施設の朝。目を覚ました春雨は、早速ジェーナスと共に槍持ちの部屋へと向かった。薄雲が槍持ちと一晩を過ごしたことで、何事も無かったかをいち早く知りたかったためである。
あの槍持ちは意思の疎通が出来ない存在だ。それと一緒の部屋にいるということは、予想が出来ないことが起きているかもしれない。それだけはどうしても気になるところだった。
「あれだけ反応していなかったら、一緒に寝ても何も起きてないんじゃないかしらね」
「かもね。でも、薄雲ちゃんが発作起こしてるかもしれないよね……お姉さんと一緒に寝てるんだもん」
「そうね……でも、戦艦のヒトがいるんだもの。あのヒト、姉姫や妹姫くらいに面倒見がいいのよ」
「それなら安心……かな?」
ジェーナスは戦艦棲姫との付き合いもそれなりにあるため、その人となりも多少は知っている。
その時にわかったのは、穏健派の深海棲艦だからか、やたらと面倒見がいいこと。別のところにいる穏健派の深海棲艦と買い物に行ったり話に行ったりと、いろいろな海を駆け回っているだけある。
部屋の前は静かなものである。まだ眠っているのか、既にいないのかは扉を開けてみなくてはわからない。
「ウスグモ、起きてる?」
軽くノックしたところで、中の応答を聞くこともなく扉を開けたジェーナス。中でもし着替え中だったりしたとしても、同性かつ一緒に風呂に入るような仲なため、気にすることすらない。
中に薄雲達がまだおり、まだ起きたばかりだったようで、戦艦棲姫は艤装を片付けてもいなかったため、それに気付いた春雨がギョッとした。
「わぁっ、ビックリした」
「っと、ごめんなさいね。春雨はこうやって見るの初めてだものね。この子、私の艤装。今はベッドの代わりになってもらっていたのよ」
「そ、そうなんですか……。別個体と戦ったことがあるので一応知っていますけど、こんなに近くで見ることは無かったので」
春雨もよく知る大きな艤装が春雨に対して小さく一礼した後、解体されるようにその場から消えていった。全てが失われるまで、戦艦棲姫がその頭を撫でていた辺り、意識すらも持つ生体艤装のように見える。
どうしても戦闘中のシーンが頭から離れなかったのだが、知っているそれは獣のように獰猛で暴れ回っていたイメージだったため、目の前の戦艦棲姫の艤装はとても紳士に見えた。
「ウスグモ、Good morning」
「うん、おはようジェーナスちゃん」
深夜の発作は戦艦棲姫がその時に止めてくれたため、朝になるまでそれを引っ張るようなことは無かった。ちゃんと気持ちよく朝を迎え、スッキリした表情で返事をする。
気持ち良く眠れた理由はそれだけではない。発作を起こした後に槍持ちに撫でられながら眠れたことが大きかった。悪夢によって発作を起こしたものの、その後はとても幸せに眠れたようだ。
「姉さん、朝ですよ」
その槍持ちに声をかける薄雲。それに対して槍持ちはやはり無反応である。春雨とジェーナスはやっぱりねという顔をしたものの、薄雲としては昨日とは違うことを理解していた。
そもそも撫でてもらえたことが大きいが、さらに体温が少しだけ上がっていることが重要だった。温かさを感じ取ることが出来たというのは、死人のような状態から少しは改善されたということに他ならない。
「槍持ちさんって、ご飯って食べられるのかな」
「Testeが
「そうなんだ。じゃあ、それは私が姉さんに食べさせてあげます」
そもそも無反応な槍持ちがご飯を食べられるのかは甚だ疑問だが、やってみなくてはわからないということで、薄雲はとても乗り気である。コマンダン・テストも念のためと療養食──お粥などの食べやすい朝食を用意してくれているらしい。それなら反応が無くても食べてもらうことが出来るかもしれない。
「姉さん、それでいいですか?」
勿論これにも無反応。と思いきや、視線だけは薄雲の方へと向いた。
春雨とジェーナスからしたら、それはただただとやかく言ってくるものに対しての反応なのではと感じる行動であったが、昨日の夜の出来事を知る薄雲と戦艦棲姫からしたら、この行動自体が進歩の1つと感じられる。
