仲間達の思いを背に、一人陸へと向かった春雨。降り注ぐ泥を潜り抜け、黒幕が潜む島へと上陸した。
「……一人で決着をつけることになるなんてね」
深海棲艦化したばかりの頃だったら、寂しさで発狂していただろう。二度目の溢れを経験した直後ならば、怒りでここまで心は落ち着いていなかっただろう。
これまでの経験から、春雨は単独行動を可能としていた。導く者となったことで、艦娘の頃のように安定している。壊れた心が自らの力で補完されて、何も変わらない春雨としてそこにいた。
「道は……こっちだね」
春雨に見えている光の道は、島の奥へと続いている。確実に地下施設までの道を見せてくれている。黒幕までの一本道。
今まではそれを木々で隠すようにしていたが、今やそれすらも出来ていなかった。島中に張り巡らされた泥を巨人として操り、それを供給源から破壊したことによって一時的にコントロール出来なくなっているのだ。
故に、地下施設までの道を邪魔するモノは何もない。泥人形すら出ず、しかし招き入れているわけでもない。春雨を遮ることが出来ないというだけ。
それほどまでに、黒幕はもう消耗している。ここまで追い詰めることが出来たと考えてもいい。
「まだ油断は出来ないけどね……」
独りごちて、奥へ奥へ。途中、木々に囲まれた場所を歩くことになるのだが、そこは背負う艤装を消して慎重に進む。確かにこれは隠れやすいなと思いつつも、獣道だけは出来ているあたり、ここにヒトがいたという形跡が僅かながら残っていることがわかる。
木々が動いたとしても、根本から動かすことは出来ないだろうし、その周辺の草花は踏み荒らされて道となる。例えばまだ侵蝕されていた時の龍驤などがこの道を通って島から出て、そこら中で暴れ回っていたのだと考えれば、この先に何かがあると予想できる。
「……ここ、かな」
少し進んだところで、木々が少ない空間を見つける。春雨の直感がここだと告げていた。
しかし、入口と言えそうな場所は見えない。そこにあるのはただの地面。草花が生えているわけでもなく、ただそこには小さな空き地があるというイメージである。
「地下施設で、器を持っていたときでも潜伏出来た。泥を染み込ませることで、地下に施設を作ったって言ってたから……入口そのものが泥で出来てるんじゃないかな……」
空き地にしゃがみ込んで、見えている土に触れてみる。すると、明らかに土とは違う
明確に嫌な顔をした春雨だったが、この下に黒幕がいるとわかったなら、潜入する以外の選択肢はない。待っていても黒幕が表に出てくることはなく、手をこまねいている間にも力を取り戻そうとするだろう。それこそ散らばった泥を回収するなりしそう。
「……それじゃあ、強引に入らせてもらうよ」
立ち上がると、徐に主砲を
当たり前だが、この黒幕に対しての怒りも極限まで高まっているのだ。それを表に出していないだけ。導く者に覚醒したことで制御出来るようになっているに過ぎない。それ故に、『望む答えに辿り着く力』も健在である。使い放題というわけではないが、マグマが扱えるトリガーはとっくに引かれているのだ。
「こんな撃ち方するのは初めてだけど……っ」
そして、反動や衝撃などかんがえずに真下へと砲撃を放った。ドンと小気味良い音と共に足下を抉り、さらには弾丸からぶちまけられた春雨の
瑞鳳や黒潮に寄生した忌雷を紅く染めていった時のように、足下が徐々に紅く染まっていく。この一発で全てを染めることは出来ないかもしれないが、今やりたいのは染めることではなく、地下施設に潜入することだ。
「痺れを切らしてくれないかな」
反応がないため、もう一発。より深くにマグマが染み込むように、全く同じ位置に砲撃を放った。
その時の春雨の表情は、冷酷そのものだった。まるで怒りが溢れている時の無表情。黒幕に対して、余計な感情を持っていないことを表しているくらいに。
だからだろうか、二発目の砲撃が地面に食い込んだ瞬間に、春雨の足下が途端に歪み出す。泥によって作られたルート。侵蝕されているのなら一切苦ではない、むしろ快感すら感じるような出入り口なのだろうが、春雨には嫌悪感しか無かった。
別個体の春雨もこの通路を通る羽目になったのだろう。脱出する時もおそらくは地下から上がってこれる仕組み。1つの出入り口で泥の流れが変わるのだろうか。構造は穢らしいが、手段としてはそこそこ近代的。器にした者の記憶から読み取ったと考えるのが妥当。
「……気分が悪い通り道だね」
この泥には侵蝕性がなく、肌に付着していくような感覚もないのだが、とにかく嫌悪感が凄まじい。
それもそのはず、この泥は黒幕を構成する泥の中でも特に
別個体の春雨もドロップ艦ながらギリギリ耐えられた、もしくは黒幕が意図的に
