施設の午後。作業は基本的に午前中に終わらせるため、午後はフリータイムになることが多い。この日は例に漏れず姉妹姫も含めてフリーの時間となった。
薄雲と戦艦棲姫は、今まで通り槍持ちの部屋に篭ることになり、気が向いたタイミングで誰かがちょっかいをかけに行く。槍持ちが薄雲の言葉に対してしっかりと反応をしている様子を見て、みんなが驚くのも、流石に薄雲は慣れてきたようだ。
「姉さん、みんなと顔を合わせましたけど、顔は覚えましたか?」
「……マダ」
思考回路の凍結は、温もりによって溶けてきてはいるのだが、まだ記憶力などは曖昧。常に一緒におり、その存在から大切なモノという意識がある薄雲のことはハッキリと覚えているものの、他の者に対してはまだまだ曖昧。常にいる戦艦棲姫と、頻繁にやってくる春雨とジェーナスは、ようやく名前を呼べるようになった程度であり、この施設の主である中間棲姫と飛行場姫の名前すらまだあやふや。
しかし、あの2人は自分よりも上位の存在であるというのもあるので、顔は覚えずとも敬服する相手と認識は出来ていた。跪くわけでは無いが、逆らえないモノと感じている節はある。
「着実に出来るようになってますよ。焦らずに行きましょう」
「……ワカッタ」
ぼんやりとした表情ではあるものの、受け答えはそれなりにしっかりとしてきた。しかし、薄雲くらいにしか反応を返さず、春雨やジェーナスはおろか、戦艦棲姫にすら反応をしない。
やはり、毎日ほぼ全ての時間、おはようからおやすみどころか眠る時すら触れ続けている薄雲は、槍持ちにとっては大切であり特別な存在となっている。艦娘としての記憶を取り戻したらどうなるかわからないものの、今は完全に依存状態。
とはいえ、薄雲はそういう関係を望んでいるわけでは無い。松竹姉妹のような共依存ではなく、仲のいい姉妹関係を望んでいる。それは自分の知っている姉でなくとも、艦娘叢雲としての意識さえあればそれは可能なのだ。
だからこそ懸命に介護をしている。割と打算的にも思えるが、薄雲としてはそういう気持ちは一切ない。姉を仲間として迎え入れて、一緒に楽しく生きたい一心である。
「そろそろ食事も自分の力で食べてみてもいいかもしれませんね。食べさせてあげるのも、それはそれで私は嬉しいんですけど、それだけだときっと良くないですし」
「……ワカッタ」
今日も今日とて、この2人はこの調子である。これでも順調に槍持ちが回復しているのだから、誰も何も言わない。むしろ、微笑ましくも感じていた。
それを一番身近で見ている戦艦棲姫も、穏やかな空気に気持ちを落ち着けている。稀にうつらうつらと船を漕ぐこともあるが、それだけこの空間が温かいということだ。
一方その頃、ダイニング。また槍持ちに紅茶を振る舞おうと、お湯を沸かしているジェーナスと、お茶菓子の準備をしている春雨。今日のお茶菓子は、コマンダン・テストから習ったという春雨手製のカップケーキである。
「うん、完璧! 今度、海風達が来るときにも作ってあげようかな」
「
春雨手製のスイーツなど食べようものなら、海風の心の癒しは最高潮まで上り詰めるかもしれない。それも見越しての発言である。
などと話していると、突然タブレットが着信音を響かせる。昨日に引き続きであるため、また海風と話してメンタルケアに使うのかと、ニコニコしながらそれを受け取る春雨。
「受け取りました。司令官ですね?」
『ああ、今回は春雨が取ってくれたんだね。元気そうで何よりだ』
端末の向こう側にいる提督も、比較的元気そうではあった。しかし、少し表情は硬い。何かあったとしか思えない雰囲気を出されているため、春雨は少し気を引き締めた。
艦娘だった時にはこの提督の下で世界の平和を守っていたのだから、この表情をするときの提督がどういう気の持ち方をしているかは何となく察することが出来た。これは海風のメンタルケアではなく、真面目な話を姉妹姫にするつもりで連絡を取ってきている。
