そこから一晩。テンションが上がりきった明石は、一睡もすることなく作業を続けた。
黒幕のこと──その成長性と厄介さを考えたら、早急に決戦に向けての準備は終わらせておきたい。しかし、そういう気持ちが先立ったのかと言われたら、明石はおそらくNOと答える。何故なら、手に入れた素材を弄くり回すのがあまりにも楽しかったから。
初めて見る素材、泥を手に入れた時もかなりテンションが上がっていたが、今回はそれを超える興奮だった。敵の力を知るための研究ではなく、それを打破するための研究。同じ勝利に向かう研究でも、確実に勝つための研究というのは楽しい。明石はそういう性格をしていた。
「……っし、まず出来たかな」
深く息を吐きながら大きく伸びをする明石。流石に徹夜明けということで、若干落ち着いているところはあったが、未だに目をキラキラさせていた。
むしろ何度か叫びかけたが、深夜に騒ぐなと大淀の注意──時には実力行使──により、ある程度静かに作業するようになっている。
「試作品12号ね。ただ細胞と体液を混ぜ合わせるだけじゃ無理だとは思っていたけど、配分とかは重要だったわね。春雨6.4の忌雷3.6くらい……かしらね」
「だねー。そりゃそうかって感じ。春雨が
眼鏡を外して目元を揉む大淀。明石の研究に一晩付き合い、その結果を全て書類に纏め上げ、成分表も事細かく記載。今後があるかはわからずとも、今後に繋がるようにそれを残す。
「結局貰ってきた白露達の細胞は8割方使ってしもうたな。春雨の細胞もほとんど全部使ってもうた。でも、そのおかげでここまでは漕ぎ着けたわけや。いくら妖精さんの身体やからて、疲れるもんは疲れるんやぞ」
「でも、龍驤のおかげで作業が捗ったよ。こんなに早く事が済んだのは、龍驤のおかげでもあるからね」
ぐったりとしながら金平糖に齧り付く龍驤。妖精さんの身体は艦娘よりも頑丈であり、謎が非常に多い存在ではあるのだが、それでも今回の作業は今までで一二を争うくらいの疲労度のようである。作業しながら甘味を摂るなんて今までしたことがなかった。
それもこれも、明石が全く止まろうとしなかったからである。今までの明石を知っている大淀ですら、今回は今までで一番だと言うほどの過労。
それだけ捗ったのは間違いない。明石の気質に引っ張られたわけではないが、大淀も龍驤も、この研究が決戦のキーになることは進めていくにつれ確信になっていった感覚がある。
明石は研究欲のみでここまで来たが、他の2人は決戦準備という気持ちが
「春雨の細胞と忌雷の体液の混合薬……端末を書き換えることは確定だよね」
龍驤に用意してもらっていた端末の泥に1滴垂らした瞬間、試験管の中の泥が一気に侵蝕され、瞬く間に無害な存在へと書き換わった。
これにより、混ぜ合わせても忌雷の体液の性能は変わらず、むしろさらに効果が強化されていることが理解出来た。明石が親子の関係と言っただけあり、混合の相性は抜群。
「問題はこっちや。黒幕の細胞……今までは垂らしても何も起きへんかったよね」
「ですね。纏めた資料を確認しましたが、何の結果も得られていませんでした。忌雷の体液で書き換えることも出来ず、春雨の細胞も水と油のような反発をしています。結合率を上げていく中でも、春雨6の忌雷4の時が一番いい反応をしました」
大淀が自分で纏めた資料をパラパラとめくりながら話す。今回の試作品が12号……つまり、これよりも前に11回の失敗作がある。
忌雷の体液は端末を書き換えることで大量に手に入るが、春雨の細胞には限りがあるため、まずは体液多めで実験スタート。そこから少しずつ春雨の細胞の比率を上げていくという方針で進めた結果、その反応の仕方から微調整して今に至る。
春雨6の忌雷4の際に、黒幕の細胞に対してほんの少しだけ違う反応が見えたため、ここで刻み始めた。そして見出されたのが、6.4:3.6という絶妙な比率である。もしかしたらさらにここから加工が必要かもしれないが、まずはこれで実験。
「これでダメだったら一度寝よう」
「あら、明石が自分から言い出すなんて珍しい。でもいいことです。一度頭をスッキリさせた方がいいですからね。成功でも一度寝なさい」
「ウス」
話しながらも実験の準備が完了。黒幕の細胞が入る試験管の中に、混合液を投入する。すると、
「お、これは……来たんちゃうか!?」
妖精さんの身体であるが故に、最も近くで見ることが出来る龍驤が目を見開く。今までは水と油のように反発しあっていた両者が、徐々に染み込み始めたのだ。
明石が考えていた成功例は、黒幕の細胞との完全な同化。そして、そのまま性質を完全に書き換えること。春雨の細胞や忌雷の体液と同じ効果を持つ必要などなく、黒幕の細胞の性質を完全に消してしまえればそれでよかった。そうすれば、外部からも内部からも黒幕の影響を受けずに済む。
今のこの反応は、それに近かった。黒幕の細胞を否定するため、混合液は内部に混ざり込もうとしている。自らのカタチも変えて、何もかもを別の答えに切り替えるために。混ざり合い、最善の道を作り出すために。望み通りの答えに辿り着くために。
「来てる。来てる! 黒幕のモノでも春雨のモノでもない、別の細胞に向かってる!」
ほんの少しだけ赤みがかった液体と混沌を表す黒の液体が混ざり合い、お互いを喰らいあい、細胞そのものが別モノへと改造されていく。そして最後は、見たこともない
「成分解析するよ! これが身体にあっても問題ないなら成功!」
ここからはこの細胞が
