翌日。施設は相変わらずの平和な1日のスタート。毎日続いている静かで穏やかな始まり。
春雨も1週間も経てば慣れたもので、朝は陽の光を受けて目を覚まし、朝食の準備の手伝いまでするようになっている。昨日の手伝いが余程楽しかったか、誰かに頼まれずともキッチンに立つようになっていた。
「リシュリューさんに振る舞えるくらいに上手になってみせますね」
「
楽しそうに料理をする春雨の姿は、これからの朝の代名詞になりそうである。そして、それをニヨニヨしながら眺める薄雲とジェーナスも。
リシュリューとコマンダン・テストが帰投してから、春雨は本当に多趣味になっていた。元々ある程度は出来た料理をさらに伸ばし、農作業や漁も楽しく取り組めている。毎日がやりたいことをやれているので、ストレスもあまり溜まらない。
ここ最近は酷い発作も起こしておらず、薄雲のそれを抑え込む役回りにも参加出来るようになり、中間棲姫が言った通り一人前と言っても問題ないほどにまで成長していた。安定していると称した方がわかりやすいか。
「リシュリュー、コマ、あと春雨も準備中かしら」
そんな中、朝の哨戒をしていた飛行場姫がいつもよりも早くダイニングに入ってくる。まだ朝食の準備をしている最中に戻ってくるのは珍しい。
「悪いんだけど、
「え、どういうことです?」
「言葉通りよ。ここで食べるのが1人増えるって意味」
こんなことは今までに無かったことであるため、春雨は混乱してしまった。そもそも食事の人数が増えるなんてことは本来あり得ない。客でも来ない限り。
そこでようやくピンと来た。時間などお構いなしに自由に動き回っており、この施設に普通に入ってくるような客なんて、どう考えても関係者しかいない。つまり、その追加の1人というのは、施設の理解者である穏健派の深海棲艦だ。
「はぁい。悪いわね、突然お邪魔しちゃって」
などと考えている内に、春雨の知らない女性がダイニングに入ってきた。
その女性は、黒いロングヘアーに少し短めの角が2本、額から生えている美女。中間棲姫や飛行場姫に負けず劣らずな抜群なスタイルを、ネグリジェのようなワンピースで惜しみなく曝け出している。
特に目立ったのは、そのせいでしっかりと見えている鎖骨付近の4本の小さな角。中間棲姫の甲殻の襟よりは目立たずとも、額の角と一緒に、明確に異形であることを証明しているパーツである。
「わぁ、
「そうね、大体1ヶ月ぶりかな。久しぶり、ジェーナス」
その姿を見たジェーナスが駆け出して飛びつく。薄雲も顔見知りであるようで、満面の笑みで出迎えた。
この中では新人である春雨だけが面識のない相手。しかし、その姿は知っていた。艦娘の時に大規模作戦で何度も手合わせした深海の姫、戦艦棲姫。その女性は完全に同じ個体である。
しかし、明らかに顔付きが違った。春雨の知る戦艦棲姫は、もっと敵意が剥き出しであり、冷ややかに微笑みながら殺意の塊である大口径の主砲を放ってきたものだが、この戦艦棲姫は中間棲姫や飛行場姫と同じように殺意も無ければ敵意も無い、穏やかすぎるくらいの柔らかい笑顔。
「あら、新人じゃない。私が前に来た時にはいなかったわよね」
早速気付かれたことで、心臓が跳ねる思いをした春雨。完全に萎縮してしまっているが、戦艦棲姫としては慣れっこのようで、ケラケラ笑いながら春雨に近付く。
「初めまして。ここの姉妹と仲良くさせてもらってる……って言っても、ここに来るのは1ヶ月とか2ヶ月に1回くらいなんだけど、まぁそんな感じのお姉さんよ。ここに住んでいるのなら、これからちょくちょく会うことになると思うけど、まずはよろしく、お嬢さん」
中間棲姫もダイニングに来たことで、みんな揃っての朝食が始まる。今までと少し違うのは、その中に戦艦棲姫が含まれていることだ。
「戦艦ちゃん久しぶりねぇ。最近そちらはどうなの?」
「楽しんでるわよ。人間の社会ってのは興味深いものが沢山でね。ホント飽きないわ」
