鎮守府では、槍持ちが叢雲として覚醒し、新たな元艦娘として施設の一員になったことが知らされた。あの時に槍持ちと戦った金剛を始めとした艦娘達は、こてんぱんにやられていることで少し複雑な表情をしたものの、無事に艦娘としての思考を取り戻したことは素直に喜んだ。
感情が溢れた結果、処置も間に合わずに侵略者となり果ててしまっても、また別の処置を施すことによって元に戻る可能性があるということに他ならない。万が一の時の対処法が確立されたことは、いざという時の希望となる。
「で、だ。海風、あの施設への連絡は、少し頻度を落とすこととなった」
海風のメンタルケアのための手段として使っていた、施設の深海棲艦──主に春雨──との対話が、叢雲の心を揺さぶり再び壊してしまいかねない。
勿論、完全に止めてくれという話ではないので、タイミングを見てまた連絡を取ればいいのだが、頻繁な連絡をするとなると、施設でまた何かしらの混乱が発生する可能性がある。
「なるほど……わかりました。姉さんと話が出来なくなるのは悲しいですけど、今生の別れではないですし、あちらの施設も忙しいことは私もわかっているつもりです」
「すまない。あちらからも謝罪を受けたよ」
「いえ、私のワガママで施設を混乱させるわけにはいきません。せっかく和睦協定が結べているんですから、そのままを維持出来るようにしたいと思います」
口ではこう言ったものの、内心、春雨との会話のチャンスを減らされることに対して、思うところはあった。金剛に怪我を負わせ、自分達も実際に殺意を持って襲われ、それでも施設に保護されて今は楽しく生きるために毎日を過ごしている。それを邪魔しないようにするために、
槍持ちがあの海域に現れなければ、今日の通話のぶつ切りも無かっただろうし、翌日以降もまた春雨と話せる機会が頻繁に手に入っていただろう。
海風の中に、
本来なら艦娘としての思考能力を取り戻したことを喜ぶべきだと思っていても、海風が心に秘めている春雨への想いを
「また姉さんと話せるようになったら教えてください」
「ああ、そこまで長くなることは無いとは思う。すまないが、今は耐えてもらえるだろうか」
「大丈夫ですよ。私は鎮守府の意思に従いますから」
完全な作り笑顔だったと海風も自覚している。提督も察しているだろう。少し困った顔をしていた。
これ以上話しているとボロを出してしまいそうと、海風は一礼してその場から離れた。
考えてはいけないことばかりが頭を過ぎる。艦娘として恥じるべき考え方だと思っても、それを振り払うことが出来ない。
「おっとっと……Hey, 海風。そんなに急いでどうしたデース?」
そんなことを考えながら前も見ずに歩いていたせいで、たまたま金剛とぶつかってしまった。体格差のせいで海風はその場で倒れ伏してしまう。
金剛の隣には比叡もおり、海風が倒れてしまったことを心配するような表情。第三者から見れば、かなり強めにぶつかったように見えたらしい。
「す、すみません。少し……考え事をしていて」
「そうデスか。私達で良ければ、相談くらいには乗りマスよ?」
「だ、大丈夫、ですので」
ニコッと笑みを浮かべて、海風が立ち上がるのを手伝うために手を差し出す金剛。その手を掴んで立ち上がると、先程提督にしたように一礼をして立ち去ろうとする。
だが、ここで金剛が何かを察したようで、すれ違いざまにその肩を掴んだ。割と力が強く、体勢を崩しかける。
「っとと……金剛さん、まだ何か」
「海風、今から時間ありマスか?」
時間としては夕食後。あとは身体を休めるだけであるため、やることといえば風呂のみ。そこに金剛からの突然のお誘いが入った。
「大丈夫といえば大丈夫ですが……」
「それなら、今から私達の部屋に来てくだサーイ。よく眠れるようになる美味しい紅茶がありマース。比叡、すぐに準備は出来ますネ?」
「勿論です! この比叡、気合い、入れて、淹れます!」
「いつも通りでお願いネ」
