「姉さん、しっかりしてください! 姉さん!?」
「あぁああっ、あああぁあっ!?」
春雨が鎮守府の面々と話しているその声を聞いたことで、槍持ちの中で再び
「薄雲ちゃん、抱きしめてあげなさい。声も届いていないなら、いつも通り温もりを」
「は、はいっ、姉さんしっかり!」
中間棲姫に言われるがまま、悶え苦しむ槍持ちを必死に抱きしめた。動きを止めるという理由もあるが、いつものように温もりを与えるように、思いを込めて。
それでも槍持ちは止まらない。薄雲を振り払うかのように身を揺すり、その苦しみから逃れようと暴れ続ける。
「ジェーナスちゃん、私達も!」
「Okay!」
薄雲だけでは止まらないと判断し、春雨とジェーナスも温もりを与えるために抱きつく。ここには仲間達がいるのだと教え込むように、3人がかりの力で槍持ちを食い止め、落ち着かせる。
「姉さん、しっかりしてください! 大丈夫、大丈夫ですから!」
「ここには敵はいないよ! みんな仲間だから!」
「楽しく生きる仲間なの! 勿論槍持ちも仲間なんだからね!」
三者三様ではあるものの、語りかける言葉は同じ。槍持ちは独りではない。ここには仲間がいる。憎むべきものは存在しない。だから、今は落ち着いてほしい。その気持ちをぶつける。
暴れるのは止まらず、振り回す腕が3人の身体を殴りつけるようなカタチになってしまったが、歯を食いしばってそれを耐えた。
「うぁあああっ! 艦娘っ、艦娘は許さない! 人間も許さないんだからぁ!」
「今は落ち着いてください! 姉さんが憎む理由も全部知ってます! でも、今は、今だけは、暴れないで心を鎮めてください!」
薄雲の必死な呼びかけがあるが、怒りと憎しみに呑み込まれて、周囲全てが敵に見えてしまっているかのように暴れ続ける。
今までとは違い、瞳には光が戻ってきていたものの、真っ赤に燃え上がるように光を放ち、鬼のような形相になっていた。壊れた心がさらに悲鳴を上げ、艤装さえも構築しようとしていた。
ここで艤装まで出して暴れようものなら、ダイニングはおろか施設そのものが壊れてしまう。それだけはどうにか避けたい。
「これは本格的にまずい! どうにか押さえ込まなくちゃ……!」
「少し
ジェーナスがそう言うと、2人は暴れる槍持ちから咄嗟に離れた。瞬間、ジェーナスの巨大な艤装が展開される。身体全てを包み込む球体状の艤装が構築されたかと思うと、艤装展開が間に合っていない槍持ちに押し潰すようにのしかかり、かなり強引に動きを止めた。
ここにいるものの中では、春雨や薄雲では力が互角になって食い止めることが難しい。中間棲姫は艤装を常に施設の電力として使っているため使用不可。飛行場姫は可能かもしれないが質があまりにも違うため使っても意味がない。リシュリューはさらに巨大すぎて、構築しただけでダイニングが破壊されてしまう可能性が高かった。そうなるとジェーナスか戦艦棲姫になるのだが、ここは小回りが利く駆逐艦のジェーナスが先行して発動し、こうなった。
巨大とはいえ、駆逐艦の身体を覆い隠す程度の球体。ダイニングを破壊することもなく、槍持ちだけを綺麗に押し潰す。戦艦棲姫も艤装を展開していたが、少しだけタイミングが遅かった。
「あぐっ!?」
「頭冷やしなさいな! 気持ちはわかるけど、ここで暴れても何にもならないわよ!」
艤装の下で蠢くものの、圧はより強くなり、身動き一つ取れなくなる。しかし、記憶の奔流という思考に叩きつけられる苦痛は取れるわけではない。
「っあああああっ!?」
一際大きな悲鳴を上げたかと思うと、槍持ちは目を見開いたまま気を失った。まるで死んだかのような見た目であるものの、キチンと息をしていることは確認出来る。
「姉さん、姉さん!?」
「何処も怪我はしていないわぁ。ジェーナスちゃんの艤装の圧力と、叫び続けていたことで酸欠を起こしたようねぇ」
「無傷で動きを止めるにはこれしか無かったわ。無茶しちゃったけど、最善だったと思うの」
「ええ、これなら大丈夫。今は寝かしておいてあげましょうか」
鬼のような形相のままでは可哀想と、中間棲姫が顔を整えてあげる。そうなると、見た目だけは安らかに眠っているように見えるようになった。
