「もう二度と、私達の前に現れないでください」
そして、春雨の鉤爪が、黒幕の核に深々と突き刺さった。
春雨達に見えていた光の道は、仲間達と協力しながら黒幕の核を鉤爪で貫くところを示していた。全員が同じ道を見ていたために、連携が全て上手く行った。傷付くところまでが織り込み済みというのは何とも辛いものではあるが、これが最善であるということが見えていたため、誰もが躊躇なくその道を歩んだ。
その結果が、コレである。導かれるように全ての行動がトントン拍子に流れ、最終的には黒幕にトドメが刺された。これが誰もが辿り着きたい場所。これが春雨が導くべき場所。最善であり、かつ、望む答え。
「……嘘……でしょ」
しかし、春雨の表情が変わる。確実にトドメを刺したはずなのだが、何かがおかしい。
核に鉤爪を突き刺した時点で、黒幕という存在は絶命している。そのまま消滅するはずなのだが、
それどころか、鉤爪が抜けようともしなかった。春雨が強く引っ張っても、ビクともしない。
つまり、黒幕は
「……思い込みはダメ。黒幕が異常なのはいつものことなんだから」
押しても引いても鉤爪がビクともしないのならば、そもそも消してしまえばいい。鉤爪はあくまでも艤装。自分の意思で出し入れが出来るのだから。掴まれている艤装を消して、この状況を次の段階へ持っていく。
これで斃せたと思い込んだら、本来見えるであろう光の道も見えなくなる。知らないことには対応出来ないのが春雨の力の弱点だ。あらゆる可能性を網羅することで、次の道を探さなくてはならない。
「どうなるか……」
鉤爪を消しつつ、核につけられた傷を確認する。どう見ても致命傷。この核そのものが黒幕の命の源だというのなら、1箇所どころか数箇所に貫かれた痕が出来上がり、その周辺にはヒビが走っているほど。そもそもコレでカタチが崩れないことがおかしな話である。
だが、春雨か鉤爪を失ったとしても、黒幕の核は
「だったら……っ」
龍驤の話していた核に関してのことは明石からの又聞きであり、情報としてはその形状と大きさ程度。
龍驤のそれは、米粒程の大きさで、ボールと言えるくらいの綺麗な球体。飛行場姫などのヒトを器にするためのサイズとして成立している。
島を器にしているというのなら、その分核が大きくなっていてもおかしくない。今、鉤爪で刺し貫いた黒いボールが黒幕の核であると
だから、もう一度鉤爪を展開。この思い込みは危険なモノ。それをどうにかするための光の道を感知した瞬間、即座にもう一度核を破壊した。
刺し貫くだけではダメ。斬り刻むくらいしなければ安心出来ない。そのラインは春雨には見えており、これならば核そのものの形状も変えるほどのダメージを与えることが出来る。
「……まさか……っ」
斬り刻んだ核が
「っあっ!?」
多少は展開されていたことで、致命傷になり得る頭や心臓には突き刺さることは無かったが、艤装の接続部分となる二の腕や太腿にはどうしても傷が入れられた。
盾にした両腕で防いだ破片も、弾かれるのではなく盾の表面に止まり、その場で泥になりへばりついた。
「春雨姉さん!?」
「アンタは今はジッとしてなさい!」
「動けるのが動いた方がいいから、今は私達が行くよ」
黒幕の砲撃をモロに受けて盾を破壊された海風は、春雨に駆け寄ることが出来なかった。
ここですぐに動いたのは、まだ消耗が少ない叢雲と吹雪。核の自爆の勢いはそれほど広範囲ではなく、春雨のみを狙った攻撃だったため、2人は難なく春雨の側へと駆け寄ることが出来た。
しかし、近付くなと言わんばかりに手を伸ばす。
「来ないで! 今来たら、2人とも
その言葉で叢雲も吹雪も足を止めた。春雨からの切羽詰まった言葉によって、2人の光の道は開かれた。
「最後の最後……本当に最期に、とんでもないことを、仕込んでた……っ」
突き刺さっていた核の破片が、染み込むように春雨の中へと入り込む。盾にへばりついた泥と化した破片も、同じように盾と同化していく。
つまり、
ただし、春雨には辿り着く者のマグマによって侵蝕には耐性がある。黒幕に侵蝕も支配もされるようなことはない。ただただ体内に泥が入り込むだけとなる。
「これ、侵蝕じゃない……
侵蝕は、黒幕が生きていてこその行為。意志を泥で塗り潰し、その存在を混沌に染め、自らの駒とする、相手の尊厳を破壊することに特化した、黒幕が生み出した嫌がらせの極致のような能力。敵を自分の手足にして、その時の記憶すらも残し、そのままならば傀儡、解放されても心にダメージを与える、陰湿極まりない力。
しかし、今春雨に襲い掛かっている力は侵蝕ではない。黒幕が自らの死を覚悟し、それでも上手く行かずに自棄になり、それすらも乗り越えられたことで
自分がもう先が無いならば、
その結果が、『同調』。それこそ侵蝕に他ならないのかもしれないが、侵蝕とは雲泥の差。泥が意志を塗り潰すのではなく、そもそも同じだったと意志を書き換えていこうとするのだ。上塗りの『侵蝕』ではなく、書き換えの『同調』。コレに対しては、春雨もかなり厳しい。