──悪意──恐怖──憤怒──憎悪──絶望──
泥の通り道を進むと、頭に叩きつけられるように負の感情が流れ込む。春雨を引き摺り込んだ割には、ここで壊してやると言わんばかりに。
「頭が痛くなるくらいに干渉してくる……でも、この程度で私は壊れないよ。それに、押し潰そうとしてもそうはいかない」
そしてさらには圧力まで半端ではない。招き入れていない者が強引に入ったら、最悪押し潰されてゴールに辿り着くことが出来ずに肉塊となっていた。
感情の奔流で精神的に疲弊させて、泥による圧迫で物理的に潰す。ここも黒幕の加減次第。春雨に対しては全力の圧で挽き肉にするつもりでいるようである。
だが、春雨にはそれも通用しない。泥を否定するマグマを体表に溢れさせているため、圧は殆ど効いていないようなもの。
「これは……本当に私しか通れなかったね。光の道、間違ってなかった」
これが春雨にしか光の道が現れなかった理由と言っても過言ではない。黒幕の核が表に出てこようとしないのならば、決着をつけられるのは春雨しかいない。
おそらくこの通り道、『観測者』であっても通ることが出来ないのだろう。道を化かすことが出来る道化であっても、このような物理的な抵抗には無力。
それでも『観測者』ならば涼しい顔で通り抜けそうなのだが、『観測者』の特性が邪魔をする。泥の駆除は出来ても、黒幕に対する直接的な排除は中立に反してしまうようである。
そう、『観測者』は中立を保つため、
「そろそろ……かな」
泥の通り道を流されて少ししたところで、圧が弱まる。そろそろ大きめの部屋に出るのだろうと感じ、警戒をさらに強めた。
そして、スポンと抜けるような感覚と共に広い空間に出た。周囲は泥だらけであり、波打ち蠢く壁で敷き詰められている、見た目だけでも嫌悪感が拭えないような空間。
だだっ広いというわけではないのだが、島の地下を空洞にしているだけあってそれなりに大きな場所。表すならば、鎮守府の工廠に近しいか。勿論出撃出来るような海に出られる場所などはない、ただ泥の床があるだけだが。
「よっ、と。これは……斃さないと出られないタイプかな」
春雨がこの空間に入り込んだ時点で、今まで通ってきた道は塞がれた。この中にいる侵蝕された者達は、黒幕の意思によって出たり入ったり出来るのだろう。黒幕が出したいと考えれば、再びあの道が開き、道自体が地上へと送り出す。
「……やっと見つけた。それが貴女の核……なんだ」
部屋の奥にこの空間の主であろう黒幕の核が鎮座していた。いや、中間棲姫の浮遊要塞のように、浮かんでいた。
話に聞いていた通り、それは春雨の頭くらいの大きさの、黒いボールのカタチをした何か。綺麗な真円を描いているものの、どこか歪にも見える。
──悪意──恐怖──憤怒──憎悪──絶望──
泥の通り道を進む際に叩きつけられた負の感情が、より鮮明に突きつけられる。空間全体が、黒幕の感情に包まれている。
自分で引き込んだのに、春雨という
自我を失っているが故に、自分本位が加速している。八つ当たり的な暴力と、棚に上げた怒り、そして、復讐心が暴走する。
「ここまで自分勝手に好き勝手やってきたのに、やり返されたら逆ギレして、それでまた……溢れてたんだ」
黒幕は春雨のように二度目の溢れを経験していた。むしろ、二度どころでは無かった。何度も何度も感情が溢れ、今のようになってしまっていた。
流れ込んでくる負の感情は、全て黒幕が溢れさせた感情だ。最初は復讐心だったが、そこからさらに溢れた。
艦娘を貶めてやろうとする『悪意』が、抵抗する艦娘への『恐怖』が、うまくいかないことへの『憤怒』が、より力をつける者達への『憎悪』が、もうダメなのではないかという『絶望』が……その全てが黒幕から溢れた感情だ。
「二度目の溢れですら、私はめちゃくちゃになったのに、5回は溢れてる。大きかろうが小さかろうが、これだけ溢れたら心も壊れるよね。こうなってもおかしくないんだ。壊れて壊れて、
その原因は全てが自分勝手。これがあの姉姫の中に入っていただなんて思えなかった。
一度目の溢れによって精神が歪んだのは間違いない。復讐心が溢れたことで、中間棲姫の心の致命的な部分が壊れただけ。深海棲艦でも屈指の頭脳派であった中間棲姫は、ここから堕落の道を歩んできた。
春雨の眼前の核が周囲の泥を取り込み、カタチを作っていく。そのカタチは、まさに泥人形となった中間棲姫の姿だった。しかし、春雨の知る姉姫とは姿形は同じかもしれないが、負の感情が溢れ出し、似ても似つかない存在。
自我を失い、本能でそのカタチを取っているとしたら、何とも皮肉である。捨てたのに、今は追い求めている。
それが、春雨の堪忍袋の緒を断ち切った。
「……貴女に言うべきことは、もう無い」