この戦艦棲姫は、中間棲姫や飛行場姫と同じくらいの穏健派。しかも、陸上施設型ではないためか、リシュリューやコマンダン・テストと同じように、たびたび人間達の社会に紛れ込んでその文化を楽しんでいるらしい。その際にはどうしても角は消すことが出来ないため、服や装飾品で隠しているのだとか。
「やっぱり服飾関係は特に興味深いわ。人間ってば本当にオシャレで。おかげでウィンドウショッピングが捗る捗る」
「一度見てしまえば、服は自分で作れるものねぇ」
「ええ。でも、そのアイディアには脱帽しちゃうわ。あんなの私達じゃ思い浮かばないもの。最近はオシャレな
当然ながら、戦艦棲姫はお金なんて持ち合わせていない。人間の社会に潜り込んだところで、やることは
中間棲姫も言う通り、服に関してはその目で見てしまえば同じものを艤装と同じように作ることが出来てしまうため、深海棲艦にとってはウィンドウショッピングでも充分に身になるレベルなのである。
旧友との再会に中間棲姫もニコニコしながら会話し、周りも顔見知りであるため、その話を穏やかな空気で聞き入っているのだが、春雨だけはまだ頭の上にハテナマークが飛び交っている状態である。
それに気付いた中間棲姫が、ごめんなさいねと話を一時中断。春雨に戦艦棲姫をちゃんと紹介する。
「ああ、春雨ちゃんは初めてよねぇ。このヒトは私達と同じ、人間と戦いたくないって考えの
「貴女もここにいるってことは、同じ考え方なのよね。なら、貴女も私の同志よ。改めてよろしくね、春雨」
「は、はい、よろしくお願いします!」
人見知りというわけでは無いのだが、戦艦棲姫は中間棲姫や飛行場姫と違って大規模作戦では必ずと言っていいほど艦娘の作戦行動を妨害してくる
同じ食卓を囲んでいてもまだそれが難しそうなのを見て、戦艦棲姫は苦笑。
「いやぁ、この感覚も久しぶりね。新人ってのは大概私のこと警戒するのよ。ここでそんな顔しなかったの、ヨナくらいじゃない?」
「ヨナは海の上のヒトはそこまで怖くないヨナ」
「潜水艦だものね。私も潜水艦にだけは手が出せなくて困るわ」
警戒されることに慣れているというのは少し悲しいことだが、今が良ければ過去はどうでもいいという、ある意味楽天的な考え方もしているので、全く気にしていないようである。
ただ、ここまでの言動から信用出来る相手であることは理解出来た。中間棲姫も飛行場姫も完全に心を許しているし、先程ジェーナスも飛びつくくらいに懐いている。そんな相手が突然攻撃してくるわけがない。
「時間をかけて慣れてとは言えないけど、仲良くしてくれると嬉しいわ。あ、そうだ。この姿だから警戒しちゃうのかもしれないわね。せっかくだし、服を替えましょ」
言うが早いか、食べながらでもその服装が変化していく。元々着ていた黒のネグリジェ風ワンピースが消滅したかと思うと、明らかに
胸元の角も隠すくらいの少し厚着であり、帽子で額の角まで隠しているため、知らない者が見れば深海棲艦とは到底思えない状態に。
「わぁ……すごい、綺麗……」
「ふふ、ありがと。人間の社会にも潜り込める姿だもの、自慢の一品よ」
「ホント、こういうところのセンスは見習いたいところだわ」
飛行場姫も戦艦棲姫のこういうところには一目置いているらしい。戦艦棲姫は陸側の知識が豊富であるため、そういう話をしては楽しんでいるとのこと。
「えぇと……なんてお呼びしたら」
「ああ、そうね、それも人間の文化だものね。そこは適当に戦艦と呼んでくれればいいわ。ここの連中は貴女も含めて全員姫だし、特別な呼び方は難しいと思うし」
現に中間棲姫がその呼び名を使っているし、他の者も戦艦さんやら戦艦の姐御やら艦種で呼んでいたりする。それに倣うのが一番だろう。
「それじゃあ、戦艦様、今後ともよろしくお願いします」
「ええ、よろしく。そんなに畏まらなくてもいいんだけどね」
再度苦笑しつつ、朝食を再開。春雨からも警戒が取れ、改めて和やかな食事風景となった。