今この時、黒幕はただの泥では無くなった。死の瞬間にその存在は、ただ生きとし生けるものを使い潰し、自らの積もり積もった憎悪を撒き散らすだけの『
これではもう、艦娘とか深海棲艦とかは関係ない。生きてすらいない。
「春雨、アンタ……!」
叢雲の表情が歪む。この黒幕からの干渉──同調が、春雨に明確な影響を与え始めていた。
戦闘スタイルである春雨が黒く染まってきている。侵蝕のように塗り潰すのではなく、春雨自身の意志で黒く染めているようなもの。
そもそも春雨の中には溢れた怒りが存在しているのだ。黒幕の憎悪が取り憑く先としては、あまりにも適しすぎていた。その怒りをさらに溢れさせ、この世全てへの憎しみへと書き換え、自らと同じ存在へと昇華しようとしている。
「春雨ちゃん……もしダメそうなら、ちゃんと殺してあげる。手遅れになる前に、黒幕ごと終わらせるから」
吹雪が主砲を春雨に向けた。ここまでの最大の功労者にこんなことをしなくてはいけない悔しさは、表に出すことはなく、ただただ冷酷に現実だけを見て。
「吹雪さん、何を──」
そんな吹雪を見たことで、海風の怒りが爆発しかけるが、吹雪の目を見て考えを改めた。
表には出していなくても、その感情は誰にでも見てわかるものだった。隠しきれない悔しさが滲み出ていた。
しかし、ここでやらねばここまでの苦労が全て水の泡になる。春雨だって、この状況なら死を選ぶ。侵蝕を受けた時に海風も自死を選んだのだから、その気持ちは痛いほどわかった。
だから、吹雪がその汚名を被ろうとしているのは嫌というほど理解出来た。本当なら海風がやるべきことなのかもしれない。しかし、消耗のせいでそれが出来ない。それが本当に悔しくて、海風は涙を流すことしか出来なかった。
「春雨姉さん……春雨姉さんならきっと、きっとそれを覆してくれるはず……ですよね。辿り着く者なんですから……明るい未来に、絶対に、辿り着くんですから」
だから、海風は信じる。春雨の力を。このような絶望的な状況を覆すほどの力を。
今まで全て乗り越えてきたのだから、今回だって乗り越えてくれる。絶対に。
春雨は、頭をグチャグチャに掻き乱す黒幕の感情の奔流に苦しんでいた。肌に突き刺さった核と、盾に染み込んだ核から、地下施設に侵入する際に受けた、黒幕の溢れた感情がさらに叩き込まれるような衝撃。
「私を……貴女にしようとしているんだ……そんな巫山戯たことさせるわけがない……!」
それでも、春雨は耐え続ける。辿り着く者として、導く者として、この最後の戦いを勝利で終わらせるため。
「……だったら、最後の仕上げをここでやるよ。貴女のためにも。終わらせる」
染み込んでくる黒幕の概念は、春雨を確実に書き換えていこうとする。春雨自身も殆ど無意識に自身を黒く染めようとしてしまっている。
流されてしまえば楽になれることは理解している。だが、世界の敵になるだなんて耐えられない。だが、黒幕の概念が春雨に甘く囁いてくる。諦めてしまえと。その怒りに身を任せろと。
だが、その囁きは、春雨にとっては逆効果である。特に怒りに対して語りかけるのは論外。何故なら、その怒りは黒幕に対してのもの。それに靡くわけがないのだ。
故に、ここで仕上げを行なう。春雨がこの戦いが終わったらやろうと思っていたこと。
「この力、
耐えながらも、自身の身体をギュッと抱きしめて、目を瞑る。最後の願い、最後の力。
「私の最後の願い、望みは、
心の底から望んだ。こんな力があったら、この世界は楽しくない。深海棲艦化した春雨は、楽しく生きること。導く者の力は、その世界には邪魔なモノだ。
だから捨てる。だが、捨てるだけでは終わらない。自分と一体化しようとしてくる黒幕という概念諸共、力を捨てる。それでいい。全く後悔はない。
急激に身体から力が抜ける。ここまで自分がこの力に大分依存していたことを理解する。だが、止めることはない。それが春雨の最後の願い。望み通りの答えに辿り着けるのだから、これは絶対に成功する。
矛盾した願いではあるかもしれない。力を捨てるために力を使うということは間違ったことかもしれない。だが、春雨はコレでいいと笑顔になる。
本当に微かに、春雨の耳に断末魔の叫びが聞こえたような気がした。導く者の力に絡みついた黒幕の概念は、その力が失われることによって端から霧散していく。この世に留まりたいという最後の望みは、春雨の望みに上書きされて消えていく。
導く者として、黒幕の概念を
「もう、いいでしょ。好き勝手やったんだから」
そして、春雨の持つ力と共に、黒幕の概念も完全に消え去る。同時に、春雨は力尽きるようにその場に倒れた。
力は失われても、自分は失っていない。春雨は春雨のまま、この戦いを終わらせた。
導く者としての最後の力で、この戦いを勝利に導いたのだ。