寝ている時に限り、さらには薄雲が発作で苦しんでいる時に限り、反射ではなく殆ど自分の意思で薄雲を撫でるという行動に出ている。
本当に少しずつとはいえ、槍持ちは温もりによって少しずつ変化してきているのは確かだ。
「春雨ちゃん、ジェーナスちゃん、今日から少しの間、ご飯はここで食べるね。姉さんに食べてもらわなくちゃいけないから」
「うん、大丈夫。みんなわかってくれるだろうし、槍持ちさんが元に戻ったらダイニングに戻ってくるもんね。その時を待ってるよ」
「ハルサメの言う通りね! お姉ちゃんのためにやるんだもの。誰も文句は言わないわ!」
姉妹という時点で松竹姉妹はまず文句を言うことはないし、伊47はむしろアレルギーのせいで独りで食べることもある。リシュリューとコマンダン・テストもその辺りは寛容。姉妹姫に関しては言わずもがなである。
むしろ、薄雲がここまでやる気になっているのだから、みんながそれを上手く出来るようにサポートする程だろう。そもそもが槍持ちにちょっかいをかけていきたいという思いもあるわけだし、それの延長線上になるはず。
「姉さんはきっと快復する。昨日だけでも少し変わったんだから。だから私、姉さんのために頑張るね」
「うん、応援してる」
いつになくやる気満々な薄雲。それに対して、一切の不安は無かった。
宣言通り、今までの3人組から薄雲が抜け、槍持ちに付きっきりとなる。薄雲だけでは発作が起きた時に何も出来ないため、夜と同じように戦艦棲姫がついてあげることにもなっていた。
その誠意に応えるように、みんなが率先して手伝ってあげていた。農作業や漁などは当然やっているのだが、そうではないとき、薄雲や戦艦棲姫が他の者にも力を貸してもらいたいと感じた時は、快く手助けをしてあげる。
とはいえ、2人いれば基本的には手助けが必要になる場面など無く、やはり必要なのは槍持ちに対する刺激。いつもは無いようなことを起こすことによって、より体温を上げて冷え切った思考回路を回せるようにしてあげることが目的。
「そっか……夜に温かくなったんだね」
薄雲の精神的な部分の負担が減るように、ちょっかいをかけるのは春雨とジェーナスが多く引き受けることになる。その時は戦艦棲姫も中間棲姫や飛行場姫に現状報告をするために退室していた。
「そうなの。ずっと抱きしめて寝てたからかもしれないんだけど、お風呂に入っても何も変わらなかったのに、私が抱きついてたらなんだもん。同じことをやり続けていたらもっともっと良くなっていくはずだよ」
話している薄雲は、槍持ちの眠るベッドに座り、常に何処かに触れている状態。今は手を握って熱を与えている。
たまに視線がうごくようなことはあるのだが、春雨とジェーナスに対しては向かない。あくまでも薄雲に対してのみの反応である。そこはやはり、相手が妹だからというのがあるのかもしれない。
「今も温かいの?」
「うーん……ちょっとまた冷たくなってきてるかも。でも、昨日ほどじゃないよ。触ってみる?」
薄雲に促されて、春雨は槍持ちに触れてみた。手は薄雲が握っているため、腕に触れてみると、言われてみれば確かにと思えるくらいには熱を帯び始めているのがわかった。
布団に包まれていたという補正はあったが、薄雲の温もりが槍持ちに移っているのは確か。手からだけでは微々たるものだろうが、全身を包んでいればそのうち全てが温まる。
「壊れた心が、
「撫でてくれたの? 今まで無反応だったのが?」
「うん。今はまた無反応になっちゃったけど、少しずつは改善されてるんだよ。ご飯も食べられたしね」
コマンダン・テストが用意したのは、やはり食べやすさ重視の流動食。それに、身体を温めるものがいいと先んじて薄雲がお願いしたので、栄養たっぷりのリゾット風。スプーンで流し込むようにしたところ、しっかりと咀嚼と嚥下はしていたようだ。
生まれてどれだけ経つのかは誰にもわからないが、少なくともここに保護されるまでに、まともな食生活を送っていたとは到底思えない。槍持ちにとって、初めての食事であろう。
