翌日。それはまず朝食の時から始まった。コマンダン・テスト手製の療養食を薄雲が運んだところ、いつもは視線が少し動くだけだったところが、
「ね、姉さん、反応してくれた……」
「ちょっと私も驚いたわ。昨日からまた良くなってるじゃない」
昨日あったことと言えば、ジェーナスの紅茶に反応したことと、近海にまで来た艦娘の部隊に反応して襲撃に向かったことくらい。紅茶は今までに無い刺激であるが、ここまで回復するようなモノでは無いと感じていた。
だとすると、襲撃が理由となってしまうのだが、それは艦娘の部隊相手にも行なっているので、目新しい刺激にはならない。そうなってしまうと、一番これの理由と考えられるのは、
「春雨ちゃんに食い止めてもらったことが、いい刺激になった……?」
「一番の可能性がそれよね。でも、襲撃を食い止められるのはヨナにもされてるでしょ。代わり映えあるかしらね」
言われてみればと薄雲は考え直す。しかし、思い当たる節はもうそれくらいしか無かった。
「姉さん、今日はもう人並みの熱を感じるくらいになってきました。私の熱が移ってくれたのかなとは思うんですけど」
「どれどれ」
戦艦棲姫が槍持ちの手に触れると、確かに初期と比べたらその違いは歴然としていた。温かいとまでは行かずとも、死人のような冷たさは鳴りを潜め、少し体温の低いヒトと感じるくらいにまで変化していた。
「確かに、最初と比べたら雲泥の差ね。生きてるってわかるわ」
「ですよね。手でそれなら、頭も大分温まってますよ。考える力も戻ってきてるかもです」
この施設で沢山の刺激を短期間で与えられ、温まってきた思考回路。そこに艦娘の気配を感知して即座に行動したが、春雨によって食い止められるという、また新しい刺激が入った。さらには、薄雲はこの時知らないが、その時の槍持ちは薄雲の名前を聞いたことで動きを止めているのだ。ならば、もうそれしか理由はない。
実際、槍持ちの思考回路は、当初から比べれば格段に回復していた。薄雲という実の妹の存在が常に身近にいる安心感が、槍持ちに本来の艦娘の感情を蘇らせようとしているのは確かである。もう少し時間がかかるかもしれないが、確実に一歩一歩進んでいる。
「とりあえず、朝ご飯にしてあげましょ。槍持ちが待ち構えてるわ」
「あっ、そ、そうでした。あまりに驚いてしまって忘れてました。姉さん、今日もコマさんの手製ですよ」
昨日と同じように匂いにも反応し、薄雲の顔を見た後に療養食も見る。視線だけではなく、顔まで動かして。まだ無表情で、かつ言葉も発しないが、今までのことを考えれば劇的な変化。
「姉さん、食べられますか?」
ここでも今までにない反応。薄雲の問いに対して、首を小さく縦に振った。これもまた驚いてスプーンを落としかけた。
無反応が基本で、口元に近付けてようやく食べてもらえる程度だったのが、自主的に口を開けて待っている程だった。
日に日に回復していく槍持ちの姿に喜びが隠せない薄雲だったが、それは朝食を終えてからみんなの前に持ち越すことにした。しかし、薄雲はこの部屋から離れるわけにはいかない。そのため、朝食後に戦艦棲姫が皆に伝えに行くということとなった。
薄雲と戦艦棲姫は、この数日間で今まで以上に仲良くなっている。おかげで寂しさも感じず、槍持ちのおかげで、発作も最初の深夜以外は起こしていない。非常に安定した毎日を過ごしている。
槍持ちが施設に加わったことで、姉妹と再会出来た春雨と同じように、薄雲も少し上の段階へとステップアップ出来たのかもしれない。
朝食後、薄雲に話していた通り、戦艦棲姫が姉妹姫に槍持ちの近況を話していた。ダイニングの面々は朝食を少し前に終えており、姉妹姫は各々の作業に向かうべく準備をしているところ。タイミングがあって良かったと、戦艦棲姫は安堵した。
掻い摘んで話すと、2人とも大いに驚いていた。この施設に保護されてたった2日でそこまで回復するとは、飛行場姫どころか中間棲姫でも思っていなかったようである。
