施設全体が参加するトレーニング。その始まりは、スタミナが施設内でトップを誇る潮を捕まえる鬼ごっこである。全力疾走でもしばらく走り続けられるくらいの潮を追いかけ回し、タッチしたものから勝ち抜けとなる。
回避性能に自らのスペックを偏らせている潮が相手であるため、誰もが手を抜くことが出来ない過酷なトレーニングになる。捕まえるまでは終わることが出来ず、時間が経てば経つほど消耗もしていくため、どんどん不利になるのもわかっているからだ。
後ろから追われている潮は、それはそれで気が気でない。施設のほぼ全員が自分を捕まえるために追いかけてくるという圧力は、その溢れた恐怖を駆り立てるには充分すぎた。
捕まりたくないという気持ちが恐怖に紐付けられ、理性を失っているわけではなくとも、その走りは時が経つほど速くなる。
「潮ちゃん、待つぴょーん!」
「ま、待てと、言われて、待ったらトレーニングに、ならないよぉっ」
追いかける団体の先頭は、変わらずミシェルである。この鬼ごっこをトレーニングではなく娯楽の延長として楽しんでいるからか、ニコニコ笑顔で駆け抜けた。
脚の速さだけで言えば、ミシェルは潮と同じくらい。全力疾走であるため、最終的にはスタミナ切れになるだろうが、互いにガス欠の気配はまだ見えない。始まったばかりだからこその風景とも言える。
「体力作りのトレーニングと言ってますけど、これはむしろ頭脳戦ですよ」
大鳳がボソリと呟く。ついていけているのがミシェルくらいであるため、他の者は走る速度では潮に追いつけていない。それは潮のことを気にかけ続けており、潮からの軽度の依存の対象にもなっている飛行場姫ならば、こういう展開になることくらい察していたはずだ。
それなのに、タッチするまでは終わらないと決めたのは、ただの持久力アップを目指すトレーニングではないからだ。勿論、常に全力疾走でなければ、潮との距離は開く一方。頭を使っても届かない場所まで行ってしまうだろう。全力疾走をしつつ、さらに作戦を立てて、潮を追い込む。身体だけではなく、心も鍛える頭脳戦である。
「ただ真っ直ぐ走ってるだけじゃ追いつけないですよね。ただでさえ私達はスタミナがありませんから」
「一番速いミシェルで距離が詰まらないということは、そもそも走る距離を変えない限り一生追いつけません。それなら、
大鳳が古鷹にショートカットを促した瞬間、潮を追う集団からすぐに離れた2人がいた。いち早くこのトレーニングの意図に気付き、直感的に一団から抜け出し、ショートカットルートを選択。直角に曲がったわけではないのだが、かなり大きめに曲がって、明らかに島の中央に向かうように走り出す。
ただ潮が走るのを追いかけ続けたら追いつくことなんて出来ない。ならば、そもそも走る距離を短縮する。
島だってそこまで広いわけでは無いため、外縁をグルリと弧を描いて走っているのなら、それを結ぶような最短距離がある。春雨は即座にそちらのルートに入っていた。
「やっぱり、こういう時にもまず行きますね」
真っ先に一団から抜けた春雨と海風に感心している大鳳。おそらくそれも、光の道として見えているルートを選択したに過ぎないのだろう。春雨に敬意を持っている大鳳だからこそ納得し、そして追従を選択する。
この行動が取られたことにより、一部が走る距離を短縮するというところに気付き始め、春雨の跡を追うようになった。それを見ても我が道を行くことを変えない者もいるため、集団は見事に二分した。潮の走るコースを真っ当に追従する正規ルートの先頭はミシェル、潮が行く先を予測して最短距離を駆け抜ける近道ルートの先頭は春雨。
ここで集団が二手に分かれ始めたことで、潮もただただ全力疾走を続けるだけではダメになる。
そのまま走り続ければ、最終的には最初に一団から抜け出した春雨が追い込むだろう。だからといって、そちらを警戒しすぎると速度が落ちてミシェルが追い付く。
「えっ、えっと、ど、どうすれば」