動かなくなったことが確認出来たため、ジェーナスも艤装を消す。そこには、侵略者へと堕ちかけていた槍持ちの姿があった。
「……姉さん……」
「薄雲ちゃん。今は信じて待ってあげてちょうだい。目が覚めたとき、改めて説得してもらえないかしらぁ」
不安で不安で仕方ない薄雲だったが、中間棲姫からそう言われると、静かに首を縦に振った。
ダイニングで倒れた槍持ちは、戦艦棲姫に抱きかかえられて私室へと運び込まれた。今でこそ安らかな眠りについているが、先程までは艤装まで展開しかけていたという酷い有り様だったのだ。誰もが心配し、部屋に押しかけている。
しかし、私室は狭いため、入れるのは選ばれた数人のみ。薄雲と戦艦棲姫はいつも傍にいたというのもあり、部屋に入ることを許可された。あとは診察と言えるかはわからないが確認のために中間棲姫が入るのみ。飛行場姫も今は部屋から退散し、静かにその時を待つことにしている。
そのため、部屋の外には飛行場姫と、薄雲が心配だからと春雨とジェーナスが待機している状態。万が一のことを考えると、追加の要員がいる方が心強い。特にジェーナスは、押さえ込むことに成功している実績がある。
「姉さん……思い出してしまったんですよね……多分」
「春雨ちゃんの鎮守府の話を聞いてしまったことで、記憶が戻ってしまった……と考えるのが妥当よねぇ。そうでなくても、もうギリギリのところまで来ていたのだと思うわぁ」
「遅かれ早かれ、槍持ちは思い出してたんじゃないかしら。何かのきっかけがあれば。それがあの鎮守府との通話だったってだけね」
眠る槍持ちの手を握って心配そうに付き従う薄雲と、その様子を少し離れて見ている中間棲姫と戦艦棲姫。戦艦棲姫は詳しいことは聞いていないものの、槍持ちの境遇は大体予想がついていたため、思い出した時にこうなってしまうのも覚悟していた。
悪夢により一時的に噛み合った時よりも酷い錯乱だったため、これはもう噛み合ったままと見てもいいだろう。次に目を覚ました時も、記憶は取り戻しており、錯乱する可能性は高い。それだけならまだマシだ。怒りと憎しみに呑まれ、侵略者気質に目覚め、この施設ごと破壊してしまうかもしれない。
「一時的な酸欠で倒れただけだもの。多分、すぐに目を覚ますわ。だから、薄雲ちゃん」
「わかってます。姉さんが姉さんになるための、大詰めなんですよね。私が……私がやります。最後の一手を」
今まで薄雲にだけは反応してきたのだ。錯乱状態でも薄雲の言葉だけは耳に入れてくれると信じて、槍持ちが叢雲へと至るための一手を、薄雲が詰める。
そうこうしているうちに、槍持ちが小さく呻めき、薄らと目を開けた。気絶は本当に一時的なものであり、落ち着いたら目を覚ましたようである。
先程から変わらず、その赤い瞳には光が戻っており、そこから赤い炎のように光がチラついていた。典型的な深海棲艦の目なのだが、錯乱して暴れていた時とは違って、ある程度落ち着いている。
短時間とはいえ、眠ったことによって錯乱していた思考が若干落ち着いたようだった。目が覚めた途端に暴れ出すようなことはない。理性も取り戻しているために、衝動を抑え込むことが今は出来ていた。
「姉さん……落ち着きましたか」
ずっと手を握り続けていた薄雲の顔を見て、何処か安心したような、しかしまだ感情の渦に呑まれているような、複雑な表情を見せた。
「……薄雲……私は……」
「姉さん……正気に戻りましたか……」
「……わからない。今も……腹が立って仕方ないもの……」
怒りが溢れての深海棲艦化というのは、そういう弊害があった。イライラが簡単には治らず、何に対しても怒りを覚えているような感覚が、常について回る。
「人間が憎い……艦娘が憎い……深海棲艦が憎い……この世界そのものが憎い……。薄雲……私はアンタにすら怒りを持ってしまってる。でも、一番憎いのは……何も出来なかった私自身よ……」
ギリッと歯軋りが聞こえる。
「こんな弱い感情に呑み込まれて……感情のままに暴れることを良しとするなんて……屈辱……! でも抗えない……イライラする……」
記憶を取り戻したことで、思考は真っ赤に染まっていた。全方位に向けての怒りと憎しみは、外だけではなく内にまで拡がり、身を滅さんとする炎となっていた。
