春雨の『望み通りの答えに辿り着く力』により、心臓と同化した深海忌雷の性質を書き換えたことで、瑞鳳は救われた。忌雷が剥がれることは無かったが、その忌雷が侵蝕という性質を失って共存している状態となったことで、瑞鳳は泥による侵蝕すら受けない存在へとなっていた。
しかし、次は葛城だと春雨が視線をそちらに向けた時には、もう遅かった。叢雲と比叡が懸命に立ち向かったが、そうこうしている内に葛城自身が限界を迎えてしまったのだ。
忌雷に泥を注入され続け、強引に力を引き出されたことで、あまりにも大きすぎる負荷がかかり、そして、葛城の全てが使い切られた。
その結果、その場でピクリとも動かなくなった。同化した忌雷も、舌を出して息絶えていた。
「そんな……っ」
視界に入った時にはこうなっていたため、春雨は大急ぎで葛城の元へと向かう。瑞鳳は激しく消耗をしており動くことは出来ないため、海風に任せて。海風も春雨の側にいるために、何とかして瑞鳳を引きずってでもついてくるだろう。
「叢雲ちゃん! 比叡さん!」
「……春雨。こっちは……もう」
刀剣を強く握り締めながら悔しそうに呟く比叡。叢雲は救えなかったというよりは、龍驤の思惑通りに事が進んだことが気に入らないといった感じだった。
葛城は敵だ。だが、敵にされただけのドロップ艦だ。当然救いたい。救うためにここまで来ているのだ。だから、春雨は諦めなかった。
「すぐに、治療を!」
瑞鳳の時と同じように、腕からマグマを溢れさせ、忌雷に叩き込んだ。それが染み込めば、春雨の影響下に置かれる。そうすれば望み通りに、忌雷の性能を逆転させ、侵蝕を解放へと変えることができる。
もうそれが頼みの綱だ。叢雲はともかく、比叡は春雨に任せるしか無かった。止めるつもりもなかった。
しかし、マグマが忌雷の口の中に入り込んでも、瑞鳳の時のような反応──その身体が紅く染まるようなことは無かった。
いや、マグマがそこから葛城の体内に蔓延る泥を消滅させているのは確かであり、それに応じて葛城の身体が跳ねてもいた。瑞鳳の場合は忌雷そのものが泥を消していったが、葛城の場合はマグマが忌雷の意思を介さずに体内へと向かっていることを表していた。
つまり、忌雷には何の反応も無い。マグマの力は通じていない。
「まだ、まだ何かあるはず……!」
葛城の身体も、忌雷自体も、その視界に収めながらあらゆる望みを想像する。侵蝕を失ってほしい。元の身体に戻ってほしい。敵対しないでほしい。
さらにはもう一度マグマに塗れた腕で深海忌雷を叩く。より染み込むように、より流れるように。叩いたことで葛城の身体は跳ねるが、それで終わり。ぐったりと手足を投げ出した状態になって、ピクリとも動かなかった。
葛城は目を覚さない。本当に命が尽きてしまっている。誰がどう見てもそうなってしまっていることは理解出来た。
だが、春雨は諦めなかった。何か出来ることがあるはずだと。それこそ、蘇らせることだって出来るはずだと。
「春雨、あっちを救いに行きなさい。
しかし、叢雲がここで春雨を止めた。そんな言葉を聞いて春雨が叢雲を睨み付けるが、叢雲も苦しそうな表情で睨み返す。
「アンタが救う力を持っているのなら、まだ可能性のある奴を救いなさい。アンタも理解してんでしょ。コイツがもう無理だってことくらい」
「無理じゃない! まだ、まだ私には」
「無理よ。だってソイツ、もう
残酷な現実を突きつけられ、春雨は改めて自分の力を再認識した。命の灯火が潰えた者には、自分の力が効かないと。
春雨の力、『望む通りの答えに辿り着く力』は、有機物、自らの意思を持つモノにしか通用しない。