しかし、潮にはどうすればこの状況をうまく切り抜けられるかがすぐにはわからない。今出来ることは、この全力疾走を一切緩めることなく、スピードを落とさないこと。潮がこれをひたすら続けるだけで、他の者はスタミナ切れを起こし、誰も追いつけなくなる。そして鬼ごっこは永遠に終わらない。
問題は近道を選択した集団を正面に捉えた時だが、それはその時に考えることで落ち着いた。極端な話、これはタッチさえされなければいいのだから、もし間近に来られたとしても、その手を躱してしまえばいい。防御力、回避性能に全てのスペックを偏らせている潮には、それも余裕がある。眼前で砲撃を放たれても避けられるくらいには鍛えられている。
こうやって走っている間にも、スタミナが削がれていき、集団から少しずつ脱落していく者は出てくる。真っ先にその兆候が見えたのは、やはりデメリットとしてのスタミナ不足を持っている古鷹。
「こ、これ、かなり、キツいね」
「近道を使っても距離が縮まりそうに無いですからね。こちらが遅いからというのもありますけど」
近道ルートを選択したものの、そちらでも結果的に全力疾走を続けることにはなるので、次第に速度が落ちてくる。そんな古鷹を大鳳が気遣った。流石に後ろから背中を押すようなことはしないが、並走することで鼓舞する。
そして、正規ルートを選択しているコロラドも、最初は先頭集団の一員だったが、明らかに消耗が見えてくる。
「う、潮、速すぎないかしら!?」
「何、もうヘタレてんの?」
「うっさい!」
叢雲に触発されて、意地でもスピードを落とそうとしないコロラド。低速艦であるコロラドが、ミシェルは無理にしても叢雲に追いつけているのだから大したものである。
「あっ……」
そうこうしている内に、近道ルートを選択した集団が、少しずつ潮に近付きつつあった。先頭の春雨が最短を常に走り続けるおかげで、最終的な到達点で合流し、そのままタッチという流れが出来そうである。
そしてそれを潮が気付いていないわけがない。走っている視界の端にチラチラと春雨が見え始めている。このままだと進行方向が交差する。
むしろ、鬼ごっこはここからが本番。スタミナが続く限り、潮を追い詰めるために動き続ける。
「海風、大丈夫?」
「問題ありません。春雨姉さんについていくんですから、簡単には消耗しませんよ」
近道ルートの先頭である春雨と海風が、さらに潮に接近。ほとんど並走するくらいにまで来た。やろうと思えば義腕を
「タッチ!」
そして、春雨が潮に手を伸ばす。そのまま走っていれば、その手は潮の腕に当たるくらいの距離。
だが、潮はそこで機転を利かせる。突出した回避性能から割り出された最善は、あえてそこで
海風がその隙を埋めようと、潮の方へと身体を向けるが、潮は急ブレーキと同時に直角に曲がり、海風を擦り抜けるように回避。さらにそこから速度を再び上げる。足腰まで鍛えられているため、そんな身体に負荷がかかりそうな行動でも、表情一つ変えずに繰り出した。
常に怯えているような表情なので、周りには潮に負担があるかどうかは判断出来なかったのだが。
「うわっ、潮ちゃんすごいなぁ。最後見えてる光の道が消えたよ」
「春雨姉さんに見えている最善の道を逸れたということですか!?」
「うん、だからタッチ出来なかったんだね。私の最善は近付くところまでだったんだ」
あくまでも近付くまでの道は最善を選択していたが、タッチするところの最善はまだ見えていなかったということだ。むしろ、先頭にいたことでタッチまでは出来ないと示唆されていたのかもしれない。
「でも、これだと私達はまだ終われないからね。もう少し頑張らないと」
若干消耗はしているものの、まだ全力疾走は出来そうなくらいは体力が残っている。一抜けとは行かなかったものの、一度ここで見たことによって、最善はまた更新されるだろう。
一方、春雨のタッチを回避した潮は、急カーブしたことで近道ルートを選択した者達に一気に近付くことになる。避けているはずなのに自分から近付くことになったことで、実際は春雨の選んだ道がこれを狙ったものであることに気付かされた。
