槍持ちの素性を知ることは出来たものの、捨て艦という忌むべき戦術により命を落とし、怒りの中で深海棲艦と化した槍持ちには、その事実を伝えるのは憚られた。その記憶が今あるかはわからないが、知らなくていいことは知らないままの方が楽しく生きることが出来るからだ。
そしてそれは、薄雲にも言えることである。自分の姉が、そんなカタチで身を今の姿に堕としてしまったと知ったら、まず間違いなく良くない思考に取り憑かれるだろう。
それこそ、多くの深海棲艦の本能とも言える侵略者気質。適切な処置を受けられなかった槍持ちが今持っている一番大きな
「春雨ちゃん、ジェーナスちゃん、これは私達だけの秘密にしましょうねぇ。槍持ちちゃんが正気を取り戻した時に思い出してしまうかもしれないけれど、知らない間はわざわざ言う必要は無いわぁ」
「はい、わかっています。こんなこと、知る必要はありません」
勿論、この話を一緒に聞いていた春雨とジェーナスも、薄雲と槍持ちのことを考えて黙秘の方向。友達が狂う様なんて見たくない。
「でも……槍持ちが本当に可哀想ね。せっかく生まれたのに、そんな一生だなんて」
ジェーナスが悲しそうに呟いた。同情の念が強く、元々が正気に戻るようにバックアップしていたものが、より強くサポートしたいと思えた。
せっかくこの世に新たな生を得たというのに、就いた場所が悪く、怒りと憎しみに苛まれて死んでいくだなんて、あまりにも悲しすぎる。特に槍持ち──駆逐艦叢雲は、正義感の強い戦場の乙女だ。そんな悲惨な使われ方をしたら、否が応でも怒りが溢れ出すだろう。
「他にも槍持ちさんと同じようなヒトがいたのかもしれないね……なんだか悲しいよ」
「そうよね……槍持ちはたまたまここに来れたからいいけど、1人や2人じゃないわよね。それなら、その鎮守府は自分で敵作って自分で敵倒して
「本人がそれに気づいてないっていうのが余計にタチが悪いわ。そんな人間はごく一部だと思うけれど、反吐が出るわね」
飛行場姫も吐き捨てるように話す。今回の件はどうしても嫌な気分にならざるを得ない。
「それでも、それはあの人の上の人が粛清してくれたのよねぇ。なら、深く考えるのはやめましょう。こんな言い方をしたくはないのだけれど、いくら私達でも全てを救うことは出来ないわぁ」
「終わったことは終わったこととして、考えないようにしましょ。もうこれ以上は増えないってことがわかっただけでも良しよ。アタシ達は槍持ちだけで手一杯なんだもの。いいわね?」
春雨もジェーナスも静かに頷くことしか出来なかった。
手が届かないところまで救うことなんて、どんなに力を持っていても出来やしない。中間棲姫も飛行場姫も、深海棲艦としては絶大な力を持っているかもしれないが、救えるのはこの島の上だけだ。別のところで同じような境遇の誰かがいたとしても、それを見つけては全て救うなんてことはやりたくてもやれない。
だから、今ここにいるものを全力で癒し、救い、楽しく生きられるようにしているのだ。許容範囲を理解しているからこそ、ここで割り切っている。
「さ、話は終わったから、解散としましょ。ジェーナス、薄雲達にお茶を淹れてる最中じゃなかった?」
「そうだったわ! また湯を沸かし直さなくちゃだけど、振る舞ってあげなくちゃ!」
「だね。少しでも気分を落ち着けてもらいたいし」
これで一旦、鎮守府との通信は終了。タブレットはダイニングに戻し、その前にやろうとしていた槍持ちの部屋でのお茶会の準備を再開した。
お茶会の時にもその話題は一切出すことなく、表情にも出さず、余計な心配をかけることはしない。他の者達のこうなった理由を聞かないようなものであり、いざ知ってしまったところで同情はしてもそれ以上追求もしない。
その日の夜。いつも通り、薄雲と槍持ちは同じベッドで抱き合って眠っていた。今まではされるがままであった槍持ちも、今はある程度考える力が戻ってきているため、自分の意思で薄雲の頭を撫でつつ眠りについていた。
しかし、そういうことが考えられるようになったということは、ある程度
それが、槍持ちにも悪夢を見せることになる。
「ッ……ア……」
