「春雨達の姿を哨戒機が捉えたわ。そろそろ着くわね」
哨戒機を飛ばしている飛行場姫が、隣の中間棲姫に伝える。見た感じ、誰も傷付いていないと聞いたら、中間棲姫も安堵の笑みを浮かべた。実際は大鳳がまだ完治していない傷を負っているのだが、それでもフラつくことなく施設に戻ってきていることが嬉しくて仕方ない。
こちらに向かっているというのは、既に堀内提督からの通信で聞いている。だから頃合いを見てみんなで外に出てきた。防衛戦で深い傷を負った松竹姉妹やリシュリューも、2日も経てば殆ど完治に近いくらいになっている。多少は痛みを感じながらも、平和を取り戻した仲間、戦友の帰投を見るため、誰もが島の岸までやってきていた。
「いてて……まだ痛みは残ってんな……見た目は治ってっけど」
「竹、あまり無理しちゃダメよ。いくら治るのが早いって言っても、私達は結構な大怪我だったんだから」
「だな……まだ骨が軋むような感覚があるぜ」
ボヤきながらも岸にはやってきた松竹姉妹。防衛戦でここまで苦しめられたのだ。それを指揮していた黒幕を討ち倒した
他の者も、同じような気持ち。先日の防衛戦で散々な目に遭わされた欧州姫2人の指揮官を斃した仲間達なのだ。すぐにでも労いたいと全員駆け付けている。
「見えて、きましたね」
「ええ、みんな元気そうよ」
目がいいコマンダン・テストと戦艦棲姫が春雨達の姿を捉えた。あちらからも水平線の向こうに島が見え始めた頃だろう。先頭は春雨と海風。その後ろから決戦に向かった仲間達が誰一人欠けることなく帰ってきている。
そんな姿を見ることが出来て、中間棲姫は感無量だった。送り出すとき、握手なんてしたら握って離さないかもしれないと思ってハイタッチにしたくらいだ。そんな仲間達が戻ってきた。それだけでも、中間棲姫には強い喜びになる。
「ただいま!」
そして、こんなことを言われてしまったら心の防波堤が決壊してしまう。良かった、本当に良かったと、思わず涙ぐんでしまうほどに。
「おかえりなさい、みんな。よく帰ってきてくれたわぁ」
「ああもうお姉、早い早い」
まだ声が届いただけで、誰も島に到着していない。だから泣くのは早いと飛行場姫が苦笑する。感慨深いのは理解出来るが。
少しして、春雨達が島まで到着。その時には、もう中間棲姫は感極まって涙を流しているほどに。
「あ、あれ、姉姫様、どうかしましたか?」
「みんなが無事に帰ってきてくれたことが嬉しいみたいよ。遠征に行ったり旅に出たりするのとは訳が違うもの」
「そうですか……。姉姫様、みんなでここに戻ってこれました。全員無事です。誰も欠けていません。平和を、取り戻してきました」
貰い泣きしかけたが、その前にこれだけは言わなくてはいけなかった。平和を取り戻してきたと。
もうこの施設が悪意に襲われるようなことはない。この施設が戦場になることも、ここにいる者達が傷付くこともない。不安になるようなことは無いのだ。
「ええ、ええ、本当にありがとうみんな。正直ね、ずっと不安だったのよぉ。もしみんなが戻ってこなかったらどうしようって。私の中身がみんなの命を奪ってしまったらって。でも、やってくれると信じてたわ。だから、戻ってきてくれたのが本当に、本当に嬉しくて」
話せば話すほど涙が零れ落ちる。嬉し涙なら否定する必要もない。むしろ、それによって耐えられなくなった。春雨は見事に貰い泣き。他の者も一部は涙目に。
こんなにいい方向に取り乱す中間棲姫を見た者はいない。嬉し涙なんて流したこともないくらいだろう。それが出てきてしまったのだから、この空間を揺さぶるほどになってしまった。
「はい、はい、みんなで戻ってきました。もう怖いことも辛いこともありません。本当に、本当に終わりなんです」
今度はハイタッチではない。手を取り、その感触を伝える。義腕であろうとも、それは生きている証だ。
これがきっかけになって、中間棲姫は子供のように泣き出してしまった。だが、それを止めようとする者は誰一人としていなかった。嬉し涙を止める理由なんて無い。