それに、ある程度の時間を置いても何事もないことを確認しなくてはならない。これで1日経ったら滅ぶとかだと、投与した時点での死が確定してしまう。それは絶対によろしくないことだ。死が救済だなんて言っていられない。
「過去の成分解析表、纏めておいてよかったですね。こういう時に絶対に必要になるんですから」
「ホンマやわ。ヨドおらんかったらそこもなぁなぁになってたんちゃうか」
「ならなかったかもしれませんけど、明石のことだから時間をかけていたでしょうね。次から次へと別の方向に思考が飛ぶので」
「うん、それはここでよう見させてもろうたわ。ヨドも大変やなぁ」
今までの纏め資料と照らし合わせながら、新たに作り上げられた細胞を調査していく。完璧だと思っていても、それが体内に入った時点で突然毒になるかもしれないのだから、調査は念入りに。命に繋がる実験は、失敗が許されない。
「見てる感じ、深海の細胞に近いんちゃうか? 余計なモン入っとらん、純粋な
「姉姫の細胞に近い……かな? でも、ほんの少しだけ艦娘の細胞っぽさもある。生きていくための成分も、ちゃんと残ってる」
値だけで見れば、これは今深海棲艦の細胞である。黒幕の侵蝕性も無ければ、春雨の否定する力も無い。全ての要素を取り除かれた、純粋な深海棲艦。元が艦娘であるため、ほんの少しの艦娘要素が混ざり込んでいるが、だからといって拒絶反応を示すわけでもなく、しっかりと共存している。
そもそも、艦娘が溢れて深海棲艦と化すという現象があるのだから、艦娘の要素が混じっている深海棲艦の細胞があってもおかしくは無い。全身を繭に書き換えられたとしても、僅かには残るモノ。
「あとは時間経過です。今のところ崩壊の兆しは見えませんが、ある程度の時間の後に突然綻びが見え始めるということもあり得るでしょう」
「だね。まずはこのまま半日くらい置いておこう。それでも何も起きなかったら、この方針で混合液を量産だね。……春雨達にまた協力してもらわなくちゃだけど」
「あー、殆ど使ってもうたもんなぁ。全員分賄うのは流石に無理やし。春雨の細胞がこっちで増産出来りゃええんやけど」
当然ながら、春雨の細胞は侵蝕性の泥と違って増えることはない。マグマを常に垂らす事が出来るというのなら話は別なのだが、そうで無いのだから、提供してもらえる分をどうにか拡張するしか無いのである。
明石の計算上では、1人分、例えば白露1人の全身の細胞を正常に書き換えるために必要な春雨の細胞は、それほど多くは無い。春雨の長い髪を数本貰うことで賄えるはず。しかし、緊急事態が起きたらと考えると、それなりに多めに貰っておく必要はあるだろう。
「本当なら、春雨にショートカットになってもらって髪の毛全部使いたいレベルだけど」
「お前、そんなこと言うたら海風に殺されるぞ。麗しい姉さんの髪を奪うだなんて〜みたいなこと言われるんちゃうか」
「簡単に想像出来るから怖い。多分一番濃度として濃いところは血液だから、少し献血してもらえれば大丈夫だね。また来てもらおうかなぁここに」
それも調査結果として残されている。今回有用な春雨の細胞を手に入れるために必要な部位。髪の毛よりも体液の方が純度は高く、汗などよりは血液の方が濃い。春雨の身体は、血液と一緒にマグマが全身に流れているため、敵の攻撃を望み通りに通用しなくなっていると言える。
それを一部抽出させてもらうとなると、春雨に鎮守府に来てもらって献血をしてもらうのがベスト。ただし、今ここで作られた細胞の可否によるというところはあるが。
「うん、まずは提督に報告して寝よう。それがいい。どうしてもこれは放置しないといけない試験だし」
「ですね。あ、このまま放置?」
「ううん、空気中に晒す。試験管じゃなくてシャーレに移して。空気に触れることで突然変異する可能性もあるから、それは見なくちゃね」
密閉空間だから安定しているとかもあり得る。そのため、出来る試験は全て行なう。それこそ寝ている間に変異しているなんてこともあり得るのだから。
当然だが、この処置が施される者は、この細胞を身体にして一生を過ごしてもらうことになるのだ。僅かな不手際も許されず、考えられる全ての状況を割り出さなくてはならない。それこそ、海水に浸けてみるだとか、艤装の金属に置いて見るだとか、やらねばならないことは沢山だ。
「これの試験をしながら、次は分析済みの黒幕の細胞にぶつける反対側の位相を作って、卵だけを消し飛ばす装置を作るよ。そっちなら簡単でしょ」
「簡単……なんかなぁ。まぁ今までのノウハウあるんやし、そこの対象成分を切り替えるだけでどうにかなるんか」
「そうなるね。あとは、眼鏡の私に教えてもらった簡略化と小型化も仕込んで単一の装置にしてもいいかなって思ってる。そうしたら、大塚鎮守府の明石にも作り方が伝えやすくなるしね」
卵の被害は大塚鎮守府にも及んでいるため、この装置はあちらにも必要。わざわざ作ったものを送り届けるよりは、向こうで作ってもらった方が早い。
そこで山寺鎮守府の明石からの技術提供が役に立つ。小型化、簡略化によって、何処でも作れる仕組みに改良してしまえばいい。
「よしよしよし、それじゃあ一旦寝てからガンガン進めていこう!」
ここまで来ることが出来れば、否応なしに士気は上がるもの。大淀も龍驤も、徹夜のハイテンションで明石に賛同した。
出来上がりつつある黒幕対策。これが完成すれば、決戦へと向かえるようになるだろう。
ついに対策の薬が作れそうです。でも本当にこれを身体に打ち込んでいいものだろうか。これが重要。