今までに無かった槍持ちの反応に、眠っていた薄雲がぼんやりと目を覚ました。
ここで一緒に眠るようになってから、一度眠ったら起きるまでピクリともしないのが槍持ち。魘されることはおろか、息をしているかも不安になるほどの静かな眠りにつく。
しかし、今は明らかに魘されていた。艦娘を襲撃するときですら無表情を極めていた槍持ちが、苦しそうな表情を見せていた。
薄雲を抱きしめる腕が強く締め付けられ、息使いも荒くなる。強く歯を食いしばっているのもわかった。
「姉さん……どうしました?」
「ハァ……ゥ、ウスグモ……ッア……ワタシハ……ワタシハ……」
ここまでの強い感情の表し方は、ここに来て初めてのことである。薄雲もその反応を見た瞬間に飛び起きるのだが、槍持ちの締め付けがかなり強く、簡単には抜け出せそうにない。
そうなると、言葉で説得するしかない。温もりを与えるだけでは無理だというのなら、語りかけて落ち着かせるしかない。
「姉さん、落ち着いてください。大丈夫です。大丈夫ですから」
「ワタシ、ワタシが……
ずっと正気ではなかった槍持ちが、今この時だけ悪夢により艦娘の記憶を取り戻していた。
声も薄雲達と同じ声質になっていた。正気に戻った証拠であり、槍持ちではなく艦娘叢雲としての存在となっている。それは一時的なものかもしれないが、元に戻る前兆だとわかり薄雲はどうにかして冷静になる。
「姉さん……落ち着きましょう。大丈夫、ここはもう嫌な場所じゃないです。私と、姉さんと、仲間達が住まう戦いから外れた場所です。姉さんを……姉さんに嫌な思いをさせる連中はもういません」
「嫌、嫌、なんで、なんてこんな目に、私は、この世界の平和のために……!」
完全に錯乱しており、目の前の薄雲のことすら見えていない。強く抱き締めているのにもかかわらず、その存在が槍持ちの中から消えてしまっているような言動。
違う意味で正気を失っており、死ぬ間際の記憶に囚われてしまっている。悪夢を現実と思い込み、感情が溢れる直前をこの場で再現してしまっているのだろう。
「姉さん!」
その槍持ちに対し、薄雲が耳元で叫ぶ。鼓膜が破れるのではないかという程の大声を叩きつけたことで、同じ部屋で眠っていた戦艦棲姫も目を覚ました。
「姉さん、落ち着いてください! 姉さん!」
目の前にいるのに姿が見られていないという状況に、薄雲も発作を起こしかけていた。だが、槍持ちの酷い状況に発作なんて起こしている余裕がないと気力を振り絞り、震える手でギリギリ届いた槍持ちの手を握る。
「私達は姉さんを見捨てません! ここで一緒に楽しく生きるんです! だから姉さん、落ち着いて!」
「っ、あ、うす……ぐも……」
ようやく目の前の薄雲の姿をその目が捉えた。涙目だが、その表情は溢れ出した怒りと憎しみに染まりきっていた。
ずっと虚ろな瞳だった槍持ち。それが、瞳に光が宿っていた。暗い光だったとしても、壊れた心がほんの少しだけ修復されているような目。
「私は……薄雲、あんた……っああああっ!」
薄雲に回していた手を解くと、這い回る蟲を払い除けるように頭を掻き毟る。記憶が戻りかけ、悪夢に苛まれ、怒りと憎しみが再び溢れ出そうとする苦痛をどうにか振り払うように。
しかし、それでは肌を傷付けてしまうだろう。それを見越した戦艦棲姫が先んじてその両腕を掴む。外見に気を遣う戦艦棲姫だからこそ、自傷行為には人一倍敏感なのかもしれない。
「ダメよ。辛いかもしれないけど、そんなことしたら綺麗な肌が傷付いちゃうわ」
「いぎっ、あああっ!?」
錯乱は止まらない。髪を振り乱し、苦痛から逃れようと暴れる。だが戦艦棲姫はその名の通り戦艦、駆逐艦と違って大人の身体と力を持ち合わせている。槍持ちがどれだけ暴れようが、その膂力で完全に押さえ込んでいた。
「薄雲、いつものように温めてあげなさい。そうね、頭がいいわ」
「あっ、は、はい!」
槍持ちの豹変に呆然としてしまっていた薄雲だったが、戦艦棲姫に指示されてすぐに行動に移す。
体勢を強引に変え、振るわれる頭を抱きしめるとすぐに胸の辺りで温もりを与える。暴れるのを押さえつつ、落ち着かせるように頭も撫でる。
