夕食後の施設。鎮守府との対談によって、黒幕と龍驤の件を終わらせるために、施設からも戦力を投入して事にあたる方針となったことが伝えられる。
中間棲姫がその決断をしたことに驚きの声が上がったものの、今のままではただ一方的にやられるばかりで、施設の平和が遠退くばかりであることは誰もが感じていたこと。苦い決断ではあるが、それを否定する者はいなかった。
「前哨戦は明後日らしいわぁ。一旦この島に来てから、改めて向かうらしいのぉ。その時に、この島から向かう戦力を同行させるわぁ」
こうやって伝えるのも、仕方ないこととはいえ辛そうである。平和を掴み取るために選んだこととはいえ、不本意と言えば不本意。
しかし、こうでもしなければ、あちらの脅威はずっとあり続ける。そのために決断したのだ。打って出ることにより、早急に平和を掴み取るのだと。
「ただ、1つだけ肝に銘じておいてほしいのだけれど、その戦場に出るということは、侵蝕される可能性があるということにほかならないわぁ。それがあるから、私としては誰にも出ていってほしくないのよねぇ」
そこが一番の問題。自らの手で平和を掴み取るために戦うとしても、あちら側は侵蝕という心に大きな傷を負わせる攻撃をしてくるのだ。最悪な場合、ここに戻ってこれなくなる可能性すらある。それが一番辛い。
中間棲姫の忠告を聞いて、数人がビクッと震える。侵蝕の快楽と、その後の自分の有様を覚えている者。
特に大きく反応したのが、自己嫌悪が溢れているジェーナス。変貌も酷かったこともあり、ギュッと拳を握る音がわかるほどだった。そのことを知らないミシェルも、少しだけ心配そうに手を握る。わからずとも、ジェーナスが辛い思いをしたというのはわかるものである。
「私と春雨は問題ないわね」
「うん、侵蝕されないからね。勿論、油断は禁物だけど」
「当然よ。大丈夫とわかってても自分から触ろうだなんて思わないわ」
その条件下では、施設の者達で気兼ねなく出られるのは春雨と叢雲。泥に直接触れても侵蝕されなかった実績があるため、基本的には安心。しかし、勿論それを過信することはない。あの時は侵蝕されなかっただけで、次はダメという可能性だって無くはない。あとはミシェルもなのだが、流石にあの戦場に出そうだなんて思えない。
それに、龍驤本人が来た場合はさらにどうなるかわからない。そんなことをさせるつもりは毛頭無いのだが、それでも戦場では何が起こるかわからないのだ。警戒を厳に事にあたる。
「春雨姉さんが行くのなら、当然私も」
春雨は侵蝕を受けることが無いことが確実であるため、この戦場に出ることに何の不都合も無いが、海風は若干不安がある。春雨のような耐性、対策があるわけでもなく、最悪、戦場で侵蝕を受けてしまう可能性があるのが恐ろしい。
それでも臆することなく向かうと言い放った。春雨がその場に行くのなら、その傍らに立つのだと意志を固めている。それは自分のためでもあり、春雨のためでもある。
依存の特性を持つ海風が春雨に付き従うのは当然のことではあるが、春雨の溢れる怒りを最も抑えられるのが海風であることも重要。万が一、また春雨が暴走するようなことがあった場合、あの時のようにまた止めることになるだろう。
今の海風には、泥による侵蝕をまた受ける恐怖より、春雨がまた暴走する恐怖の方が勝っている。それ故に、この選択に一切の躊躇が無い。
「相手が空母であることがわかっているのなら、こちらからも空母を出す必要があるでしょう。なので、私も参加させてもらいます」
大鳳も挙手。この施設の中では貴重な空母であり、制空権争いに確実に貢献出来るため、自ら戦場に立つ。近接戦闘も可能であるため、いざという時に致命傷を与えることも可能だろう。ただし、泥のことを考えると近接戦闘は不安要素にもなってしまうが。
しかし、大鳳以外の者はそこからなかなか参加すると言い出せずにいた。元々
鎮守府の者達は、泥を回避する手段をしっかり開発しているため問題はないが、施設の者達は実力でどうにかするしかない。それならば、最初から襲撃しない方が安全だ。当然ながら、この島自体を守る必要だってあるのだから、全員が出払うなんてこともしてはならないし。
「あらコロ助、アンタは来ないわけ?」
早速叢雲がコロラドに対して弄るように言い放つ。似た者同士であり、犬猿の仲ではあるものの互いのことを変に理解しているため、コロラドはこの戦いに率先して参加表明をするかと思っていたようだ。
「私はアンタみたいに短絡的じゃないの。まだ1日あるんだから、ゆっくり考えさせてもらうわ」
しかし、コロラドはここで慎重さを出す。叢雲にとやかく言われても、まだ時間に猶予があるのなら行くかどうかは考える。
「へぇ、アンタにしては殊勝な考えじゃない。てっきり怖がってんのかと思ったわ」
「誰が怖がってるって? 私があんなヤツを怖がるかってのよ!」
言われてムキになるところはコロラドらしいが、しかしだからといって出撃するかどうかは保留にしている辺り、乗せられることは今のところ無いようである。
実際、コロラドは恐怖心を持っているから躊躇っているわけでは無い。二度と同じ目に遭わないように対策だってしっかり積むし、戦いが有利になるように立ち回れるようにいろいろ考えてはいる。
必要なのは、この施設を守る戦力。怒りに任せて全員出ていったら、この島を守る者がいなくなってしまう。コロラドが扱える白鯨は、施設防衛の切り札になるだろうから、温存するべきではないかと考えていた。