金剛にお願いをされたため、比叡がすぐに部屋へと戻った。海風はまだちゃんとした返事をしていないのだが、本人の意思に関係なく話が進んでいくため、呆気に取られていた。
「え、えっと……」
「海風、結構考えていること顔に出やすい方じゃないデスか?」
笑顔を崩さない金剛だが、何もかもお見通しという目で海風を見ていた。
艦娘として間違った感情を持ってしまったことを見透かされているような気分になり、徐々に海風も心拍数が上がっていく。
「Relaxしましょうネ。さっきも言ったデスが、相談には乗りマス。話しづらいことかもしれまセンけど、大丈夫。むしろ口に出した方がスッキリしマスよ」
勿論、最終的には海風の意思で決めればいいと忠告した。先に比叡に部屋に戻らせてお茶の用意をさせているのだから、拒否権なんて殆ど無いようなものなのだが。
少し悩んだ海風だが、最終的には金剛の優しさに折れた。金剛の言う通り、口に出した方がこのモヤモヤが晴れるかもしれない。
自分に生まれた黒い感情を他者に知られるのは少し抵抗があったが、ずっと秘め続けていたら、山風辺りに何を言われるかわからない。そして何より、春雨を心配させることも避けたかった。ならば、恥など捨てて相談に乗ってもらった方がいいだろう。
この鎮守府では、全員が1部屋ずつ、全く同じ部屋が貰えるのだが、金剛の部屋は海風の部屋と比べると少し違って見えた。物の配置だけでこうも変わるかと感心しつつ、こちらへドウゾと促され、お客様席へと着席する。すると、先んじて部屋で準備していた比叡が、ティーカップとソーサー、そして淹れたての紅茶をキビキビと用意した。
こうやって鎮守府の仲間達を招いてティータイムをするのは一度や二度では無いらしく、その都度、今のように比叡が準備し金剛が接客するというのを繰り返していたらしい。
「それじゃあ、洗いざらい話してみましょうカ」
「お姉さま、それだと尋問です」
「Oh, sorry. 私は海風を責めてるわけじゃありまセーン。何か悩み事があるなら、私が全部聞いてあげるって話デース」
ここまで来て、お茶を飲んで帰るということはもう難しい。少なくともそんな空気ではないし、せっかくの金剛の好意を無駄にすることになってしまう。
意を決して、海風は今の自分の心の内を話した。定期的に春雨と話が出来るということを心の支えにし、事実それによって体調も良くなっていたのが、先日こちらを襲ってきた深海棲艦にその機会を奪われたことで、苛立ちが強くなってしまったことを。
ポツポツと話し始めたが、少しずつ語気が荒くなっていく。一度吐き出し始めると止まらなくなるようで、思いの丈を金剛にぶつけていった。
金剛はそれを笑顔で聞き続ける。途中からは比叡も相席してその話を聞く。時々うんうんと頷き、海風の感情に同意するような仕草をするため、金剛もそれには苦笑していた。
「わかる! わかるなぁ! 私もそういうこと考えるときあるもんなぁ!」
心底わかると言わんばかりに身を乗り出す。その勢いに海風も気圧されそうになるものの、金剛が比叡の首根っこを掴んで席に戻したことで事なきを得る。
「お姉さまが他の子と楽しんでるところを見てると、私もたまーに心がキューッてなる時があるからね。海風の気持ち、すごくわかるよ。それだけ春雨のことが大好きってことだね」
比叡が言っていることは別に恋愛とかそういうのではなく、単に金剛のことを心から尊敬し、心酔しているだけに過ぎないのだが、今の海風にとってはいろいろな意味に捉えられる言葉である。
それ故に、言葉にされた瞬間から海風の表情には恥ずかしさが滲み出てきた。勿論、金剛はそんな表情の変化を見逃さない。
「海風、貴女の考えてることは、何の問題も無いことデスよ」
「金剛さん……?」
より優しい笑みを浮かべて、海風に語りかける金剛。
