合同演習翌日。昨日までとはまた違った、清々しい気分で目を覚ます春雨。昨日の演習での疲れは完璧に取れており、溢れていた怒りも完全に沈静化しているために精神的にも癒されていた。
本来の居場所である鎮守府に行けたこと。自分達の帰りを祝福されたこと。まだ部屋が残されており、戻ることが可能であること。その複数の要因が全て、春雨を癒すことに繋がった。また、そのことを中間棲姫達に説明したことで喜びを反芻し、より穏やかになっている。
その時、話を聞いていた中間棲姫も、あの時以来の春雨の心からの笑顔に喜びつつ、この表情を引き出した鎮守府に感謝の気持ちを持った。
小さく欠伸をしつつ、少しだけ首を動かすと、そこには熟睡している海風。海風も昨日の演習ではその力を存分に発揮し、個人戦でも団体戦でもいい成績を残している。その分、疲れも溜まっているだろうから、この熟睡も理解出来た。とても気持ちよさそうに眠っているため、起こすのが憚られたものの、外は大分白んできている。いつもの起きる時間も間近。
春雨を抱き枕代わりにして眠っている海風を起こさなければ、春雨は活動が出来ない。とはいえ、海風は春雨に起こされることを喜んでおり、時間的にも問題ないため、躊躇なく耳元で囁くように海風を起こすことにした。
「おはよう、海風。今日もいい天気だよ」
第一声の時点でモゾモゾと動き出し、すぐに目を開ける海風。少々寝ぼけ眼ではあるものの、春雨の声で目を覚ますという最上級の幸福を堪能した後、すぐに身体を起こす。
「おはようございます春雨姉さん。本当に今日もいい天気ですね。まるで春雨姉さんの行く末を指し示すかのように晴れやかです。春雨姉さんもよく眠れたようで何よりですね。昨日の疲れがまるで見えませんし、随分とお顔がスッキリされている様子。もしかしていい夢でも見られたのでしょうか。その中に私が登場しているなんてことがあったりしたら、私も喜ばしい限りです。私は勿論春雨姉さんの夢を見ることが出来ました。昨日の演習を復習しているかのように、姉さんの援護をしながら快勝する夢です。私の望む未来を夢に見ることが出来るだなんて、やっぱり春雨姉さんと一緒に眠ると満たされますね。この夢を現実とするためにも、日々精進しなくてはなりません。今日も一日頑張りましょう」
ひとしきり喋るのを聞いた後、春雨は勿論と満面の笑みを浮かべた。それを見た海風はさらにヒートアップ。
「春雨姉さん、鎮守府に行けたことで、以前の自分を取り戻したんですね。本当に良かった。やっぱり、姉さんは笑顔であってほしいので。寂しさの時から鎮守府のみんな、というか姉妹、勿論私も含まれているとは思うのですが、仲間との交流が春雨姉さんの心には最も有効であるんだと思います。私も落ち着けましたが、姉さんには効果が絶大なんですね。また何か辛いことがあったら、鎮守府のみんなに会いに行きましょう。姉さんの事情を知っているのなら許してもらえるでしょうし。流石にアポ無しで突撃するのは憚られるとは思いますけど、春雨姉さんの笑顔は何にも代えられませんから」
そんなに戻っていたのかと春雨自身も驚いていたが、誰からも落ち着いていると言われたくらいだから、そうなのだろうと結論づけた。海風が喜んでくれているのも嬉しい。
「海風、まずは起きよっか」
「そうですね。ではすぐに」
先に海風がベッドから降り、制服姿に変わったらすぐに春雨を支えるために動き出す。義腕と義脚を展開すればいつも通りに起きられるのだが、海風は献身すればするほど調子が良くなるので、今は何も言わずに任せている。
いつも通りに身体を起こし、義腕と義脚を展開後、体調も絶好調ということを示すようにさらりと立ち上がり、そのまま制服に切り替えた。