「私だって腹立たしいわよ。でも、どちらかといえばリュージョーじゃなくて、私を利用していた黒幕に対してなの。だから、別に意地でもぶちのめしてやろうだなんて思ってない。アンタ達に譲ってあげるわ」
「あっそ。ならありがたく頂戴するわ。後から寄越せとか言われても知らないわよ」
「言わないわよ。アンタは直接的な
ここの言い合いが若干和むくらいになっていた。激しい言い合いになるわけでも無い喧嘩漫才とまで言われる始末だからか、潮ですらこれに恐怖を感じなくなりつつある。
「……あ、あの」
潮がおそるおそる手を挙げる。まさか戦いに参加したいと言い出すのかと驚くが、まずはそうでは無さそう。
「その……そのヒトは……まさか、漣ちゃんを……おかしくしたヒト……ですか」
以前から少し察していたこと。あの時の漣は自分の意思でああいうことをやったのでは無く、誰かにやらされていたということ。その元凶なのではないかと、潮は尋ねる。
「……そうよぉ。今、敵とされている子は、他の子をおかしくして自分の手駒にするような子なの。漣ちゃんは、その子にやられておかしくなっちゃってたのよぉ」
真実を伝える中間棲姫。既にその漣達が救われており、鎮守府で必死に訓練をしていることに関しては今は黙っているようだ。
潮の知りたいこと、聞いてきた事には、嘘偽りなく返答する。だが、余計なことは言わないようにする。
「……じゃあ……その戦場には……漣ちゃんもいるかもしれないって……ことですか……」
自分で話していて、恐怖がどんどん湧き上がってきてしまったようで、その手は自分を抱き締めるようになっていく。震えも始まったため、潜水艦姉妹がすかさずサポートに入った。
黙っていようと思った矢先に漣のことを聞かれて、中間棲姫は少し困ってしまう。ちゃんと全てを教えるべきなのか、端的にその質問の答えのみを教えるべきなのか。
そこで、飛行場姫が助け舟を出す。自分が何か言われることを覚悟して、潮には正しい現実を知ってもらうために。
「潮、その戦場に漣はいないわ。もう救われてるの」
恐怖の中でも、目を見開いて驚く潮。その表情の中には、安堵も少しだけ含まれている。
「前の戦いでね、漣は侵蝕から解放されて、正気を取り戻しているわ。今はアンタを襲ったときのようなことは考えてもいない。艦娘として、鎮守府に引き取られているの」
救われたことは喜べるかもしれないが、やはり恐怖が先立つ潮には、自分から聞いていてもその恐怖がどんどん増幅してくる。震えは目に見える程になり、発作と言えるくらいに息も荒い。潜水艦姉妹も手を握ったり背中を摩ったりと、その発作を緩和出来るように尽力する。
「そ、そう、ですか……それじゃあ……あ、曙ちゃん……は……」
「曙も同じタイミングで交戦して、同じように救われてる。漣と一緒に鎮守府にいるわね」
震えどころか、涙まで流し始めた。発作はさらに酷いモノになる。しかし、知ることをやめようとはしない。
「ひっ……そ、その……漣、ちゃんと、曙ちゃん、は……ふぅっ、私のことを……知って……覚えて、いるんですか」
「……ええ、ハッキリと。侵蝕されてアンタを撃ったことを、自分の罪のように思って苦しんでいるわ。本来否応なく敵にやらされたことなのに、記憶も感覚も全部覚えているから、それが一番辛いみたい」
その時、潮の顔には確実に恐怖とは違う感情が浮かんでいた。漣達が無事に救われていることに対する喜びもだが、それ以上にわかりやすい感情。
怒り。
その時は本人の意思としてやりたくもないことをやらされ、不要になったら罪の意識だけを押し付ける。今でこそ、漣も曙も前向きに戦いに挑もうとしているものの、そのときの記憶が消えるわけではない。常に侵略者にされていた記憶はついて回る。
潮は、漣と曙にそんな辛い記憶を押し付けた元凶に対して、ハッキリとした怒りを覚えた。恐怖よりも先に怒りが込み上がってきた。
ネガティブな感情は、別のネガティブな感情を引っ張り出してしまうことがあるだろう。恐怖と怒りは密接な関係にある感情と言っても過言では無いのだから。
「……許せない……」
「潮?」
「わ、私、そのヒトが、ゆる、許せません……漣ちゃんも……曙ちゃんも……やりたくないことをやらされたなんて……」
自分の思いを言葉にする。自分がやられ、こんなことになっていても、姉妹艦の親友が敵の手駒にされていたことに対しての思いが先立った。
しかし、怒りの発露と同時に恐怖の発作がさらに激しくなってきたため、ここにいるのはもう無理だと潜水艦姉妹が部屋へと連れていった。これ以上話していたら、潮が余計に苦しむことになる。
潮が出て行ったダイニングは、少しだけシンと静まり返っていた。恐怖に呑まれた潮の、明確な怒りの感情は、空気を冷ますには充分すぎる。
だが、その怒りは他の者の感情にも火をつける。少なくとも、春雨と叢雲は、その怒りを受け取った。
「潮ちゃんの分まで、私達が戦います。それだけのことをやったのだと、後悔させるために」
「ええ、私も同じ意見よ。例え龍驤が他の連中と同じで最初はただ侵蝕されていただけだとしても、治療出来ない完璧な敵なら確実に終わらせる」
この言葉には、誰も何も言えなかった。近しい感情が、誰の心にもあったのだから。
猶予はあと1日。その間に、施設側も準備を終わらせる。前哨戦を何事もなく終わらせるために。
今のところの参加メンバーは、春雨、海風、叢雲、大鳳。他の仲間達は検討中。あんまり出ていきすぎても、施設の防衛が疎かになりますからね。姉妹姫だけでも充分ではあるんですけど。