その後、中間棲姫が落ち着いたことで全員で施設内へ。今日は平和を取り戻したお祝いだと、施設屈指の料理人達が腕に縒りをかけて作るとのこと。食材の在庫を二の次にして、戦いの終わりを喜ぼうという粋な計らい。
決戦も防衛戦もみんなで頑張ったからこそ、この平和を掴み取ることが出来たのだ。1日、夕食の時くらいは、羽目を外してもバチは当たらない。
そしてその結果が、殆どどんちゃん騒ぎである。平和を実感するために何も考えることなく跡片付けも翌日に回して好き勝手食べて飲んで笑い合う。
ただそれだけでも、この島の居心地の良さを享受出来た。こんなことを毎日するようなことは無いが、
「たまにはこういうのも良いわねぇ……」
祭りの後、時間としてはそろそろ眠る時間。まだ片付いていないダイニングを眺めながら、中間棲姫は呟いた。
この施設を作り出してからもうそれなりに長く時間は経っているが、ここまで大人数で盛大に飲み食いをしたことなんて無かった。この戦いの中で人数が次々と増え、今では春雨が所属した時と比べれば倍以上に増えている。それに、外の者との付き合いまで増えたのだ。交友関係が比べ物にならないほどに拡張された。
これまではその者達とも戦いを終わらせるための付き合いしか出来なかった。だが、これからは違う。単純に仲良くするため。あちらからしてみれば生態調査の一環かもしれないが、間違いなく仲間として施設のことを尊重してくれる。余所余所しくもない、娯楽としての付き合いもすぐそこにある。
「あ、姉姫様、まだ起きていたんですね」
そこに春雨と海風がやってくる。寝付けないというわけではなく、眠る前にお茶でも飲むかと2人で来たとのこと。
「ええ、でも私もそろそろ寝るわぁ。明日からは普通の……平和な島の生活を再開するんだもの」
「ですね。久しぶりに農作業をすることになります。今から楽しみだったりするんです」
「ここ最近は戦いに明け暮れていましたし、また平穏に畑を耕すのもいいですね。春雨姉さんは大丈夫だと思いますが、私は勘が鈍っていないか心配です」
クスクス笑いながら明日のことを話すというのも、なんだか久しぶりの感覚。いつ襲われてもおかしくなく、実際に深夜に襲撃されているために夜に哨戒をするなんてことももう必要ない。夜は全員揃って寝る時間と出来る。
勿論、本当にそんな毎日が続くかどうかはわからない。だが、今は確実に平和だ。なら、短い時間だろうがこれから永遠に続こうが、一日一日を噛み締めるように過ごしていく。
奇しくも、この戦いを終わらせたことで、今までの平和が本当に貴重なモノであることを理解出来た。故に、これからの毎日をより充実したモノにしたいという欲も出てくる。
「春雨ちゃん達は、許可が貰えたら鎮守府に戻るのかしらぁ?」
これは以前から話していたこと。最初こそそれは絶望的な望みだったかもしれないが、今ならばそう遠くない未来に実現する話。
春雨はほんの少しだけ考えた後、はいと深く頷いた。海風も同様に。
「私は艦娘であり深海棲艦です。艦娘としての故郷はあちらですから、戻りたいという気持ちは強いですね。不可能でなくなった今なら尚更」
「そうよねぇ。なら、それまでの時間はここで楽しく生きてちょうだいねぇ」
「はい、ありがとうございます。深海棲艦としての故郷は確実にこちらですから、度々
春雨としては、もうどちらも故郷になっている。鎮守府にいたいという気持ちと、施設にいたいという気持ちは、どうしても出てきてしまう。
だが、春雨の身体は1つしかない。どちらを取るかと言われれば、そこはやはり鎮守府を取ってしまう。そちらには心を落ち着かせてくれた姉妹もいるし、かつての仲間達が何人もいる。だから、そこに戻りたい。
勿論、そうしたことで施設との繋がりが切れるわけではないのだ。度々ここに訪れることも出来るはず。鎮守府に所属したらそこから二度と外に出られないなんてことはないのだから。
「畑の方はちゃんと私達が管理しておくから、もし全部やりきれなかったとしても安心してちょうだいねぇ。春雨ちゃんがしたいことをすればいいわぁ」