「そういえば、戦艦はなんでここに立ち寄ったわけ? いつものようにたまたま?」
朝食が終わり、後片付けをしている最中に飛行場姫が問う。戦艦棲姫がこの施設に訪れるのは、決まったタイミングではなく基本的にはたまたま。
人間の文化を楽しむため、特定の場所で暮らすようなことはしないのがこの戦艦棲姫だ。旅人と言ってもいいほどに、そこら中に行ってはそこの文化を見て出て行く。一箇所に留まるとしても、長くて僅か数日。基本的には日帰りである。
それ故に、ここなら訪れるのは世界をグルリと回ってから近くを通ったから立ち寄ろうという程度。その都度、旅の記憶を物語のように語ってからまた旅に出るという風来坊のような女性。
「たまたまってのはあるんだけど、話しておきたいことがあってね。この近くってわけじゃないけど、ちょっと
「変わったモノ?」
ここに立ち寄ったのはいつものたまたまだけではないと戦艦棲姫は語る。この施設の近海には本当に何も無い。そうだからこそここに施設を置いている。何も無いということは、何も事件が起きないということでもある。
それが、戦艦棲姫としても変わったモノであると認識出来る何かがあったというのだから話は変わる。
「ほら、ここいらでも一応は
「そうね。海の上なら、何処で生まれてもおかしくないわね」
戦艦棲姫が言っているのは、いわゆるイロハ級のこと。イロハ級は姫達と違って、割と適当な条件で生まれたりする。
それは知性と言えるモノが殆どなく、それこそ本能のままにやりたいことをただやるだけ。侵略がその大半を占めるため、なんだかんだで徒党を組んで陸を襲おうとしては、艦娘に駆除される。
そうでないと少し賢い者だと、陸に近付かずのんべんだらりと海の上で生活し、そのまま自然に還っていくというのも普通だった。
その流れを否定するわけでもなく、
「それっぽいのをチラッと見たのよ。でも、なんだか様子がおかしくてね」
「どういうことかしら」
「正直、私でも見たことがないタイプのヤツだったのよね。人型ではあるんだけど、私達みたいな姫ではないような、なんか得体の知れない感じのヤツなのよ」
見たことがないタイプのヤツというワードに、春雨がピクリと反応する。それだけではない。この施設の者全員が少なからず反応した。
春雨がこの姿になったのは、見たことのない深海棲艦との交戦の結果だ。姉4人がやられ、自分も半死半生の状態にまで持っていかれている仇。
「そいつとは話したの?」
「しようとしたんだけど、こっちのこと無視してるっていうか、気付いてないっていうか。焦点が合ってない目をしてたから、知性が無いんじゃないかと思ったのよね」
「確かに、それは変わってるわ。普通なら懐いてくるなり警戒されるなりするでしょ」
「ええ。野良犬みたいなモノだからね。私は大概懐かれるけど」
知性のないイロハ級は、姫級との力の差を本能的に理解しているのか、大概は懐いてくるらしい。逆らったら殺されると思っているわけではないのだろうが、上位種に対して
それを無視するというのはなかなかいない。最初から
「生まれ方が悪かったのかしらね。人型なのに知能はもっと下になってるのか、それとも何か別の要因があるのか。意図的だったら怖いわよね」
「ふぅん……まぁ何もしないならそれでいいんじゃないかしら。ボーッとしているうちに海に還るだけでしょ」
「それならいいんだけど」
戦艦棲姫が見かけたという、見たこともないタイプの深海棲艦。それが春雨達の仇かどうかはまだわからないが、少なくとも何かが動き出そうとしているのは確かだった。
戦艦棲姫は深海棲艦の中でもトップクラスに私服を持っているヒト。ローソンのコラボとか、周年記念イラストとか、あと某老舗百貨店のポスターにもなりましたね。
自分の中ではあの人が一番人間の社会について詳しく、共存に近付けているのではないかと思います。集積地に服見繕ってる戦艦の姐御がとても良かった。