槍持ちに刺激を与えるため、午後からは部屋から外に出て風を感じてもらうことになっていた。
槍持ち自身は自分の足で歩くこともしないため、車椅子か何かがあればそれで行こうと考えていたものの、流石の中間棲姫もそこまでは用意していない。背負っていくのも厳しいかと思っていたところ、そういうことが容易く出来る戦艦棲姫の艤装が車椅子代わりに動き出した。
「凄いですね……昨晩はベッド代わりになって、今回は車椅子代わりだなんて」
「でしょ。この子は万能な相棒なのよ。私以外にこういうことをするのは初めてだから、ちょっと照れてるみたいね」
戦艦棲姫の艤装が持つ豪腕は、掌だけでも椅子1つ分のサイズが優にある。大人である戦艦棲姫にすら余裕があるそれに槍持ちを腰掛けさせて、のっしのっしと歩いていた。
自分の力で自分を支えられない槍持ちを振り落とさないように指をうまく移動させて固定し、振動で振り落とさないように丁寧な移動を心がけている辺り、この艤装はやはり紳士的である。
その隣を歩くのは、やはり薄雲との兼ね合いもあって春雨とジェーナスである。午前中を使って他の者達との交流もしているが、なんだかんだこの2人が落ち着いている。
いろいろな感情を教えているようなものなので、槍持ちにはいい刺激にはなっているはずだった。松竹姉妹からは姉妹愛を、リシュリューとコマンダン・テストからは遠征した先の思い出を語られたりしていた。
伊47は真っ先に戦闘をしてここに鹵獲された相手ではあるものの、面と向かっても過剰な反応をするわけでは無かった。伊47はそれだけは少しホッとしていた。
「そろそろ槍持ちにもちゃんとしたお洋服を着せてあげたいわね」
ジェーナスが言うのは、槍持ちの見た目である。車椅子代わりの生体艤装が心なしか照れているように見えるのは、それもあった。
昨日の風呂の時には、どうにか脱がすという方向で入ってもらうことには成功したが、深海棲艦の服は艤装のようなもの。脱がした時点でその場で消滅してしまった。そこからの再構築を槍持ちがするわけがなく、そのままだと全裸になってしまうため、どうにか服をあてがった。
今の槍持ちは、襲撃したときの服から一変、海風に着せていたようなシャツ1枚とインナーのみとなっている。槍持ちはおおよそ春雨と近しい体型だったおかげで、それで何とか全てを隠すことが出来ているものの、割と色々と足りないのでギリギリ。
「自分で考えることが出来るようになれば、その辺りも全部解決だよね。あのボロボロの服になっちゃうかもしれないけど」
「そこは慣れでどうとでもなるわ。ハルサメだって妹姫の服になれたんだもの」
「まぁそうだね。槍持ちさんもすぐにそういうこと出来るようになるよね」
槍持ちが正気を取り戻し、薄雲の姉となることを前提として話をしている2人。ここからもう治らないだなんてカケラも考えておらず、既に仲間として受け入れている姿勢。
「農作業とか、気に入ってくれるかな」
「あら、この子はどちらかと言えば漁じゃない? 槍で大物を一突きにしてもらうなんていいと思うのだけど」
「海釣りだと難しくないかなそれ。浅瀬とかあればいいかもだけど、ここって堤防から釣るか沖に出て釣るかの2択だし」
2人は槍持ち──叢雲がどんな艦娘だったかを知らなかったりする。そのため、農作業や漁に進んで参加するようなタイプなのかもわからない。なので、今話している内容は捕らぬ狸の皮算用に過ぎない。
「ウスグモ、この子はどっちが好きになれそうかしら!」
「薄雲ちゃんから見たらどうかな。農作業一緒にやれそうだったりする?」
「漁で一緒に食料調達してほしいわ。楽しんでくれるタイプ?」
そんな質問をされて、なんと回答をすればいいのか本気で困っている。だが、薄雲は心の底からこの2人が友達で良かったと思えた。
薄雲は当然姉と一緒にいたい。だが、この2人とも一緒にいたいと思っている。優先順位がどうしても姉に傾いてしまうのだが、春雨もジェーナスもかけがえの無い友人。手放したくないという欲が次から次へと溢れ出してくる。