「好きなヒトを盗られたと思ってしまったんデスね。そんなの、私達みたいに人間と同じように考えることが出来るのなら普通なことデス。ただ、それであちらの叢雲を沈めてやろうとか、そういうことは考えてないんデスよネ?」
「も、勿論です! いくら深海棲艦だからと言っても、元々は艦娘ですし、それに……酷い鎮守府のせいで心が壊されているのも理解しています。同情も出来ますし、艦娘のことを嫌ってしまうのもわかります。そんなヒトを沈めるだなんて、それこそ艦娘としてやっちゃいけないことです」
「そこまでわかっているのなら、充分デスネ。でも、それで海風が我慢し続けるのはあんまりよろしくないデス。そのうち本当に
ある程度は発散しないと、感情が篭りに篭って爆発してしまうと、金剛は心配していた。事実、海風の今までの体調不良も、感情の溜め込み過ぎなのではないかと考えている。
海風は艦娘の中ではかなり真面目な性格だ。駆逐隊の隊長として妹達の面倒を見つつ、今は亡き姉達に追いつけるように努力も怠らない。気の休まる時があるのかもわからないような状態だ。
それを春雨という尊敬出来る存在で癒されていたものが、それすら断たれてしまったことで、癒されることもなく悶々とし続けて、結果的に体調に異常をきたしていたわけだ。
「海風がその気持ちをあまり周りに知られたくないというのなら、私達だけに話してくだサイ。解決させることは出来なくても、話をするだけでも大分楽になると思いマス。今もそうデショ?」
今の海風はある程度スッキリした顔をしていた。心の内を口に出すことが出来たことで、溜め込んでいた鬱憤が吐き出せた。
身体が楽になったというわけではないにしろ、心が楽になったのだから、その分違う考え方も出来るというもの。
「私も相談に乗るよ。海風はどちらかといえば
比叡も海風に同じ匂いを感じたか、親身になってくれると約束してくれた。金剛のみならず比叡も心の内を聞いてくれて、しかも同意すらしてくれたのだ。妹達とは別のベクトルで心が許せる相手となっている。
実際は、比叡が金剛に対して抱いている感情は、海風が春雨に対して抱いている感情とは少し違うのだが、方向性としては似たようなもの。そのおかげで、海風の気持ちもちゃんとわかってくれている。
「……ありがとうございます。自分のダメなところがよくわかりました。1人で溜め込んじゃダメですね」
今回は悩みが出来てすぐに金剛達に話せたからこれだけで済んだが、これを溜め込んでいたら、また妹達を心配させるほどに憔悴していただろう。冷静に物事が見られるようになって、そこに気付けたのは大きかった。
「Yes. せっかくこれだけ仲間がいるんデスから、頼れる時にはさんざん頼ればいいんデスよ。誰も迷惑には思ってないデスし、むしろ頼られて嬉しいと思ってる子もいるデス。私みたいにネ」
「そうそう。私達は海風の味方だから。いくらでも聞くよ。代わりに、私達の話も聞いてくれると嬉しいかな」
にこやかな金剛と比叡に気持ちを認められ、少し泣きそうになってしまっていた。比叡はわたわたし始めるが、金剛は慣れた仕草で海風をあやした。泣いてもいいよと言わんばかりに抱きしめて、頭をポンポンと撫でる。
「うわぁ、お姉さまのハグ! 海風いいなぁ!」
「海風、比叡ほど感情を表に出せとは言わないデスが、この場所では好きにしてくれて構わないからネ」
「……はい、ありがとうございます。助かります」
泣きじゃくるようなことはしなかったものの、金剛によって落ち着きを取り戻した海風は、本当にスッキリした表情をしていた。妹達にも見せられない表情を心許せる存在に見せたことで、焦燥感は払拭された。
また春雨に会えないことで鬱憤が溜まってきたら、金剛と比叡に頼ることになる。それで体調を崩さずに毎日を過ごせるのなら、それに越したことは無い。
海風はまたここから、心を強くしていく。
金剛も比叡も、海風にとっては頼れる先輩。特に比叡は、海風と同じような感情を持っている存在なため、余計に頼りになる。普段は抜けてるところもあるけど。