇している暇はないわね。こちらから打って出ましょう。拠点としている場所はおおよそ見当が付いているのよね?』
『はい。移動している可能性は多少ありますが、今回保護した文月が話していたことからも、ほとんどその場所から動いていないことはわかっています』
漣達から聞き出した情報で、居場所はある程度しぼれている。それに加えて、文月に道を教えてくれたという艦娘の位置も計算してみたところ、近しい場所だったようだ。
文月は、たまたま龍驤の拠点の近くにドロップしてしまったのだ。そのため、こういうカタチで利用されることになった。泥による侵蝕を経験しなかったのは幸運としか言えない。もしくは、他の駆逐艦と比べると若干非力であることを知っていたから、あえてこういうカタチで利用しただけかもしれないが。
『では明日、黒幕との戦いの前哨戦と行きましょう。龍驤に攻勢を仕掛けます。いいわね?』
『了解です』
龍驤に勝てなくては、最後に待ち受けている黒幕には到底敵わない。今持っている手段が通用するかを確認する前哨戦と言っても過言ではない。これでダメならば、嫌でも撤退を余儀無くされるのだが、それでも誰も犠牲を出すことなく戦う手段を見出ださなくてはならない。それを知るためにも、早急な対処が必要。
「提督、一ついいですか」
ここで春雨がさらに口を出す。その瞳には、溢れた怒りと沸き立つ苛立ちが見えていた。素人目に見ても、今の春雨が何かに対して怒りを持っていると判別出来る程に。
『なんだい春雨』
「その戦い、私にも参加させてください」
あくまでも、施設は被害者だ。そんな被害者に、さらに辛い思いをさせたくない。だからこそ、人間の手で決着をつけなくてはならず、平和を望む者を戦場に駆り出すわけにはいかないと戦術を作り上げてきた。
当然これには難色を示す。それなのに、春雨はそれでもと話す。
「直接出てきていないとはいえ、龍驤のせいで何人も傷付きました。極端なことを言えば、ジェーナスちゃんから始まっていることです。もう、このまま指を咥えて待っているだけでは収まりがつかないんです」
間接的に龍驤にトラウマを植え付けられた者は、施設にも相当な人数になっている。龍驤が荒潮を侵蝕し、そのままやられたジェーナスから始まり、今でこそ夕食の準備をしながら静かに聞いているが、漣経由で殺されかけた潮や、その後の戦いで侵蝕された海風、薄雲、戦艦棲姫も被害者。そして今の姿になってしまった春雨だって、被害者と言えば被害者だ。
言ってしまえば、龍驤は黒幕よりも施設の平和を脅かしている。全ての元凶は黒幕かもしれないが、その姿を見せている分、龍驤の方が怒りの矛先が向きやすい。現に、明確な被害者は龍驤側の方が多いくらいである。
「私は悟りました。平和は、歩いてきてくれません。自分から歩み寄らなくちゃいけません」
待っていて平和になるのならそれはそれでいいだろう。しかし、防戦一方で常にストレスを与えられ続けている現状ならば、そんなことを言ってはいられない。
他力本願というわけではないし、鎮守府を信用していないわけでもない。鎮守府だけでもどうにか出来ると信じている。だが、それをただ見ているだけでは、真の平和には届かない。
「ベクトルは違うかもしれませんが、やろうとしていることは鎮守府にいた時と変わりません。世界を守るために戦うか、施設を守るために戦うか、それだけです。範囲は狭いですし、私怨もありますが……私は私から平和を掴み取りに行きたい」
熱弁する春雨に対して、中間棲姫は複雑な表情を浮かべる。今の施設に所属する者の半分以上が、もうこの戦いの被害者だ。春雨の言いたいことだって理解出来ている。この島から動けないからこそ、仲間を頼って平和を待つという選択をしていたが、出来ることならば自分の手で平和を維持したい。
しかし、戦いたくないという気持ちも強くある。それに、仲間達を危険な目に遭わせたくない。痛いことも、苦しむことも、当然死ぬことも、見たくないし感じたくない。待っているだけで平和が訪れるのなら、それに縋りたい。
「最後の決定は姉姫様に任せます。私だってこの施設の一員ですから、独断で何かしようだなんて思っていません。それが施設の迷惑になるというのなら、私は我慢します。でも、私の意志は伝えました。この施設の平和のために戦いたい。平和を脅かす者と、この手で決着をつけたい。多分ですけど、同じように思ってる子は他にもいると思います」
力強い、しかし、あまりそれを肯定するのは難しい表情を見せる春雨。それを見て、中間棲姫もここが
今までは、外部からの接触もない、本当に平和な島だった。毎日が変わらない日々を送り、のんべんだらりと生活するのみ。生きていることが楽しいと感じられるくらいの何も無い毎日だった。稀にやってくる外部の者も、結界のおかげで敵意はなく、世間話をする程度。
だが、ここ最近はあまりにも平和とは程遠い日々を過ごしていた。畑も自ら破壊せざるを得なくなり、それももう直ったとはいえ、以前の平和は何処かに行ってしまっている。もう遥か過去に思えるほどに。
それの平和は恋しい。ここにいる者達と、面白おかしく楽しく生きたい。またあの日々に戻りたい。脅威に怯えることのないあの日々に。
「……私としては、こうまでされても戦いたくはないの。荒っぽいことは嫌いだし、そもそも私はこの島から動けないもの。打って出ると決めても、貴女達にやってもらうしかない。それがね、辛いのよ」
仲間を危険に晒す行為になるのだ。自分の決断が、仲間の命に繋がると思うと、容易に決められるようなことではない。
「でもね、春雨ちゃんの言うこともわかる。平和は歩いてこない、待っていたら全てが終わっているとは限らない。最後には勝てたとしても、動かないでいたらその分大きな被害が拡がるかもしれない。それも嫌なの。……ワガママよね私。何もしたくないのに平和を望んでいるだなんて」
中間棲姫からそんな言葉を引き摺り出してしまったことで、春雨は自分に対する怒りも沸き立たせる。こんな決断をしなくてはいけない、させなくてはいけないことに怒り、悔しさが滲んだ。
『姉姫、1つ提案があるのだけど』
ここで大将が割り込むように口を開く。
『私達としては、勿論貴女達の手を煩わせることなく終わらせたい。平和を求める施設から戦力を募るなんて間違っていると思うわ。それでも、貴女達の中に戦いを求める者が出てきてしまっているのも事実。アレだけのことをされたんだもの。平和を求めていても、恨み辛みが溜まってきてもおかしくはないわ』
中間棲姫は悲しい笑顔で一言、そうねと応える。
『だから、
「違う方向?」
『ええ。私は前々から計画だけはしていたんだけれど、貴女達の意思を尊重するとなかなか言い出せなかったことなの』
大将は小さく息を吐き、真剣な瞳でカメラ越しの中間棲姫を見つめる。
『貴女達を大本営の管理下に置き、明確に穏健派の深海棲艦として認めさせる。そのために、協力して戦線を組んで、世界の平和を目指している者達であることを知ってもらうというのはどうかしら』
平和は歩いてこない。とある界隈では有名な言葉を引用させてもらいました。