わがままなのはわかっていても、この思いは止められない。薄雲が
「姉さんなら、どっちもやってくれると思うよ。最初は抵抗がありそうだけど、やると決めたら自分を曲げないヒトだったから」
「なるほどね。なら、どっちの楽しさも知ってもらえればいいんだ」
「Okay. それなら私達でも充分に伝えられるわね!」
「農作業には最初難色示すかもだけどね。なんで海の者が陸で働かなくちゃいけないのって」
楽しそうに話す3人を、戦艦棲姫は心穏やかに見守っている。艤装の腕を小さく撫でながら、この穏やかな日々を過ごすのも悪くないなんて考えていた。そこに槍持ちが加われることも望みながら。
しかし、ここから少し話が変わる。
無反応を決め込んでいた槍持ちが、突然
そんなことがあると思っていなかったせいで、生体艤装も反応が少しだけ遅れてしまった。固定していた指をすり抜けるように立ち上がり、自分の現状を省みることなく一点を集中するように眺める。
「えっ、ね、姉さん!?」
そんな動きをする槍持ちを見るのは当然ながら初めて。薄雲が驚いて声を上げた瞬間には、もう艤装の掌から飛び出していた。
向かっているのは明らかに海の方向。さらに言えば、
「まさか……艦娘を察知した!?」
そう考えるのが妥当だった。ここの誰からも、目のいい戦艦棲姫ですらまだわかっていない場所にいる艦娘に反応したかのように動き出したかと思ったら、まるで獣のように飛び出していってしまった。
心が壊れ、凍り付いたことで、溢れ出した感情によって生まれたことが、その攻撃性に特化した動きを可能にしていた。艦娘に怒りを持ち、沈める対象として認識しているせいか、それを察知した途端に動き出す。察知の範囲も尋常ではない。
「まずい、すぐに追います! 戦艦様、姉姫様か妹姫様に連絡を!」
「ええ、わかったわ。私だと多分槍持ちに追いつけない。貴女達に任せる」
ここで役割分担。戦艦棲姫は戦艦であるが故に、駆逐艦の速さより少し劣る。ただでさえ槍持ちが駆逐艦以上の素早さを持っているのだから、ここに参加するよりはすぐに援軍を呼ぶ方がいい。
そのため、いつもの3人組が槍持ちを追うことになった。春雨が即座に反応出来たため、薄雲もジェーナスもそれに倣うカタチで動き出す。
薄雲は動揺が隠せなかったものの、姉の一大事と考えてそれをどうにか振り払った。もう発作も起こしている余裕がない。
「多分誰かがまた施設に来てくれたんだと思う! 槍持ちさんがどうなってるか知らないから!」
「昨日の今日で来ちゃったのね。危険だと思わなかったのかしら」
昨日槍持ちに襲われたというのに、またここに来るのは何故だと考えたものの、そもそもの連絡手段が無いのだから、何か用がある場合は直にここまで来るしかない。それこそ、話に来る用は、槍持ちが関係していることなのかもしれない。
しかし、その槍持ちは施設にいる。槍持ちをどのように管理しているのかなんて、鎮守府が知る由もない。
それこそ、
「なんて速さなの!? 私じゃ追いつけない!」
「姉さん、速度重視に生まれ変わっているのかも! 槍での接近戦が主体みたいだし!」
追いかけながらも冷静に分析。槍持ちとの戦闘は伊47しか経験しておらず、槍を使ったやたら速い戦い方ということくらいしか知らないため、実際に見てみるとそんな言葉じゃ言い表せないくらいの速度であることが理解出来た。
ジェーナスも薄雲も、全速力で駆けているのだが、差が詰まることはなかった。海に差し掛かったところからは、むしろ引き離される程だった。
「私が先に行く! どうにか足止めしておくから、後から追いついてきて!」
そこで駆け抜けたのが春雨だ。海の上でのトップスピードは、この3人の中では一番上。今まで使っていた義脚を消し、さらに小回りが利く状態になってから全速力で追う。
春雨ならば槍持ちにも追いつくことが出来る速度を出せた。見る見る内に差が詰まっていき、その背中に触れられるくらいに。
「槍持ちさん、止まって!」