「大丈夫です姉さん、大丈夫。落ち着いて、落ち着いて周りを見てください。今は私だけでもいい。大丈夫ですから」
物凄い力で振り解かれそうになるが、冷静に対処して落ち着かせる。薄雲の声だけは聞こえているはずの槍持ちなのだから、薄雲のその行為は心にダイレクトに響くはずだ。
結果として、さんざん暴れたものの槍持ちに傷は無く、髪がボサボサになったくらい。薄雲のおかげで落ち着き、なんとか静かになった。
「良かった……酷い夢を見たんですね。私も経験があるからわかります。辛いですよね……その時のことを思い出すのは」
「ゥ……ゥゥ……ナンデ……」
落ち着いた時点で残念ながらまたいつもの槍持ちに戻ってしまった。噛み合っていた記憶の回路はまた崩れ、目は虚ろに。声質も元通り。
とはいえ、一度噛み合ったのだから、今後もまた噛み合う可能性はある。それこそ、今から眠ってもう一度目を覚ましたら、艦娘叢雲としてでは無くとも、何かしらの進展を見せそうである。
「回復したことの弊害かしらね……記憶を取り戻すってのはそういうことだものね」
「はい……姉さんは特に酷い仕打ちを受けていたんだと思います……。さっきの言葉からして、仲間に裏切られたりしたんじゃないかなと」
「そうね。なんでこんな目にって言ってたもの」
槍持ちがブラック鎮守府で捨て艦にされていたことを、2人はまだ知らない。しかし、今の槍持ちの言葉でこの辺りはピンと来ていた。捨て艦とまでは行かなくとも、作戦行動中に仲間に裏切られて死ぬことになったのだと。
実際は近しいものだ。生まれたばかりの状態で戦場に駆り出され、意気揚々と戦いに挑んだら練度が全く足りない状況。仲間達に助けを求めても無視をされ、囮としてむしろもっと前に突き出され、結果として死ぬほどの重傷を負った。
帰れば入渠で助かるだろうと追い縋ったが、事もあろうに仲間達はその場に放置して先に進む。あとは沈むだけという状態で独りにされ、怒りと憎しみに呑まれて、感情が溢れ出し、今に至る。
「……こうなってしまっても仕方ない境遇なのかもしれませんね」
「人間や艦娘にも悪いヤツがいるってことね。そんなヤツらが、私達のことを一方的に侵略者として扱ってくるのは気に入らないわ」
そうこうしているうちに、槍持ちはそのまま眠りについた。薄雲の温もりでようやく安定したらしい。
脱力されたことで、薄雲と戦艦棲姫もようやく落ち着ける。今は真夜中であるため、またすぐに睡魔に襲われる。
「戦艦さん……今はひとまず寝ましょう。おやすみなさい……」
「ええ、おやすみ。貴女も身体を休めないとダメよ」
「はい……」
そう言うと、薄雲は槍持ちの後を追うように眠りについた。暴れる姉を取り押さえるのに体力も使ったせいで、気が抜けた瞬間に寝落ちした。
それを見届けたことで戦艦棲姫も小さく欠伸をし、艤装のところへと戻る。と、その前に。
「妹姫かしら。別に中に入ってきても良かったのに」
部屋の外に声をかける。そこには、槍持ちの騒動に気付いて部屋まで駆けつけてきた飛行場姫がいた。中間棲姫も起きてはいるのだが、春雨とジェーナスから離れるのはやめておこうと妹に任せたようである。
中で処置が繰り広げられているのはわかったので、あえて中に入らずに事の成り行きを見守っていたとのこと。
「槍持ちの素性、なんとなくわかったわよ。あの子、鎮守府で相当酷い目に遭わされてたみたいじゃない」
「……そうね。アンタには話しておこうかしら。薄雲には秘密にしてくれるなら」
「聞かなくても大概わかるわよ。あんな譫言聞かされたら。だから、今はいいわ」
知ってしまったら口を滑らせてしまいそうだと、戦艦棲姫は素性を聞くのをやめた。
「でも、薄雲には話してあげてもいいとは思うけれどね。今の騒動でおおよそ理解してるわよ。だから、知っても耐えられるわ」
「……かもしれないわね。お姉と相談だけはしておく」
「そうしてちょうだい」
槍持ちが正気を取り戻す日は、もうすぐそこまで来ている。もう一度噛み合ったとき、彼女は何を思うか。
図らずも薄雲も槍持ちの素性をおおよそ理解することに。槍持ちが回復すればするほど苦しむのは、もう仕方ないことでしょう。