「やっぱり前に私が言った通りなんじゃないかしら。実の妹と関わると、状況がどんどん改善されるのよ」
「こうなってくると、それを信じざるを得ないわよねぇ。春雨ちゃん然り、槍持ちちゃん然り、好転してるのはみんな、自分の姉妹に出会えている子なんだもの」
春雨だけだったらまだたまたまかなで終わっていたかもしれないが、槍持ちの回復と薄雲の成長まで見たら、もうこれは事実として受け入れるしか無くなる。
心を壊したことにより感情が溢れ出し、深海棲艦と化した艦娘は、実の姉妹と触れ合うことで、壊れた心が修復されていく。完治することはあり得ないが、劇的に改善されることは実証された。
「でも、アタシらがそれを用意してあげることなんて出来ないわよ。春雨も薄雲も、たまたま運が良かっただけよね」
「それはそうでしょうねぇ。私も妹ちゃんも、ここでそこそこ長く生活しているけど、姉妹が揃ったときなんて無かったもの、ねぇ?」
「そうね。松と竹くらいだものね。あの2人は共依存だから2人とカウントしていいかもわからないし」
黒い繭の状態で流れ着いてくることは稀。ここにいる全員が、繭の状態で近海にいたから拾われたという程度である。伊47が近海をフラフラとしていた時に見つけたというのが殆どだ。島にダイレクトに流れ着いたのは、その伊47と、それよりも前にいたジェーナスくらいかもしれない。
ただでさえそんな状態なのに、ここにいる者の姉妹をピンポイントで拾うことなんて、まず不可能である。まず姉妹が心を壊す環境にいるかどうかもわからない。当然、このためだけに艦娘をわざと壊すなんてことは以ての外。
「前にも言ったけれど、あの提督くん経由で姉妹と話せるようになれば変わるかもしれないのだけれどねぇ。そもそも姉妹はいるのかしら。そういう話を聞かないのだけれど」
「あー、そうね。コマ辺りは一人っ子の可能性が高いわね」
実際、この施設に属している元艦娘達の中では、コマンダン・テストだけは姉妹艦がいない一人っ子。また、リシュリューや伊47は姉妹艦がいるはいるのだが、艦娘としてはまだ発見されていないという、なかなかシビアな状況である。
姉妹限定というのなら、このカタチでの状況改善が見込めるのは、あとはジェーナスくらい。松と竹にも姉妹はいるが、既に姉妹でセットという都合上、効果的かどうかは不明。
姉妹がいない艦娘は詰みかもしれないが、そこは姉妹と同様に親しい関係の艦娘と触れ合うことで、同じ効果が得られるのではないかとも考えた。祖国が同じだとか、同じ艦種だとか。
しかし、これもまた困ったことに、コマンダン・テストと同じ祖国であり、現在発見されている艦娘はリシュリューのみ。つまり、この2人に関しては打つ手無しだったりする。とはいえ、溢れた感情と発作のトリガーが他の者より軽いため、そこまで苦ではないのだが。
「姉妹であること以外にも条件はあるんじゃないの? ほら、薄雲はここ2日間、槍持ちとずっと一緒にいるでしょ」
「一緒にいるどころじゃないわ。常に何処かに触れている状態を維持してるのよ。一時的に離すのは食事の時だけね。あと昨日のアレか」
これも改善の理由なのかもしれない。常に自分の熱を送り続け、凍りついた心を溶かしていった結果がこれなのではと。
それこそ、卵を孵すための親鳥のような行動と同じ。温め続けることによって凍りついて閉じこもった思考を表に出す。今回の場合は、薄雲が親鳥、槍持ちが雛。
「とりあえず、現状が一番いいっていうのはわかったわぁ。もしかしたら槍持ちちゃんも近々正気に戻るかもしれないわねぇ」
「そうね。それまではここにいさせてもらうわ」
「ええ、私としてはずっといてくれても構わないのよぉ?」
「それは私の性に合わないの。そういう本能なのよ多分。帰る場所があるってわかってる状態で、行きたいところに好きなように行くことが出来るって、素敵なことだと思わない?」
「確かにねぇ。なら、ここに留めておくことは出来ないわぁ」