声をかけても無視。戦艦棲姫が初めて槍持ちを見た時がこの状況。どんな状態で声をかけても、何の反応もしない。艦娘以外には興味が無いと言わんばかりである。
「槍持ちさん!」
どれだけ声をかけても、速度を落とすどころか、振り向くことすらしなかった。槍持ちにとっては、春雨はいないものとして扱われている。
これはもう実力行使しかない。どうにか捕まえてその場に止めるしかない。
「ああもう、ごめんなさい!」
その速度を活かして、槍持ちの真後ろに立った瞬間に飛び込む。脚が無い分体勢が低いため、槍持ちの膝に向かって体当たりをぶちかますカタチになった。
後ろも振り返らずに駆け抜けていたところに突然の下半身への衝撃は、槍持ちの体勢を崩すのには充分すぎた。トップスピードで転けることになり、槍持ちは顔面から海面に滑りこむことになる。
「やっと止まってくれた!」
その状態から改めて義脚を構築し、槍持ちを跨ぐように押さえ付けた。俗にいうマウントポジション。移動するための脚を浮かせているのだから、それさえ海面から離してしまえば槍持ちは動くことが出来ない。抜け出そうともがくが、深海棲艦化した春雨の力もそれなりにあるため、このポジションを取られた時点で簡単には抜け出すことは出来ない。
こうしてようやくわかった。薄雲が言っていた通り、槍持ちの肌は死人のように冷たかったのだが、今は確かに冷たいものの言うほどでは無くなっている。
一晩薄雲と眠ったことと、午前中に施設の者達と交流したことで、少しずつでも熱を帯び始めている。今だって、春雨の温もりを少しずつ少しずつ得ているのかもしれない。
「なんで飛び出したんですか!」
返答は無いだろうが、一応問うてみた春雨。無言でマウントを取っているのもどうかと思ったのと、2人がここまで辿り着くまでに何かしらの交流をしておきたかったと考えて。
すると、槍持ちは明確に春雨を見据えて、たった一言。
「カンムス……シズメル」
伊47にも言った、今の槍持ちが持つ1つの意志。深海棲艦化したことによって強く刻まれた感情。侵略者気質なのか別の要因なのかは、槍持ちがこうなので判断出来ないが、少なくとも察知した瞬間に攻撃に出てしまうくらいには艦娘への憎悪を抱いていた。
対する春雨は、説得するためにはどうしたものかと考え始めた。伊47のようにその場で気絶させることも出来ない。だからといって暴行を加えるわけにもいかない。
「ダメです。艦娘は仲間、友達です。沈めたら全部台無しになっちゃいます」
「……カンムス……シズメル」
「貴女がどんなことが起きてこうなってしまったのかはわかりません。でも、貴女のためにも、その考えはやめましょう。変わることは怖いことかもしれないけど、大丈夫、私達がついてます。私もジェーナスちゃんも、貴女の妹の薄雲ちゃんもいますから」
薄雲の名前が出た途端、ピクリと反応する。
「……ウス……グモ……」
「そうです。薄雲ちゃんです。艦娘を沈める必要なんてありません。憎いかもしれないけれど、それを続けていたら身を滅ぼすだけです。だから、今は抑えてください。薄雲ちゃんが悲しみます」
力が少しだけ緩んだ。短い時間でも親身にしていた薄雲には、少なからず感情を持ち始めているのかもしれない。
「……ウスグモ……ウスグモ……」
「薄雲ちゃんだけじゃないです。私もジェーナスちゃんも、みんなみんな、貴女のことを仲間だと思っているんです。だから、悪い道に向かう姿は見たくないんです。わかってもらえませんか」
槍持ちはそれで動かなくなった。相変わらず虚ろな目で空を見つめるだけ。しかし、艦娘が近くにいる状態で。
ここでようやく薄雲とジェーナスが春雨に追いついた。春雨が槍持ちを押さえ込んでいるところを見て驚いていたようだが、ちゃんと止まってくれていたのには喜んだ。
薄雲の名前に反応するくらいには変化してきた槍持ちだが、艦娘の存在を察知したところで襲い掛かろうとしてしまうのは問題だ。まだ交流には程遠いのだろう。
施設の中で最も感知能力が高いのが槍持ち。でも、艦娘相手にしかそれは利かないので一長一短。施設的には逆にありがたい能力なのかもしれない。