黒幕は春雨の手によって消え去った。何もかも、一切の残滓もなく。この世から消え去ったことにより、この戦いは終わりを告げる。
だが、それに伴った代償が無いとは言えなかった。最後の黒幕の
「姉さん……姉さん! 大丈夫ですか!」
消耗している身体を引きずるようにして、何とか春雨の元へと向かう海風。黒幕を消し飛ばしたことで力を失った直後、力尽きるようにその場に倒れてしまっており、海風が声をかけても反応が無かった。
疲れ果てて眠ったというのならまだいい。だが、海風が見る限り、今の春雨は
「姉さん!」
「海風、無理するんじゃないわよ! アンタだって大分厳しいんでしょうが!」
「私達が確認する。あと、上にいる山風ちゃんと涼風ちゃんもちょっと降りてきて!」
叢雲と吹雪だけでもこの場所から運び出すことは出来るだろうか、そもそもここから動かしていいかもわからない。そのため、まずは周囲に人数を集める。
今この戦場で殆ど無傷に近いのは、ここにいる叢雲と吹雪、そして穴の上で待機していた山風と涼風である。全員多かれ少なかれ消耗はしていても、傷ついていない者となればこの4人であろう。
「山風ちゃんは海風ちゃんに肩を貸してあげて。涼風ちゃんは春雨ちゃんの身体を調べるのを手伝って。妹だから私よりは詳しく見えるかなって」
「合点! さっきまでとの違いを見りゃあいいんだよね。ならあたいが適任だ!」
穴の端を滑り降りてすぐに駆けつけた2人。山風はフラフラの海風に駆け寄り、涼風は春雨に近寄って触れられそうな場所を触れていく。
核の破片が刺さった二の腕や太腿は致命傷では無いにしても傷だらけであり、それ以外は傷は無くとも消耗が見て取れるくらいに虚ろな瞳。
春雨は意志が失われたかのように目を薄く開いたまま倒れていた。口も半開き。
「……いや、息は……あるんだよ、な?」
口元に手を置くと、確かに息はしている。だが、それもか細く感じる。すぐにでも止まってしまうのではないかと思えてしまう。それくらい今の春雨は死に瀕しているように見えた。
「死にはしないかもしれないけど、今の春雨ちゃんは何処か
「あたいもそう見えちまう。身体自体はおかしなところは無ぇんだ。だけど、
春雨から導く者の力が抜けたということは、今の春雨という存在を構成するモノが失われたということ。深海棲艦としての春雨は、辿り着く者として構築されていたのだから、それがごっそり失われてしまった場合、春雨がどうなるかはわかりやすかった。
その力はこの戦いで導く者としてさらに膨れ上がり、春雨の大半を占めるくらいのモノとなっていた。それこそ、
こうなる前に捨てていたら、こうはなっていなかったかもしれない。だが、ここで黒幕を斃すために力を使って使って使い尽くした。ある意味、燃え尽きてしまったようなものだ。
「姉さん……姉さんは……」
山風に肩を貸してもらいながら春雨の近くまで来ることが出来た海風だったが、その春雨の顔を見た瞬間に心臓が締め付けられるような衝撃を受けた。死んでいないが、死んでいるようなもの。春雨はもうこのままなのだと感じてしまう。
「嘘……ですよね。春雨姉さんが、あんな黒幕如きにここまでされるだなんて、そんなのあり得ない。今は疲れて眠っているだけでしょう。そうでなくては、そうじゃなきゃ春雨姉さんが報われない。やっと、この長い戦いを終わらせることが出来たのに、そこに春雨姉さんがいないだなんて嘘だ。一番の功労者がこうなるなんて、間違ってる」
これまで抑え込んでいた感情と言葉が次から次へと溢れ出す。
「姉さん、目を覚ましてください。みんなが姉さんの目覚めを待っています。姉さんのおかげで、みんなが救われたんです。みんなで一緒に帰らないと、この戦いが終わりません。傷を負っていたとしても、辛いことがあったとしても、鎮守府に、自分の居場所に戻って初めて戦いは終わるんです。誰も欠けちゃいけない。ましてや、姉さんが欠けるなんてあっちゃいけない」
止まらない。海風の言葉は止まらない。言葉と同時に、涙も溢れ出る。
