施設で槍持ちの介護にさらに力を入れようとしている頃、鎮守府では毎日と同じような朝を迎えていた。その時間はまだ早朝。総員起こしされて間もない時間である。
その中でも提督は誰よりも早く目を覚ましており、執務室にて朝食前のコーヒータイムを楽しんでいた。毎日365日の提督業の中でも数少ない、業務のことを一時的に忘れて落ち着ける時間。そういう時は必ずこうして自分で淹れたコーヒーで気分を落ち着ける。
紅茶派の金剛と一悶着起こしかけたが、別に紅茶を飲まないとは言っていないし、これがモーニングルーティンとなっているのだから勘弁してくれと折れてもらった。心落ち着ける時間まで取り上げられたら、流石の提督も心労で倒れる。
「おはようございまーす。総員起こし、終わりました」
「ご苦労様」
そこに入ってくるのが秘書艦の五月雨。秘書艦も朝が早く、総員起こしという大役を仰せつかっているため、それが終わり次第執務室にやってくる。
この鎮守府が設立されてから今まで、一度も秘書艦を降りていない五月雨。総員起こしももう長いことやっているため、慣れたものである。最初の頃は朝起きるのも辛そうにしていたものだが、今ではそんなこともなく、シャキッとした笑顔で秘書艦の定位置へ。
五月雨もこの時間はなんだかんだで執務室にいることが一番落ち着けるようになっている。戦場とは完全に切り離された基本的に最も安全な場所であり、戦いに身を置いている艦娘にとってはそういう場所は、心が癒されるのだ。
「コーヒー、飲むかい」
「あ、じゃあ今日もいただきます」
「五月雨のためにミルクと砂糖もちゃんと置いてあるからね」
提督手製のコーヒーを貰って、笑顔で口をつける。ホッと一息ついた。
「海風の様子はどうだった?」
「元気そうでしたよ。山風達が同じ部屋で一緒に寝てたみたいで。あとやっぱり、春雨に声援を貰ったのが大分大きかったみたいです」
「そうか。なら、タブレットを施設にプレゼントしたのは大正解だったみたいだ」
最も心配されていたであろう海風は、妹達の監視の下で平穏を取り戻していた。端末越しだとしても春雨と面と向かって話すことが出来た上に、無理をするなと叱咤激励を受けたことで、その言葉を心に刻み込んだらしい。
槍持ちに敗北した経験は、しっかりと訓練に役立てている。今までよりも少しハードな訓練が金剛と比叡が先導して行なわれており、海風はそれに率先して参加し、日々その力をメキメキと上げていた。
しかし、春雨の教えの通り無理はしていない。疲れ果てて倒れる程に訓練したい気待ちはあっても、そうなったら春雨と会えなくなるし話せなくなる。それは避けたいから、努力しつつも適度に力を抜くことを覚えた。
「白露達が消息を絶って、鎮守府の空気は少しどんよりしていたが……春雨が生きていたことと、新しい敵の存在がわかったことで、また活気が戻ってきたな。良いことなのか、悪いことなのか……」
「姉さん達のことを忘れたわけじゃないですから、良いかはさておき、悪くはないですよ。どんよりしてたら戦うことにも支障が出ますし」
「まぁ……そうだな。あの子達が沈んでしまったことも、春雨の口から聞けた。割り切ることも出来るだろう」
今までは消息不明生死不明というカタチで捜索が続いていたから、鎮守府全体が暗くなっていた。そこで春雨本人から顛末を聞くことが出来たことで、仇討ちというカタチで前向きになれている。
決して褒められたモノでは無いとは思うが、先に進もうと全員が決意出来たことは悪いことでは無い。
「あとは……その未知の敵だ。今施設に保護されている未知の深海棲艦……槍持ちが、何か関係しているかを知りたいところだが」
「それとは違うんですよね。あの大将が調査してくれた結果的には」
「ああ。槍持ちは捨て艦の成れの果てだ。それに、春雨が違うと言うんだから違うさ。それは保証出来る」
春雨達を襲った未知の深海棲艦は、黒い繭から生まれたであろう元艦娘だろうと提督は想定していた。金剛から聞いている限り、槍持ちの力は尋常では無い。春雨達だって歴戦の駆逐隊なのに、呆気なくやられてしまったという時点で似たような存在だ。
ならば、
「戦いはまだ始まったばかりだ。困ったことにね」
「ですね……私ももっと強くならなくちゃ。私だって、姉さん達の仇は取りたいですからね」
「無理だけはしないでくれよ」
「勿論。無理せず強くなって、必ずその深海棲艦を探し当ててやりますとも」
フンスと胸を張る五月雨。最初に比べれば頼もしくなったものだと、まるで親が子を見るような目で五月雨を眺める提督。
五月雨だけでなく、鎮守府にいる全員が同じ心持ちだ。必ず仇を突き止めて、勝利を収める。それが今の望みである。
「さて、朝食まではもう少しかな。仕事は……まだ始めなくていいか」
「やると言ってもダメですからね。まーた徹夜しかけましたよね。大淀さんと」
「いや、叢雲の資料集めでいろいろと」
「まず真っ先に無理しちゃいけないのは、艦娘じゃなくて提督ですからね! 大淀さんにもちゃんと言っておきますから!」
こういうところも強くなったなと苦笑。長年の秘書艦業務のおかげか、精神的にも成長している。駆逐艦ながら、鎮守府を引っ張っていけるくらいの胆力を身に付けていた。間違いなく鎮守府代表の艦娘と言えるだろう。
「わかった、わかったから。時間まではのんびりしているよ」
「それが普通なんです。何処の提督も