そこでまた海風が目を輝かせる。
「白露型の制服ですね。私の知っている、艦娘の姉さんの姿です」
言われて気付いた。昨日までは、無意識に制服を作ると怒りが溢れた姿になってしまっていた。スカートではなくショートパンツになるのがデフォルトで、近接戦闘を今すぐにでも出来ると言わんばかり。
しかし今は、怒りが溢れるよりも前、艦娘の時と同様の白露型の制服が出来上がっていた。
これも穏やかになった証拠。春雨が元に戻ったことを表す、一番大きな部分。笑顔もそうだが注視して心境が読めるくらい。しかし服装は誰が見てもわかることだ。
「あはは、そうだね。無意識だったよ」
「ということは、姉さんには怒りが無いようなモノですね。海風、本当に嬉しいです。勿論、怒りが溢れた凛々しくカッコいい姉さんも愛していましたが、今の慈悲深く優しい、美しい姉さんは一層好きです。それでこそ私の愛する女神。これからはその笑顔が維持出来るようにサポートさせてください。姉さんの怒りを、私が全て排除します。穏やかに、和やかに、楽しく生きましょう。私もそれを追いたいので」
「だね。なんだか身体も軽い気がするからさ。このままで生きていきたいね」
黒幕がいる限り、まだ心を本当に落ち着けることは出来ないが、と内心では思っていたものの、そんなことを口に出す意味もないので、心で留めた。余計なことを言って、海風を曇らせるのはよろしくない。
施設でも深夜の哨戒を再開しており、春雨達が朝食のためにダイニングに入ると、今回の深夜哨戒当番であるジェーナスとミシェル、そして黒潮が少々眠そうに待機していた。
「Good morning, ハルサメ、ウミカゼ」
「おはよう、ジェーナスちゃん」
3人の中では一番元気そうなジェーナス。流石に何度も深夜哨戒をしているだけある。ミシェルはまだまだ慣れていないか既に微睡んでいるようにジェーナスにもたれかかり、黒潮もあくびを隠そうとしない。
「おはようさぁん。ふぁあ、やっぱ徹夜は眠いわぁ」
「クロシオは初めてだったんだもの。私だって最初はそんな感じだったわ」
「そうなん? 夜は気ぃ張るし、
聞き捨てならない言葉が聞こえたことで、春雨が身を乗り出す。
「黒潮ちゃん、泥を見たの!?」
「んん? ああ、昨日1回だけ出てきおってなぁ。あの泥刈機で消し飛ばしたから誰も何の被害も無かったわ」
「『観測者』様の手から潜り抜けるようになってるんだ……」
それだけ数が多いのか、それとも泥を排出する何者かがいるのかは、今のところ定かではない。少なくとも、『観測者』一行だけでは対処しきれない量になっているということは確か。
春雨の直感に引っかからない程度の脅威でしかないものの、これが増えてくれば、今ある対策だけではどうにもならなくなる可能性がある。泥刈機だけでなく、主砲や空爆による衝撃で霧散させる必要も出てくるだろう。
「春雨姉さん、何か感じたりは」
「今はしないね。多分夜にだけこっちに送り込んできてるんだと思う。それに、本当に危なかったら寝てても気付けるんだけど、それも無かった。だから、今はまだ大丈夫」
とはいえ、春雨の直感はそこまでにならないと反応してくれないことが多い。そんな自分に小さく怒りが湧き上がったが、『怒りの矛先を間違えるな』という言葉を思い出し、小さく深呼吸して落ち着く。
「ハルサメ、この島のことは私達に任せて、Final battleに向けて力を蓄えて」
ニッと笑ってジェーナスがサムズアップ。
「せやで。ウチらかてちゃんと抵抗するから心配せんでええ。あんな泥でここを潰されて堪るかっちゅーねん。なぁ?」