「姉さんが姉姫様に言ったんですよ。誰一人として欠けることなく戻るって。その約束を破っちゃダメです。施設で待っている仲間達もいるんです。姉さんがこの勝利を伝えないでどうするんですか。一番振り回されて、一番苦しんで……もうそんなことも無くなるんです。やっと、やっとですよ。姉さんが姉さんらしく、楽しく生きていけるようになる時が来たんです。またみんなで農作業をしたり漁をしたりしましょう。鎮守府にも戻りましょう。みんなで一緒に、生きていきましょう。だから……戻ってきて……姉さん」
フラつきながらも、春雨の前に膝をつく。その時には、他の仲間達も春雨の近くまで来ていた。一番重傷を負っているであろう白露も、妹の異変に重い身体を引きずって、血を滴らせながらも、妹の顔を見るために荒い息でココまで来た。
「春雨……アンタが空っぽになってどうするのさ……。姉姫さんみたいに満たされても、それはもうあたし達の知ってるアンタじゃ無くなっちゃうんだよ……。だから、みんなのためにも帰ってきなよ……」
歯を食いしばり、傷を押さえながら訴える白露。今の春雨は力と共に中身が失われた器。黒幕に中身ごと持っていかれたと言ってもいい。ならば別の何かで満たされてしまう可能性もある。
そうなると、空っぽの姫だった姉姫と同じことになるだろう。本来の在り方から逸脱した存在になる実例があるのだ。それだけは避けたい。
「努力の結果がコレだなんてあんまりだ……春雨姉は何も悪いことしてねぇのに」
「……誰かを犠牲にして勝っても……何も嬉しくない……」
「姉貴がいなくなっちまったら、意味無ぇだろうがよ……」
妹達が次々と春雨に触れる。語りかけても反応が無い。目は開いているのに、息はしているのに、何も答えない。
「姉さん、姉さん、これだけ愛されているのに、戻ってこないなんておかしいですよ。これまで私達をずっと導いてくれたんです。だから、今度は私達が導きます。戻ってこれる道を私達が照らします。私達が灯台になります。だから、こちらに戻ってきてください。誘導しますから」
動かない春雨の手をギュッと握って、溢れる涙を拭うことなく、海風は春雨に向けてその願いを込める。ここにいる仲間達の全員の願いを背に受けて、春雨がここに戻ってこられるための光となる。
春雨は真っ暗な場所にいた。何も見えない。何も聞こえない。何も話せない。何も出来ない。ここが何処かもわからない。
導く者の力ごと黒幕を消し去ったのはいい。これで戦いも終わりだ。しかし、その強大な力が全て失われると同時に、春雨が春雨として成立している重要な部分も一緒に持っていかれてしまった。黒幕の概念がそれを掴んでいるわけではなく、導く者の力がそれだけ春雨を充していたということになる。
──これで戦いも終わり……だよね。
春雨はそんな中でも穏やかな気持ちだった。あの黒幕を斃すことが出来た。二度と自分や仲間達と同じように苦しむ者はいなくなったのだから、それだけでも気分は晴れやかだった。長い戦いは終わり、施設もこれで脅威に脅かされなくなる。
だが、その場所に自分が一緒にいられないことは直感的にわかった。もうその力は失われていても、この直感だけは正解だとわかる。今の自分はもう施設には戻れない。身体はそこにあるとは思うのだが、動かすための力がない。今の自分を伝える言葉も無ければ、みんなの顔を見ることも出来ない。
──ごめんねみんな。でも、みんながこれで幸せになってくれれば、私はコレで良かった。これが私の願い、望み。辿り着けたから。
これも一種の諦めかもしれない。全てが上手く行った。その場所に自分がいなくとも、事件は全て解決したのだ。これが最善だったのはわかっていた。
──ごめんね、海風。でも、こうしないと終わらなかった。あのまま私が黒幕になっていたら、もっと酷いことになっちゃう。だから、これが正しかったんだ。
きっと海風は自分のために泣いてくれているだろう。海風だけじゃない。他のみんなも。だが、何の力もない春雨には、これをどうにかすることは出来ない。自分で望んだことなのだから尚更だ。
これをどうにか出来る者は、この世には存在しない。導く者の力は、この世界の中でも最大級の力。その望みは覆しようがない。
『いえ、正しくありません』
だが、この真っ暗な空間に何者かの声が響く。春雨は驚くことしか出来ない。