自分や仲間、敵は勿論のこと、有機物と無機物を半々にしたような深海忌雷も意思を持つために効果範囲内。泥ですら単細胞生物のようなものであると明石の調査によって判明しているので効果範囲内に含まれる。
しかし、艤装のような無機物や、植物のような意思を持たないモノには何の効果も無い。そう、
瑞鳳はギリギリだったから効いた。まだ命の灯火が潰えていなかったから。
しかし、葛城は違う。既に潰えた灯火を再点火することは出来ない。
「だったら、まだ救える可能性があるあっちの2人を救いに行きなさい。アンタがここでウダウダしているせいで、あっちも死ぬかもしれないわよ。時間がかかればかかるほど危なくなるのはわかってんだから。別に私は全員死ねばいいと思ってるから別に構わないけど。それとも何、アンタは目の前しか見えてないわけ?」
「叢雲さん、春雨姉さんは」
「何も出来ないアンタは黙ってなさい海風。私は、春雨と話をしているの」
瑞鳳に肩を貸しつつもようやく追いついた海風だったが、叢雲の真剣な瞳に文句も言えなくなる。
「海風、瑞鳳は私が見ておくから、春雨の側に行ってあげて。こんな辛い決断、1人でさせちゃダメ」
比叡が瑞鳳を抱きかかえようとするが、手を伸ばそうとして一旦引っ込めた。比叡は当然バリアが存在しているため、その在り方が変えられた瑞鳳の紅い忌雷ですら消し飛ばしてしまう可能性を考慮した。
そのため、少し痛いかもしれないが岩礁帯に座らせることで、海風を自由にした。比叡も今は口出しが出来ない。
「春雨、アンタが悩んでいる間にも、終わりが近付いてるわよ。どうするの。終わりが近い奴と、
こんなこと、叢雲だから言えた。怒りが溢れ続け、常にイライラしている叢雲だからこそ、歯に衣着せぬ物言いが出来た。思ったことを他人のことを考えずに口にする。だからこそ、叢雲の発言には裏がない。
そんな叢雲が何度も何度も葛城はもう死んでいると言い聞かせてくるのだ。嫌でも理解出来る。それに、春雨は最初からわかっている。
「……海風、あっちに行くよ」
「姉さん……」
「確実に救える命を救う。そんな選択しか出来ない自分が、本当に気に入らないけど」
心底悔しそうに顔を歪ませて、春雨はその場から離れた。立ち止まっていたら、救える命も救えない。
その眼に映る最善の道は、葛城の方を指し示していなかった。まだ灯火の消えていない黒潮と不知火の方を向いていた。ならば、そちらを優先する。悔しくて悔しくて堪らないが。
救われた瑞鳳と葛城の亡骸は叢雲と比叡に任せて、春雨と海風はもう一つの戦場へと駆ける。怒りと同時に悔しさも溢れさせながら。
春雨の腕からは、マグマが際限なく溢れ出していた。
もう一つの戦場、黒潮と不知火を相手取る鹿島の古鷹。相変わらず不知火が前衛、黒潮が後衛と、理性が無くとも役割分担はしっかりと出来ており、限界を超えた力を無理矢理引き出されているため鹿島も古鷹も苦戦させられている。
黒潮の砲撃を受け続けたことで鹿島のバルジはもうボロボロ。古鷹も不知火の猛攻を防ぐのに精一杯である。やり返すことは容易なのだが、そのせいでさらに負担をかけたら、灯火が潰えるまでの時間がさらに短くなってしまうと、攻撃は控えめにしていた。
「どうすれば、どうすればいいの……っ」
この状況の対処法が全く思い浮かばない。鹿島は違う方向で焦りを見せ始めていた。特に不知火は黒潮以上に動き回っており、消耗が異常に激しい。戦いが続けば続くほど、その動きは鋭くなる代わりに、顔色は悪くなっていく。
この忌雷に関しては、普通の艦娘でも、明石の発明した装備でも、どうにも出来なかった。いや、どうにかすることは出来るのだが、同化してしまっている相手の身体のことを考えなければというのが前提になる。
消し飛ばすことは出来ても、
「えっ」