黒潮もジェーナスと同じようにサムズアップ。そして声をかけた胸元の忌雷も、任せろと言わんばかりに歯を鳴らし、触手を突き出してきた。黒潮の一心同体となっているおかげか、その気質はより黒潮に近付き、息の合った相棒といった感じになっている。
「そうぴょーん……ミシェル達が、この島を守るっぴょーん」
眠気でふわふわしているが、ミシェルも気持ちはみんなと同じ。居場所を守るために尽力しようと、その力を遺憾なく発揮してくれている。その力のために詳しくは知らされていないだろうが、ジェーナスのために使えるモノは全て使うという気概のようである。
ここの3人だけではない。島を守ろうという気持ちはみんな同じだ。何人たりとも、危害を加えさせるわけにはいかないとやる気は充分。
「うん、よろしく。私達が絶対に諸悪の根源を斃してくるから」
「Of course. そっちは任せたわ。だから」
「島は任せるね。役割分担、大事だもんね」
ニコッと笑って春雨もサムズアップ。その笑顔には、怒りも何も含まれていない。
ここでジェーナスも春雨がすっかり穏やかになったことに気付いた。昨晩の段階から怒りを露わにすることは無かったが、今回のこの話を聞いてもこの程度で済んでいるということは、溢れた怒りの制御が完璧に出来ているということの表れ。
やはり春雨はこうでなくてはならないと内心思っていた。怒りが溢れた春雨は、叢雲までは行かずとも、常にピリピリしていたような雰囲気だった。笑顔もぎこちなく感じたし、事あるごとに口調が少し荒くなるくらい。本来の春雨を知る者ならば、確実に違和感を覚える仕草だったが、今はそれが全て失われている。
「ハルサメ、やっぱり鎮守府行って良かったのね。いつものハルサメに戻ってるわ」
「そうかな。海風にも言われたんだけど」
「そうよ。私にもわかるくらいなんだもの。海風なんてすぐだったでしょ」
「勿論。春雨姉さんの僅かな変化でも瞬時に把握理解するのがこの私ですので。おはようからおやすみまでを傍で守り続ける守護者であれば、この春雨姉さんの取り戻した穏やかさに気付かないわけがありませんね」
相変わらずだと苦笑するジェーナスと、ケラケラ笑う黒潮。穏やかな雰囲気に眠気がピークに達したか、ミシェルはもう完璧にジェーナスの肩で寝息を立てていた。
「でも、泥がここまで来るようになったというのは危ういですね。対策をもっと強化したいと思ってしまいます。出来るかはわかりませんが」
先程の深夜哨戒の話を思い返すと、1回だけでも泥が見えてしまったということは、今後はさらに量が増えると考えてもいいだろう。何処ぞの害虫ではないが、1回見たら何回も見る羽目になる。『観測者』を潜り抜けるだけの量があるのだから、それこそ今頃島に忍び寄ってきていてもおかしくない。
「今のところは島の何処にも泥は無いよ」
そんなことを考えている内に、今度は瑞鳳がダイニングへ。深夜哨戒の保護者枠として参加しており、忌雷の寄生により深海棲艦の力が扱えるようになったことで、夜間哨戒も可能となっていた。
例の眼鏡と哨戒機の併用によって、島内の何処にも泥が来ていないことを確認してきたようだ。やはり深夜に見ているということは、今頃辿り着いてしまっていてもおかしくないと考えたようである。
「
「うん、反応もないし、目視で見えるモノも何も無かった。とりあえずは安心かな?」
黒潮と同様、瑞鳳もこの施設には随分と慣れた様子。施設の一員として尽力してくれているようだ。
「お疲れ様です、瑞鳳さん」
「あ、おはよう春雨。なんだか顔色がいいね」
「そんなに違います?」
怒りが溢れた状態
本来の春雨に戻れたことは、これからを進んでいく上でもメリットにしかならないだろう。心優しいサポーターとして、楽しく生きていきたい。
しかしこの後、白露達の身体のことを聞くことになるんですよね……。