戦艦棲姫も槍持ちのことは常に気にかけていることだろう。今まで以上に、この施設に立ち寄ることが多くなるかもしれない。今までは1ヶ月から2ヶ月に1度という程度だったが、これからは1ヶ月に数度というくらいにまでなるか。
「それじゃあ、またお願いねぇ」
「ええ、私の言い出したことだし、槍持ちのためにも力を尽くすわ。こういうのも楽しいからね」
もうしばらくは滞在することになるだろう。姉妹姫がそれを受け入れているのだから、誰も何も文句はない。
一方、槍持ちの部屋。薄雲だけを置いておくわけにもいかないため、春雨とジェーナスが様子を見に来ているのだが、その中の光景に少し驚いていた。
「えーっと、薄雲ちゃん、それは」
「姉さんは温めれば温めるほど正気に戻っていくの。だから、優先的に頭を温めようかなって」
春雨がこんなことを言い出すのも仕方ない。今の薄雲は、横にした槍持ちの頭を抱きかかえるようにして座り、後頭部から頭頂部にかけて全身を使って温めている状態。膝枕とかでもなく、頭部を包み込むようにしているため、槍持ちの顔は薄雲の腹に引っ付いているという異様な光景である。
さらには、薄雲が温もりを一番感じた状態を再現するために、飛行場姫の服を模したボディスーツ姿だったのも驚くべきところだった。春雨にそうされたことが印象に残っているらしく、自分も槍持ちにやってあげようという良心からの行動。
実際、素肌とは言わないが、いつもの制服とは違うため、温もりを強く感じるようにはなっている。最初は全裸のつもりだったようだが、一応心がそれにブレーキをかけたとのこと。制服の腹の部分だけはだければいいのではという疑問は、あえて呑み込んだ。
「まるで親鳥ね。姉妹が逆転してない?」
「あはは……今の見た目だけはそうかもしれない」
ジェーナスも今の薄雲と槍持ちを親鳥と雛の関係性に例えていた。頭を包み込んでいる姿は、まさに大きな卵を温めて孵化させようとしているように見える。
時折頭を撫でつつも、槍持ちの髪を手櫛で梳いたり、首が痛くならないように身体の向きを変えさせたりと、甲斐甲斐しくお世話をしている。それこそ、卵を大事そうに温める親鳥。
「でもね、姉さんの頭、ちゃんと温まってるの。最初は本当に冷たかったんだけど、今は人並みに温かいんだ。私の熱が移っているだけにしても、昨日よりもずっとね」
本当に愛おしそうに撫でながら、槍持ちの顔を胸に押し付けるように抱きしめる。着ている服が服なので、槍持ちの吐息を感じてしまうのだが、薄雲の中ではそれも落ち着ける要因になっていたりする。
今の薄雲は、春雨やジェーナスがここにいなくても、寂しさを感じることはない。
「槍持ちさん、元気になるといいね」
「うん、本当に。姉さんと一緒にここで楽しく生きていきたいからね」
感極まったか、槍持ちの頭をギュッと抱きしめる。この施設に住まう者全ての目標である『楽しく生きる』ことを、姉と一緒にやっていきたいと願う。
だが、これがまた1つの変化を齎す。
「……ウスグモ……」
槍持ちがボソリと呟いた。一番近くにいた薄雲は勿論のこと、春雨やジェーナスにもその言葉は聞こえた。
「……クルシイ」
思い切り抱き締めていたせいで、槍持ちの息が止まりかけていたらしい。今までならそんなことを訴えることすらしなかったが、僅かにでも感情を取り戻したことにより、そういう言葉を紡げるようになっていたのだ。
「ね、姉さん、ごめんなさい!」
すぐに顔を離す。やはり無表情ではあるのだが、息切れしているような。ほんの少しだけ顔が赤らんでいるようにも見えた。
「すごい、すごいすごい! 本当に回復してるよ!」
「
春雨とジェーナスも自分のことのように喜んだ。薄雲は感無量のようで、少しだけ涙目だった。
ついに会話らしきものが可能になりつつある槍持ち。薄雲の献身が、近々実を結ぶことになりそうだ。
槍持ちに意思が芽生え始めました。孵化の時は近いかもしれません。