ここでタッチされないようにするには、もう全ての手を回避するしかない。触れられたらアウトなので、大きく小さく動き、自分に襲い掛かる
「挟み撃ちでも避けちゃう!?」
「逃げ道を塞ぐしか無いですね」
一番のタッチを狙った白露も外し、その動きを見て挟み撃ちを狙った大鳳も外し、もう1対1では無理と判断して4人がかりで四方を取り囲むことで逃げ道を封じる策に出る。
そこまでしても潜り抜けるのではという恐れもあったが、そもそもまず取り囲むことが困難。素早く動き回り続けるため、常に正面が開けているポジションを維持し続ける。手が伸びてきたらその開けた方向に一気に蹴り出し、また次の開けた方向を向く。これの繰り返し。
実際、全力疾走するよりも体力を消耗するフェイズが始まっていた。体力だけでなく精神的にも圧をかけ続けられるため、追い詰める側の方が妙に消耗していくようだ。
「潮ちゃん、タッチぴょーん!」
そこに正規ルート組も合流。大人数で取り囲むことになり、潮の逃げ道はさらに塞がれる。
しかもミシェルは背後からの突撃。勢いを殺さずにほとんど体当たりのように飛び込むため、避けるのも気が引けるという荒技。
しかしルールとしてタッチされてはいけないので、潮は小さく謝りつつもミシェルの飛び込みを回避。そのままヘッドスライディングのようになるミシェルは、全面土に塗れながらも笑顔を絶やさない。
「すごいぴょん、避けられたぴょん! 潮ちゃんカッコいいぴょん!」
痛みはあるだろうがそれすらも感じさせず、すぐに立ち上がって潮を追いかけ回す。ミシェルだけはトレーニングではなく鬼ごっこの意識なので、これも完全に遊び。だから何をやっても楽しい。
実際、これだけの大人数に追いかけ回されてもまだ一度たりとも触れられていないというのは凄まじい。惜しいタイミングは何度かあれど、結局まだ触れられていないのだから意味がない。
「ホンット、触れられないわね! 槍があれば確実なのに!」
「それじゃあ意味ないでしょうが。バカなの?」
「うるさいコロ助!」
ここの諍いは相変わらずだが、この鬼ごっこを全力で楽しんでいるように見えた。叢雲も心の底からの苛立ちではない。
「ま、まだ捕まりたくありませんからーっ!」
開けた道をうまく潜り抜け、また大きく引き離そうとしたその時、眼前に現れたのは潜水艦姉妹。
最も潮の近くにいた者であるため、その行動の予測は他の者よりも出来ていた。どのタイミングで姿を現そうかと考えて考えて、今だと並んで正面に立った。
「潮、タッチ」
「鬼ごっこはおしまい」
走ってくる勢いを殺させないように寸前で出たことで、そのまま手を伸ばすだけでどうにかしようとした。
だが、潮はそれだけでは止まらない。
「ご、ごめんなさい!」
そんな姉妹のタッチを回避するように、その場で
そんなことが出来るならば、四方を囲んだとしても乗り越えられてしまう可能性は非常に高かった。
しかし、これは本当にギリギリな時にしか使わない裏技みたいなもの。何故なら、
「あ」
着地する先には、伊47が立っていたのである。潜水艦姉妹と共にここまで追い付いてくるのにもかなり体力を使っており、一団の最後尾にいた伊47は、やっと追い付いたと思ったら跳んできた潮の着地点にいた。
「よ、ヨナ〜!?」
「危ない!」
そこで潮が咄嗟に取った行動は、うまく体勢を変えて伊47に抱きつき、受身を取るようにそのまま地面を転がること。このおかげでお互いにダメージはなく、むしろ伊47は潮の持つ
「だ、大丈夫、ですか!?」
「大丈夫ヨナ〜。潮ちゃんのおかげで、痛くも痒くもないヨナ」
無事に済んだことで一安心。そしてここで、何気についてきていた飛行場姫が一旦ストップする。
「一抜けはヨナね。偶然すぎるけど、潮にタッチ出来てるんだもの」
言われて伊47は茫然。潮もこれは仕方ないかと納得した。
鬼ごっこによるトレーニング、一抜けは伊47。予想外の展開に、誰もが変に笑えてきてしまっていた。
こういう時は、意外と欲が無い者が勝つものなのです。多分ヨナの顔面に潮の胸が押し当てられていると思います。