まだ槍持ちのままの方が穏やかだったかもしれない。最悪な記憶を全て思い出したことで、元の艦娘叢雲としての思考が戻ってきたことによって、その感情は怒りと憎しみに埋め尽くされそうになっていた。
「貴女の怒りと憎しみは、人間にも、艦娘にも、深海棲艦にも、全てに向けられたもの……では無いわぁ」
ここで中間棲姫が少しだけ口を出した。ただでさえ最も近しい薄雲に対してもイライラが募っているような状況で、一種の部外者からの言葉は余計に苛立ちを加速させるもの。横になりながらもその声がする方を睨み付ける。
「貴女はね、
事実を突きつけられ、口を噤む。言われてみればと納得もしてしまった。直近で憎らしい人間と艦娘には今にも襲いかかりたいくらいの衝動を持っているものの、元はと言えば理不尽によって死んだことが原因だ。
心が壊れ、理不尽に対して怒り、この世の全てを憎んだ。結果がこの深海棲艦化である。怒りの権化、憤怒の化身と言っても過言ではない感情に支配されていても仕方ない。
「でも、無意識のうちでも薄雲ちゃんとの交流を楽しんでいたところはある。美味しいものを食べたら嬉しそうにしていた。全てに対して怒りを振り撒こうと、根幹は変わってない。貴女は、槍持ちちゃんは……ううん、
槍持ちから叢雲へ。扱いが艦娘へと変わったことで、思考にもほんの少しの変化があった。
意識すら出来ていなかった自分の根っこの部分を揺さぶられ、怒りと憎しみが若干だが治った。無論、その憤怒の炎は消えることは無いが、少しだけでも冷静に物事を考えることが出来るようになった。
「……私は……
「それは貴女が考えるの。貴女の意思は、貴女にしか決められないわぁ」
ここであえての放任。叢雲には叢雲の考え方がある。それを強制するわけにはいかない。考えて考えて、考え抜いた結果が侵略者へと身を堕とすことならば、もう何も言えない。それが叢雲の意思なのだから、甘んじて受け入れることになるだろう。
ただし、施設にだけは迷惑をかけてくれるなと念を押すだろうし、敵対するようならば容赦無く叩き潰すかもしれないが。
「姉さん……私達と一緒に生きましょう。楽しく、平穏に、ここで」
無言の叢雲に、涙目で訴える薄雲。怒りを取り払うことは出来ずとも緩くすることは出来る。その手を両手で握り、温もりを与えるように叢雲の腕を抱きしめた。
「姉さんの痛み、苦しみ、怒り、その全てを理解しているとは思っていません……でも、ここはそんな理不尽から解き放たれた楽園なんです。ここにいればきっと落ち着けます。私も力を貸しますから……どうか一緒に、一緒にいてください」
槍持ちであった時から常に貰っていた温もりのおかげで、叢雲の心は自然と落ち着いていった。全てを燃やし尽くさんとする怒りの炎は小さくなり、篝火程度にまで縮む。それにより、物事をより冷静に見えるようになった。
涙ながらに訴える妹の言葉は、常に燃え続けている心に沁み渡るようだった。じんわりとその思いを感じ取ることが出来た。
「……あんなことをする人間を知ってしまったら、護りたいだなんて思わない。滅んでもいいと思ってる」
「姉さん……」
「でも……アンタに苦労はかけたくないわ。薄雲……アンタが近くにいてくれるなら、この怒りの炎は極限にまで小さくなってくれるのかもしれない」
怒りに呑まれながらも、薄雲に笑みを向けた。槍持ちとしての数日間で得られた温もりを忘れているわけではない。
「わかってるわよ……ここにいる深海棲艦達は、本当に私のことを心配してくれていた。その時の記憶は大体残ってる。あやふやな部分もあるけれど」
「姉さん……それじゃあ……」
「……姉姫で良かったかしら。今日から……ここで世話になるわ」
「ええ、是非とも。貴女のような子を保護するのが、この施設の存在理由だものぉ。歓迎するわぁ」
感極まって、薄雲は大泣きしてしまった。悲しみではなく、喜びの涙をボロボロと流して、叢雲に抱きつく。叢雲もそれを受け入れて、薄雲の頭を小さく撫でた。
槍持ちは叢雲へと戻る。怒りの炎は治らないが、抑制は出来る。しかし、これは綱渡りのようなバランスだ。いつ崩れてもおかしくない。
憤怒の化身、叢雲。世の中の理不尽を怒り、深海棲艦へと身を窶した戦場の乙女。でも美味しいものには目が無い少女でもある。