「姉姫様か妹姫様を呼んできますね。今ここにはいないので」
『ああ、よろしく頼む。
提督の言う例の件。それは槍持ちの素性調査のこと。昨日依頼して今日何かしらの結果を持ってきたとすると、とんでもない速さである。
春雨もその件であることを察しており、すぐに見当がつくところに2人を呼びに向かった。見当をつけていたところ、庭に2人ともおり、ちょうど良かったとダイニングから持ち出したタブレットをそのまま渡す。
独りになることを避けるため、ジェーナスも一緒についてきてくれていたのだが、せっかくだからとこの話を一緒に聞くことになった。タブレットを渡されたときのメンバーに飛行場姫を追加したのみであるため都合がいい。
「ちゃんとお湯の火は止めてきたから問題nothingよ」
「そう、それなら一緒に聞きましょうかぁ。薄雲ちゃんにももしかしたら関わってくるかもしれないものね。提督くん、構わないかしらぁ」
『ああ、だが今回の話は少し
「はい、大丈夫です。これからのこともありますので」
庭から少し離れてテーブルと椅子を用意し、タブレットを置いて改めて提督との会話に臨んだ。
『それでは、調査の結果を伝える。とは言っても、実際は僕が直に全て調べ切ったわけではなく、僕の上司に説明したところ、昨日の今日で結果を出してくれた』
「素晴らしいわねぇ、貴方の上司というのは」
『ああ、だからこそ今の地位にいると思ってくれればいい。大本営所属の大将だ。僕では足元にも及ばないよ』
その大将とも話をしてみたいと思いつつも、話を横道に逸らさないように口を噤む。
「それで、槍持ちちゃんはどんな子だったのかしらぁ」
『……君は知っているかわからないのだが、人間には艦娘を兵器として扱い、酷使している者が存在している。その子は、その鎮守府の出身であることがほぼ確定した』
明らかに嫌そうな顔をした中間棲姫。飛行場姫も嫌悪感を隠すことが無かった。
春雨やジェーナスは、逆に少し悲しそうな表情に。元艦娘であることもあり、
『大将の調査で、その鎮守府ではいわゆる
捨て艦。それは、同じ個体が何人もいることを利用した効率のみを重視した戦術。
鎮守府の設備で建造出来るような
行った先から帰って
無論、この手段は殆どの鎮守府で忌避されている。艦娘を命あるモノとして扱う鎮守府では、当然それを失わないように。艦娘を兵器として扱う鎮守府でも、全ての道具を大切に使うのは至極当然であるとして。
しかし、戦果に目が眩んで命を軽んじているような輩は、効率最優先にした戦術すら使ってしまうのだ。その結果がコレ。
『叢雲が捨て艦として扱われ沈んだのは、今からおおよそ1週間前だそうだ』
「そちらの部隊を襲撃して、ここに保護されたのが3日前だったわよね。なら辻褄は合うわ。繭になってから孵化するまで、早くても1日、遅ければ3日はかかるわ。どちらにしても、槍持ちが繭で
忌々しげに飛行場姫が呟く。人間や艦娘でも嫌悪感しかないようなその行いに対し、姉妹姫も同様の感覚を持っているようである。
深海棲艦からしてみれば、捨て艦なんて日常茶飯事である。イロハ級を囮にして姫級が痛恨の一撃を放ってくるようなことばかり。春雨としては、そういう戦い方をしている深海棲艦しか見ないというくらいだ。
しかし、姉妹姫はそれを嫌悪している。それこそ、人間や艦娘と何も変わらない。種族が深海棲艦なだけで、考え方は同じなのだ。だからこそ友好関係を結びたいと感じる。
『気分を害するようですまない』
「いいのよぉ。
怒りが溢れている時点で、元々暮らしていた鎮守府で大切に扱われていなかったのだろうという予想はついていた。実際それを突きつけられると辛いものの、予測出来ていた分、ダメージは少なくて済んだようである。