そして、その時は訪れてしまう。古鷹に対して猛攻を繰り広げていた不知火が、糸の切れた人形のように力が抜けてその場に倒れた。
やはり、より激しく動いていた不知火の方が終わりに近い。そして、終わってしまう。
「う、うそ、そんな……」
「古鷹さん! こちらを!」
その場で終わりに向かう不知火を見て愕然とする古鷹だが、鹿島はそんな感情も抑え込んで黒潮に集中するように促す。当然辛いが、救える者を救うためには、なりふり構ってはいられない。
だからこそ、ここに救世主が現れる。
「まだ救えますか!」
自分の戦場から離れ、敵を救うために駆け抜けてきた春雨が到着。倒れ伏した不知火を横目に見て、苦しそうな表情を見せるが、涙を堪えて残された黒潮を見据える。
「行けます!」
「それなら、すぐに救いますから!」
溢れ出すマグマを拳に纏わせ、黒潮に一気に接近。怒りと悔しさで力を増しており、その速さも泥のブーストを凌駕していた。
「その存在を! 反転させる!」
一度瑞鳳に救えているのだから、イメージは完璧に出来ている。そしてそれが望みとなるため、視界に入り、マグマを直に注がれたら、確実に春雨の望む結末へと持っていかれる。
黒潮と同化した忌雷に叩き込まれた拳からマグマが注入され、そのまま影響下に置かれた。その侵蝕速度は、春雨の思いの力が凄まじいが故に恐ろしい速度となり、黒潮に蔓延る泥を一気に消滅させた。
さらには、忌雷そのものを春雨の支配下に置いたかのように、その色を紅く染める。これにより、侵蝕を受けることはなくなった。
「……え、うぇっ!? ウチ、どないしてたん!?」
瑞鳳と殆ど同じ反応を見せる黒潮。正気に戻ったことを意味するのだが、春雨としてはもうそちらに視線を向けることはなく、倒れ伏した不知火へと駆け寄る。
まだ灯火が消えてから間もない。どうにか蘇生するのだと仰向けにさせるが、やはり葛城のそれと同じように、忌雷は舌を出して息絶えていた。
「……諦めない」
マグマが纏わりつく腕を、忌雷に叩き付ける。同時に命を取り戻すように望む。
不知火の身体はその衝撃で跳ねるが、それだけで終わった。体内の泥は消滅しているかもしれない。しかし、命の灯火の再点火は出来なかった。
「春雨ちゃん……不知火ちゃんは……」
恐る恐る聞く古鷹だが、春雨は無言のまま立ち上がる。それが、不知火がどうなったかを如実に表していた。
黒潮は救うことが出来たものの、不知火は間に合わず。それはもう、春雨の影響力から外の存在となってしまっていた。
「う、ウチ、助かったんか……いやでも、ぬいは、ぬいは」
「……不知火さんは……間に合いませんでした」
鹿島もこの時ばかりは感情を抑え込むことはしなかった。あまりにも悔しい結末。侵蝕された全員を救うことが出来なかったことに、明確に怒りを露わにした。
「そんな……こんな胸糞悪いことあるんか……ウチらはただ、ここで生まれただけやのに……」
黒潮の言葉が重くのしかかる。
「なんかようわからん泥みたいなん呑まされてから、頭ん中真っ黒にされて……そんなん、おかしいやろ……」
瑞鳳と同じように消耗のしすぎで動けないが、頭だけはやけに冴えているようだった。だからこそ、この辛い結末を真正面から見せられることになる。
特に黒潮にとっては、不知火は姉妹艦、大切な存在だ。それが、利用されるだけされた挙句、使い捨てられ、自分とは違って救われることすらなかった。そんなこと、許せるはずもなかった。
「おうおう、なんや面白いことになったやんけ」
そんな戦場に響き渡る声。誰も知らない声であっても、その持ち主が何者かは誰もがすぐにわかった。
悪意の雨が降り続く中そこに現れたのは、下卑た笑みを浮かべた空母棲姫──龍驤であった。