『正しくないわね。それは自己満足よ』
2人目の声。何処かで聞いたことがあるような、無いような、そんな声。
『貴女は救われなくてはならない。ちゃんと見てください。貴女の姉妹は泣いていますよ』
『望みを叶える力を持っていたなら、あの子達の最後の望みを叶えて終わりにしなくちゃいけないわよね』
『貴女に戻ってきてほしいと願っています。叶えずに何が導く者ですか』
見ろと言われたから目を向ける。すると、この真っ暗な場所に一筋の光が差し込んできていた。それが何かわかる。海風の、仲間達の願いの光。自分が目を覚ますことを、心の底から望みの光。
『ほら、その望みを叶えるだけの力は引っ張ってきたから、これを使って目を覚ましなさいな』
声の主に何かを放り投げられたような感覚。米粒ほどの力の塊。それが春雨の中に入り込んだ瞬間、僅かだが力が湧き上がる感覚がした。ほんの少しだけだとしても、それは立ち上がれるだけの力になる。
何も見えなかった目は、うっすらと何かを映す。そこには、見覚えがある2人が立っていた。だが、絶対にここにいるはずのない者。
『貴女は
『そうそう。これが私達に出来る精一杯。あの子達に呼び出されて、アンタを助けるためにここに立ってるんだから』
この世には覆す者はいない。だが、
海風達の願いがその奇跡を呼び起こしていた。春雨をこちら側に取り戻すため、あちら側からの使者をここに呼び出した。
春雨とは、本当に僅かな繋がりしかない。しかし、その者の命を救うために奮闘し、結果的に無理だったとしても、それを悔やむほどの優しさを見せてくれたのだ。それに報いたい。
たったそれだけのために、この2人は喜んでこの場に現れた。死して概念と化したことで、ここへの干渉が出来るようになっていたのだから。
『さ、最後の望みを強く願って。言わなくてもわかるけどね』
『たった一言でいいのです。その言葉を、強く』
促されて、春雨は呟くように、しかし力強く、その望みを口にした、
──戻りたい。
ただそれだけ。本当にそれだけ。こんな真っ暗な場所から抜け出して、みんなのところへ戻りたい。
その願いは成就する。導く者は最後、
『それでいいです。それでは、我々の仕事はこれで終わりですね』
『それじゃあね。瑞鳳と黒潮によろしく言っておいてね』
その2人──不知火と葛城──は、春雨の背中をポンと押して、光が差す先へと押し出した。ここからが生と死の分かれ目。こちら側に来るべきではないと春雨を向こう側に返して、自分達は反対方向に向かって歩き出す。
──はい、必ず伝えます。ありがとうございました。
振り向いたら、もう2人の姿は無かった。前だけを向いていろと言わんばかりに。
そして、春雨の身体がピクリと動き出す。
「姉さん……姉さん!」
海風の声が響く。
「……ごめんね、海風。ただいま」
まだ身体に力は入らなかったが、やんわりとした笑みを浮かべた。
今回でついに500話を迎えてしまいました。本当は500話以内に収めるつもりだったのですが、長く続いてしまったものです。
この話もあと僅かとなりますが、よろしくお願いします。
支援絵を頂きました。ここで紹介させていただきます。
【挿絵表示】
https://www.pixiv.net/artworks/103122190
MMDアイキャッチ風瑞鳳&黒潮。忌雷寄生組は今でこそ共存という道を正しく歩いていますが、そうじゃなかったらどうなっていただろうか。瑞鳳は慣れるのに少し時間がかかりましたね。
【挿絵表示】
https://www.pixiv.net/artworks/103156424
MMDアイキャッチ風空母さん。何も知らない状態から戦艦様に色々なことを聞き、興味津々に旅人に仕立て上げられていく姿。そのおかげで、欧州姫戦ではキーパーソンと言える活躍を見せました。
【挿絵表示】
https://www.pixiv.net/artworks/103174693
MMDアイキャッチ風龍驤。ある意味、敵側の主人公とも言える存在となりました。立場が変わって、苦労も変わる。でも、この話の中では最も運が無かった……のかもしれませんね。