『……何も言い返せないな。だが、僕は君達にはそんな感情は持っていないよ』
「そう言ってもらえると嬉しいわねぇ。私達は貴方達と同じ考え方なのよぉ。だから、仲良くしてくれると嬉しいわぁ」
共通の考え、同じ道を目指しているのだから、仲良く出来ない理由がない。
「貴方には言っていたかしら。槍持ちちゃんの溢れた感情は、『怒り』よぉ」
息を呑むような声を上げる提督。ブラック鎮守府で捨て艦として利用されたという素性を知ったからこそ、その感情は全て肯定出来る。
生まれてすぐにそんな扱いをされたのだ。この世の全てを憎んでもおかしくはない。槍持ちは、何も間違ってはいない。
『そうか……そうだね。怒りに呑まれても仕方あるまい。元凶を叩いてもその怒りは失われないだろうし、人間にも艦娘にも牙を剥くだろう。我々は、それを甘んじて受けなければならない程の罪を犯してしまった』
「貴方が気に病む必要は無いわぁ。だって、貴方が槍持ちちゃんをああしたわけじゃ無いんだもの」
『しかし、これは
この結末に、提督は本気で悔やんでいた。そこに嘘は無い。そんな彼に、姉妹姫はさらに好感を得た。
「無いわよ。あの子が恨んでいいのは、元凶だけ。で、そいつらはどうなったの?」
『そこを治めている者は処罰し、艦娘達は更生施設に入ってもらった。捨て艦を良しとするような思考を持たせられていたのでね。あれはもう洗脳に近い』
「そう。なら心配はいらないのね。槍持ちが増えるなんてことがあったら大変だもの」
そのブラック鎮守府は解体。提督は断罪され、艦娘も再教育というカタチで更生しているとのこと。更生が終わった艦娘達は、大本営のスタッフとなったり、素性を隠した状態で戦力の足りない鎮守府に移籍したりと、第二の艦娘人生を送ることになる。
一応ではあるが、これで同じ場所からまた槍持ちのような不遇な深海棲艦が生まれることは無い。しかし、ブラック鎮守府がここ1つだけでは無いということも伝えられた。
「それはもう、アンタ達に任せるしかないわ。アタシ達が粛清なんてしようものなら、和睦の意味がないもの。腹は立つけど、最優先はこの施設を維持することだから」
「そうねぇ。提督くんに任せるしかないわぁ。人間は人間に罰してもらわなくちゃねぇ」
『ああ……二度とこんなことを起こさせない。艦娘の命を蔑ろにするような鎮守府は、人間の手で根絶やしにする。そんなことを考えられないくらいに、意識改革をするべきだ』
これをきっかけに、大本営から鎮守府に向けて、意識改革を促すとのこと。しかし、この施設のことは公表せず、うまくお茶を濁すように事実のみを知ってもらうように苦心すると、姉妹姫に伝えられた。
『今回の報告は以上だ。槍持ちの素性調査はここまでとする』
「ええ、ありがとう提督くん。助かったわぁ」
『こんな事実を伝えることになってすまない』
改めて謝罪をする提督に、中間棲姫はいいのいいのと苦笑しながら宥める。こういうことはお互い様。
姉妹姫もその辺りは理解している。深海棲艦にも良い者と悪い者がいるように、人間にも良い者と悪い者がいる。それがあまりにも顕著に出ただけだ。
「この件は、私達の中で留めておくわぁ。薄雲ちゃんにも隠しておくし、槍持ちちゃんにも伝えない」
『ああ、そうしてくれて構わない。我々は調査を任されただけだからね』
この事実を伝えることが、槍持ちをいい方向に向かわせるかはわからない。もっと別の理由なら伝えても良かったのだが、これは伝えられない。
槍持ちの怒りは、誰もが納得出来るものだった。しかし、だからといって襲撃を容認するわけにはいかない。槍持ちには、また別の方向で楽しく生きてもらうのである。
捨て艦戦術は忌むべき戦術。効率よりも良心を取るのが、ここのやり方です。