それもあってか、薄雲にだけはまた反応を返すようになっていたらしい。食事により身体が温まり、心も温まっていく。まともな生活で、壊れて凍りついた心は少しずつ少しずつ溶けていく。
「私達なら姉さんを姉さんにすることが出来ると思う。だから、これからも続けていくよ」
「私達が全力でSupportするから!」
「うん、よろしくね」
晴れやかな笑みを見せる薄雲。発作は起こすものの、槍持ちの介護は薄雲の心も癒しているようだった。
敬愛する姉を失った結果溢れ出した寂しさは、姉の傍にいることで癒されるのは必然だった。
一方、戦艦棲姫は姉妹姫に今までのことを説明していた。特に深夜、槍持ちの体温が上がったこと。
これは施設にとっても重要なこととなり得る。もしまた似たような存在が流れ着いたり、黒い繭から適切な処置をしたとしても溢れた感情によって同じような症状を引き起こしたりした場合、同じことをすることで改善が見えるかもしれないからだ。
「私の予想なんだけど、薄雲は槍持ちの妹なのよね。姉妹が関わると、なんやかんや改善していくんじゃないかしら」
戦艦棲姫の予想は、それなりに正鵠を得ていた。
以前よりも発作を起こすことが少なくなり、考え方もしっかりしてきた春雨も、その改善は鎮守府の面々、特に海風を筆頭とした妹達と再会してからだ。槍持ちもある意味近しい。むしろ姉と再会したようなものの薄雲の方にも影響がある。
姉妹とは言わず、縁の深い者と交流することが、状況の改善に繋がるのではないかと考えた。それこそ姉妹だけではなく、元々所属していた鎮守府で仲が良かった者とか。
「確かにそうかもしれないわねぇ。春雨ちゃん、最初と比べるとすごくいい顔をするようになったものねぇ」
「一番の新人が真っ先に改善されたのよね。春雨だけだもの。姉妹に再会出来たっていうのは」
「そうなると、戦艦ちゃんの言うことは一理あるのよねぇ」
とはいえ、そんなことが起きるのはレア中のレア。この施設ではまず起こらないことだ。
別個体でもいいとはいえ、姉妹に自分から会いに行くことも出来ず、出会えたとしてもあちらから攻撃される可能性が高い。そうなったら余計に心が壊れてしまう。このやり方は、まさに諸刃の剣。
「あの鎮守府と付き合っていくうちに、人間や艦娘にアタシ達の存在がちゃんと認められたら、もしかしたら姉妹とかに会わせてあげることは出来るかもしれないけど、あまり高望みはしない方がいいでしょ」
「……そうねぇ。あそこの、春雨ちゃんの鎮守府は信用出来るわぁ。提督くんは直に来たいと言ってくれていたくらいだし、ちゃんと顔を見ながら話すことが出来たもの。あの言葉に裏はないわねぇ。でも、他の人間がどうかと言われると」
「なんとも言えないわよね。それこそ、
だから相容れない存在となっているのだ。たった1人が信じてくれても、残りの人間が牙を剥いてくることは充分にあり得る。今でこそ現状維持としてくれているものの、実は虎視眈々と寝首をかこうとしている可能性すらあるのだ。
勿論、中間棲姫は人間達を信じたいと考えている。戦うつもりはないし、戦いそのものが好きではない。農作業や漁と比べると、戦争はあまりにも非生産的である。平和主義には酷な状況であることは間違いない。
「だから、現状維持が一番なのよぉ。あの子達はゆっくりと改善されてくれればいいわぁ。ハイリスクはハイリスクでしか無いんだものぉ」
「アタシもお姉の意見に賛成。そりゃ人間達とは仲良くしたいわ。でも、それを許してくれない存在もいるわけで」
「ええ。私は人間達と手を取り合って生きていくのが夢よぉ。でも、それは夢でしか無いのかもしれないのよねぇ。数少ない理解者と仲良くするのが一番なのかもしれないわぁ。増えてくれることを祈るけれどねぇ」
勿論、諦めているわけではない。現実を見ているだけである。中間棲姫も飛行場姫も、その辺りは理解している。
でも、夢を見るのは罪ではない。いつか隠れ住むことなく人間達と仲良く出来る時を願って、今を続けていく。
ゆっくりと事態を好転させていこうとはしていますが、まだまだ難しいところ。初めてのことってのはいつだってそうですよね。