などと五月雨が提督に説教しようとした瞬間、電話の音が鳴り響いた。
施設のタブレットではなく、鎮守府の端末。ここにかけてくる者は、大本営を筆頭とした軍の者である。朝も早いため、中継も無く直接執務室の端末が鳴った。
五月雨は言葉を呑み込むために咄嗟に口に手を当て、どうぞどうぞと手を端末の方へ。
「こんな時間に連絡とは珍しいな……」
業務開始前に連絡をしてくることというのはなかなか無いことだった。特殊な任務が発生した時や、余程重要な連絡が発生した時くらいだ。ならば、今回は後者であろう。
待たせるのも悪いと、提督は間を置かずに電話を取った。
『朝早くからごめんなさいね』
電話の主は、貴婦人の大将。少し申し訳なさそうではあるものの、こんな時間に電話をしてきたくらいなのだから、何か重要な事実が判明したからこそ連絡をしてきたのだ。
「いえ、問題ありません。何かわかったんですか?」
『ええ、例の件のことで。知っているでしょうけど、昨日鎮守府を制圧した後、その持ち主に尋問をしていたの。叢雲のことはそこで判明したから、すぐに貴方に連絡したのだけれど、その後にもさらに尋問を続けて、わかったことがあったのよ』
むしろ、そちらの方が重要と言わんばかりだった。
『そこの鎮守府が叢雲を捨て艦にして攻略しようとしていた敵……深海棲艦が、未知の深海棲艦だったらしいわ』
「それは……」
『ええ。もしかしたら、
そのブラック鎮守府は、戦果を挙げることに躍起になっていた。それ故に、分不相応な敵にも、生まれたばかりの艦娘を囮に使ってむりくり倒していた。毎回犠牲を払い、ギリギリのところでも戦果を挙げていた。
今回もそれだったらしいのだが、その相手というのが、今までに発見されていない未知の深海棲艦である。それこそ、春雨達を襲撃し、駆逐隊を全滅させた仇と同じモノの可能性だってある。
「それはどんな深海棲艦だったか……わかりますか」
『ええ。そこで出てきた敵は2体だったらしいわ。そのうちの片方は駆逐艦、もう片方は重巡洋艦だったそうよ。その時はまた別の艦娘を犠牲にして逃げ果せたらしいけれど、最初から勝ち目が無いと考えて相当無理矢理撤退したみたいね。その時の部隊は、トラウマを負ってしまっていたの』
駆逐隊のように全滅させられたわけではなく、他者を犠牲に他の者が生き残っているというのが気に入らない話ではあるものの、そのおかげでその情報が手に入ったのなら苦しいが妥協する。
ボロボロにされた叢雲はその無念と逃げ果せた艦娘への憎しみ、こんな作戦を立てた人間に対しての怒りで感情が溢れ出し、今に至る。
「それが今から1週間前……ですか」
『ええ。貴方の駆逐隊が消息を絶ったのは、確か今から10日ほど前だったわね。おおよそ3日でその場所まで移動したと考えてもおかしくはないでしょう』
「確かに。どういう概念でその行動をしているかはわかりませんが、可能性としては無くはないですね」
そのブラック鎮守府が相手取ったという深海棲艦が、この鎮守府における仇と同一の存在だというのなら、次の戦場はその付近になるかもしれない。これは大きな情報だ。
しかし、3日でやたらと移動しているというのなら、今はもう全く別の場所にいてもおかしくない。捜索は困難を極めそうである。
「了解しました。重巡洋艦と駆逐艦の特徴がわかれば教えてもらいたいのですが」
『それはまだ。トラウマを負った艦娘からも聞いているから、時間がかかるわ。もう少し時間をちょうだい』
「なるほど、では焦らずに待たせていただきます。その間に準備をしておくことにします。槍持ちとの戦闘のおかげで敵の実力は多少わかりましたから」
『ええ、そうしてちょうだい。また何かがわかり次第連絡するわ』
貴婦人の大将からの連絡はここまで。電話が切れたことで、緊張感漂う空気が弛緩する。椅子に深く腰掛け、少し冷めたコーヒーを呷る。
「……重巡洋艦と駆逐艦の未知の深海棲艦だそうだ。そのうちのどちらかが、僕達の戦うべき仇である可能性がある」
「そう……ですか。そうですか」
五月雨は少しだけ心が燃えるような感覚を覚えた。仇の姿が明確になりかけ、艦娘が持つ闘争本能に火がつく。
「それとの戦いに向けて、僕達は邁進して行こう。今は力を溜める時間だ。前を向いて先に進めようか」
「はい!」
鎮守府はここからさらに活気を取り戻す。戦いはまだ始まったばかりだ。
電話を切った貴婦人の大将は、大きく息を吐いた。隣に構える吹雪が気遣って身体を支えようとするが、大丈夫と手を添えてそこから立ち上がる。
「要所は話したから、とりあえずこれでいいでしょう」
「そうですね。でも良かったんですか? 重巡洋艦はさておき、駆逐艦の方は特徴がわかってるじゃないですか」
「あの鎮守府には今は話せないわ。混乱するだろうし」
苦笑しながらも、今の判断が正しかったのかを思案する。今の安寧のためには、ほんの少しの前進で終わらせるべきと判断した。事実をすぐに話すことが正しいとは限らないのだから。
「さすがに言えないですか……」
「ええ」
ふぅ、と小さく息を吐いて、絞り出すように呟いた。
「駆逐艦が
支援絵をいただきました。ここに紹介させていただきます。
【挿絵表示】
https://www.pixiv.net/artworks/92576022
MMDアイキャッチ風薄雲。深海棲艦になる前の姿。切ない表情、視線の先には、沈みゆく姉がいるのかもしれません。