「ありがとうございます。本当に、私はここに流れ着いて良かった」
死を実感し、寂しさが溢れて繭となり、ここに保護された。それはもう運が良かったとしか言えない。そのおかげでここまで優しい深海棲艦がいることを知り、また失われたと思われたモノも全て取り戻した。
感謝しか出てこない。それこそ、
「ところで、そこでずっと見ているだけのつもりかしらぁ?」
「えっ」
中間棲姫の言葉に驚く春雨。すると、ダイニングの扉の向こうから『観測者』が現れた。もう直感も利かない春雨は、そこにいることすら気付かなかった。
思わず海風は春雨の前に躍り出て盾となろうとするが、流石に『観測者』がこの場で春雨をどうこうしようとするだなんて思えない。咄嗟ではあったが、海風はすぐに引いた。
「彼女に話があってね」
「でしょうねぇ。せっかくだから夕食に来てくれても良かったのに」
「私は中立の者だ。そこまで世話になるわけにはいかないよ」
相変わらず定義がわからない中立だが、『観測者』には『観測者』のルールがあるのだから何も言えたことではなかった。
「それで、私に話というのは……」
「君の戦い、見させてもらった。その力を失うその瞬間もね」
元々春雨は『観測者』の監視対象。悪用すれば世界をひっくり返すことが出来るほどの力を持ってしまったのだから、そうなっても仕方ない。だが、春雨は『観測者』に対してはっきりと、戦いが終わったら力を捨てると言い切った。そして、それは黒幕を消し飛ばすというカタチで実現し、今や何の力もない普通の深海棲艦になっている。
「契約は満了と言ってもいいだろう。君への監視は、あの時を以て終わりだ」
「はい、今までお世話になりました」
「世話をしたつもりは無いが、どういたしましてと言っておこう」
ふっと笑みを浮かべる『観測者』。
「君は晴れて、世界を揺るがす力を持たない、いわば平々凡々の存在へと昇華した。脅威でもなければ、摂理を脅かすこともない、
長く世界を観測し続けた『観測者』といえど、今回の春雨の力の変動、そして消失と共に壊れていた心すら修復されるという現象は、ここで初めて見たとのこと。
それほどまでに強い力だったというのもあるが、それが失われる際に発生した力は、今まで見てきた中でも最上位に位置する力だったとも語る。
「本来ならば、君の力が失われることであのようなことか起きることは無かった」
「そう、なんですか?」
「ああ。代償として数日眠り続けるくらいになると予測していたよ。だが、あの場で君の力は強くなりすぎた。自分のみが辿り着く力が、他者を導く者となったんだ。それは世界という単位で見ても屈指の力。失った時の代償は計り知れなくなってしまった。結果がアレだ」
だが、と『観測者』は続ける。あの時に起きた力は、春雨だけの力では無いと。
「あの場にいた全ての者の力が集約した。その結果、奇跡が起きた。アレは、私も初めて見たよ。君は、本当に仲間に愛されているようだ。そうで無ければあんな奇跡は起こらない。起こりようがない。あの時だけは、摂理が完全に無効化されていた」
かつて救えなかった者の声が聞こえ、背中を押された。最後に辿り着かなければならない場所を照らし続けてくれた。それは、春雨だけの力では起こり得ない力。
力を持つ者持たない者全ての思いが結集した、因果すら捻じ曲げる奇跡。それは『観測者』すら予測出来なかったモノ。
故に、中立が崩れたと言ってもいいのだが、監視も何も出来ない。制御も何もない。だから、『観測者』も
「私にもどうにも出来ないものがあると理解したよ。だから、君達には監視も何もない。世界の摂理を覆すようなことは無い。これまで通り、楽しく生きてくれたまえ」
「はい、ありがとうございました」
『観測者』からのお墨付きも出た。春雨達はこれから、自由に楽しく生きていく。
誰もが認めるくらいに楽しく生きなくてはいけませんね。戦いから離れて、今はゆっくり平和を満喫しましょう。
次回、最終回です。